百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

ブルームーン

2012年08月31日 | 百伝。
キャプテン 漆原さんへ

はじめに、加島に庭園があったというのは、歴史的事実です。

豪商以前、もともとは、小早川家一族だったかな?・・確かに、尾道市の何かの文献にも間違いなく残っています。

それと、百済と加羅(任那)・・百島と加島との関連性ですが・・生前の父が、同じような話をしていたのを思い出します。

僕の個人的な見解です。

面白いのは、大阪市西淀川区に百島(ひゃくしま)、加島、歌島、佃島・・という地名があるのです。

歌島は、尾道向島(むかいしま)の旧名なのです。

東京の向島(むこうじま)、佃島は、大阪の西淀川区の歌島、佃島の民が、江戸時代になって移り住んだのです。

はじめ、瀬戸内海の備後の民が、大坂の地に移り住んで、その地名を残したのではと考えたのですが、歴史的なスパンで考えると、逆に摂津大坂から備後や木曽、尾州に移り住んだと考えた方が、正しいのでは?・・というのが個人的な見解です。

そこで、考えられるのは、大坂の地での百島と加島の地名の由来ですが・・百済と加羅(任那)との関連性はあるのかどうか・・大和の時代に、大陸に向けた日本の玄関口が、大坂の湊の地だったのかもしれません。

随分昔、大阪の西淀川区にさまざまな質問をぶつけたことがありましたが、残念乍ら、答えが無かったです。

長野県木曽にも百島という地名があり、その裏手に向山があって、木曽という苗字は、尾道向島に残っています。

それから、愛知県津島市にも百島という地名があって、ここには、津島神社(津島牛頭天王社・ごずてんのうしゃ)があり、織田信長、豊臣秀吉にも庇護を受けた格式高い神社です。

御祭神は、天照大神の弟・・あのスサノ王です。

備後国風土記(きびのみちのしりのくにのふどき)曰はく、疫隅国社(ひのくまのくにやしろ)、昔北の海に坐しし武塔神(むたふのかみ)、南の海の女子(むすめ)をよばひに出で坐ししに、日暮れたり、彼所(かしこ)に蘇民将来(そみんしょうらい)・巨丹将来(こたむしょうらい)といふ二人住みき、兄の蘇民将来は、甚(いと)貧窮(まづ)といしく、弟の巨丹将来は、富饒(にぎは)ひて、屋倉(いへくら)一百(ももち)在りき、爰(ここ)に武塔神、宿処(やどり)を借り給ふに、惜みて借しまつらず、兄の蘇民将来は借し奉る。即ち粟柄(あわがら)を以て座(みまし)とし、粟飯等を以て饗(みあへ)奉(たてまつ)る。既に畢(を)へて出で坐しき。後(のち)年経(としへ)て、八柱の子(みこ)を率(ゐ)て還り来て、詔(の)りたまはく、我(あれ)、将来の為に報答(むくい)せむ、汝(な)が子孫(うみのこ)、其の家に在りやと問はし給いければ、蘇民将来答へ申さく、己(おのれ)女子(むすめ)と斯の婦(め)と侍(さもら)ふと申す。即ち詔り給はく、茅(ち)の輪を以(も)て腰の上に著(つ)けしめよと詔り給ふ隨(まにま)に、著けしめき、即夜(そのよ)に、蘇民と女子(をみな)二人とを置きて、皆悉(ことごと)に許呂志保呂保志(ころしほろぼし)てき、即時に詔りたまはく、吾は速須佐能雄能神(はやすなのをのかみ)なり、後世に疫気(えやみ)あらば、汝蘇民将来の子孫と云ひて、茅の輪を以て腰の上に著けよ、詔の隨に著けしめば、即ち家なる人は免(まぬか)れなむと詔り給ひき。・・備後国風土記。

これは、モーゼのエジプト脱出記と似ているような逸話伝説です。

スサノ王は、桃源郷を探していた途中に、桃島で蘇民将来と出会ったのです。

だから、僕は、蘇民将来が生まれ育った舞台を備後の国桃島(現百島)を「茅の輪くぐり」の原点も、「笑う門に福あり」の原点も、百島伝説に組み込んで誇示したいと考えているのです。

話が飛んでしまいました。

百済と加羅(任那)伝説よりも、桃源郷伝説がいいかなぁ・・ごめんなさいね。

八月最後の日の今日は満月・・。

月二度見る満月をブルームーンだと呼ぶそうです。

幸せになれますように。


ココロとコトバ

2012年08月30日 | 千伝。
昨日の夜、帰りがけ、通り道から、中が丸見えの面白い場所を通り過ぎました。

片方のビルの1階が、ボクシングジムで、リング上で若者が体を動かしていました。

その隣り建物の1階では、自習室ような所で、若者が何やら一所懸命勉強しているのです。

幸せそうだなぁ・・という光景に映りました。

・・ココロが大事。

夏のスクーリングで出会った年代もまちまちの新しい級友からメールが、届きます。

通信制で一緒に学ぶ仲間と言っても、その動機やら、その背景にあるものは、大きく異なります。

北海道、九州、関東やら遠方から来られる60代以上の大抵の方は、経済的に余裕もあり、世間体もよく、堂々と観光目当てで、京都の大学を選んでいるようでした。

感心するのは、高卒で社会に出て、今、20代から30代の若い方が、自分の時間、貯蓄を削りながらも、自力自立で大卒資格を取る・・問いを学ぶという姿勢が明確な方です。

自分の発言力に重みを持ちたいとも言っていました。

・・コトバが大事。

こういう若い皆さん方に、日本の未来を担って欲しいと切に思います。

臨機応変、自由自在・・。

その居場所が三流でも、それを一流に変える、一流にできる人材が、一流の人だと思います。

百年後の空き家

2012年08月29日 | 百伝。
日本は、人類史上、例のない人口減という超高齢少子化社会を形成しつつあります。

その歴史の先頭を走っているのが、故郷の百島です。

30年ほど昔、百島では、空き家が増加するという不安が広がりました。

20年ほど昔、百島では、空き家の増加が、ほんとうに目につくようになりました。

10年ほど昔、地方の都市部にドーナツ現象が広がり、シャッター通りとか空き家が増加し始めました。

現在、日本中で、大都市圏を含めて、急速に空き家が増大しつつあります。

日本全体での空き家が、750万棟程度。

東京では、そのうちの10%の75万棟。

東京23区内の死亡者の30%超える割合で無縁・孤立死というかたちで直葬となっているとのこと。

現在、日本の要介護者は、約400万人・・そのうち認知症の方が、約300万人。

5年以内に、要介護者の人口は、約600万人。

2025年には、要介護者の人口は、約800万人。

現在の日本の生活保護受給者は、約210万人以上。

現在の日本のニート(15歳~34歳)の引きこもり人口は、推計約70万人(潜在人口は、推計で155万人)。

35歳以上のニートは無業者となり、未来の生活保護受給者の確定候補となります。

さて・・。

今年度、農林水産省が、農業への新規就業者への現金給付を始めたところ、応募者希望者が殺到したようです。

そのため、来年度から、林業、漁業の新規就業希望者に対しても、一定期間現金を給付する制度導入の検討を始めました。

「所得確保を通じて1次産業の後継者を確保する」・・農林水産省のコメントです。

加えて、夫婦での新規就業の子作り奨励政策も必要では?

さもないと・・日本という国は、空き家だらけの国家になります。

高層ビルも、未来の墓石というシンボルに映ります。

現在の日本の人口、約1億2千万人。

50年後の日本の人口、約8000万人(そのうち5割近くが65歳以上を占める)。

百年後の日本の人口、約4000万人という統計予測です。

地蔵盆

2012年08月23日 | 百伝。
今日は、処暑。

まだまだ、暑い福井地方です。

福井県小浜市では、地蔵盆の行事が行われていました。

地蔵盆・・って、近畿地方、独特のものかもしれません。

写真は、京都市街地のとある露地を入った地域での地蔵盆の提灯です。



子どもたちが主人公であり、その成長を健やかに見守る行事です。

子どもたちが輪になって坐り、大きな数珠を廻す、百万遍に似た数珠繰りの京都の行事です。



もともとは、京都が、起源だということです。

道祖神信仰や愛宕信仰との関係を指摘する説などもあります。

・・とは言え、もちろんお盆に関わる供養の側面も見られます。

ただし、地蔵盆の起源については、、なかなか簡単にはいかないようです。

百島のように、新盆の家では地蔵盆に独特の形で参加する地域も見られます。

「ご詠歌」(念仏合唱)が謳われる場合もあります。

でも、遠い記憶の中で、子供にお菓子を配っていた行事が、百島の本村の坂上(さこじょ)地区であったような気もします。

子供にお菓子を配る日だと、教わったような気もします。

京都の方に、その起源を訊いたのですが、織田信長、明智光秀の時代に、地を鎮めるために、土の中に、お地蔵さんを沢山埋めたようです。

まだまだ、掘れば・・お地蔵さんが土の中から現われる地域もあるとか。

お地蔵さんは、子どもの眩しさと未来で通じ合うものがあります。

百島に居るお地蔵さんも、遠い先人の祈りや願いを込めたものなのでしょう。



合掌

反骨の野人

2012年08月20日 | 百伝。
今は昔、先祖に小野妹子、孫に歌人の小野小町・三蹟の小野道風・・。

嵯峨天皇の治世の頃、小野篁(おののたかむら)という不思議な人物が生きていました。

「無悪善」を解読した人物。

「子子子子子子子子子子子子」

「ねこの子のこねこ、ししの子の子じし」と読んだ人物です。

また、冥土の世界へ・・あの世とこの世を行ったり来たり。

・・黄泉の国冥府で閻魔大王の裁判を補佐したとも。

・・不思議な人物です。

隠岐の島へ流罪となった時に、詠んだ歌です。

「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人にはつげよ 海人のつり舟」

百人一首(第十一)にも選ばれた篁が詠んだ名歌です。

意訳として、「海原を数多くの島々にむけて、隠岐に行く我が身を、恋人に告げてほしい 釣り舟の人よ」

その一年半後、流罪が解かれて、日中は朝廷で、夜になれば、冥府で裁判官として働いていたそうです。

昨日、小野篁公の墓所に行って参りました。



隣には、紫式部の墓所もあります。





とある一説として、源氏物語を書き上げた紫式部は、色恋に惑わせる大罪を犯したということで地獄行きだったそうです。

その冥界での裁判で、紫式部を、小野篁が救ったようです。

紫野となる御縁伝説かもしれません。

さて、八十島を百島と詠んで欲しかった・・と、小野篁公に念じていました。

その時です。

・・大雨と雷に打たれてしまいました。

無事帰福。

合掌

弁慶の腰掛け石

2012年08月19日 | 千伝。
大学関係者のご親切で、北区紫野地区のお米屋さんの民家の中まで案内していただきました。

このお家の中庭に「弁慶の腰掛け石」があるのです。

お家の方にも、お世話になりました。







この石は、遠い昔から代々と言い伝えられたとの事です。

では、弁慶は、なぜゆえに?・・この石に腰掛けていたのか?

そう、通りかかった武者の太刀を千本を奪うために、この石に腰掛けて強奪する準備をしていたのです。

そして、九九九本を集めて、千本まで、あと一本という夜に現われたのが・・あの有名な牛若丸(のちの源義経)の登場です。

その決闘となった伝説場所が、五条の大橋です。

しかし、誰が考えても物理的に難しいと思うのは、牛若丸の居た鞍馬山から五条までの距離です。

牛若丸は、笛を吹きながら、空を飛んできたのか?

何のために、牛若丸が、五条まで出かけたのか?

何も説明されていません。

逆説的に、新たな伝説が紫野に生まれつつあります。

この紫野には、かつて、若狭川? 有栖川?が流れていて、御所ケ橋?という名の橋が架かっていたようです。

さらに、牛若丸の母、常盤御前が、この紫野に生まれて暮らしていたという伝説もあるのです。

だから、牛若丸は、母、常盤御前に会うために出向いていたという一説です。

都の近隣から、千人の美人が集められ、その中から百人、そして十人に絞られて、最後の一人として残ったのが常盤御前です。

その常盤御前の産湯井戸?という伝説の場所もありました。







判読・・難しいです。

ところで、常盤御前は、源義朝の愛妾として牛若丸を生み、その後、平清盛の愛妾となったという一説もありますが、根拠のない伝説です。

その後、一条何某という者の正室になったという記録伝説も残っています。

さて、この伝説の面白さは、つまり、紫野こそが、牛若丸と弁慶が初めて出会った場所であり、決闘をした橋も御所ケ橋だという新たな地域興しの伝説興しです。

紫野の皆さんの地域興しも情熱的でした。

非常に興味深い散策でした。

感謝です。

易を取る。

2012年08月18日 | 千伝。
昨日の朝の散策は、京都駅構内の展望台(大空の広場)まで上がることができました。





体調は、まずまずかな・・。

浄土教の根幹、称名念仏を提唱した美作の国(岡山県)出身の法然は、エライ人物だなと思います。

「念仏は易くがゆえに一切に通ず。諸行は難きがゆえに諸機に通ぜず。しかればすなわち一切衆生をして平等に往生せしめんがために難を捨て易を取りて、本願としたもうか」

800年以上昔に「平等」という言葉を使っています。

講義で、参考文献ばかり紹介されるけど、そんなものを全部読むだけで、小生の残りの人生が終わってしまいます。

難を捨て、易を取ります。

大文字五山送り火

2012年08月16日 | 百伝。
今日から、また京都に来ています。

朝から、目いっぱい学んで参りました。

33年前の今日、大学生4年生だった僕は、この京都に居ました。

甲子園では、箕島と星陵の延長18回の高校球史に残る試合をやっていました。

それとも知らず、鷹が峰から見える五山全部の送り火を眺めていました。

京都駅から、四条河原町と下鴨神社で休息経由で鷹が峰まで歩いたものですから、相当、若かったのでしょう。

今日の夕方、ホテルまでの帰り道、級友になった若い京都の方と下鴨神社まで久しぶりに行って参りました。



糺の森も薄暗くなっていました。

夜8時から点火まで、高野川と賀茂川の三角州合流地点で、時間を過ごしていたら、物凄い人出でした。



33年前の学生の時、本来ならば、こういう場所で見るべきだったと不思議な感傷が湧いてきました。

スマホで写真を撮りました。

ほとんどの人出の多くが、写真を撮っています。

写真を撮り終えたら、皆な一斉に動き出しました。

帰るためのバス停や地下鉄に向うのでしょう。

大混雑です。








ご先祖様の御霊の送り火を眺める神妙な面持ちよりも、無事に早く帰るための気持ちが優先するようです。

この京都五山の送り火は、いつから始まったのか、その起源は、不明のようです。

祇園祭りは、下京のもの。

送り火は、上京のもの。

・・そんな雰囲気がしました。

日本全国、今日は、送り火。

子供の頃に見た・・泊地区のお墓での送り火も美しかったです。

合掌

お盆 郷愁

2012年08月15日 | 百伝。
~空木宝剣さんの映像から抜粋~

盆踊り 島の生活 走馬灯

段々畑にモバの肥料。
芋畑に麦畑。
もんぺに手拭。
エンボにオークあり。
焼玉原動機の巡航船安正丸。
桟橋を歩く生田米蔵さん。
モノクロームの中で、鬼籍の人や百島の昔が甦ってくれてありがとう。



学問の神様 身仕舞い

2012年08月12日 | 千伝。
日本の視覚・聴覚障害のある児童は、教育機関に受け入れていましたが、1979(昭和54)年になるまで、知的障害児童・身体障害児童は、教育の対象外でした。

それ以降、教育の意味と理念は、「人材の育成・育材」から、「権利としての教育」に変わりました。

あれから、33年。

ある知的障害者のお話です。

「子供の時から、学校の勉強についていけず、ずっといじめられて、職場でも仕事についていけない。それが、何故か判らなかった。結婚後、障害者手帳を取って、自分の障害が判り、ホッとした」・・と語っています。

北野天満宮に参りました。

天神さん・・学問の神様、菅原道真公をお祀りする太宰府、亀戸天神をはじめとする全国に約一万社御鎮座する天神社・天満宮宗祀の頂点に建つ北野天満宮です。



歩きながら、懐かしんでいました。

25年ぶりぐらいの懐かしさです。

この場所は、僕がロンドンに渡る前に、20代の最後の仕事として取材訪問した思い出深い神社です。



勉強は、他人や誰かに「問い」を与えられるものです。

そして、とにもかくも、うろ覚えでも、「答え」を出すことです。

だから、受験勉強は、ウルトラ・クイズダービーに近いものがあります。



学問は、「問いを学ぶ」と書きます。

学問の神様、天神さんは、言います。

「誰でも学ぶ権利があると思う。その問いは自分で求めていくもの」



京都には、菅原道真公の誕生地を祀った天神さんが、三か所あります。

上京区の「菅原院天満宮神社」、南区の「吉祥院天満宮」、下京区の「菅大臣神社」です。

上の写真は、菅原院天満宮神社です。

天神さんを取材した当時、上京区千本通りの「出世稲荷神社」にも参りました。

江戸時代には、伏見の稲荷総本宮に匹敵するぐらいの鳥居があったと聞いています。

まだ若かった僕は、そこで、個人的に「未来への開運出世」を強く祈りました。

あれから、およそ25年後・・。

昨日、出世稲荷に行くと、ナントです。

出世稲荷が、更地となって消えていました。

僕も出世しなかったはずです。

ほんの二か月前の六月に、資金難のために土地を売却して、大原へ移転したようです。

地元の京都の方の話では、あっという間の神社の取り壊しだったようです。

当日、最後になる参拝者も多く見学に来られていたようです。

副業の不動産ビジネスに失敗したとか・・残念なことです。

神さまも見放したのでしょう。

「誰でも幸せになる権利があると思う。幸せは自分で求めていくもの」

生きる人に、神さま仏さまは、言います。

「欲を持つな」と。

「だから、願い事が叶うようにお願いする人ほど、悲しいのでは・・」と。

心に平穏を与えてくれるのが、神さま仏さま。

心の重荷を取ってくれるのが、神さま仏さま。

おかげ様で、今日も、ありがとうです。



楽しかった過去の日々を、未来で語れるように、朗らかに、元気よく、強い気持ちで!!

福井に戻ります。

私は誰になっていくの?

2012年08月11日 | 千伝。
原題:Who will I be when I die?(死ぬ時私は誰になっているのだろうか?)

著者:クリスティーン・ブライデン 訳:桧垣陽子

1995年、46歳でアルツハイマー病と診断されたオーストラリアのクリスティーン・ボーデンさんの著書名です。

「恍惚の人」ではありません。

ジェットコースターに乗っているような気分だと言っています。

ちょっとまえに、自分が、何をしたのかも忘れてしまいます。

誰に電話をかけたのかも忘れてしまいます。

急かされると、自分がダメな人間だと思います。

薬が飲めない、飲み方が分からないのです。

一度に二つ以上のことをすると混乱します。

徘徊、妄想は、異常行為ではなく、不安なのです。

「呆けてしまえば、何も分からなくて幸せ」

「呆けているから何を言ってもわからない」

そうでは、ありません。

すべて、解っているのです。

「日本の読者のみなさまへ」で著者は、このように書いています。

私は、認知症です。

だからといって、怯えたり、恥ずかしがって隠れていたくはありません。

認知症は、他の病気と同じように一つの病気であることを私は知っています。

認知症患者も、敬意を払われ尊厳を保たれるべき価値のある人なのです。

京の七夕

2012年08月10日 | 千伝。
三年ぐらい前から、京都を彩る七夕祭り(8月13日まで)が人気観光になっています。

今日は、堀川会場の元離宮二条城、堀川遊歩道を散策してきました。

「竹と光のアート作品」をモチーフにした七夕も幻想的で美しかったです。

二条城城門です。




「星合い、天の川を渡って」・・京都市立芸術大学の学生さんの作品です。


二の丸御殿です。

日本初の暦を作った渋川春海の挑戦を描いた映画「天地明祭」の(九月封切)の撮影に使われた小道具、資料、衣装が展示されていました。
(撮影禁止でした。)




堀川遊歩道です。

メッセージ行灯




光の友禅流し




竹と光のアート


光の天の川



願い七夕





風鈴の小径




一条戻り橋

ホーソン工場での実験

2012年08月10日 | 千伝。
劣悪な労働環境でもモチベーションが高ければ、労働環境の良い状況よりも生産効率が高くなる場合もある・・調査されていると思えば、そうなります。

通学前に、早朝、京都駅構内を散策して一番高い眺望エリアまで上がるのですが、今日は、モチベーションが上がらないので、中段から眺めるだけにしました。



宿題の課題レポートを書いています。

もうすぐ、なでしこジャパンとアメリカとの決勝戦です。

新しい同級生の存在も刺激になります。

今年、しまなみ街道マラソンを走った同年代の方がおられました。

モチベーションかな?


京都御苑

2012年08月09日 | 千伝。
授業を終えて、何十年ぶりかの京都御苑を散策しました。

かつて、日本の旧皇居でもある京都御所です。



遥か先にあるのが、御所の玄関となる建礼門です。



京都の中心に遠大な敷地が広がります。

凄いものです!

京都に左傾倒の考え方が多いのも・・分かる気もします。

南側に旧九条邸敷地内に庭園池があります。

その中に、厳島神社が祀られています。



京都の方のお話では、この界隈も、空き家が多くなっていること。

「マンションは、縦に立つ長屋。そこに金を払って入ったら、もう金がないから出られん。だから、一軒家の空き家も多くなるわ」

ほんとうに、京都の市街地でも古い民家の空き家が多いです。

そう言えば、京都御所も空き家です。

海外からの外国人観光客も多く、浴衣姿の観光客も多い、日本一の観光都市の京都です。

古都の賑やかさの裏には、いろいろと問題もあります。



京都のバスに乗ると、こんなスローガンが掲げられています。

「人権の 話題作りは 家庭から」

授業の宿題課題レポートも「人権」絡みでした。

神さま、仏さま、人さま・・京都御縁さまです。

京都の朝 満足稲荷

2012年08月08日 | 千伝。


一昨日から京都に来ています。

朝の散策は、京都駅構内です。

六時前から、大勢の人が動いています。

ホテルの部屋の窓から、新幹線のプラットフォームが見えます。

六時を過ぎると、乗客を乗せた新幹線が、東へ西へと出入りします。

日本の大動脈が、動いているのが解ります。

一昨日は、ヒロシマ。

昨日は、立秋。

常備薬を忘れて、ここ二日間、非常に体調が悪かったです。

心臓が止まるかと思うぐらいの状況でした。

今、元気快復です。

八坂神社、知恩院の近くに、満足稲荷というネーミングの神社がありました。

京都の空気・・inspiration, power, air を吸い込んでいます。