百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

仕事

2011年10月31日 | 百伝。
仕事といっても、どこかに就職して給料をもらうのと、自立して世間に貢献して直接、報酬をもらう方法に分かれます。



投資にたとえると・・

前者は、投資信託に似ていて、専門家を信用して運用を託すのに似ています。
後者は、株の売買の判断を自ら行なって、全ては、自己責任というのに似ています。 

ただ、いきなり独立というのも大変なので、ノウハウを習得のためにやりたい職種に目を付けて、マスターしてゆきます。

起業資金を稼ぐと、苦も無くやめて、自分がオーナーになるという手法が多いようです。 

和民の渡辺社長も、佐川急便で資金を稼ぎ、居酒屋のつぼ八でノウハウを得たら、躊躇無くつぼ八を辞めたとか。

つぼ八の社長に慰留されたが、この人の目的は、従業員ではなく、オーナーだったことで、きっぱり辞めたとのことでした。 

結局、ノウハウを掴んだ仕事の延長をやれば、儲かるものを、他の未知の道を行くものだから遠まわりになって無駄な人生に終わるようです。



芋の植え方をマスターしたのに、麦を植えたのでは、いつまでたっても収穫は遠いのと同様です。

魚の釣り方を知ったら、自分でやってみる。



それには、竿と餌とスジとというふうに、計画を立てれば、誰だって出来ることだと思います。

餌が原価で、釣った魚が売り上げ。

最初は、一本釣りしか手がないが、うまく釣れる様になると弟子が出来るように社員を雇って釣らす。



人間は、環境が変わると、まったく素人に帰ることに用心すべきです。

捨てなくてもよい財産は、引越ししてもあるように、捨てなくてよい知恵はあります。

新天地、新天地ということで、ほかの作物に頼りすぎると、仕事が難しくなるきらいがあります。

経験体験経歴を活かすこと。

これは大事なことです。

父から息子へ。


適正判断

2011年10月30日 | 千伝。
工員のように寡黙な営業マン。

営業マンのようによく喋る工員。

政治家以上に政治に関心のある一般人。

野球選手以上に野球に詳しいおっちゃん。

商人のように、お金に細かい公務員。

なかなか、自分の的確な適性判断は難しいようです。


六美徳

2011年10月29日 | 千伝。
六美徳として、仁、知、信、直、勇、剛があります。

しかし、逆にです。

仁を行なうにしても、学問のないのは騙される。

知を尊んでも、学問の謙虚さが失われると、自信過剰になる。

信を重んじても、学問せねば相手を傷つける。

正直すぎても、学問しないと馬鹿正直になる。

勇気のある人間も学問しないと、やがては乱暴者になる。

剛直な者も、学問せねば孤立する。

・・これを六弊害ということです。

美徳も、謙虚さをもって、ひたすら磨かないと、ちょっとした怠惰や傲慢さから、逆に弊害に変化するという教えです。

つまりは、一生修行という事でしょう。

これで良いというものは、この世には無いのかもしれません。

五事を正す

2011年10月28日 | 百伝。


右目が痛い。

数日前から、右目に違和感をおぼえて何か重いような気がしていた。

昨夜から、目が痛くなり、今朝一番で眼科まで走った。

何かに感染したようである。

誰もが、失明したあとの世界は、どうなるのか考えたことがあると思う。

おそらく、人間の優しさやら勇気、人柄の基準が、変わってくるのかな。

目に見えぬ美男美女とかルックスとかではなく・・

耳に聞こえる言葉や気が付く心づかいは、人間としての基準価値になるのではないかな。

道元や中江藤樹の教えを思い起こす。

若い頃、百島という「陽のあたる場所」で生まれ育ったからこそ、ある意味、雑草の如くの生命力への強い自信もあったが・・

それにしても、歳をとるほどに、肉体は、間違いなく退化してゆく。

50歳過ぎた頃から、髪が薄くなり、心臓も悪くなり、腰も痛めて、今度は、目にトラブル発生である。

右目が赤い。

致良知、孝行、知合一致、愛敬・・そして、「五事を正す」である。

日本の陽明学の祖 近江聖人と呼ばれる中江藤樹の教えである。

五事とは、「貌、言、視、聴、思」。

「貌」・・愛敬の心をこめてやさしく和やかな顔つきで人と接しましょう。
     顔かたち:なごやかな顔つきをする事。

「言」・・相手に気持ちよく受け入れられるような話し方をしましょう。
     言葉づかい:思いやりのある言葉で話しかける事。

「視」・・愛敬の心をこめて暖かく人を見、物を見るようにしましょう。
     まなざし:澄んだ目で物事を見つめる事。

「聴」・・話す人の気持ちに立って相手の話を聞くようにしましょう。
     よく聞く:耳を傾けて人の話を聴く事。

「思」・・愛敬の心をもって相手を理解し思いやりの心をかけましょう。     
     思いやり:まごころをこめて相手のことを思いやる事。

下記の写真は、中江藤樹資料館の裏手にある中国式庭園である。



ところで、最近、眼帯をした方を見かけなくなった。

マンボウ先生

2011年10月27日 | 千伝。
今日から(10月27日から11月9日)、読書週間。

そう、独書習慣にしたいものである。

大学の図書館に、はじめて入った時に、何かの力で引っ張られるように、偶然手にしたのが「夜と霧」(ヴィクトール・E・フランクル著)という一冊。

ペラペラとめくりながら、突っ立ったまま、時間を忘れて読み耽っていた・・。

ホロコーストという戦慄するような記録・・。

でも・・明らかにナチスドイツによるユダヤ人大虐殺の記録なのであるが、ユダヤという人種、民族名は出てこない。

収容者と被収容者という「人間」を描いているのである。

精神科医であり、作家のマンボウ先生である北杜夫さんが亡くなられた。

小生は、北先生の小説よりも、「マンボウシリーズ」のユーモア溢れるエッセイの方が好きである。

自ら「躁鬱病」であることを告白したマンボウ先生。

出世作「どくとるマンボウ航海記」を読んだのは、横浜から北海道へ向かう父の乗る貨物船に乗船した高校3年生の夏休みだった。

躁な気分でもいいではないか。

鬱な気分でもいいではないか。

多感な思春期に、心のどこかで救われたような文庫本だった。

北杜夫先生のご冥福を祈ります。合掌。

キング ~King~

2011年10月25日 | 千伝。
いつまでも現役。

自分でゴールする喜びからなかなか卒業出来ない。

率先垂範と称して、管理者にもかかわらず、先頭にたって寿命を縮める。

部下の仕事まで奪ってしまう。(反省)

部下が100人いたならば、100人の顧客を持ったのと同様で、部下の育成に精を出すことをするのが、仕事である。

客を増やすのと、部下を増やすのは、よく似ている。

どちらも管理は、面倒であるが、それがキングの仕事である。

増やす、育てる、これを楽しむ勉強と習慣にすれば・・

孤独なキングではなく、大きな尊敬を集めるキングに変貌すると思う。

神楽舞台

2011年10月24日 | 百伝。
先週と今週にNHKの「家族に乾杯」は、広島県安芸高田市が舞台だった。

広島の県北は、個人的には馴染みが薄いのであるが、安芸高田市は、よっちゃん(渡辺良文氏)が暮していた町だったので、興味深く観ていた。

それにしても、地元安芸高田の若者の落ち着いた熱意には、感嘆した。

とりあえず、言葉づかいが好い。

伝統神楽「伊吹山」を踊る姿、囃子も見事だ。

それよりも何よりも、地元に伝わる伝統芸能や安芸高田という故郷に対する思いや姿勢が羨ましい。

我が故郷、百島を想う。

最近、百島診療所のスタッフの御蔭様で、百島がメディアに、よく取り上げられる。

彼らこそ、百島の宝物である。

さらに、演歌「氷雨」の作曲作詞家の「とまりれん」さん・・どうしているのかな?

小生、泊地区でのご近所になるが、年齢差もあり面識はない。

ただ、「氷雨」の作曲作詞家が百島出身の方だということで、当時、マスコミにヒット秘話の取材をさせるような・・さりげない仕掛け(援護射撃)をした思い出もある。

再起を期待して、瀬戸内海や百島を舞台にした・・それを思い浮かべるような百島の宝歌を作っていただきたいな。

ところで、今日、京都まで出かけてきた。

ついでに、宇治まで足を伸ばしてきた。

とても久し振り(30年ぶり?)に、宇治川沿いを散策してきた。

世界遺産の平等院鳳凰堂も見学してきた。

とても、きれいに整理されていた。







平等院の説明は省くが、この世の極楽浄土を再現しているのである。

尾道市と合併した瀬戸田町にある耕三寺が、西の日光と呼ぶように模倣したが・・

この平等院のレプリカを、百島に建設すれば面白いのではないかと考えた。

百円硬貨ではなく、十円硬貨だから・・10分の1のミニチュアのレプリカがよいかもしれない。

そんなことを思い巡らして、宇治川、瀬田川を眺めながら帰福しました。

霜降の夕暮れ・・神々が琵琶湖に降臨したかのように、夕日が、きれいでした。





否、琵琶湖ではなく、瀬戸内海の百島で観る夕日に映ったのでした。感謝。

地球環境

2011年10月24日 | 千伝。
風邪をひいたようです。

昨日、ウーロン茶で酔ったのはよいのですが、アルコール消毒をしなかったので、風邪を招いたようです。

さて、地球といえば、実体感が湧いてきますが、世界というと理想幻覚に映ります。

風邪をひいたり、病気になったり、貧乏になったり、金持ちになったり、の諸行は、すべて地球環境や世界状況に起因するものです。

寒空に身をさらせば、風邪をひくように、不景気な世界に身をおけば貧するし、景気のよい世界情勢や、景気のよい地球環境に身をおけば、豊かになるのでしょう。

昨日、NHKのローカルラジオから秋季高校野球北信越(福井・石川・富山・新潟・長野)大会の決勝戦が流れていました。

延長13回裏、福井県代表の敦賀気比高校が、長野県代表の地球環境高校にサヨナラ勝ちの優勝。

これで、来春の選抜甲子園には、北信越代表として両校の出場は、確実になりました。

それにしても、「地球環境」・・という学校名には驚かされます。

石川星稜高校出身の大リーガーの松井秀樹選手は、打撃の神様は、すぐに消えると述懐しています。  

世の中は、数字の世界なので、数字を忘れると、隠居の世界になるような気がします。

数字から逃げるのでなく、数字を追っているときに、活力があるような気がするのです。 

いろんな神様も、追うのをやめたら、すぐに消えます。

すべての勝敗は、人間ではなく、神様が決めているのかもしれません。

だから、人間にできることは、神様を追い続ける努力だけでなのでしょう。

・・それが、生きる世界なのでしょう。

そして、立地の良い場所が、リッチになります。

商売にとって、善悪より生死が優先します。

大勢がいる場所は、聖地であり、人のいない場所は、墓地です。

自動車にはガソリンが必要であるように、人間には飲食物が一番です。

ガソリンにはオクタン価、軽油にセタン価があるように、飲食物には味があります。

いずれも、原油・原材料等の資源を、加工することによって、単価が決まります。

人間が、牛や馬、羊を殺して、それを食事の主にしているかぎり、地球上から争いの種が消えることはないのかも知れません。

純粋平和とは、動物を食べずに生活できる文化・文明を言うのかも知れません。

・・それが、地球環境という資源なのではないかと考えるのです。

地球に生まれてきたことは、「幸せな自分の世界」と出会うことです。

もちろん、肉も魚も食べます。

持病のために控えていますが、生かされていることに感謝します。

今日も心身のストレッチです。

テクノロジー

2011年10月23日 | 千伝。
昨日、一昨日、福井市内で開催されていた北陸技術交流テクノフェアを見学して来た。



こういうビジネス交流会は、起業家や自営業は勿論、異業種のマッチング、産学官提携交流の促進にもなる。

今回、地元福井の学生たちが提案したビジネスプランのコンテストに向けてのパネル展示、選考会があった。



人気投票で、敗者復活戦のコーナーがあったのも興味深い。

こういう学生たちは、求職活動よりも、ビジネス(起業)活動の方が楽しいということを知っている。

就社活動よりも、就職活動の方が、大切である。

求職活動よりも、起業活動の方が、面白いのである。

雇用促進に繋がる土壌も大事であるが、日本の労働力の質も問われる時代でもある。

それでも、ギリシャの国情よりも、ましかもしれない。

42年以上昔、小学校の地理の時間で、リビアの国は、首都が二つあって夏と冬に交互に変る「おっとりとした国」というイメージを教わった記憶がある。

まだ、カダフィ大佐が現れる前の話である。

その後、42年間の独裁国家となったリビアの崩壊。

アラブの春・・夏か冬になるか分らないが、エジプトを含めた今後の中東の国の在り方、展望を考えると重い気持ちになる。

それに較べて、この5年間で6人の首相が交代する民主国家日本・・原発への安全神話が崩壊。

安全とは何か?

・・を模索する今の世界における政治、経済情勢である。

テクノロジー(科学技術)は、人間を幸福にさせるための手段として発展しなければならない。

貧富の格差を是正するテクノロジーは、ないのか・・・?

幸福への一元化を目指すテクノロジーは、ないのか・・?

自然災害を最小限にとどめるテクノロジーは、ないのか?

きっと、見つかるはず。

ギリシャ神の遺産

2011年10月20日 | 千伝。
ギリシャ神話を読めば、人間人生のすべてが書かれている・・と謂われているが、まさしくである。

最近では、北京オリンピックと世界陸上大会まえに、ギリシャの陸上代表が、福井で二度合宿しており、親近感もある。

ギリシャの財政悪化によって、欧州統一通貨であるユーロの信頼も揺れている。

今回の暴動・・貧乏神(債務・借金)にとりつかれた様相なギリシャである。

ギリシャには、二度訪問したことがある。

ギリシャの首都アテネで、公務員のストライキに遭遇して、一週間ほど足止めを喰らって面喰った経験がある。

街は、ごみの山・・でも個人経営のレストランや観光地はオープンしていた。

その一週間を利用して隣国のトルコまで足を伸ばした。

アテネとイスタンブールの旧市街地そのものが、歴史博物館のようなものである。

文明の接近、文明の衝突、文明の和合・・。

文明というものは、平和ではなく戦争が起源になるということを認識させられる。

「我々は、もっと貧乏な国なのに、なぜ、怠け者のギリシャを助けなければならない」と叫んでいるEC加盟国スロバキア国民の声。

英国のように、いまだに自国通貨ポンドを頑なに使う国あれば、ギリシャは、2000年に自国通貨ドラクマからユーロ通貨を採用した。

ただ、自国通貨であれば切り下げも出来ようが、ヨーロッパが、ひとつになるには、まだまだ前途多難のようである。

ユーロ通貨のヨーロッパ経済圏は、寄り合い自動車のような各駅停車の鈍行のようなものであるが、きちんと巧く運行できれば、世界経済の進行役になるはずである。

つまりは、EU(欧州連合)が一つの国家になれば、人口約1000万人程度の国家であるギリシャ債務問題は、内政問題として収束に向かうと考える。

ギリシャの神々は、日本の神様、仏様とは大違い。

天地を創造した神でもなく、人間以上に、人間的である。

意地悪で嫉妬深く、兄弟姉妹親子で結婚をして子供をつくったり、人間との間にも子供がいる。

怒り・・争い・・とても品行方正とはいえないギリシャの神々である。

それでも、数千年の時を超えて、壮大な物語としてギリシャ神話は、地球に生まれてきた人間の心に永遠に受け継がれている。

パンドラの箱を開けて、この世のありとあらゆる悪と災禍が、人間世界にばら撒かれた。

そのパンドラの箱に、最後にひとつ残ったものが、「希望」という明日、今日なのである。


上を向いて歩こう♪

2011年10月18日 | 百伝。
ちょっと、ご近所を散策。

最近は、NHKの大河ドラマ「江」の影響で、近所の北の庄城址(柴田神社)にも観光客が増えた。

そのせいか、北の庄城を復元したミニチュアなものまでが登場。(驚!)



ご近所を散策しながら、思い出したこと、驚いたこと、嬉しいこと、考えたこと・・。

百歳のインド系英国人が、フルマラソンを走ったというニュース。

永六輔さんの恩師が、宮本常一先生だったとか。

旗手のおじさんも元気そうだ。

宇宙生活では、重力がないので、顔のしわが消えるという。

日野原先生は、微笑んだしわを増やそう・・と寄せ書きにしたためていた。

地球に生まれてきた。

百島に生まれてきた。

百島の夕日をみせてくれたブログに・・ありがとう。

迷い道に入っても・・

♪上を向いて歩こう。

秋桜

2011年10月16日 | 千伝。
今日は、郊外まで出かけてきました。

毎年、1億本の秋桜の花が揺れるコスモス広苑と呼ばれる場所です。

でも、今年は、3000万~5000万本の秋桜ぐらいかなぁ。

それでも、壮観な光景でした。

こういう光景を眺めていると上機嫌な顔になります。



この広苑を管理されておる地元関係者皆様に感謝です。

仏像ー禅定

2011年10月14日 | 千伝。
白洲正子さん紹介の明恵上人は、建仁寺の栄西上人と同時代の人ですが、弟子を持たず、座禅三昧で樹上座禅図が有名です。

が、なんとも人間とは業の深いもので、何かを喰っておらねば安心を得られません。

衣食住が足りて満足するのは、生身の衆生の欲するところで、そのために一生懸命に仕事をする訳です。

その仕事が、世のため、人のためになれば、迷わず邁進すべきでしょう。

人のために熱心にやれば、仏にかなった仕事なのでしょう。

偽物を作ることこそ、魂の無い仏を彫ったということだと思います。 

惰眠をむさぼらず、一身一心に集中するのが禅定のようです。

人生を一言でいうと、動くこと。

よく動くと、よき人生。

動きは、働きをつくり、人生を創る。

呼吸

2011年10月13日 | 百伝。
白州正子さんの本を読んでいると、急に近江まで出かけたくなった。

今日の午後、琵琶湖を眺めながら、滋賀県長浜まで行って来た。

家も〆切ったら、呼吸が出来なくなって、駄目になる。

あとは、水廻り・・

百島の我が家の水道の仕組み・・。

生前の父が、独りで、上水道と井戸水を交互に使える巧い仕組みを作っていた。

が、今になって、その仕組みが分らず、困ったことが起こったようである。

明日、施工した建築会社が訪問するとのこと。

父は、独り、庭に池をつくり、初孫ができた時には、池の半分を初孫専用のプールにつくり変えた。

琵琶湖で、父の呼吸を感じた。

神在り月

2011年10月11日 | 百伝。
三連休も終わり、信州に行く予定が、知人の身内の不幸で、大野市まで出かけていた。

先日も書いたが、大野は、名水の里である。

大野市は、上水道を設置せず、井戸水を使用しているのである。

何か・・素晴らしく、清く、神々しい街に映るのである。

今月は、神無月。

出雲地方に八百万の神々がお集りになっているとのこと。

だから、出雲だけは神在月・・。

昨日、兄夫婦が母校の応援のために出雲に行っているというので、テレビで全日本大学選抜駅伝を観ていた。

いい夫婦関係だなぁ・・と思いながら、百島のことを考えていた。

11月に、百島へ帰省して、墓地の脇に桃の木を植えようかと考えている。

百島の我が実家も、じきに築後50年になる。

いずれ、母もいなくなると・・空き家になるのかなぁ。

親がいなくなると、故郷の百島への足も遠のくのかなぁ。

自分の意思として、跡取りの兄と小生の家族には伝えている・・。

自分の死後、父と母のそばに分骨して欲しいと頼んでいる。

小生の一部は、百島に戻ることを希望しているのである。

自分の「分」に合った、今を楽しむ。

くよくよせず、未来を思い煩わない。

人の財産は、「人」である。

自分を見守ってくれる家族や友人である。

「人」から「会いたい」と思われる人がよい。

八百万の神々のように「元気の源」になるのである。

今宵は、十三夜を過ぎての朧月夜。

百笑の盃に月を浮かべ、「生まれてきてありがとう」。

いつも、神在り月。

だから、感謝。