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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百島の孤独

2024年09月30日 | 百伝。

世界文学の傑作と言われる「百年の孤独」

文庫本となって再び話題作となって売れ行きも凄い。

今年没後10年となる作家ガルシア・マルケスは地球の裏側の墓場で、さぞ喜んでいるかな?

ガルシア・マルケスが若い頃、衝撃的な影響を受けたのが、ヴァージニア・ウルフやらフランツ・カフカの作品だとの事。

今年没後百年となるカフカの名言です。

「恐れをもつことは不幸だ。それゆえに、勇気をもつことが幸せなのではなく、恐れをもたないことが幸せなのだ」

「死ぬものは皆、生きている間に目的を持ち、だからこそあくせくして命をすり減らす」

人間の長寿の三原則は、快眠、快食、そして快便。

逆に寿命を縮める不健康の三要素は、運動不足、睡眠不足、そして孤独だと言います。

加えると、肥満者と酒豪者は大抵若くして亡くなっています。

孤独と孤立は、少し意味合いが変わります。

疲労感と達成感、気持ちが日常生活でどちらに動いていますか?

高齢者になると、既婚者にしろ独身者にしろ関係無く「独りの老後」に向き合うしかないのです。

絶望と希望と、そういう意味深さでは、故郷の百島から学んだのかも知れません。

京泉さんから写真メールが届きました。

百島泊港から眺める日の出です。

夢中になるもの、趣味あるものが長生きの楽しみとなるでしょう。

余計な統計数字ですが、ここ10年間で百歳以上の百寿者は爆発的に人口増加となっていますが、ここ10年間で110歳以上となると人口数は増加ではなく逆に減少しています。

長生きは、それはそれで大変です。

寿命という世代交代は、絶対に必要な自然の掟なのでしょう。

いづれ必ず来る「独りの老後」に向き合いましょう。

タイトル「百年の孤独」を「百島の孤独」に変えてみました。

「百年の孤独」という消滅、絶望が、「百島の孤独」という再生、希望となるように。


侍タイムスリッパー

2024年09月30日 | 百伝。

今の時代、サムライと言えば日本代表のサッカーチームだとか。

今一番話題性溢れる映画「侍タイムスリッパー」を観て参りました。

第2の「カメラを止めるな❗」とも呼ばれている口コミで大人気となった映画です。

幕末の会津藩士が140年後の2008年ごろにタイムスリップしたサムライの物語です。

時代劇の良さを訴えたと言うよりも、人間の重さを感じる映画でした。

初めて食べる美味しいショートケーキのシーンがよかったです。

豊かな国になったんだ❗とサムライは感涙します。

その一方でサムライは論語を口にします。

「粗末なものを食べ、水だけを飲んで、ひじ枕で寝る。そんな暮らしの中にも楽しみはある。無理して豊かになるなんていうのは、私とは縁がない。」

粗食のサムライは、美食ばかり喰らう現代人の竹光よりも真剣に生きたのでしょう。

低予算で音響がイマイチでしたが、お勧めの映画でした。


百楽百笑百食。

2024年09月29日 | 百伝。

金曜日のNHKドキュメント番組72時間。

先々週は石川県立図書館、先週は淡路島の明石大橋が見えるSAサービスエリア、一昨日は長野県伊那谷の産直市場・・全部行って知っている場所でした。

産直市場・・いいなぁ。

直接売り手となる生産者と買い手となる消費者、近くにあると、いいね❗

地産地消までいかなくても、自分で作ったものを食べるという自給自足の基本を学びたくなりました。

早速少しずつ学んで、ベランダで自己菜園計画を考えたくなりました。

昨日土曜日、早朝散歩で駅前を歩いていると、翌日日曜日の催事予定の第18回全国高校生食育王選手権という大会の看板が立っていました。

懐かしい高校名を発見❗

広島県立沼南高校も参加するようです。

常石港から福山市街地に行く途中にある高校で同級生もかなり通っていました。

今日のイベントには見学出来ませんが、頑張って挑んで欲しいものです。


能登のピオーネ❗

2024年09月26日 | 百伝。

北海道、帯広の六花亭のマルセイバターケーキ、札幌ヨーグルトを頂きました。

なんて、美味しいんだろう❗

と味わいながら、テレビニュースは能登豪雨による被災地の惨状を流していました。

涼しい部屋の中で美味しいモノを食べながら申し訳ないと思いながらも気の毒で仕方ありません。

石川県能登地方、大地震、大雨、ホントに泣きっ面に蜂、踏んだり蹴ったりの状態以上の惨状に言葉がありません。

福井からも多勢の方々が復旧ボランティアに参加しています。

昔々、戦後昭和28年頃に両親が能登の珠洲市で暮らしていたとの事、不漁と船舶事故に遭い借金だらけで、瀬戸内海の百島へ戻って来たという我が家のファミリーヒストリーがあります。

もしも能登で大漁が続いていたならば、僕は能登生まれ育ちだったかも知れません。

スタイベックの「怒りの葡萄」の世界観を思い出すような若い頃の両親の新天地での苦渋と失敗物語です。

・・・葡萄?

両親が元気だった頃、夏に百島へ帰省する毎に貰っていた百島産の箱詰めの葡萄ピオーネ、美味しかったなぁ❗

今は百島へ帰省しても、葡萄はどこにも売ってもいません。

昨日、スーパーに行くと岡山産の種なし葡萄ピオーネが並んでいました。

しかも、巨峰、シャインマスカットよりも高値でした❗

傷モノかな?

うーん、安い方の長野産の巨峰と山梨産のシャインマスカットを一袋一房づつ買いました。

葡萄は味比べをしない方が好いです。

巨峰ならば巨峰だけを、シャインマスカットだけを食べた方が混ざらなくて、後味の甘さが心地よく残ります。

大変美味でした。

シャインマスカットよりも高値だったピオーネ、今度いつ食べれるかな?

因みに高級品のシャインマスカットの原産地は広島県生まれです。

ピオーネの原産地は、岡山県です。

能登ワイン「心の雫」があるように、能登地方も葡萄作りが盛んです。

能登の葡萄が、はやく食べれますように。

ピオーネ、イタリア語で「開拓者」という意味だとか。


不二山、勇気という頂き。

2024年09月23日 | 百伝。

福島県の岩佐トメさん(98歳)が今年夏、5年連続の富士山登山最高年齢者を達成されたとの事。

おめでとうございます❗

テレビ番組でも富士山登山中の映像、トメさんの人生観が放映されていました。

88歳の時、生死を彷徨う病のあと、若い頃に登った日本一の富士山を再度登りたくなったとか、その後息子さんが毎年同伴登山、素晴らしい快挙です。

登山中には意識を確認する為、百人一首の上の句を息子さんが詠むと、間髪入れずにトメさんが下の句を詠みます。

今では富士山関係者の中では、トメさんは生き神様、スーパーヒロインのような存在となりました。

どうか人生の目標とする百寿者としての富士山登山達成を完遂して欲しいものです。

思い起こせば、富士山界隈での思い出は盛り沢山あります。

富士山登山となると、より貴重な体験、よりユニークな方々との忘れ得ない一期一会の出会い、思い出すだけで楽しくて勇気が湧いてきます。

初めての富士山登山は弾丸登山。

八合目で見た眼下の花火大会が線香花火に見えました。

九合目で、見ず知らずの方と満天の星を眺めながら交わす言葉と沁みる温かい会話。

下山中、雷が真横を走って稲光、急な豪雨、当時は携帯電話が出回った頃で水浸しになって水没状態になりました。

それでも、楽しかった富士山登山でした。

真夜中の誰もいない山頂で凍えながら彷徨っていたら、バプアニューギニアで医師をしているというドイツ人が突然現れて、帰省途中に日本に立ち寄って富士山に登ってきたという、今から富士山の火口の中へ降りて行くと言って背中か消えた思い出。

テキサスに帰る前に登って来たというアメリカ空軍横田基地で整備士をしているという感傷的な呟き。

伊勢から来た婦人が話してくれた伊勢講とか富士講とか、何やら面白く説明していた可笑しい会話。

次にトライしたのは、息子と登った富士山は、キツかったなぁ。

富士山は単独登山が好いです。

その後、6年前は、友人と富士宮口の途中で別れて、御殿場から真夜中に出発、聾唖者の子供たちの登山グループと出会い、その後を必死で付いて登りました。

宝永山火口から大砂走から下山。

まだまだ語り尽くせない富士山登山での思い出話。

まだ無名だった頃のトメさん親子と富士山で出会っています。

お話をして一緒に写真も撮っていました。

あと二年、百寿者の富士山登頂は、歴史的な快挙達成となります。

僕は「死ぬまで働く」と言う台詞は、トメさん親子の富士山登山への覚悟の影響かも知れません。

勇気という頂きは、不二山のように人生も不二という事。

死ぬまで生きます。


六根清浄  富士登山

2024年09月22日 | 空木宝剣

朝日系ホームテレビのザワツクの特番で、98歳の女性トメさんが、70歳の息子さん同行での富士登頂を放映していた。

6合目から1合目ごとに宿泊、40歩進むたびに休憩。

そして5回の腹式呼吸。

健脚なら5合目から山頂まで、5時間から7時間踏破するが、98歳のトメさんは、次の山小屋までが1日のペース。

聞けば福島県の方で、4年連続の最高齢の富士登頂記録保持者との事。

福島には、会津磐梯山(1816米)という宝の山があるが、標高2倍以上の富士登山が、トメさんの健康を維持しているとの事だった。

さすがに、8合目から9合目の胸つき八丁では、空気も薄いし、岩場の旧登ともなると、若者でさえ苦しいのに、98歳のトメさんを支える70歳の息子さんが偉い。

飽くまで母親のペースに合わせて、転んで怪我をしないように、建設業で使用される命綱をザイルとして、互いを結んでいた。

あたかも、それは、心のへその緒を形象しているかに思えた。

狛犬や鳥居を過ぎると富士山頂。
そこに、多くの登山者が待ち受けて、98歳のトメさん親子の登頂を祝福し、記念写真を撮ったりの感動的場面だった。

団塊の母親は、3年前に既に94歳で他界。

「親孝行したい時には親はなし」とはよく言ったものだ。

山頂神社の社務所には、70歳以上の登頂者だけの記載名簿があるという。

昭和46年7月10日に、御殿場5合目から上り5時間で山頂、下りは砂走り2時間の、今でいう弾丸登山だった。

「富士山を2度登るのは馬鹿」の諺を信じて、登らないのが馬鹿だと教えられた番組だった。

100歳までも、日本一の富士山を目指すトメさんの笑顔は、時間を超越した乙女さんのようであった。

53年前に一緒に登った埼玉の丸橋忠弥君は元気だろうか?

大泉洋の「終わりに見た街」を見たあとは、Eテレの「生誕120年没後60年小津安二郎は生きている」をみて、時間トラベルはお仕舞い。

今日は秋分の日。

「暑さ寒さも彼岸まで」を守って欲しい野分けかな


50+50❗

2024年09月20日 | 福伝。

今日が今年の暑さのピークとなるかな。

お昼前、学生時代にトレッキングで覚えた簡単調理法を久しぶりに試してみました。

カップ麺に水を注いで、サランラップか、透明なビニール袋で被せて、真夏の陽射しのもとベランダに置くこと約20分。

夏にはちょうど程好い涼しげなカップ麺の出来上がりです。

その涼しげなカップ麺を食していると、嬉しいニュースが流れて来ました。

大リーグ野球の大谷翔平選手、50本塁打、50盗塁を達成、凄いね❗

今現在、51ホームラン、51スチール、今季まだまだ記録が伸びるかも知れません。

最近、職場に身長185センチの巨人のような新人男性が入ってきたけど、大谷選手はもっと高い身長193センチだとか❗

野球もサッカーも190センチを超える選手が増えました。

そんな巨人ばかりが集まるスポーツ界。

僕は個人的に推す選手は、自分と同じぐらいの170センチちょっとの背丈で頑張る大リーガーでは吉田正尚選手(福井出身)とサッカーでは旗手怜央選手。

踏ん張って欲しいなぁ。

大谷翔平、真田広之、続けて日本人のスーパーヒーローが増える事は嬉しいものです。

日本の政界から、そんな人物が輩出できないのは何故?

昨日の夜7時前、信号待ちをしていると、福井駅方向に左折して来る黒塗りの車が10台ほど続けて勢いよく通過。

誰かな?と思うと、岸田首相一行でした。

自民党総裁選、何か分からないけど、選挙権を持つ地方の自民党会員、地元選出の国会議員の先生から、一票を投じたくない「誰を」入れて欲しいと頼まれて困っているとの事。

ポスト岸田首相は、誰になるのかな?

その後、とある店で夕食を摂りました。

ソースカツ丼です。

気になった事は、支払いは現金のみ。

せめて、クレジットカードが使えるようにしないとね、外国人観光客にはお薦め出来ない食事処になります。

メニューに書いてあったメモ書き。

「人手不足の為、全てのメニューをご提供出来ない事もあります」

ソースカツ丼は、美味でした。

昨晩の夕食時の出来事を思い浮かべながら、午後は涼しげなカップ麺、とても美味でした。

守備能力、選挙結果も過半数を超えないとね。

大記録の達成の大谷選手、それでも今季のMVPの完全獲得は難しいとの事。

フィフティvs.フィフティかなぁ。


親ガチャ、出身地ガチャ。

2024年09月19日 | 資本と社会の問題
アメリカ合衆国は、トランプ前大統領がオハイオ州スプリングフィールドでは、移民のハイチ人がペットの犬猫を食べているという発言で、大問題。
 
はて? 同じような話が日本でもありました。
 
10年前か、20年前には、中国人が暮らし始めたエリアでは、犬、猫、亀、鯉がいつの間にか消えるという不思議な噂話が広がりました。
 
生活とは、何でしょうか?

広辞苑では、生存して活動すること、生きながらえること、世の中で暮らしてゆくこと・・だとか。

生活してゆくには、仕事が不可欠なのは言うまでもありません。

「サルがヒトになることに、労働はどのように関与したか?」経済学者エンゲルスの一節です。

直立に歩みだした人類の祖先は、手を自由に使い、新しい技能を次々と得ることに進化しました。

仕事とは、何でしょうか?

仕事とは、どのような意味を持っているのでしょうか?

労働という仕事は、人間の能力を発達させてきたのは、歴史的事実です。

人間の労働は、自然まかせの狩猟や採取の段階から、言語を持ち、人間が主体となる社会的集団労働に発展しました。

集団での多面的な労働を構築して、計画的な分業協業による組織性が生まれてきます。

こうして、仕事は、社会的な性格を備えるようになりました。

仕事は、人間の自己実現の場であり、社会への参画でもあり、生きがいにも相当することにもなります。

「仕事は、人間生活の第一の基本条件」は、揺るぎない事実です。

英国の顔、BBC の良心的なアナウンサーでもあった、ヒュー・エドワード氏(63歳)が児童ポルノ画像で有罪判決、ショッキングな事件です。

ウェ―ルズ出身のこの方が20代の頃、BBC でデビューした時代を覚えているけど、キュウピーさんと呼んでいました。
 
その愛くるしい表情で公平無私、重厚感のあるアナウンサーでした。
 
BBC には大幅な人事異動がないのか、キュウピーさんが何年経ってもBBC のニュース報道の画面に出ているのが楽しみでしたから、至極残念です。
 
それでも、なぜ?

仕事が苦しいという生活感覚が、現われてくるのでしょうか?

資本主義社会の矛盾です。

自らが、職業の自由を選択できるようになったのは、誰もが知っています。

近代となり、資本主義社会は、身分制度を廃止して、強制的に縛られていた人間を解放しました。

解放はされましたが、現代社会における、引きこもり問題、生活保護者の増大、労働者の高齢化、派遣労働の有期雇用、非正規労働者の低賃金、農林漁業の低迷、商店街の衰退、人手不足、巨大企業と中小企業の格差拡等々・・貧困、生活困難の社会問題が浮かび上がります。

例えば、先進国の多国籍企業が、途上国の安価な労働力を使って生産しています。

社会は、不変ではなく固定的なものではありません。

絶えず、変化、発展してゆくものです。

親ガチャ、出身地ガチャ、そんな言葉を打破するような社会でなければなりません。

ただ、その変化、発展の本質を考えるのも大事です。

仕事が苦しくなるのは、労働者による労働する過程で自主的管理、利潤獲得範囲での裁量があるにせよ、それ以上のコントロールを、自分では、できないからです。

消費者に生産物を購入させて利潤をあげるだけの労働仕事・・。

消費者に生産物を使用して、より豊かになってもらう労働仕事・・。

自ら考えて判断できる人間としての労働意欲ではなくて、資本・経営側による最終判断を委ねるような疎外されて、労働に従属されているような現実社会の状況です。

現場の自由を制限して、管理ばかりが強化されると、自律性も自立性も失われてゆきます。

自立的で自由な思考、発想、精神を失った仕事や生活は、楽しいはずがありません。

イライラよりもワクワクする・・労働者が、労働過程での適切な労働時間、適切で安全な労働内容、環境を備える社会の実現を備えるのが、社会福祉が充実した先進国としての基本条件かと考えます。


中秋の名月

2024年09月18日 | 空木宝剣

名月や  星なき空の 裸んぼ

近頃  大空を半分以上染める夕焼けや、星降る満天の夜空を、目にする機会がなくなった。

そのかわり、9月半ばでも続く真夏日、熱帯夜。

赤道直下のような気候が4ヶ月ともなれば、過ごし易い春秋時期を失い、やがて冬まで削られ、年がら年中、裸ん坊で暮らせる常夏の日本に変貌。

人体に順応機能があるにしても、急激な変化には、間に合わない。

100メートル登る毎に、約摂氏1度下がる気温。

今年の夏、皆南無(3776米)富士山🗻に群がった風景。

天上は天国、地上は地獄の思想は、古くから人に、天上界をめざすバベルの塔を築かせた。

今や、大都会は競うように高層ビルが林立する。

太陽神の怒りをかっての、地球熱帯化なのか?

果たして、🎵ビルの谷間の小さな空にも~  名月は、かぐやかしく、お渡り賜はすか。

 

名月を  取ってくれろと  せがむ孫
           (小林一茶より)


月に吠える。

2024年09月17日 | 百伝。

昨日は、敬老の日でした。

日本の百寿者は、まもなく10万人となるとの事。

日本経済が停滞した「この失われた30年」、その反面、日本人の寿命は世界一驚異的な伸びを成し遂げたようです。

65歳以上の高齢者が日本の人口の3割を突破しそうな勢いです。

どこの業界も人手不足の日本社会、まだまだ高齢者が働き手として担う必要があるのでしょう。

ただ、政界とエンターテイメントの世界は、人員余剰、人員過剰なのでしょう。

自民党総裁選、立憲民主党代表選、トップに選ばれる人物には、経済第一優先よりも、エッセンシャル層の国民階級の隅々までが日本国で暮らせる事に誇り、幸福に思える理想国家を論じて欲しいものです。

昨日、アメリカハリウッドから前代未聞の驚くようなニュースが入りました。

「Shogun 将軍」というドラマ、エミー賞18冠受賞という、とんでもない快挙です。

作品のプロデューサー、主演は、真田広之さん、凄いの一言です。

三船敏郎さん、役所広司さん、渡辺謙さんを越える日本を代表する世界的な役者としての存在価値を自ら証明したのです。

20年以上昔、ラストサムライと映画で本来はトムクルーズと共に主演だったはずなのに、白血病で借金を抱えていた渡辺謙さんに主演を譲り、自らは助演に徹して支えたとの事。

英語学習も然り、以来、真田広之さんのハリウッドへの挑戦が始まりました。

日本からアメリカに進出した頃は、エージェントもマネージャーもいなくて、生きてゆけるのか心配だったとの事。

真田広之さん、若い頃、百島で映画撮影した事がありました。

父が撮した若い真田広之さんの写真が実家にありました。

当時は全く興味がなく、ただ真田広之さんは船の操縦が上手かった、度胸がある、と父が言っていたのを思い出しました。

たそがれ清兵衛、こんなに大物になるとは❗

やはり、人生は挑戦、素晴らしき哉です。

昨日は、北陸新幹線が福井、敦賀まで延伸開業して、丁度半年。

福井で一番高いビルにオープンしたコートヤード・マリオットに宿泊しました。

トイレまで快適な涼しさでした。

帰宅後、家の中の蒸し暑さ、それでも我が家の心地好さが一番です。

よく帰ってきた、と家の声。

自らの挑戦に年齢は関係ありません。

人生の失敗が不成功でもないし、人生の成功が幸福でもありません。

月に吠えたくなりました。


百年先の百倍先。

2024年09月15日 | 百伝。

昨今、流行り歌の中に♪百年先~という歌詞がよく組み込まれています。

思春期の若い頃、行き詰まる、あるいは息詰まった時には「あと百年後には誰もいなくなるのに」と思うと、心が軽くなったものです。

65歳過ぎて70歳に近づいて、最近「人生百年」というフレーズが頻繁に出てきます。

確かに、スポーツジムに行けば高齢者がウヨウヨ、百寿目指しての高齢者の健康オタクもウヨウヨと目立ちします。

ところが現代社会では、65歳以上の6人~7人に1人がウツ状態だとの事。

ウツとウツ病は異なるとの事。

都市生活者の高齢者に多いとの事。

ボツンと一軒家、ナゼそこ?という秘境暮らしの番組が人気ですが、ああいう場所での暮らしは、心身が強く健康的でないと生活維持が出来ないかも知れません。

百寿者の作家佐藤愛子先生曰く、「長生きすれば誰もいなくなる」と孤独感が募ると言います。

生き方には正解が無いのです。

♪お金稼ぐ 私はスター~♪ この日本語歌詞が、世界中で大バズリ。

アメリカ、ハリウッドに進出した真田広之さんがプロデューサー、主演作品「Shogun将軍」が大ヒット。

真田広之さんが若い頃、百島の泊港の中で映画撮影のロケがあった時、見学していた船乗りだった父が言ってたのは、「あんな小さなポンポン機関船のUターン操縦、驚くほど上手かった。普通は大事故になるが、度胸がある」と感心していた事を思い出しました。

日本代表のサッカーチームの勝利、代表に選抜されたもののベンチ外となった推しの旗手怜央選手、残念です。

されど日本代表成らずとも、奮起してスコットランドのセルティックで大活躍して欲しいものです。

世界最高峰リーグと言われるイングランドのプレミアリーグへの移籍を望んでいるとも言われますが、セルティックから三苫が所属するブライトン、鎌田が所属するクリスタルパレスぐらいのプレミアリーグ球団への移籍になると、明らかにステップダウンになる事をほとんどの日本人は理解出来ていません。

スコットランドの名門セルティックを、英国、欧米、世界中でどれほど圧倒的熱狂的な多数のファンが推しているのか❗

あのロッド・スチュワートも然り、親から子へと、幼い頃からの熱狂的なファンなのです。

歌詞の中にもセルティックファンである事を証しているほどです。

因みに、日本代表クラスのサッカー選手は、皆さんほとんど年収1億円以上稼ぐプレイヤーです。

スポーツ、芸能、音楽、演劇、政治、経済、文学、哲学、科学等々。

プレイヤーである以上、役者根性で我々視聴者を楽しませて欲しいものです。

視聴者側も、人手不足とならないように。

千年昔から名を残した源氏物語。

千年先まで名を残すのは何だろう?

ただ、百年先の百倍先の一万年先は?

一万年昔がそうだったように、一万年先は、人類の歴史は続いているのかな?

人間が争う限り、無理な話です。

心が重ければ、一日一日、百倍先まで重いです。

心を軽くしましょう。

心の底の一万年先まで覗き込めるような気分になります。


ソース味のカツ丼。

2024年09月05日 | 百伝。

今日の午前中は、大きな病院での定期受診日でした。

健康保険証の代わりにマイナンバーカードを提示。

患者の1人として思うに、患者は死ぬまでこの病院に寄り添い生きる、寄生せざるを得ないという事になるのかな。

生まれた時点で、ファミリー家族、ナショナリティ国家に戸籍登録、寄生配属されるのが原点となるアイデンティティーという身分証明書。

その後、生きている間は、寄生する場所、組織を選択可能という自己証明、命を運ぶ運命という船に乗船。

日本丸に乗船出来て、ヨカッタ❗

あの時、フィンランド号に乗り換えていたら、どうなっていたかな?

今朝、テレビで日本人の若者が、イスラエルとパレスチナの各々の若者に問いかけていました。

「皆さん、平和を望んでいる筈なのに、どうして戦争、争い事が終わらないのか?」

この問いかけに対して、彼らの答えは、成る程と頷いてしまいました。

「平和よりも勝利を望んでいるからです」

人間は、勝ち負けに拘るのです。

金メダル取って、歓喜極まる人間。

金メダル取れなくて、絶望に陥る人間。

オリンピックの表彰式での国旗掲揚と国歌演奏、せめて個人の好むデザイン旗とリクエスト曲を流せばよいのにね❗

雨にも負けず、風にも負けず。

されど人間は、小雨に喜び、微風に微笑みます。

そして人間は、大雨には勝てない、負けてしまい、強風にも勝てない、負けてしまいます。

嗚呼。

人間は、何処に寄生するのか、運命に振り回されないようにね。

午後、福井名物ソースカツ丼を食べようと思い、安くて美味しいお店を訪ねると「閉店のお知らせ」の貼り紙がありました。

生き残り競争が激しく撤退したのでしょう、残念です。

諦めきれないので、お値段が2倍ほど高くて美味しいという評判のお店を選択、ソースカツ丼を頂きました。

通常の卵で綴じた日本独自のトンカツ丼とは、かなり異なるのです。

高いか? 安いか?

若い頃、スターバックスの珈琲店が日本に上陸した当時は、コーヒー一杯の為に、わざわざ福井から大阪まで日帰りで出掛けた事がありました。

今は、福井にも、スターバックスの店舗数がかなりオープンしていますが、めったに入店する事はありません。

コンビニの珈琲で満足です。

珈琲もソースカツ丼も然りです。

健康上の食事として、そんなによくないかもしれませんが、頭がよくなる食かも知れません。

余談ですが、バーコードではなくQRコードを発明したのは日本人の方、福井のソースカツ丼が大好物らしいです。

御両親二人共、福井県出身だとの事。

ソースカツ丼に寄生してしまう独特な風味です。

今日の食事代、スマホでのQRコード支払いが対応してなくて、現金で支払いました。


二百十日。

2024年08月31日 | 空木宝剣

立春から数えて、今日は二百十日。

台風が来襲するという厄日。

今年の台風10号、前代未聞の進路を取り、ノロノロと一週間かけて、やっと瀬戸内海へ入り、百島手前で南下、8月と共に広島からやっと去りにけり。

先週末は、930ヘクトパスカルで、すわ1959年の伊勢湾台風並みの大型台風襲来かと戦々恐々の8月下旬を過ごした。

ところが、この10号台風、九州にながく停滞しながら、遥か遠距離の関東 東海地方まで大水害を与えて交通災害まで引き起こした。

蒲郡の土砂崩れ 小田原 平塚 秦野 伊勢原も水浸し。

伊勢原の大山阿夫利神社は、雨乞いの神様。

古くから大山講でお馴染みだが、今はAIの時代、自然と人工建造物とのアンバランスによる地球温暖化、オアシスの中の砂漠化。

昨日までのデータを如何に研究して予想したところで、明日のことは、神のみぞ知るところ。

台風一過の黄金山の眺めは、360度の値
千金。

金1グラム1万2788円だから、パリ五輪やパラリンピックの選手に、黄金山詣でを推奨したい。 

おそらく、黄金山(おうごんざん)と呼ぶの山は、知る限りでは、唯一無二。

広島湾、坂、絵下山方面。

宇品から宮島方面。

比治山、広島駅方面。

現在は、見渡す限り人工建造物の景色に囲まれているが、江戸時代は、麦秋と黄金色の稲穂で、満ち道ていたそうな。

8月 葉月29日に、市川 崑監督(1915~2008)のように、前歯を硬いものを食べて失う。

明日から長月SEPTEMBER
根も歯もない口が修繕されるまで、マスクとすべえか。

府中、温品、戸坂方面。


さとう先生。

2024年08月28日 | 百伝。

百島小学校の歴史は古く、明治5年1872年、学制が発布された間近に百島尋常小学校が設立、あの木造校舎を憶えている人も少なくなりつつあります。

小学校5年生と6年生の時の担任は、百島小学校に赴任したばかりの佐藤先生でした。

ハーフのような顔立ち、孤高とした振る舞い、一風変わった先生でした。

初めて接する島の子供たちに、自らの少年時代を覆い被せて、何を思ったのかな?

記憶違いかも知れないけど、先生が「広島のシャープ工場が完全週休2日制になる」と言ったのかな?

「みんな、学校も土日休みだといいよなぁ❗」と笑わせてくれました。

当時は土曜日は半ドン、小学校が週休2日制になる30年昔の話です。

1ヶ月で休日が他の職場よりも1日少ない場合、10年経てば何日の休日数の差になるかな?

答え、120日の休日差。さらに完全週休2日制の職場と比べた場合、1ヵ月の休日差が4日ならば、10年過ぎると480日の休日差となります。

佐藤先生に教えられた社会矛盾。

社会に出る時に秘かに考えた第一条件は給与よりも週休二日制の職場を選ぶ事でした。

休憩時間にヤクルトの飲み物が無料支給されていました。

先生は教えてくれました。

ヤクルトが何故無料で飲ませくれるのか?それは、君たちが大人になってもヤクルトを覚えてくれるからだ。

そう、だから今もクロレラよりもヤクルトの方が親しみ馴染みがあります。

先生は、言いました。

暑い時は、海やら川で泳ぐのがよい、プールで泳ぐのは邪道だ。

勿論、教室にエアコンなんかありません。

暑ければ、泳ぐのはプールでなく、海の中です。

だからプールでの水泳大会は、水が重く感じられて波もなく、島の子には不利でした。

当時は、百島の人口は2000人以上、イノシシ、狸はいなくても、野良犬、野良猫はウヨウヨ歩いていました。

ペットという言葉も馴染んでいない時代、飼い犬の餌は飼い主人間の残飯が当たり前、ペット用の餌なんて売っていませんでした。

それでも、あの頃から飼い犬は、三食、寝床付きの安全環境で暮らせる選ばれた幸運な飼い犬でした。

現代のように動物愛護という概念はなく、野良犬、野良猫を棒を持って追い払っていました。

今思えば、可哀想な事をしたものです。

そういう環境で育っていた野趣溢れる純朴な少年時代、佐藤先生の登場によって一変しました。

来る日、来る日も放課後、遊べないぐらいの宿題を課すのです。

国語の時間に読んだページに載っている全部の漢字を5回ノートに書かせて提出させるのです。

宿題地獄で泣きそうになるような辛い二年間でした。

強制的な宿題、その後の結果、僕は根本的に勉強嫌いになりました。

メリットは、一般社会での基本情報、常識的な読み書き、算数は出来るようになった事、この事は本当に感謝です

佐藤先生の掃除方法。

箒を斜めにして右から左に掃くのではなく、身体の真正面、真ん前に置いて引くようにゴミを集めていました。

給食時間は一緒に食べていました。

パンは残っているスープに擦りつけて、プレートを綺麗にして食べ終えていました。

今思えば、先生の掃除方法、食事マナー、全て欧米型でした。

やっぱり、佐藤先生はダブル、ハーフもしくはクォーターだったような想いを強くします。

受験生ブルースの歌詞ではないけど、サイン、コサイン、タンジェント、古文、下二段活用、何に役立つのか? 分からなくても、生きて行けます。

世界は広い、例えばオリンピックの種目同様、一つだけでも興味あるモノに好奇心を持たせて深く大きく成長させる。

佐藤先生の教えは、そんな事を伝えたかったのかな?

先生は、どこで生まれ育ち、どんな生い立ちだったのか、聞いた事もありません。

どこで余生を過ごしたのか・・。

振り返れば、ソルト、シュガー&ビネガーな甘酸っぱい有意義な少年時代でした。

さとう先生、ありがとうございました。


走りながら歌いながら生きた人。

2024年08月27日 | 百伝。

走るフォークシンガー、メッセージ・フォークの旗手と呼ばれた高石ともやさん(82歳)が亡くなられました。合掌

高石ともやさんが一躍有名になったのは「受験生ブルース」。

中学1年生の頃だったかな?ラジオから流れる♪受験生ブルース・・・受験生の悲哀なんか全く理解できませんでした。

当時の大学受験なんて、僕には、縁の無い、関係の無い人生でした。

高校1年生の頃かな、兄の親友で版画家になった良ちゃんが、高石ともやさんに会うために福井県の田舎まで行って来たという話をしてくれました。

福井県?

当時はピンと来なかった福井県です。

高石ともやさん、17年間暮らした福井県名田庄村から名前を付けたナターシャセブンというフォークグループを率いて活動もしていました。

走るのが好きで、福井県各地のマラソン大会にも参加して何度かお見かけもしました。

有名なエピソードは、日本初のトライアスロン大会での優勝、その時、ゴール前で2着の選手を待って同時ゴールして二人優勝したとの事。

福井のマラソン大会では、ゴールした後、ゼッケン番号を外して、再び逆走して奥さんと同時ゴール。

バルセロナ、アトランタ五輪のマラソン大会メダリスト有森裕子さんが、「自分を褒めて上げたい」と言った言葉。

有森さんが若い頃、駅伝大会の補欠参加した時、高石ともやさんが、挨拶で「参加できる自分を褒めて上げてください」と言った言葉を、ずっとメモして残した大事な言葉だったとの事。

ナターシャセブン、高石ともやさんのご冥福をお祈ります。

自分を誉めましょう。

他人を褒めましょう。

褒め称えたい高石ともやさんの生涯でした。