百島ファンクラブ 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

神様、ごめん。

2022年08月31日 | 易行難行修行
昨日、8月30日は、ハッピー・サンシャインの日だとの事。

昨日、4回目のワクチン接種を行いました。

4回目、接種するつもりはなかったけど、周りにコロナ感染陽性者、濃厚接触者が増えているから、やはり用心の為。

今日は8月最後の31日、朝から副作用のせいか、おかげさまで体調不良、熱発、左腕が重い、ベッドで横たわっています。

8月30日、31日・・小学生の頃を思い出します。

毎年毎年「神様、助けて❗」と叫びながら、夏休みの宿題と格闘していました。

早目早目に宿題を片付けていればよいのにね、この性格一生涯治らないかな?

子供の頃の夏休みの楽しみは、海の中に潜り、竹竿の先に矢じりを付けて魚を追い回す事でした。

海の中で何度もばく転するのが楽しくて 小学5年生の頃には、海中で躰、手足を捻りながら自由自在に自分の位置をコントロール出来ていました。

ただ、ドン坂(いっきに海底が深くなる境目)の向こう側は、怖い世界でした。

半世紀以上昔の思い出、ベッドの中で甦りました。

50歳手前、サラリーマンを辞めて、個人事業主、自営業を目指した事がありました。

いろいろ心労が重なって、拡張性心筋症という病気になり、しばらく入院。

病院には図書室があって、毎日読んでいたのが、ロシア、東欧に詳しい故米原万里さんのエッセイ、五木寛之さんの書籍。

五木寛之さん、随分昔から自分の寿命はもう終わりのような書き方、言い方をしていましたが、長生きしています。

どこかのジャングル密林に行くと、禿げがいなかったので、殆ど洗髪しない、風呂にも入らないとの事、だから五木先生の頭は黒々と髪の毛も多いです。

五木寛之さん、健康診断も精密検査も受けないと書いていました。

でも五木先生の奥様が医者だったようで、金沢で暮らしていた頃、福井の病院に勤務していた奥様を毎週のように福井まで送り迎えに行っていたとの事。

だから、健康には案外、言葉と裏腹に気を付けているかもしれません。

五木寛之さんと故石原慎太郎さんは、同年同月同日の誕生日だとの事。

五木寛之さんと故立松和平さんの「自力と他力」の対談書は興味深い。

五木寛之さんと故稲盛和夫さん、同じ歳で同じく九州男児の対談も興味深い。

経営の神様、京セラ、KDDI 創業者、稲盛和夫さんの御冥福を祈ります。

50歳の頃、福井の盛和塾が後援?主宰?で稲盛さんの講演会に参加した思い出があります。

経営哲学、托鉢の話、どれもこれも、自分を律するという人生論でした。

稲盛さん、「神様、ごめん」と毎日、反省の言葉として使っているとの事でした。

以来、携帯は、ずっとKDDI. au を使っています。

「神様、助けて」と叫んでいた子供の頃、今も同じように叫んでいるのかな?

「神様、ごめん」という言葉、久しぶりに思い出した稲盛和夫さんの訃報でした。

合掌、そして感謝。

明日から、もう9月です。

忙しくなります。

「神様、助けて」ではなくて、「神様、ごめん」。


ドン・キホーテとハムレット。

2022年08月25日 | 易行難行修行
人間も、動物も、国家でさえ、これで終わりかも知れないという瀬戸際に追い詰められた場合、どうするか?

昨日のお昼にTBS系列の「ひるおび」という番組で、猪による大きな被害に遭っている百島の状況を、また再び全国放映していました。

イノシシの身体能力、まさしく猪突猛進。

平地ならば時速50キロで駆け抜ける走力があるとの事。

100メートル/10秒のオリンピック選手レベルが、時速36キロだから、逃げたらダメ。

襲いかかってきた場合、頭部を3回蹴るか、叩く事。

イノシシの知的レベルは、人間の3~5歳レベルだとの事。

イノシシの天敵は、かつては日本狼だったとの事、日本狼が絶滅したので、今やイノシシの天敵は、人間のみだとの事。

ところで、人間の場合、瀬戸際に追い詰めらた時には、身を伏せて悲運な運命を耐え忍ぶか、あるいは武器を手にして苦難に立ち向かい、難のトドメを刺すまで踏ん張るのか?

シェイクスピアの名作ハムレットで余りにも有名な科白(セリフ)。

To be , or not to be : that is the question.
生きるか、死ぬか、それが問題だ。

欧米の方々は、何かあれば、この科白を多用します。

ハムレットは、行動よりも思考が先にあり、自問自答を繰り返して苦悩します。

例えば、「死ねば、眠りに落ちるだけ、眠りに落ちれば、心の憂いも、体の痛みも、一切の苦悶は消えてゆくのでは?」と。

こうした人間の行動、思考を性格上、ハムレット型人間と言われています。

その真逆が、ドン・キホーテ型だとの事。

猪突猛進のイノシシは、まさしくドン・キホーテ型。

因みに、最高傑作である両作品・・英国のシェイクスピアの悲劇「ハムレット」と、スペイン国のセルバンテスの「ドンキホーテ」とは17世紀の初頭、奇跡的にも全く同じ年に出版されています。

日本では、徳川家康が江戸幕府を開いた時代になります。

参考に、ロシアの文豪ツルゲーネフは、ハムレットとドン キホーテを、それぞれに「求心的」人間と「遠心的」人間だと対比しています。

「ハムレットは、考えてばかりいてさっぱり実行しない頭だけの人間。自分にだけかまけていて他人のためには藁屑ひとつ動かそうとしないエゴイスト」
「ドンキホーテは、何の反省もせず衝動のままに動くので行為がいつもちぐはぐになる感情の人間。真理と理想を信じ自己をまったく犠牲にして虐げられる人々を救わんとする実行者」

どうなのかな?

百島に泳いで渡るイノシシは、自己犠牲を伴ない、百島を救う救世主になりなさい。

さもなければ、生か、死か、生かすか、殺すか、それが亥問題。


(写真映像提供:百島ネット)

人日の節句

2022年01月07日 | 易行難行修行

今日は、七草粥を頂きました。

古来、中国では、この日を「人の日」として、犯罪者への刑罰を行わなかったとの事。

これが日本に伝わり、いつの間にか一年の無病息災を願う七草の節句になったとの事。

さて、人間誰だって、大なり小なり、苦労されていると思います。

おまけに、コロナ禍の時代。

それなりに働いて、いくらかの生業、商売でもしていれば、そりゃ、いかにも苦労している人間に関しては、よく分かるものです・・銀行は、相手にせず・・中小企業は、またまた休業、倒産、非正規労働者は失業が相次ぐようです。

苦労って、金の苦労、病気の苦労いろいろだけど、見るからに苦労人って、それが現実にいちばん向きあっている生き方なので、ホンマモンの人間なのかもしれません。

愛読書のひとつに、夏目漱石の「私の個人主義」があります。

現代でも、全く遜色のない「生き方」が語れています。

最近、作家の五木寛之さんと京セラ創業者、KDDI(auの最高顧問)でもある稲盛和夫さんの対談集「何のために生きるのか?」を読んでみました。

お二人は、九州男児の同年生まれ・・共に仏教道に深く心根ざす生き方を傾注されています。

釈迦の六波羅蜜の教えを絡ませて、生きている魂を磨いているようです。

お二人とも、最終的には「死への準備」を模索しながら生きてのでしょう。

最近、「生きがい」ならぬ「死にがい」という言葉も使われています。

生きがいのある街(がい)、死にがいのある街(がい)・・村や島ではないの?

このまま書き終えると、何だか中途半端な暗い気持ちになります。

去年末に亡くなった、瀬戸内寂聴さんの簡便な法話を以下に列挙します。

人間笑っていないと幸せがこない。

貧乏神も病気も、笑わない人が好き。

「自分は元気だ。幸せだ」この言葉で病気が逃げ出す。

子供の出来が悪い。
それはあんたの子だから出来が悪い。(笑)
そう思えば腹が立たない。

自分の幸せを考えているだけでは、本当の幸せではない。

私達は死ぬまで可能性がある。

死ぬまで自分を変革することができる。

死んだらどうなるかって、よく聞かれるけど、そんなことわからない。(笑)

いろいろ予定を立てたって、その通りにならないことが多い。

だから先のことをくよくよ思い煩うことない。
もう仏様に任せておけばいい。

とにかく「自分は元気だ」「自分は幸せ」とか・・そういうふうに「いい」風に考えましょう❗

さてさて、身の持ち物を整理処分していると、若い頃に買ったカセットテープが沢山出てきたけれども、ウォークマンはあるけれども、ラジカセが見つかりません。

ラジカセを買い求めて、大型電器店に足を運びました。

久しぶりに行くと、何か分からないけど、製品を見るだけなのに技術進歩から取り残されている感覚、浦島太郎になったような気分でした。

因みに、ヤマダ電機・・宣伝ではないけど、店内にカフェがあったり、過ごしやすかったのも事実です。

世の中の売り場を、もっと歩いてみようと考えました。


笑いと涙と眠り。

2022年01月04日 | 易行難行修行

お正月は、今年のスタート。

正月三が日は、ずっと働いていました。

元旦の初仕事は、大正11年1月1日生まれの満百歳となった男性の起床のお手伝いでした。

百歳おめでとう❗

その贈る言葉に、車椅子の座り心地なのかな?

「自分でも驚くわぁ。もういくつ迎えられるかな、お正月。眠い。眠い。」という呟き。

お正月は高齢者の施設で、沢山歌って、御節食べて、書き初めをして過ごしました。

今日、正月四日。

今年初めての休日。

時々、雪まじりの氷雨が降っています。

自律神経によくない悪天候です。

小さなストレスだなぁ❗

ほんとうは、百島へ帰省したかったなぁ。

お墓参り、それから茶臼山城跡へのユックリ探検も。

百島でゆっくりと過ごしながら深呼吸できる時間。

百島帰省代わりに、映画マトリックスでも観に行くつもりです。

命の「生きる」という最大目的は、「眠る」ことかもしれません。

心と身体は、繋がっています。

誰もが、うつ、うつ病になる簡単な方法があるとの事。

毎日毎日、百回千回と「ため息」ばかり続けると、必ず鬱々状態となるようです。

つまり逆に、「笑う」と身体によいことがあるのは明らかです。

でも、ずっと、そう、「躁の状態」も困るけどね。

その一方で、笑うよりも、寝たり泣いた方が、よいこともあるようです。

とにかく、ストレスを放出排出する事が大切だとの事。

資本主義社会は、隠れたイジメ社会、奴隷制度と似たようなものだから、スピードアップ、効率化、利潤追求の世界は、自律神経も乱れて呼吸も浅くなります。

そんなストレス過重社会を避けないと、自分の健康寿命を縮めてしまいます。

小さなストレスを積み重ねると、大きなストレスとなります。

正直に言えば、高齢者ばかりの介護の施設現場に居ると、あまり長生きしたくないという気持ちになる事は、多々とあります。

ため息混じりに、幸せな余生だとは到底思えないのです。

ほぼ全員の高齢者が、愛情溢れる家族の中に戻りたいのです。

それが難しくなったのは、生活維持の為の経済効率優先の資本主義の弊害。

人生百年、百歳まで生きている高齢者は、ゆっくりと話す、ゆっくりと動く人が多いようにも映ります。

早く喋る高齢者、速く動く高齢者は、健康人生を過ごしているように映るけれども、案外と百寿まで届いてはないのです。

スポーツ選手の人生、寿命の例が、分かりやすいです。

命の脈拍の数は限りがあるというのは、昔からの逸話だと考えていましたが、案外正しい事実かもしれません。

長い生きしたいのならば、ゆっくり長い呼吸して、ゆっくりと脈々と生きる。

真逆に生きたいならば、「人生は興奮だ❗」です。

「この人生」をどう生きるかは、基本は身体。

体は、動く乗り物。

善い笑い、好い涙、良い眠りを日常生活の目標としましょう。

今年の初日の出を、まだ拝んでいません。

今年が、皆様のよりよい実り多い一年に成りますように。

踏ん張りましょう。


禅の教え。

2017年08月14日 | 易行難行修行

「朝から晩まで、幸福と繁栄を求めて、汗を流して働いている。どうすれば、自分の目標を達成できるか? どうすれば、周りの人間と衝突しないで生きて行けるか? どうすれば、自分の中に自信が湧いてくるのか? どうすれば、マイペースで生きていけるか?」

お坊さん、神主さん、神父さん、牧師さん・・皆さん、善いお答えをおっしゃる。

「生、老、病、死」・・苦楽の果てに「真の幸福、極楽浄土」があります。

・・ん?

苦楽の果て・・?

さて、「禅の教え」は、「人工知能(AI)」に限りなく近いものかもしれません。

ある意味において、食欲も金銭欲も、持ち家も身なり服装の心配も、欲望の無いであろう無心の「人工知能」に、幸福となるべき国家予算、極楽となるべき人生の予算概算してもらうとどうなるのかな?

戦争に関わる巨大な予算、武器商人、武器製造業、戦争屋・・幸福も極楽とも無縁となるはずです。

ただ、物事の「美醜」「善悪」という判断基準は、神の力という神秘性を伴い、それを問うものかもしれません。

「自分の目標をはっきり立てて、その目標を達成したイメージをどんどん広げなさい。必ず実現できる。自分で考えて目標を持って生きる」・・道元禅師は、こんな言葉を一切否定しています。

・・心身とは、自意識とのこと。

「自意識を捨てて、もっとおおらかな自然の心、宇宙の生命との共生という心身脱落」を、道元禅師は、説いています。

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」



新緑も、紅葉も、波も、せせらぎも・・すべて、自然の姿、宇宙の声だとのこと。

「禅の教え」・・風雅漂うこと也。

身の周りから掃除を始めよ。

洗面も掃除も修行・・曹洞宗開祖の道元禅師の「禅の教え」は、見事です。

・・追伸添えます。

同級生の皆さん・・永平寺に参拝に行こう。

鎌倉時代に生きた道元禅師が、ひたすら仏道を求め暮らした福井の「永平寺」を案内できます。

・・人生は、常に変化するものです。

だから、次の同窓会は、金沢。

その次の同窓会は、鎌倉でね。


微速前進。

2016年02月28日 | 易行難行修行
今朝は、東京マラソンのテレビ中継を観ています。

身内の者が、参加出場しているようです。

僕も元気な頃、東京マラソン出場に応募しましたが、抽選に外れました。

走りたかったなぁ!

・・走り続ければ、よかったかなぁ!

退院後、40日ぶりの自宅生活は、戸惑うほど体力が低下しているのが判ります。

まずは、歩くスピードが非常に鈍くなっていました。

久しぶりに箸を使っての食事も手が震えました。

急性大動脈解離・・厄介な持病となったものです。

先日の大阪梅田駅付近の暴走車・・運転されていた51歳の方も、突発的に大動脈解離を発症して意識を失ったまま突っ込んだようですが、他人事とは思えないぐらい残念、悲しい事件です。

合掌。

6年前に拡張性心筋症を患い、今回は、急性大動脈解離を発症・・血管が裂けるという痛みは、死が背中合わせに存在していることを瞬時に自覚させるぐらい尋常ではない痛みでした。

再び、命拾いしたものの、まだ目線は泳いでいます。

どこに向かうか、定かでありません。

東京マラソンを観ながら、街並み、大都会の刺激も退屈です。

リハビリ、マイペースで再活動します。

微速前進。

感激感動感謝。

2016年02月25日 | 易行難行修行
今朝の陽射しは、春の訪れのような暖かさでした。

何だか、それだけで感動します。

世の中、所得格差やら様々な意識、差別感情がありますが、江戸時代の士農工商の身分制度ではないにしろ、結局は所属格差が要因になるのでしょう。

大企業、中小零細企業、自治体公務員、正規社員、非正規社員、職種等々。

もしも、中国、ロシア、サウジアラビアが倒産した場合、亜細亜、日本も含めた世界の情勢は、どうなるのかな?

・・入院中、有り余った時間内に、そんな事を考えていました。

自分の病気、体調を考えないとね!

やっと、退院日が近づいて来ました。

陽の当たる我が家に帰れそうです。

今朝の陽射し、風景です。



春が近づいて来ました。

感激感動感謝の朝です。

昼が来たぁ。

2016年02月18日 | 易行難行修行
今日は、快晴です。



とは言うものの、病院内から外側の風景を眺めているだけです。

体重も10キロぐらい減量、食欲も快調です。

今日の昼食には、餃子が出ていました。驚)



美味しかったです。感謝。

午後からは、リハビリです。

体調は、どんどんよくなっていますが、退院後の日常生活を考えると煩わしい気持ちになります。

・・どう残りの人生を過ごせばいいのやら?

再び、病気になった時のこれからの人生、誰に支えてもらうのか?

どこで、どのように過ごしたいのか?

自分らしく生きるという意味は、「死に様」だそうです。

「生き様」という言葉は、もともと無かったようです。

難しい問いかけです。

答えを出すのは、なかなか簡単ではありません。

2月13日。

2016年02月13日 | 易行難行修行
明日は、バレンタインデー。

明日が、日曜日でヨカッタと思う人、多いのでは?

今日は、病室で、ずっと文藝春秋3月号を読んでいます。

ちょっと涙が出てきて、その想いは書き残しておきます。

一時(いっとき)の事ならば、人生の中では、加害者になるよりは、被害者になる方がよいです。

ただ長い期間、イジメやら虐げられた立場になった場合は、それ相応の応酬は必要です。

野球の神様、芸能の神様は、他の生き方を教えて去ればいいのにね。

清原やらベッキーは、今後一般人として生きてゆけるのかな?

育休宣言して不倫騒動を起こして、昨日辞意表明した若い国会議員・・その奥さんの国会議員も政治家なのに、政治家を見る目がないのかな?

この国会議員夫婦・・?!

政治責任が問われる社会です。

ぼくが入院中に、ご近所の高齢者が御二人亡くなったとの事。

百島でも、子供の頃にお世話になったオバサンが亡くなったとの事。

育児休暇も介護休暇も取れない一般人の社会は、イジメに遭っているような気持ちになります。

合掌。



続・自立問題

2014年02月27日 | 易行難行修行
障害者であり、カリスマ経営者として名高い春山満さんが亡くなられました。

心からのご冥福をお祈り致します。

ところで、春山さんは、首から下は動かないという筋ジストロフィーを患い、排泄も食事も入浴も・・独りでは出来ない障害者でした。

春山さんは・・自立した人間だったのでしょうか?

健常者である方と較べて・・自立した人間だったのでしょうか?

ぼくは、春山さんは、自立した人間だと考えます。

春山さんは、身の周りの不のつく問題・・不足、不満、不安、不信、不快の改善を追求しました。

それは、誰の問題なのか?

御自分の限界を知りながら、見える問題点と見えない問題点を整理・体系化してゆく生活改善でした。

精神的自立、身体的自立、経済的自立・・いろいろとあります。

でも、最終的には、自立とは、自己決定、自己実現、社会参加できる可能性の能力を示唆するものだと思うのです。

春山さんの言葉、生き方は、とてつもなく強いものでした。

それを思い出しながら、介護福祉、障害者福祉の有り様を考えさせられます。

合掌

自立問題

2014年02月25日 | 易行難行修行
今回の講義テーマは、「あるべき社会での贅沢な死」でした。

「贅沢な生き方」ならば・・あなたは、自立して生きていますか?

という思考アングルから踏み込んでいけます。

ますます超高齢少子化・貧困社会に突き進む日本・・この日本という国自体が自立していますか?

と、問いたくなりました!

もうあと10年ぐらい、「死」という日本社会の価値観が大きく変わるような気もします。

政府は、10年後を目安に、現在の在宅で看取りを人口比率2割程度を4割程度に上げたいようです。

根拠のない楽観世代と呼ばれる団塊の世代が、後期高齢者となる10年後・・誰が、何処で、面倒・介護、お世話をするのでしょうか?

根本的には、既に日本の家族力というものが崩壊しています。

在宅で死を迎えるというのは、夢の夢です。

と言うよりも、孤立無縁という儚ない死です。

2025年問題・・10年後の日本人の死という意識は、病院で迎える死が「贅沢な死」になっているはずです。

問題意識とは、何でしょう?

問題があるということは、どういう意味を持つのでしょう?

人間は、生まれてきた時点から、誰もが「生きていく問題」を抱えてきたのかもしれません。

今の生活、今の生き方に問題の無い人間は、きっと「贅沢な生き方」をしているのでしょう。

問題があれば、それを解決するための「理想の姿や風景」があるはずです。

その理想と問題のギャップを埋めてゆくのが、社会の営み、幸福への追求ではないかと考えるのです。

その曖昧な自立が、社会という福祉問題なのかもしれません。

・・つづく。

V-day

2014年02月15日 | 易行難行修行
昨日は、V-day(バレンタインデイ)でした。

たくさんのチョコレートを頂きました。(ホント!)

今日は、そのチョコレートをかじりながら「凍りついた瞳」ささやななえ 椎名篤子原作・・という20年程昔に出版されたドキュメンタリー・コミックを読んでいました。

20年昔、この頃からセクハラやらストーカー、そして児童虐待という言葉や表現が、社会問題として大きく表面化され始めた時代だと記憶しています。

タイトルの「凍りついた瞳」とは、虐待された子どもが、表情を失った冷たい目を指す医学用語「凍りついた凝視」(Frozen watchfulness)から引用されたとのことです。

・・暗い気持ちになりますね。

一生涯、消えない心の闇となりますから、深刻な生活問題となります。

児童虐待ばかりではなく、イジメ問題もそうですが、人間は、どうしても・・いちばん弱い人間を標的にするようです。

犬や猿の世界にも「イジメ」は、存在します。

その際、人間という飼い主が、可愛い犬や猿を抱きかかえて、全力でイジメル相手から守ります。

人間世界も同じだと考えるのです。

イジメられる子は、イジメる子から、全力で逃げなさい。

全力で逃げる方法と闘う方法を考えなさい。

そして、親は・・我が子がイジメられているならば、親は全力で守らなければなりません。

イジメる相手に向かって「おまえら、これ以上イジメると、本気で殺すぞ」と言えるぐらいの親の捨て身の覚悟も必要です。

ところで、統計上、イジメっ子というのは、何故か・・余り長生きしていません。

だから、イジメられる子は、自殺など考えず、長いスパーンで物事を捉えて考えて生きて欲しいものです。

話を戻します。

「凍りついた瞳」の子供たち。

今回の読後感・・悲しいことは、子を守るべき親が、子を虐待しているという社会問題でした。

人間というのは、自分が弱いという立場をもっと強調した方が、よいかもしれません。

さて、V-dayも過ぎて、来月は、W-day(ホワイト・デイ)の御返しを忘れないように。

倍返しではありませんが、御返しです。

ぼくのような能天気な人間が、社会の弱者を支援できるのか?という自問もあります。

「どんと、コイ!!・・ありがとう。V-day!!」

自分に打ち克つこと・・Victory-dayです。

喝。

マスク。

2014年02月13日 | 易行難行修行
昨日の深夜、息子が、40度近い高熱を出して「ツライ」というので、24時間体制の大病院の救急外来まで連れて参りました。

真夜中なのに・・ほんとうに「参いる」ぐらいの患者の多さに驚きました。

インフルエンザ予防のために、マスク着用とウガイの励行と職場でも徹底しています。

もし、インフルエンザ予防ならば、レストラン等の飲食店関係の従業員は、全員マスク着用した方が、いいのでは?

・・どうなのでしょうか?

僕だけの考えすぎかもしれませんが・・?

マスク着用をしていると、自分のウィルス菌が自分の口腔内で余計に繁殖してゆくような気もします。

昔、学生時代・・某市のYMCA内にある喫茶店でアルバイトをしていたことがあります。

ある時、風邪気味で身体が重く、マスクをしながら調理場でサンドイッチやら軽食、飲み物を作ったり、ウェイターもしていました。

店長から「マスクを外しなさい」との指示があり、マスク無しで、そのまま働いていると、みるみるうちに快復したのを思い出しました。

変な言い方かもしれませんが、自分の菌を、汗と一緒に、外部へ吐き出したということなのかもしれません。

伝染完全予防のクシャミを呑みこむマスクがあると・・いいですね。

ソチ五輪・・。

さすがに、マスクをしてオリンピック競技に挑む選手は、一人も見かけませんね。

いいキン・メダルが、欲しいのでしょう。

選手の顔・・いいマスクしています。

でも、仮面舞踏会では、目にマスクをしたりします。

kをとればmas、mをとればask..

いろんなマスク(面)があるようです。

心に棲む人為り

2014年02月11日 | 易行難行修行
先日の週末、広島方面も、東京方面も、大雪だったようです。

京都は、ほとんど雪も積もっておらず、冬の陽差しが眩しいぐらいでした。

なかなか、いつまでも余韻が残るよい講座を受講して参りました。

「明日、ママがいない」という日本テレビの児童養護施設を舞台にしたドラマの話題も上がりました。

人の心には、さまざまな人間が棲みついています。

親、家族、友人、恋人・・立ち代り続けて、いつも励ましてくれる人間も心に棲んでいます。



そう、人の心には、さまざまな人間が棲みついています。

なかには、悪魔のような人間も、心に棲みつくようです。

虐待や暴力・・犯罪加害者、心壊す悪魔のような人間です。

その悪魔が、親や身内、友人、恋人、伴侶ならば・・、

その悪魔が棲みつく心は、どうなるのでしょうか?

ましてや、幼い心に、悪魔のような人間が棲みつくことによって、これから、どんな人生を過ごせるのか?

という大きな生きるというテーマです。

心の奥深く覗き込むこと。

人間とか、人生とか、深い思考をしてください。

と、先生は、述べていました。



その先生は、阪神大震災に遭遇して実家も失ったとのこと。

一番ヶ瀬康子先生の言葉を引用していました。

「大人としての一番大事な事は、子供の命を守ること」。

浮き草人生

2013年10月29日 | 易行難行修行
10月22日、京都の時代祭りの早朝・・玄関を出た途端に、頭がズキズキと重い頭痛になりました。

そうこうしていると、胸がムカムカと吐き気がしてきました。

人間・・よく言うでしょう。

「ポックリと逝きたいとか、ピンコロリと逝きたいとか」・・それもアリかなという体験でした。

もし、そんな希望があるならば、とても簡単な方法があります。

そう、薬を飲まないことです。

高血圧の方が、ピンコロリと逝きたいならば、薬を止めることです。

薬は、用として、命を長続きさせてくれる薬物です。

おそらく、寝たきりの状態までも長生きさせてくれる魔法の飲みモノなのかもしれません。

今回、ちょっと軽い重篤状態になりました。

この一週間、ソファのまえにパソコン、テレビ、ラジオを並べて、とても多くの睡眠時間を戴きました。

♪笑顔百両で生きてゆく~~「浮き草」のような軽い人生が、いいのかもしれません。