百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

1917

2020年02月29日 | 百伝。
映画「1917」、観て参りました。

フランスの西部戦線で、対ドイツ戦と戦う英国軍。

第一次世界大戦中の1917年4月6日。

翌日の朝までに、最前線にいる約1600人英国部隊に作戦中止の伝令を届けるために戦場を駆け抜ける2名の兵士。

ストーリーは、伝令を届けること、至極単純です。

ただ4Kのワンカット映像と視覚音響効果が凄い、ほんとうに戦場にいるような臨場感でした。

唯一、切り倒された満開の桜の木、散り行く桜の無数の花びら・・・倒れた兵士への鎮魂、日本的な死生観、情緒垣間見える映画でした。



映画の設定日時の10日後、1917年4月17日に生まれた英国人。

我ら夫婦共々、とてもお世話になった恩人です。



彼の父親(ノーフォークの貴族出身)は、第一次世界大戦中は、空軍パイロット(当時は、現在の宇宙飛行士のような身分だったとのこと)で、幼い頃はテイムズ河口のグリニッジ近郊の航空基地の近くで暮らしたとのこと。

それで、その暮らした家まで行き、その思い出探しに付き合ったことがあります。

王室を筆頭とした英国社会の階級社会を薔薇に例えるよりも、日本の「桜」に近い気もします。

映画を観終えた帰り道、ドラッグストアに立ち寄ると、トイレットペーパーもティッシュペーパーも在庫無しの売り切れ状態。

福井のような地方都市でも買い占め状態・・・マスクに続いて、またもや、悲しい市場心理です。

昔の出来事、高校生の頃を思い出しました。

昭和40年代後半にオイルショック時に、日本中のトイレットペーパーが消えた出来事。

あの頃は、百島には、お店もたくさんあって、トイレットペーパーが売り切れることもなく在庫に余裕がありました。

都会から帰省した先輩、皆さんが、驚いていたのを思い出しました。

今は、SNSで、メルカリやらテンバイヤーという存在が、地域格差を越えて、あれこれ売買しています。

来月2日から、全国の小、中学校、高校が、ほぼ休校とのこと。

首相の突然の要請だとか・・・本来は地元の首長、教育委員会、校長会で判断すべきものでは?

これで、「桜を見る会」の問題は、散ってゆくのかな?

日本では、休校期間中は、シングルマザー、共働き家族の子供たちは、どのように過ごすのかと大問題。

同じく非常事態の中国では、休校中の家庭待機の児童生徒とは、オンライン教育が可能だとのこと。

中国は、いつ、そんな先進教育システムを可能にしたのか、驚くべきことばかり。

中国から、日本、韓国の新型コロナウィルスの感染対策を心配する声。

因みに、北京では、マスクが流通するようになったとのこと、日本にも、間もなくマスク不足が解消するであろうとのこと。

77歳で、農業に転職した82歳の元気な高齢者を思い浮かべました。

次は、どんな仕事、職業に就けるか・・・まだまだ、納得できる人生を求めたいものです。

走れ。・・・1917「命をかけた伝令」の感想。

まだ宿題を終えていない約束事を思い出させてくれた映画でした。

粛清と粛正。

2020年02月28日 | 千伝。
今、生涯でいちばん手洗い、うがいをしているのではと思いながらの日常生活。

毎朝、体温計で検温、発熱があれば出勤しないこと。

50歳の時、医療介護の業界に転職しましたが、振り返ると有意義な日々を頂戴しています。



花粉症の季節でもあります。

梅祭りの如月二月も明日まで。

明後日から弥生三月の桃の節句。

桃のアレルギーがあれば、梅のアレルギーがあるのかもしれません。

日本には、桜のアレルギーというのはあるのかな?

桜を見る会かな?

福井からも、自民党代議士の稲田朋美さん絡みで、桜を見に行ったとか聞きます。

行くと、いい事、あるのかな?

アレルギー(過剰反応免疫)反応は、ウィルス感染同様、その問題は難題。

今年のアカデミー作品賞の韓国映画パラサイト、あの半地下家族の絆には、大騒ぎしながらも新型コロナウィルスにも免疫力が備わっているかもしれません。

「我(わが)家は貧の極みなり。資産なく、余財なし。よく清貧に安んじ、足ることを知らば、我家の幸福これに過ぎざるべし」(ある政治家の言葉)



新型コロナウィルスの感染対策、お国柄がよく見えます。

例えば、時間にルーズなイタリア人、それでも今回の感染拡大には、素早い対策を次々と実施。

時間厳守を大事にする日本、決断力が突発的で遅い。

今日は、かつて吉田茂首相が、バカヤロー解散をした日だとか❗

新型コロナウィルスに対して、バカヤローの声は高まるばかり。

今の安倍政権は、粛清と粛正を勘違いしているのでは?

粛清とは、邪魔者すべてを根絶やしにすること。

粛正とは、綱紀粛正、正しいこと、公平なるものを道しるべとする。

一昨日の地元新聞のコラムに感心。
下記に抜粋。
【越山若水】二・二六事件からきょう、84年目を迎えた。福井県人としては初の総理大臣岡田啓介。その名の記憶を毎年刻み直す日だ。そんな折に岡田と誤認され殺された松尾伝蔵大佐の手紙が岡田直筆の色紙とともに坂井市の民家に残されていることが分かった。貴重な史料が掘り起こされ喜ばしい▼岡田の足跡を知ることができる出版物に1956年の「岡田啓介」がある。遺族の意向もあって生涯を逐年ごとに叙述する偉人伝とはせずに、政治家岡田に比重を置いている。それでも当時の内閣担当記者で執筆を担った有竹修二は序文で人間岡田に迫っている▼執筆前、福井を訪れ市立郷土歴史館に郁(いく)夫人に宛てた岡田の訓誡(くんかい)の書が保管されていたことを知った。岡田は海軍将校時代、留守が多かったため、後を託す夫人にしたためたもので有竹は精読し「母を、家を、児を思う誠心歴々として、夫人の心奥にある琴線に触れたことと察せられる」と記している▼訓誡の書「道しるべ」の一節。「我(わが)家は貧の極みなり。資産なく、余財なし。よく清貧に安んじ、足ることを知らば、我家の幸福これに過ぎざるべし」。有竹は「智情意三徳兼備の人」として岡田を改めて見直すに足る資料と結んでいる▼「桜を見る会」を巡り、野党議員の挑発の言葉に腹を立てやじり、結果としては謝罪する宰相。岡田にはどのように映っていることだろう。


MESSIAH

2020年02月27日 | 空木宝剣
春うらら 暖簾に風の 飯屋かな 

「上げ100日下げ3日」の諺道理の下げ相場。

明日の事は分からない。

信用を得るには、長期間かかるが、失うは一瞬。

東京五輪前に、降って湧いたような、新型コロナウイルス。

地球温暖化に続いて、グローバル伝染病。

スウェーデンの少女、グレタさんは、神の使いか、それとも魔女か。  

何れにしても、救世主が現れる世は、末法である。

経済に奔走した大人たちの、やがて恐慌や戦争やらのつけを払わされた歴史は、繰り返すまじ。

それでも歴史は繰り返すか。


月コロナ。

2020年02月25日 | 空木宝剣
春風や 天下分け目の 令和かな

時代を先読みする株式市場は、ウォール街も兜町も全面安。

昭和の時代は、戦前の軍国時代と戦後の高度成長時代。

平成は、淡路神戸大震災や東日本大震災。

それに、熊本大地震や各地の大災害。 

令和は、時代の夜明けと共に、新型コロナウイルスのグローバルな流行。  

天道 人間道 修羅道 畜生道 餓鬼道 地獄の六道の中で、未だに歴史に現れていてない天道という世界まで、どれぼどの餓鬼畜生の修羅場をこなさなければならないのだろうか。

広島平和公園内の平和祈念像は、三日月に立つ。



追伸 どこかの国では、マスクを買うのに長蛇の列をなしていた。

現在、頂き物で一番ありがたいのは、マスクかも知れないが、雨降りの日に傘をかさないのが世の常である。

それにしても、新型コロナウイルス以来、毎日のように、テレビに顔をだす加藤厚労相の髪の分け目が気にかかる。は

天神様の通り道。

2020年02月22日 | 百伝。
♪通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神様の 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ♪

博多駅で、帰り道の新幹線のチケットをを紛失、旅の計画が無計画となりました。

はて、菅原道真公とは、どういう人物なのか?

気持ちを、白紙に戻すチャンスでもあります。



菅原道真公を慕う・・・梅、牛に引かれて、山口県へ。

防府天満宮へと到着。



天神様をリスペクトする勤勉努力の二宮金次郎の銅像もありました。



ところで、何故、防府天満宮が、北野天満宮、大宰府天満宮と並び日本三大天満宮と呼ばれるのでしょう? 

東京の湯島天満宮は?

防府天満宮のHP には、下記の通りの説明がありました。

防府天満宮は学問の神様、菅原道真公を始め、公の御祖先である天穂日命(あめのほひのみこと)、武夷鳥命(たけひなどりのみこと)、野見宿禰(のみのすくね)の四柱をお祀りしており、延喜4年(904年)のご創建をもつ日本で最初の天満宮です。
 公は、九州の太宰府に下られる途中、船を当地勝間の浦におつけになり暫くご滞在になりました。ご滞在中、酒垂山にお登りになり、「身は筑紫にて果つるとも、魂魄は必ずこの地に帰り来らん」とお誓いになり、家宝の黄金の鮎12尾を国司土師信貞に託して寂しく旅立たれました。
 延喜3年(903年)公のお亡くなりの日、勝間の浦に神光が現れ、酒垂山に瑞雲が棚引きました。ここに国司は公の御霊がお帰りになられたと、翌延喜4年(904年)この地の酒垂山に社殿を建立して松崎の社と号しました。これにより日本で最初の天満宮といわれています。
(防府天満宮HP より抜粋)

つまり、防府天満宮は、日本最初で最古の天神様の天満宮なのです。



漢語から和歌、ひらがな文化へと導いた先魁の詩人、文章博士だった菅原道真公が政治の要職を歴任、遣唐使廃止を含めた政治判断、右大臣まで昇り詰めた出世街道を爆進します。

ところが既存勢力の貴族が反発、菅原道真公57歳の時、自分の息子よりも若い藤原北家を率いる藤原時平30歳によって太宰府へと追放されます。



その怨み、嘆き、悲嘆の極みは、いかがなものだったのだろうか?

個人的な感想ですが、防府で極めて好いのは、右田ケ岳、石船山、西目山が素晴らしい❗

新大阪から博多までの山陽新幹線沿いで、いちばん存在感のある山容姿に映ります。

菅原道真公も、あの山を眺めて、再び鎮魂は戻ると望んだのでは?

春風楼、ここに立つと、防府市街が一望できました。



今回、牛に引かれて善光寺ならぬ、防府天満宮。

防府駅から徳山駅まで、在来線。



海が見えます。





誰か独りポツンと立つ富海駅。





我が人生、三度、目にする懐かしい風景でした。

九州地方、太宰府、秋芳洞への中学校修学旅行の時、通り過ぎた❗

韓国釜山行きのフェリー乗船のため、下関に向かう時、通り過ぎた❗

そして、今回・・・徳山へ。

菅原道真公、乗馬も得意だったとか、天神乗りという乗馬方法の祖であるとのこと。

徳山駅のコンコースで、ピアノの音が聴こえました。



やはり人生は、人間万事塞翁が馬です。

♪通りゃんせ 通りゃんせ



ここはどこの 細道じゃ
天神様の 細道じゃ



ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります





行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ♪







心地好い旅でした。

大宰府 飛び梅伝説。

2020年02月18日 | 百伝。
「東風(こち)ふかば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」

菅原道真公が、大宰府に赴く時、京の邸の庭先にある梅を見て歌ったもの。

太宰府天満宮に参拝しました。



表参道は、目移りがするほど賑やかでした。







心字池に架かる太鼓橋・・・この橋は、境内の入り口側から順番に、過去・現在・未来を表しているとされます。





過去から未来までの邪念を捨て、心字池の水の上を渡ることで心も洗われて身も清められるとのこと。



そして、太宰府天満宮の神木である「飛梅」は、拝殿・右手前に立っています。



菅原道真公の京の屋敷には、梅、松、桜の木も植えてあったとのこと。

大宰府に旅立つ時、梅に別れの歌を「東風(こち)ふかば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」伝えました。

桜は、隣りに居るのに、声もかけて貰えず、悲しみで枯れてしまったとのことです。

松は、梅と一緒に、主人を追って飛び立ったのですが、残念ながら、松は、途中で力尽きます。

現在の神戸市界隈に落ちたとのこと、後に「飛松岡」、「飛松伝説」として語り継がれているとのこと。

そして、「東風吹けば」と声かけられた梅だけが、大宰府まで飛んでたどり着いたという伝説です。

菅原道真公の心力は、神憑りかもしれません。

大宰府に流されたとき、尾道にも、百島にも、道真公が袖一切れを残したという伝説もあり、地元には、天満宮が祭られています。

人間万事塞翁が馬・・・考え方ひとつ。

しかし、天満宮では、馬を考えてはなりません。

牛なのです。



大宰府駅から博多駅まで、バスに乗りました。



福岡空港の真横を通り過ぎます。



あの飛梅は、飛行機のように大宰府まで飛んで来たんだ・・・古の先人の信仰心、想像力は凄いものです。

あの飛梅の樹齢は、千年以上だとか❗



そんな馬鹿な、観光客集めの詐欺梅だと考えながら、博多駅に到着。

・・・馬とか鹿とか、考えてはならないのです。

牛です。

侮るなかれ❗

新幹線の改札口で、福井に戻る最終便のJR のチケット類が無いのです。

・・・紛失です。

天神様、学問の神様とは、いつまでも良縁が無いようです。

心の兆しというのは、驚きでした。

桃の木を探したくなった心境となりました。

大宰府 まほろばの梅。

2020年02月18日 | 千伝。
天平二年正月十三日(西暦730年2月8日)、太宰府の長官の大伴旅人の家に集まり、梅花の宴を開く。

初春の令月にして、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉を披く、蘭は珮後の香を薫す。
(出典:万葉集)

先週の暖かい春めいた日、令和の里となった福岡 大宰府政庁跡へ。





半日程、散策しました。

天神から西鉄の都府桜前駅から、新元号「令和」の所縁となる大宰府政庁跡、大伴旅人の屋敷跡と謂われる坂本八幡宮。







坂本八幡宮は、考えていたよりも、とても小さな神社でした。



その界隈には、九州一古い観世音寺、天下三戒壇と言われた戒壇院もあります。







宝蔵には、諸尊像が林立する見応えのある巨像が林立していました。



実に6度目の渡海で、やっと日本に渡来したものの両目を失明していた鑑真( 688 - 763 /のち唐招提寺建立)が日本上陸後、初めに訪ねたのが観世音寺。







そこへ、令和の時代になった途端、観光バスが押し寄せているとのこと。

さぞや、近隣の方々も、驚いているとのこと。

大伴旅人(665-731)が生きていた飛鳥・奈良時代、万葉の心歌が、現代まで伝わってきます。

それから約200年後、平安時代となり、京の都から大宰府に左遷された菅原道真公(845-903年2月25日)の登場です。

菅原道真公は、この大宰府の地で歿した後、その怨念から京の都は、不吉な事が多発したとのこと。

およそ100年の後、道真公は、天神天満様として神格化されます。

因みに、菅原道真公の母方は、大伴旅人の血族に繋がるとのこと。

さて、その大宰府政庁跡から、大宰府天満宮まで、ゆっくりと散策しました。



道すがら、タイから来ていた若いカップルと話しながら、一緒に歩きましたが、「令和」と「大宰府」との関係性も語源も、まったく英語で説明できませんでした。

英語力・・・再勉強の必要を痛感しました。

途中、大宰府市立老人福祉センターに立ち寄ってみました。



高齢者ではなく、いまだに「老人」という言葉を使用しているのが、大宰府では許せるような響きでした。

太宰府市以外の方も、60歳以上入浴料200円の大風呂も設置、とても家族的な雰囲気のある健康施設でした。





語学学習も、食事療法も、脳内活性の健康方法です。

大宰府のまほろばの梅を堪能しました。



太宰府天満宮へ。



富士には月見草がよく似合う。

2020年02月17日 | 空木宝剣
初雪や 今日六十九 明日七十



今夜は、広島市内にも雪が舞っているようである。

先週は、新型コロナウイルスと野村監督の報道で終始した。

時間とは不思議なものである。ダイヤモンドプリンセス号での監禁状態にされた二週間は、とてつもなく長く感じた事だろう。

野村監督の、プロ野球道を貫いた84年の生涯。

己を月見草に喩えた苦労人。

劣等感をエネルギーに変換出来た成功者である。

カネヤンの「グランドには金が落ちている」というのは有名だが、ノムサンは、グランドという畑で人を育てたようだ。

平凡な人生を陰性と例えれば、有名非凡な人生は、陽性反応かも知れない。

世間の目に晒されるのは、相当なストレスに違いない。

ストレスを昨日に閉じ込める重石と、アタラクシアを明日に求める羽根の両方を持ち合わせる必要がある。

今日で、六十代よさようなら。

明日は、七十代よこんにちは。

48年前に、69歳で亡くなった祖母が気にかかる。

ヴィヴィアン・リー (1913~1967)

2020年02月11日 | 空木宝剣
泥縄の 新型コロナ 6000度

新型コロナウイルスの猛威に対し、有効な手立てが明らかでない。

ウイルスを防ぐべく、原始的なマスクさえも不十分な状態である。

目に見えない侵入者を、捕縛する縄は、まだ編み上がっていない。

団塊は、マスク不足の状態を見ると、昭和48年の第一次石油危機によるトイレットペーパー騒ぎを思い出す。

需要の大半を、海外からの供給に依存する事への警鐘か。

太陽から地球まで8分で届く光にも、陰と陽がある。

中国は、湖北省武漢(ウーハン)発の新型コロナウイルス。

顕微鏡の中のコロナは、金環食のゴールドリングと違い、陰の中で菌環食を装い、それが陽性化して暴れるから怖い。

この上は、麒麟が来ることを願い、平穏なアサヒがまた昇ることを願い、サッポロ雪まつりに大勢の観光客が戻ることも願いつつ、体内にビールを呷って、悪玉ウイルスが「風邪とともに去りぬ」ことを祈って蝶。

塞翁が馬。

2020年02月08日 | 百伝。
昨日の朝、NHK 「おはよう日本」。

サラリーマンを定年退職し、その後、剃髪した70歳の方が、寺の住職として得度式で戒名を授かり感涙している姿が画面に映し出されていました。

そう言えば、前職の先輩が出家したという噂を耳にしたことがあります。

案外、第二の人生として、仏門を志す高齢者は多いのかもしれません。

体力温存を座右にする身にとっては、生き方の極みを選んだ姿に映ります。

「おはよう日本」のあとの「あさイチ」番組に、民間出身で2年前から広島県の教育委員長である平川理恵さんという女性がゲスト出演していました。

MBA も取得されているようで、さすがに才色兼備、ユニークな面白い人物に映りました。

平川さんの人柄、活動、教育委員長としての広島県内での教育実践、入試改革を紹介・・・全国の教育界で注目されているようです。

世界どこでもグローバルリーダーとなれる人材を育てる教育方針のもと、昨年、大崎上島に設立された広島県立叡知学園が紹介されていました。

大学で教えている家内も、こういう学校はいいねと、頷いていました。



もうひとつ紹介されていたのが、百島の対岸にある常石小学校。

さらに、落ちこぼれ問題も、吹きこぼれ問題も、不登校問題、広島県の高校入試改革についてもご自身の考えを述べていました。

しかし、我が身を振り返り思い出せば、15歳の頃に将来への自己認識なんて、無かったはず。

広島県立高校入試時に落ちこぼれた我が身にすれば、平川さんが行う入試改革は新鮮に見えます。

当時の広島県の入試科目は9科目、(主要5科目の英、国、数、理、社、そして、音楽、体育、家庭技術、美術)。

9科目入試なんて、当時、日本全国でも広島県と京都府もしくは兵庫県のみでした。

音楽の入試試験なんて、試験会場のスピーカーからクラシック曲が流れて、それを五線譜の譜面上に音譜を書けという問題・・・全く分かりませんでした。

ただ振り返れば、人生を豊かにするのは、主要5科目以外の音楽、体育、家庭技術、美術が、大きな要素になっているのは間違いありません。

入試試験に合格して高みから望む景色はよく分かりませんが、降りるのが怖い世界かもしれませんね。

学校や職場という場には、競争という勝ち負けがあると、苦しいはずです。

競争というより、競い合わせる面白さがあれば、楽しみになるはずです。

人間万事塞翁が馬のような教育が好いです。

家族を想うとき。

2020年02月06日 | 千伝。
映画「Sorry We missed you. 邦題:家族を想うとき」を、やっと観る事ができました。





監督は、言わずとも知れたケン・ローチ、舞台は、「わたしは、ダニエル・ブレイク」同様、個人的にも思い出深いニューカッスル・アポン・タイン。

いろんな視点で深く考えさせられてしまう映画でした。

家族が幸せになるための仕事なのに、仕事が幸せを壊して不幸になっている家族の現実。

夫はフランチャイズ制の個人事業主のドライバー、妻は訪問介護士、子供たちは思春期でいろいろ想う年頃で問題あり。

特に、息子の人生は、スマホにすべて依存。

家族のこと、地域のこと、仕事のこと、イジメのこと、等々・・・舞台は、英国社会だけど、全く日本も同じ社会状況なのです。

出口が見えない貧富格差の社会、そんな浅ましい社会を作り出しているのは、誰だ?

この映画を観終えた時、帰り道、心にいろんな不条理な想いが渦巻いてしまいました。



・・・大きく声を挙げ訴えたい。

歳を取るにつれて、生活に経済的な余裕がなくなる社会は、貧困社会です。

個人事業主である国民年金者の方々の最低年金支給を、せめて生活保護支給金よりも高く設定すべきでしょう。

介護職の給与体系、時給は、高齢者層も若年層もほぼ同額であるということ。

さらに、訪問介護も療養型病院も高齢者施設もデイサービスも、一括りの介護職として、ほぼ同額給与、時給千円程度である事・・・これは経験値も含めて差別化しないとね。

僕個人の偏った経験、入手情報、見解ですが、訪問介護の仕事は、時給5000円以上にしないと釣り合いません。

あの映画の中の奥さん、よく頑張っていたよ❗

日本も英国も、同じく在宅訪問介護の現状は、人手不足の苦しい実情です。

在宅介護が可能なのは、お金持ち、資産家のみとなるのは、先ず間違いないはずです。

もうひとつ、さらに付け加えると、高齢者になり施設に入居後に関わる利用者としての毎月の支払い、加えて、施設内生活で病気になれば、患者さんとしての入院費、治療費も負担となります。

施設にも、病院にも、支払う二重負担です。

貧困高齢者層の終活は、在宅無介護、在宅無治療しかないのか?

昔、療養型病院での患者さんの家族の言葉が耳に残っています。

入院した年金受給額の多かったご主人に、ご家族の方が言い放ちました。

「父さんの仕事は、ここで生きること。生きているだけで年金が入るからね」

映画の原題「Sorry We missed you 」、これは、ドライバーが配達する時、不在者宅に伝票に書き残す言葉ですが、仕事に奪われる家族の不在、悲しさを物語るものでした。

金の貧富格差、心の品格格差、いろんな家族格差もあるものです。

素晴らしい映画でした❗



福井メトロ劇場さんに感謝。


フビライ汗(1215ー1294)

2020年02月04日 | 空木宝剣
立春や 原は晴れども 腹立てず

太陽暦ではFebruaryの4日であるが、月陰暦では睦月1月11日。

団塊が子供の頃、旧正月も祝っていた。

昭和30年頃、祖父母の時代である。

節分には、くどで、バベの木を焚き、せいろで大豆を炒ったものである。

節分や 鬼を集いて 豆を炒る家中をばべの狼煙と、バチバチと燃える音を合図に、「福は内
鬼は外」と一升ますの豆を、子供らは蒔いたものである。

昭和の鬼は、既に年老いて悪のない好々爺に変貌を遂げていないのか。

グローバルの令和2年。

新型コロナウイルスという人類共通の鬼が、海の向こうからやってきて、元寇同様の防人が、水際で頑張っている。


地球パラサイト。

2020年02月03日 | 百伝。
十八歳、上京。

東京生活を始めた頃、エスカレーターの手すり、電車の吊革、ドアのノブ、公衆電話の受話器を触るのが嫌だという潔癖症の人と知り合いました。

瀬戸内海の百島育ちの18歳の僕にとっては、かなりのカルチャーショックとなる出来事でした。

見知らぬ誰が触ったかもしれないものに触れるのは、バイ菌満載不潔に映るのでしょう。

憧れていた東京、大都会では、こういう人間が多いのかな? 生きていくのが息苦しいのでは?

そのような印象を持ったものです。

百島の井戸水を飲み、脱糞を肥にした畑から生まれた野菜を食べて育った僕にすれば、東京の水は不味くても、そういう感染に対する不安、神経質なものに対しては、無頓着、不可解でした。

そんな事を思い出しながら、はや令和初の節分「鬼は外、福は内」となりました。

世界のトップニュースは、新型コロナウィルス肺炎の感染問題、英国のEUからの 離脱問題。

世界中の人間が一致団結出来るのは、例えば宇宙からの地球侵略のような人類共通の敵が現れた時だと、かつて歴史学者が語っていました。

ウィルス感染防止の非常事態の対策になると、地球規模の共通課題となります。

それにしても、米国、英国、豪国の非常事態対策に感心しました。

米国は、貨物機に座席シートを準備して中国武漢まで飛ばして自国民を避難、そして空軍基地に全員を隔離、豪国はクリスマス島に2週間全員隔離。

英国は、EU 離脱日の1月31日直前に感染者確認を発表するしたたかさ。

中国内情に詳しい北朝鮮が、国家存亡非常事態を宣言したのが気になります。

今回の新型コロナウィルス肺炎感染が、もしも先進国から赤道直下の後進国まで猛威を震うならば、世界は大恐慌となるかもしれません。

英国人から教わったエピソードがあります。

お世話になったイングランド人、郊外の田園地帯に行けば、「農業の匂い(アグリカルチャ・スメル)だよ」と、大きく呼吸するのです。

牛や馬の脱糞の臭い野性のニオイしかしないのに、これは健康によいから、沢山の空気を吸って吐きなさいとのこと。

東京からロンドンへ引っ越して、気がつけば、暮らしの中で、鼻の中が真っ黒な日常生活に嫌気がさしていたのは事実ですが、脱糞のニオイを嗅いで深呼吸するとは、これも、かなり大きなカルチャーショックでした。

もうひとつは、スコットランド人の老夫婦からの何気ない言葉。

英国のドライブ地図には、眺めの美しいビューボイントが記載されています。

スコットランドのハイランド地域をドライブ中に立ち寄った牛糞が漂うビューボイントで、出会った老夫婦。

真っ赤なベンツ車を止めて、レジャーシートの上でサンドイッチを食べていました。

「愛犬と暮らしているからね。エジンバラのような街中で暮らすのは無理だね。人間も犬も猫も、ペットとして生きるのは嫌だろう。ここに来て美しい風景を見て、ニオイを感じて、呼吸するのが生きている証を味わえる」

英国人はマスクを好みません。

熱湯による煮沸消毒が一番有効だと考えているような国柄でした。

あれから30年、脳ミソがスポンジ状態になる英国発生の狂牛病となるウィルスは撲滅されてなく、今尚も不安もあります。

ただし、日本では、当時の英国滞在者に対して、赤十字社は輸血お断りの明示をしていますが、明示しているだけです。

狂牛病のウィルスも、またどこかで進化して現れるかもしれません。

介護の医療現場を知り得て理解できたのですが、命が尽きる数日前には、冷たい死臭という何とも言えないニオイがします。

病院は、病人を治療する場であり、様々なウィルスが棲息しているのは当たり前なのですが、医療従事者が感染予防だけでなく、知らないうちに免疫力が備わっているのも事実だと思います。

それはともかくとして、医療現場は、ストレスが多いせいか、よく食べるのでしょう、太った肥満の方が多いです。

ウィルスの最大の敵は、温度差のある他のウィルスかもしれません。

アグリカルチャ・スメルを深呼吸する健康方法は、正しいのかもしれません。

要は、健康で元気な動物の暖かいオナラも便臭のニオイも物質であり、疫病に対して免疫効果があるのは確かな要素です。

昔、とある天麩羅屋さんでの外国人との会食後、一人を除いて、僕を含めた全員が生牡蠣を食べてノロウィルスにあたりました。

インドネシアのジャングル育ちの若者だけが、免疫力があるのか平然としていた事がありました。

先進国の豊かな都市生活になるほどに、清潔感という無臭生活、心地よい香りが求められます。

そういう生活レベルになると、クサイものには蓋、免疫力が乏しくなる心理状態になるかもしれません。

鼻や口を覆うマスクよりも、手洗い、うがいが大事です。

ストレッチという身心の柔軟性も大事な感染予防です。

このままならば、世界経済は大恐慌時代、その逼迫感が全くないように思える日本の政治指針。

転職することさえ怖くて出来ない日本の政治家の保身姿勢。

国会での居眠り、せせら笑い、野次を飛ばすよりも、世界の潮流を読んで欲しいものです。

海洋国家日本は、非常事態に備えて緊急に、避難用の大型船を用意した方がよいかもしれません。

「海と畑があれば、生きていける」・・・古からの先人の言葉です。

今朝のラジオを聴いていると、「人間が、高等生物、下等生物を区分しているのは変な話で、何を基準に区分しているのか? 分からない」と、どなたかが話していました。

幸せになるための仕事や労働が、不幸せになる要因になりつつある世界の貧富格差の広がり。

人間一人一人も、宇宙から眺めたら、ウィルスのようなもの。

地球自体が、ウィルスの棲み家なのでしょう。

パラサイトかな?

今月は、映画2本は観たいもの。

隣国の韓国映画「パラサイト 半地下家族」

英国映画「Sorry we missed you 邦題: 家族を思うとき」