百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

踏み絵

2006年11月29日 | 千伝。
改めて、今日から千伝目を目標にします。

自民党の復党問題・・。

「寄らば大樹の陰」
「安部首相に感謝の気持ちでいっぱいです」
「美しい国づくりに協力します」・・等々。
以上は、インタビューに応じていた自民党に復党する国会議員の言葉です。

福沢諭吉の「学問のすすめ」にこんなことが書かれてあるのを思い出しました。

独立の気力なき者は必ず人に依頼す、
人に依頼する者は必ず人を恐る、
人を恐る者は必ず人にへつらう者なり。

心経 - 百伝目

2006年11月18日 | 百伝。
keaimさんへ

今日も元気でがんばっていますか?

ちょうど、この投稿が百伝目になりました。

最初の目的だった百伝は、これで完遂です。ヨカッタ(笑)

ところで、報告が遅くなりましたが・・

末広がりの福いっぱいの八並びの 88888 を踏んだのは、小生であります。

ぼくで善かったのかどうか・・ただ嬉しいです。

孝は百行の本(もと)なり。

ありがとうございます。

いつも笑顔で元気で!


国家百年の計

2006年11月18日 | 千伝。
ここ十年間、インターネットでの通信環境の構築で、どんな地方の僻地や離島でも都会と同じように仕事ができる可能性を信じた。

しかるに、結局は、インフラの整備は、都会が優先で、地方は後回しの傾向にある。

戦後、地方から東京に出て働く若者は、田舎の親へ仕送りを続けた。

公的な金の流れは、上から下へと、都会から地方へと還流されてゆく。

平成になって、今は、地方の親から都会に暮らす息子娘の家庭に仕送りをする。

私的な金は、地方から都会へと吸い上げられている。

地方に戻らない人々・・田舎は、人がまばら。

もっと山間部に行くと、空き家や廃家が目立つ。

そのうち、熊が住むかもしれない。

真っ暗な静かな夜に田舎家で観るテレビ。

画面には、光溢れる都会のシーンが映る。

このアンバランスは、日本の未来への危険信号にも思える。

東京への一極集中・・まず政治機能の中枢を地方へ移すべきだ。

都知事の石原さんの横槍で、いつのまにやら日本の首都移転の問題は、雲散霧消した。

石原慎太郎さんの愛国心は、つまり郷土東京への愛国心なのか・・。

米国の人口は、3億人、食糧自給率約120%。
フランス、食糧自給率、約180%。
英国 食糧自給率、70~80% 引き上げ中。
日本 食糧自給率、現在 約40%。

あと20年後、米国の人口は、約4億人になる。

その時には、米国の自給率は、100%を切り、アメリカからの食料輸入は激減するという。

日本は、核拡散よりも食糧の拡散、つまり国内自給率を上げる方向での政策に転換すべき。

大企業優先の税制政策、都会重視のインフラ拡大への投資は、20年後、50年後、そして100年後・・日本の国土が、ジャングルのような密林に覆われてゆく。

今でさえ、地方の空き家、廃屋を見れば、日本の現状が惨憺なるもの。

地方都市でさえ、昼間の商店街はさびしい。

地方の主要道路は、日本全国、同じような愚景・・洋服屋に電気屋に量販店のオンパレード・・さらに、これまたチェーンストアの飯屋等々ばかり・・。

こんな日本の郊外風景ばかり見せつけられては、誇り高い愛国心が、生まれてくるはずもない。

日本は、経済格差だけではなく「情調・幸福格差」さえも拡大してゆく。

教育基本法の改正案が改正となる運び。

「愛国心って、いろんな郷土愛の集まりだろうか」

国会議員2世、3世とか・・政治家の名門の出自・誉とは、どれほどのものか。

ほんの60年ほど昔、国を守らんとする愛国心溢れる誉高い日本人が、悲惨な戦争を導き、敗戦に繋がっていたのではないのか・・。

彼らは、「美しい日本の何を、どの部分を」を美しいと感じたのだろうか。

山、野、里、島に暮らす民は、少なくなった。

犬や猫は、どこに行った・・野良犬も野良猫も、あまり見なくなった。

雨降る朝、ペットに化けて服を着た犬や猫が、アーケードのある商店街で小便をしながら雨宿りをしている。

国家百年の計を語れ。


品格道

2006年11月17日 | 千伝。
「国家の品格」の著者 藤原さんは、武士道に重きをおいて「恥・卑怯な行為」を述べている。

どんな嫌な野郎でも、一人を多勢で攻撃するのは、卑怯という行為であるとの事。

都知事の石原さんは、自分の子供に喧嘩のやり方を教えたことを例にして、今の子供達に「ファイティング精神」の必要性を説く。

国会議員の長男は、少林寺四段だとも自慢していた。

あるお坊さんの話を訊いた。

「自分の子供には、剣道など人を殺せる武道を絶対にさせません」と説いている。

もし、人に殺されそうな事件に遭遇した場合には、「許してくれ。助けてくれ」と叫べ、と教えたと言う。

さらに「南無阿弥陀仏」でも「南無妙法蓮華経」でも何でもいいから題目を唱えろ、と教えたとのこと。これこそ、「慈悲」と「覚悟」の「悟り」であり「心の救い」だと言う。

これでは、臆病者の謗りを免れない「恥」では?という小生の問いに、それは、煩悩だと答えられる。

人に殺されても構わない「泣きながらの覚悟」を持って生きる人間は・・

弱いのでしょうか? それとも強いのでしょうか?

その反面、「葉隠」という武士道もあるが、武士道とは「潔い死に方」でもある。

仏道とは、「潔い生き方」だという。

人間というものは、涅槃という極楽世界まで創り出す代わりに、同種の人間をいとも簡単に殺せる。

拷問という苦痛を考えたのも人間である。

地獄の底まで掘り出す生き物である。

他の動物は、空腹時に多種の生き物を食う為には殺生をするが、満腹時には無用な殺生をしない。

同種内での喧嘩争いはあるが、決して殺生をすることはない。

空腹時でも満腹時でも、同種の仲間を殺生できるのは、人間という生き物です。

孤高な人間というのは、戦いを好みません。

古代から、度胸とか勇気とかの鼓舞という形で、罵(ののし)る人間、誹(そし)る人間が、概ね人の上に立ちます。

彼らは、いつものように精神的にも常時戦闘態勢で自分の存在エリアの拡大に努めます。

人間の業としての、それこそが競争社会です。

「幸せごっこ」という競争・戦争があれば、是非参加してみたいものです。

品格のない時間になりました。


小説道

2006年11月16日 | 千伝。
某自治体と海外のエージェントに仕事上のメールを出した。

それにしても先日の肉体労働のせいか、背中、腰、体中筋肉痛。

先日、「信長の棺」「秀吉の枷」を読破したこともあり、少しその著者に興味を覚えていたら、その著者 加藤廣さんの講演会があったので出席してきた。

ほとんど自伝のような講演会でしたが、ユニークだった。

現在76歳。昭和5年生まれ。

東京の没落富豪の出。昭和29年3月東京大学法学部卒。

学生時代は、文学部に通い続け、小説家になるのが夢だったとか・・。

中小金融公庫に就職。当時東大文学部のアメリカ教授が、がっかりしていたとのこと。

「金融は男子一生の仕事ではない」と教わったとのこと。

ユダヤ人が行う卑しい稼業という考え方があったようです。

実際、1980年代まで、証券会社は別として、アメリカの銀行は、州単位のローカルビジネスだったとのこと。

アメリカ全土のナショナルビジネスになって、いまやグローバルビジネスになったとのこと。

本人の加藤さんは、同じ東大出の官僚エリートや自分の仕事でもある金融ビジネスに、ずっとコンプレックスがあって、辞めたくて仕方がなかったとの事。

歴史文学が好きで、転勤先で歴史跡をよく歩いたとの事。

ずっと作家になりたかったようです。

昭和58年、51歳で退職。山一證券に入り倒産まで籍を置く。

平成7年、自分で(株)加藤企画を設立して、今に至る。

平成16年デビュー。

それまで文章修行を含めて、かなりの準備をしたとの事。

日経新聞社へ作品を持ち込み、最初は4000部からスタート。

去年の夏、小泉前首相が、「信長の棺」を読んで面白いと言ったと・・朝日新聞が報道して一気に売り上げが増えたそうです。

次回作は、明智光秀を書き上げるとのこと(あちらこちらから申し込みが殺到して、既にテレビ化も出版社も決まっているとのこと)。

徳川家康は、嫌いだから書かないとのこと。

勝海舟もどうしようもない人間で、美化して書いた作家を許せない・・と憤る。

毎朝3時に起きて、書いているそうです。

1年1冊を出版目標。少なくともあと十年は書くという目標・信念、気魄です。

司馬遼太郎が、文庫本を含めて、トータル1200万部を売ったそうです。

それが、これからの目標。

加藤さん、木刀を毎日200回振り回すとのこと。その最中に宮本武蔵が現れ、何故、巌流島で佐々木小次郎と木刀で勝負したのか・・最近、理解できたとのこと・・(笑)。

皆さんが驚くような江戸の歴史小説を書くつもりだと言っていました。

加藤廣さん、遅咲きの76歳・・天狗になったような野心家・作家です。

加藤さんのお話する逸話は、まだまだ尽きませんが・・素晴らしい煩悩だと思いました。(笑)

次回作が楽しみです。

これから本屋さんと図書館へ出かけます。

若い時分に欧米の哲学や思想に向けた目を、少しだけ東洋思想に目を向けて「真っ白なアイデンティティ」を見つめていたならば・・

もっと早く白洲正子さんや白川静さんの著書に出会えたかもしれない・・。

人生の先輩でもあり、こんな方々が、ちょっと前までの同時代に生きていたというだけで嬉しくなります。

ご生前に是非お目にかかりたい人物でした。

残念で仕方がありません。

念じれば夢も花も咲く・・。

ちょっとだけ、そんな気持ちで、もっと先のことを考えて、一日を過ごしたいものです。

肉体労働も修行のうちなり・・心よりも体が痛い。(笑)

お遍路

2006年11月13日 | 千伝。
NHKの土曜日ドラマで「ウォーカーズ ~迷える大人たち~」という番組が始まりました。

四国八十八ヶ所を巡る「歩き遍路」のストーリーですが・・

それにしても事実は、ドラマよりも奇なりです。

実際、何十年も四国をグルグルと数百周もしながら、托鉢しつつ生きている「お遍路さん」がいるのにもびっくりです。

また、行けない人の代わりにビジネスの代行業者がいるというのもびっくりです。

商売上手な寺院もいっぱいあると聞きます。(笑)

昔、故郷から四国の山並みを遠く眺めていました。

あの空の下に、弘法大師(空海)の世界は、今も息づいています。

日本には、郵便局2万4千。コンビニ4万。寺院数8万弱。

この他神社も同数の8万社。

つまり、あわせて16万の神社仏閣があるそうです。

そして、神社仏閣の方が、コンビニよりも経営が安定しているという事実もあります。

この世の思想体系には観念論とか唯物論とか弁証法とか・・いろいろとあります。

哲学、宗教というのも、まさに人間の「心の煩悩」と「心の救い」を橋渡しとする手段かもしれません。

ロンドンの北部にある墓地には、資本論を著したマルクスのお墓があります。

マルクスの巨大な頭部の像があって、その周りを幾重の観光客が取り囲んでいました。(ソ連が崩壊する以前ですから、今はどうなっているのやら・・)

当時の共産圏の人々にとっては、レーニンやらマルクスは、新しい神のような存在だったのかもしれません。

ただ歴史が証明しているように、唯物論的な人間(思想家・政治家)というものは、拷問とか迫害に遭うと案外簡単に転向してしまいます。

逆に、観念論的な人間(宗教)は、ひどい拷問に遭おうとも、なかなか「信じる」ことをあきらめません。宗教の神聖さでもあり、また不可解な部分です。

先日のドラマを観ながら、ポルトガルの山深い所にファティマという聖地を訪問した時の事を思い出しました。

マリア様が、この世に降臨したという場所です。

そこで、身体の不自由な方々が、這い蹲ってぐるぐると腕と肘を使って前に進んでいる光景が目に浮かんできました。

「生きる」という一心の祈りでしょう。

「生きる」という意味は、「生かされている」という意味なのだと思います。

自分の命や身を挺して、たとえ家族や身内や友人知人を守ることができても・・他人を守ることができますか?

永遠の課題として、神や仏は、その宿題を人間に与えているのかもしれません。

空腹感

2006年11月12日 | 千伝。
先日、夜回り先生の水谷修さんの講演会に出席した。

彼の著書を読むまでは、ぼくよりもずっと年長の方だと思っていたが、同い齢である。

東京での学生時代、どこかで擦れ違ったこともあるんだろうなぁ・・と思いながら彼の話を聴いていた。

もし、ぼくが職業に高校教師を選んでいたとしても、水谷さんのような生き方は、到底出来なかっただろうと思う。

それほど子供達の心の闇からのメッセージを真摯に伝える人物に映った。

こういう人物は、ちょっといない。

中学生の自殺。いじめによる自殺。自殺という予告メッセージ・・。

連鎖しているようだが、我らが幼い頃は、日光の華厳の滝に飛び込んだ東大生の藤村操?とかいう人物が18歳で「人生不可解」とかいう遺書を残して自殺したイメージが強く残っている。

その後、年々自殺者は低年齢化してきた。不可解からイジメである。

人生には、不可解もイジメや苦労はつきものである。

昔の子供は、いつもお腹がすいていたので、少々の不可解やイジメや嫌な事があっても、お腹が満腹になれば忘れるような所があったような気がする。

つまり、今の子等は常に食欲は満たされているので、逆に動物園のライオンのように、狩をしなくても喰えるが、何のために生きているのか分からないという閉塞感にさいなまれていると思う。

ライオンは、狩と子育てが生涯のはずである。

雅子妃の病も同様であって、狩を奪われると人間は消沈する。

一日一回の空腹感が、大切かもしれません。

心眼

2006年11月09日 | 千伝。
仏像に最期に眼を入れるらしいが、これによって物にもこころが入るのだと思う。

目はこころの窓というが、相手の目を見て話すのは、こころとの対話を心掛ける姿勢をいうのかも知れない。

相手の目を見れないのは、やましいこころが自分にあるからであって、極端に言えば、喧嘩した場合には相手を見る目つきも違ってくるし、睨んだり、顔を見るのも嫌になったりする。

この顔もみたくない人が増えれば増えるほど、不幸であり、多くの目と目を合わせて語れる人を多く持っている人が、幸福のようである。

般若心経

2006年11月08日 | 千伝。
般若心経は、宇宙の一元性を説いている。

柳沢桂子さんの「生きる智慧」等の著書で書かれているが、原子より小さいものは、今のところ無いが、原子という超微粒子の単位でものを考えると、男女、善悪、高低、寒暖などの二元論も一元論の範疇の事になる。
 
一毛は大海を飲むという考案も、無限大の闇もたった一筋の光に飲まれるという世界観に収まる。

やはり光の世界であるから、自分を研き、腕を磨き、鬼神の如く仏に向かって突っ走るのが、この世での仕事かも知れない。 

仏になるまで仕事の鬼になろう。

老満(ローマン)党

2006年11月07日 | 千伝。
最近、顧客のいろんな人とも話すが、生活が豊かになったという人はいない。

お年寄りが粗末に扱われ、庶民が国家から巻き上げられる時代。

本当の野党がいないから、自民党に好き勝手にやられるサンドバック状態を作っている。

アメリカ型の政治様式にするなら、選挙民も一票を生かす方法を取らねば取り残される。

無から有をなした時、人生は面白いと思うはずである。

いわゆる化ける変化が、人を感動させる。

変化の無いことは感動も無いことにつながる。

世の中、何とかしてもらいたいお年寄りが、溢れています。

1枚の写真

2006年11月01日 | 千伝。
今日は、映画鑑賞。

硫黄島・・1枚の写真。

たった1枚の写真から、英雄に祭り上げられた兵士。

たった1枚の写真から、勝利を呼び起こすイメージ。

国家、戦争、殺し合い、個人の生き方そのものが・・

イメージによって翻弄されてしまう。

現実と理想との間にはためく「父親たちの星条旗」という映画は、

とてもいい映画でした。