百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

恐竜と不死鳥

2012年06月28日 | 千伝。
午前中、県庁で用事を済ませたあと、ロビーで寛いでいました。



午後、福井ハーモニーホール敷地内にあるリストランテ萬那に移動。



今日のランチは、福井の新名物メニュー、ボルガライスセットを注文しました。



オムライスの上に、トンカツを乗せています。

美味しかったです。

食育発祥王国でもある福井県・・県を挙げて、ボルガライスを全国区での知名度アップの浸透を図っています。

空弁で大ヒットした焼き鯖寿司の二の次を狙っています。

食後のプチデザートも美味でした。



がんばらないと・・。



64年昔の昭和23年(1948)の今日、福井地方、大きな地震に襲われました。

家屋崩壊35000棟以上、死者3700人以上という悲惨な状況に陥りました。

その3年前、福井空襲によって、福井市街地の8割が消滅、1500人以上が犠牲になっています。

やっと、復興を果たしかけた矢先の福井大震災でした。

以来、福井市民憲章は、フェニックス(不死鳥)の象徴を掲げています。

合掌。

福井県被爆者団体協議会から、高齢のため会員減少の実情と現状をお聞きしました。

二世の方への世代交代と、参加を要望されました。

ここ数年間は、まだ忙しいので・・と丁重にお断りをさせて頂きました。

人間は、がんばらなければいけない時と機会があるようです。

感謝。


やぁ!

2012年06月28日 | 百伝。
百島の方言で、「やぁ」という独特な言いまわしをする言葉があります。

さきほど、中部地方向けのNHK名古屋が制作中のテレビドラマ「ヤアになる日」(九月放送予定)という番組宣伝をしていました。

舞台は、三重県鳥羽市沖の「答志島」です。

答志島の方言で、「やぁ」というのは、「お嫁さん」との意味だそうです。

伊予の国、愛媛県では、「やぁ」というのは、「赤ん坊」を意味するらしいです・・「やや」から派生したのでしょう。

古語で「やぁ」を調べてみると、「そなた」という意味があります。

同輩・目下の者に対して、使う言葉でもあります。

百島では、目上の敬語になると、「やぁ」が、「おまぁ=御前」に変化します。

古語は、百島の方言「やぁ!」に残っていました。

Ya、Yeah(yes)、Yha・・世界中で、いちばん使われている言葉が、「やぁ!」なのかもしれません。

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未経験者でも参加可能です。
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世界の非常に美しいコンサート・ホール

2012年06月27日 | 千伝。

新聞コラムを読んでいると、インターネットのかなりユニークなニュースサイト(DNA=Daily News Agency)のアートとデザイン部門において、「いつかは、ここで生演奏を聞いてみたい世界の非常に美しいコンサート・ホール25選」という記事を見つけました。

「世界の非常に美しいコンサート・ホール25選」のひとつに、福井県立音楽堂(福井ハーモニーホール)が選ばれたのです。

それも、日本国内から唯一つだけでした。

カーネギー・ホール(米国)、ロイヤル・アルバート・ホール(英国)、オペラハウス(豪国)、ボリショイ劇場(ロシア)といった世界の名だたるホールと地方の福井ハーモニーホールが、肩を並べたのです。

ソース:25 Incredible Concert Halls Around the World

1. ウォルト・ディズニー・コンサートホール (アメリカ・ロサンゼルス)
2. 中国国家大劇院 (中国・北京)
3. オスロ・オペラハウス (ノルウェー)
4. ロイヤル・アルバート・ホール (イギリス・ロンドン)
5. DRコンサートホール (デンマーク・コペンハーゲン)
6. アウディトリオ・デ・テネリフェ (スペイン・カナリア諸島)
7. 国立中正文化中心 (台湾・台北)
8. ルドルフィヌム (チェコ・プラハ)
9. カサ・ダ・ムジカ (ポルトガル・ポルト)
10. カーネギー・ホール (アメリカ、ニューヨーク)
11. ベジャス・アルテス宮殿 (メキシコ・メキシコシティ)
12. オペラハウス・ドルトムント (ドイツ・ドルトムント)
13. アゼルバイジャン国立オペラ・バレエ劇場 (アゼルバイジャン・バクー)
14. セージ・ゲーツヘッド (イギリス)
15. ボリショイ劇場 (ロシア・モスクワ)
16. ハルパ・コンサートホール (アイスランド・レイキャビク)
17. アーツ・センター・メルボルン (オーストラリア、メルボルン)
18. ザ・エッグ (アメリカ・ニューヨーク)
19. ベルリン・コンツェルトハウス (ドイツ・ベルリン)
20. Cidade da Música (ブラジル・リオデジャネイロ)
21. 福井県立音楽堂 (日本)
22. ロイ・トムソン・ホール (カナダ・トロント)
23. シドニー・オペラハウス (オーストラリア、シドニー)
24. エスプラネード・シアターズ・オン・ザ・ベイ (シンガポール)
25. ロイヤル・オペラハウス・マスカット (オマーン、マスカット)

地元、福井県立音楽堂(福井ハーモニーホール)です。



この界隈を、よく散策する我が身にとって、嬉しい限りです。

福井は、曹洞宗の大本山永平寺だけではありません。

福井県恐竜博物館もあります。

こういう知名度向上の原動力は、地元ブロガーの発信力が、モノを言う時代です。

そして、どこかで取り上げられると、またひとつ、またひとつ・・箔がつくというものです。

何かのヒントになるかと思います。


言葉は心。

2012年06月27日 | 千伝。
今日の新聞コラムから:

一つの言葉で喧嘩して

一つの言葉で仲直り

一つの言葉で頭がさがり

一つの言葉で笑いあい

一つの言葉で泣かされる。

東京・柴又の「寅(とら)さん記念館」にある「言葉は心」という詩だそうです。

百島 御弓神事(百手祭)

2012年06月27日 | 百伝。
百島ネットワーク代表のキャプテン漆原さんが、ユ・チューブに投稿していました。

http://www.youtube.com/watch?v=1DFSjVCnB-c&feature=related

昨日、はじめて観させていただきました。

鮮明に美しい8分26秒間の映像です。

百島の記録映像として、永らく残る逸品です。

ありがとうございます。

この御弓神事・・九州や四国の他の地域によっては、「百手祭」という呼び名で奉るようです。

百手祭の起源は、百島なのかもしれません。

百島 御弓神事のあとに百手祭とすれば、知名度も広がると思います。

とすれば、このルーツを探るのも、百手祭リンク作りも面白いかもしれません。

ひとり

2012年06月26日 | 千伝。
もう30年以上昔、18歳の頃、中島みゆきさんの東京国際歌謡賞?でグランプリ受賞の出世作「時代」を初めて聴いた時、この人は凄い!・・と思ったものでした。

必ず、成功するだろうという予感のような確信がありました。

やっぱり・・中島みゆきさんは、成功しました。

もうひとり、中島みゆきさんと似ているような女性シンガーソングライターが現れました。

・・20年ほど昔です。

「この人は凄い!」・・あの歌を聴いた時の記憶があります。

が、残念乍、その後、この方の活躍は、目覚ましいものではなく、歌手名も歌詞名も記憶の彼方に忘れていました。

先日、東京に行った折、偶然、その方の「あの歌」を聴くことができました。

20年ぶりに・・聴いた歌です。

また、忘れてしまいそうなので、書き残して置きます。

ユチューブで聴くことも出来ました。

http://www.youtube.com/watch?v=3oFxhOktIgc&feature=related

独り・・笑いこけて、雨にぬれて、その後のヒットを見逃したのかな?

でも、よい歌です。

篠原美也子さん 歌・作詞・作曲 「♪ひとり」という歌です。

何をしても誰かに似ているようでなぜか不安で
どこへ行ってもうまく話せない気がしてすこし恐くて
人込みをさけて歩けばどこか淋しい
ないものねだりの恋 いつもくり返す

汗をかいたドアに押し付けられて今日が始まる
寝不足のまぶたに生まれたての朝はまぶしすぎる
反戦集会が一瞬 景色をよぎる
ターミナルまではあと5分 息がくるしい

たわいのない言葉に笑い転げてはそっと溜め息
巧みに隠された皮肉をよけながら時を過ごして
誰もみんなこんな風に生きているんだし
辛く思えるのはまだ甘えているからね

面倒な時には笑顔を浮かべて頷けばいい
疲れてるせいにしてはぐらかせるならそれも素敵ね
忘れることが出来なくちゃ生きてゆけない
胸にしまいこんだ夢がすこしざわめいた

肩をぬらして雨は続く
雲は厚く空は見えず
どうにもならないことばかり見える
雨は降り続く そして朝は来る

白い杖をけとばし改札へ向かう人の流れを
動き出した電車の窓から見ていた週末の夜
気にしていたらきりがない辛くなるだけ
それでも振り返る窓に映る私は誰

この世の中でひとり自分だけが間違いに思えて
傷つかない為に傷つける自分がとても嫌いで
道を聞こうとすれば声がかすれる
見上げる夜空は青 海に似ている

肩をぬらして雨は続く
ひとりずつの夜をたたく
どうにもならないことで泣きたくはない
雨は降り続く そして朝が来る

何をしても誰かが笑ってるようでなぜか不安で
言葉たちはいつかあやふやを愛して背中を向ける
忘れたくないことよりも忘れたいことが増える
見上げる夜空は青 海になりたい

肩をぬらして雨は続く
髪はふかずに傘もささずに
どうにもならないことを抱きしめる
雨は降り続く けれど朝は来る

肩をぬらして雨は続く
雲は厚く空は見えず
どうにもならないことで泣きたくはない
雨は降り続く
けれど朝は来る けれど朝は来る

雨は続く――

ありがとう。静岡県。

2012年06月25日 | 千伝。
私用で、週末に、東京まで行って参りました。

息子も「東京に行きたい」と言うので、息子の車で、行くことにしました。

免許取り立ての息子が、ほとんど運転をする東京までの往復ドライブでした。

福井から東京へは、新潟県周り、岐阜県横断・長野経由、名神から中央高速、東名高速といろいろありますが、今回は、走りやすい新東名を選択しました。

それにしても、新東名は、走りやすいです。

沼津のサービスエリアは、上りも下りも素晴らしいです。

リゾート地のホテルかのようでした。



東京手前の港北PAで、少し休息して、首都高速に入りました。

六本木ヒルズが見えてきます。



助手席から眺める首都高からの東京風景は、この30年間ずっと世界でも例のない未来都市に映ります。

息子も初めての高速、首都高での長距離ドライブなのに・・疲れもみせず興奮気味でした。



スカイツリーの界隈は、朝から不思議な光景でした。

どこから来たのか散歩者、ジョギング者、自転車での観光客が、スカイツリーの写真をパチパチと撮っていました。

東は、江戸川、隅田川・・西は、多摩川まで、東京のあちらこちらで、ウォーカー、ランナー、サイクリストでいっぱいでした。

蒸し暑く、空気が悪くても、多勢の皆さんが、健康のためにがんばっていました。

東京での私事の用事も無事に終えました。



運転を息子にまかせて、さぁ、帰福です。

話も飛ばします。

さて、本題の静岡県に入りました。

東名から新東名に入る直前の御殿場の付近でした。

助手席で居眠りをしていた僕は、後ろから、突然サイレンがけたたましく鳴り響いて、びっくりです。

振り向けば、静岡県警の高速隊のパトカーが現れていました。

運転していた息子のスピード違反でした。

路側帯で止まるように指示されました。

息子と警察官の話では、制限時速80KMの規制距離の追い越し車線をスピードオーバーをして、ずっと走っていたとのこと。

減点と罰金の反則切符を切られてしまいました。

禍ではなく、大きな福だと考えるようにしています。

免許取り立ての息子には、いい教訓と経験になったのかもしれません。

大きな事故に遭遇するのを未然に防いでくれた、目に見えぬ力だったのかもしれません。

とにもかくも、一時停止を指示してくれた静岡県警に感謝します。

そのあとは、僕が運転して帰福です。

気分転換の為、下りの沼津サービスエリアに途中に寄りました。



天候がよくなくて、写真では今ひとつよくないですが・・実に、眺望が素晴らしいです。

茶畑越しに沼津の市街地が広がり、その向こうに伊豆半島と駿河湾が一望できます。

沼津は、個人的に思い入れの強い場所なので、気持ちが上向きになれるのです。

しばらくの時間、沼津市街地、駿河湾を眺めながら、禍と福、不運と幸運、繰り返す大津波と凪のような面持ちで今日一日を振りかえっていました。

もう、真っ暗な夜でした。

そこでの休息中の間に・・また困った出来事に遭遇しました。

車のカギを落としてしまったのです。

荷物もスペアも車の中・・。

息子が使うキーケースをそのまま落としたものですから、さぁ大変です。

あちらこちら探しても、どこにもありません。

JAFを呼ぼうかと決断した時に、「あった!」と息子が走ってきました。

サービスコーナーのカウンターの上に、どなたかが置いてくれていたそうです。

あきらめかけた途端、朗報の福となりました。

どなたか存じませんが、この場を借りてお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

静岡県に感謝です。

嬉しくなって、静岡、浜松のサービスエリアにも途中に立ち寄って帰福しました。

ありがとう。静岡県。

夏至の日

2012年06月22日 | 千伝。
ブライトンからサザンプトン、そして、ソルズべーリーの街に入り、そこそこに観光案内を終えて、目的地のストーンヘンジを目指しました。

それから、時計周りで、バース、オックスフォード、ウィンザー、ロンドン経由でブライトンまで戻る自転車でのサイクリングの旅でした。

ストーンヘンジは、巨石円形遺跡(ストーンサークル)として、今尚、謎が残る英国の世界遺産です。

今から5000年ほど昔、古代人が何かの目的で太陽の光を崇めたのでしょう。

夏至というのは、あそらく暦という概念の無かった古代の時代に発見した最も日の長い特別な一日・・新年の始まりのような特別な日だったのに違いありません。

ペダルを漕ぎながら・・そんな事、あんな事、アレコレ考えていたのを思い出します。

子供の頃、百島の我が家では、兄が、鳩を飼っていました。

多い時には、三十羽ぐらいの鳩を飼っていました。

時々、その何羽かの鳩を、船乗りだった父に頼んでは、九州や関西まで連れて行ってもらい、そこから放してもらうのでした。

帰巣本能というのは、謎に満ちた物凄いエネルギーだと感じました。

鳩は、我が家のある百島まで、まっしぐらに飛んで帰ってきたのに違いありません。

恐怖感も疲労感もあったのでしょう。

羽根はボロボロで、やつれ切ったように、我が家の屋根に戻ってきた鳩の姿を、子供心に鮮明に憶えています。

感動的でもありました。

でも、いまだに、どうやって戻って来れるのかも不思議でなりません。

赤道直下の南方から、生まれ故郷の日本の民家まで舞い戻ってくるツバメもしかりです。

稚魚のまま川を下り、海で成長したサケが故郷での産卵のために川を上る母川回帰という神秘的な不思議さもしかりです。

鳥や魚は、人間の能力よりも遥かに優れたGPSのような・・地磁気や太陽の位置から判断できるコンパス能力を備えているのかもしれません。

百島の実家では、池で鯉を飼っていましたが、鯉もそうです。

足音のリズムで、判断していたのでしょうか・・?

家族以外の方がいると、とても静かにしていますが、家族の誰かが帰ってくると、餌を与える時間でもないのに、はしゃぐように泳いで集まってきます。

我が家の飼っていた犬もそうでした。

嗅覚の能力ではありません。

土佐犬と秋田犬とのハーフの合いの子で、犬小屋を引っ張るぐらいに大きくなりましたが、家族の者が帰る5分ぐらい前になると吠えていました。

つまり、泊道の峠を越えるまえに飼い主の誰かが、こちらに向かってくるのが事前に判断できる能力があったのです。

摩訶不思議な能力は、人間にも備わっています。

息子が幼い頃・・買い物中に迷い子になっても、目を閉じて集中して、大抵ピンと来た方向に進めば見つけることが出来ました。

余談になりましたが・・

ストーンヘンジは、古代の人類が備えていた帰巣能力を具現化した巨石円形遺跡では?と想像しています。

人類は、どこから来たのか? どこへ帰るのか?

自転車のペダルを一所懸命に漕いで、夏至のストーンヘンジを目指していた頃、英国のBBCではなく、米国のCNNへの取材投稿活動中でした。

不採用ばかりという結果となりましたが、楽しかった時代です。

あの当時、携帯やらスマホがあれば、人生も大きく変わっていたのかもしれません。

家内が、アメリカから帰国しました。

手土産に渡されたのは、・・ナント、CNNのKey-Holderでした。



夏至の日に想うこと・・。

思いは、物質です。

だから、伝わるのかもしれません。

感謝。

離島振興法改正

2012年06月21日 | 百伝。
昨日、改正離島振興法が、参院本会議で可決、成立しました。

インターネットを通して、尾道市作成の尾道~常石航路改善計画(37ページ)を読ませていただきました。

詳細は、http://www.city.onomichi.hiroshima.jp/open_imgs/info/0000010127

百島の最盛期から衰退期が、判り易く説明されています。

それに伴う備後商船に関する改善案です。

目次:
1.計画策定の概要 ·················································1
1.1 計画策定の背景・目的 ······································1
1.2 計画策定フロー ············································2
2.百島及び航路の現状 ·············································3
2.1 百島の現状 ················································3
2.2 航路の現状 ················································9
3.将来利用者数予測 ··············································18
5.1 将来人口 ·················································18
5.2 将来利用者数 ·············································21
4.航路の課題と改善方針 ··········································25
4.1 航路の課題 ···············································25
4.2 航路改善の理念・基本方針 ·································26
5.航路改善計画 ··················································27
5.1 新船建造による安全・安心な航路の維持 ·····················27
5.2 経費削減によるさらなる効率化 ·····························32
5.3 利便性の向上・地域活性化による利用促進 ···················33
6.実施計画 ······················································36
6.1 実施スケジュール ·········································36
6.2 航路改善に向けた推進体制づくり ···························37


百島の将来人口を推計した結果、18年後の2030(平成42)年には315人となり、現在の約半数程度になると予測されています。

それから、2035年には、百島の人口は、300人弱になっています。

強度な精神力、強烈な個性がないと、暮らしにくい百島での過疎生活となります。

もっと早い段階で、百島の人口は、100人を割るのかもしれません。

そうなれば、百島での生活を楽しむ術のある人生の達人か、経済的にゆとりのある方、サバイバル愛好者以外は、非常に生活困難が伴います。

さもなければ、「百島の暮らし」から、一気に逃げ出すように、無人島に近い状況に陥るかもしれません。

但し、百島に、人が暮らす限り、住民の足でもある「船」航路という交通手段は、政府自治体が法律上必ず確保します。

社会福祉上、市民生活の人権も絡んできますので、税金の無駄、赤字になろうが、大丈夫です。

日本政府は、離島での生活者を守り、保障しなければなりません。

日本における生活保護者210万人以上に対する予算3兆円にも及ぶ歳出を考えると、離島振興法に基づく、百島への歳出は微々たるものです。

都市部で暮らす生活保護者の生活よりも、税を納める離島での納税生活者の暮らし向きの心配の方が大きい・・というのは社会の矛盾ではないでしょうか?

産経新聞より:
改正離島振興法とは、島外への妊婦の通院や高校生の通学などを支援する「離島活性化交付金」の創設が柱。平成25年3月までの同法の期限を、10年間延長する。改正法は、国の責務として無人島の増加や人口減少を防ぎ、定住を促進する施策を積極的に進めることを明記。税制優遇や規制緩和を行う「離島特区制度」の創設も盛り込んだ。さらに付帯決議で、離島航路の維持に必要な支援や、災害時の孤立を防止するヘリポート整備なども政府に求めた。

さて、生活手段としての船という交通機関は、運賃も高く、不便そのものです。

何かの催し物、パラダイス、故郷へ向かうという理由づけがあれば、船通いは、情緒感がたっぷりです。

観客という人々を惹きつけるのは、やはりエンターテイナーという楽観的な開拓者のような人物が必要です。

例えば、広島県出身のミュージシャンの矢沢永吉さん、吉田拓郎さん、西城秀樹さん、世良公則さんを招くとか・・。

他に、どなたか百島で別荘を持たないかな?

自由に空き家を使って、コンサートでも、合宿でもしてくださいとか・・。

百年後の未来には、水陸兼用の大衆自動車、もしくは空飛ぶ自動車が現れる時代になっているかもしれません。

それまで・・待てません。

ここに集う多くの方々の皆さんも・・きっと生きていないでしょう。

大いなる遺産

2012年06月20日 | 百伝。
ディケンズの代表的な名作「大いなる遺産」とは、かなり異なる物語です。

知人の一人に、使い切れぬぐらいの遺産と財産があると豪語する方がいます。

たしかに、億万長者のように、よく遊び、各地へ飛び廻っている方です。

こういう億万長者の方の思考論理は、「贅沢は敵」ではなく「贅沢は素敵」なのかもしれません。

それでも、この方を羨ましいとも思わないし、ジェラシーも感じません。

この方は、自分の人生の整理整頓が出来ないからです。

僕にも、使い切れないぐらいの遺産と財産があれば、残りの人生を、どうしようかな?

・・と思い巡らせる事もあります。

これは、小生のささやかな夢です。

百島から・・全国、海外に向けて「元気になる言葉」を懸賞付きで募集します。

そのための・・NPO法人を立ち上げます。

そして、応募作または佳作入選作以上全部を「元気になる言葉と応募者名を刻んだ石碑」として建てるのです。

大好きな百島よ・・ありがとう。

そんな気持ちで・・審査員は、百島を想う・・百島大好きな関係者にお願いして頼みます。

百島のあちらこちらに、数え切れないぐらいの石碑を建てて、その傍に、応募者の希望と重なる花木を植えてみたいです。

さらに、大賞となるグランプリ作品の石碑は、十文字山の頂上に建てます。

この夢(アイデア)・・他の地域の町興し、他の島興しとのアイデア競争に先を越されぬようにと、胸の内に密かに温めていました。

ですが、生涯において、使い切れないぐらいの遺産と財産を所有できそうもありません。

今日は、こうして、書き遺しておきます。

小生のささやかな夢が、歳月を超えて、いつの日か・・from/for Momoshima の「大いなる遺産」となれば、嬉しいものです。

酔い心地

2012年06月19日 | 百伝。
自分に酔うことは、大切です。

自分に酔えないと、生きるうえで前向きにならない場合もあります。

しかし、酔い潰れてしまうと大変です。

子供の頃、百島には、酔っ払いのオッサン達が、沢山居ました。

その中でも、一番印象に残っているのは、父の兄でもある叔父です。

父も、子供の頃から、兄の放蕩的な性格に相当苦労したようです。

叔父は、しかも酒呑みでした。

船長をしていた貨物船を停泊させて、百島で潮待ち?

その間、酒を飲むと、動かないのです。

貨物船の出航時刻になっても、「まだ、いい」と言いながら呑んでいるものですから、乗組員の方は、たまったものではありません。

この叔父さん・・魚が食べたいと思うと、わざわざ貨物船をUターンして、漁船を追いかけて、魚を求めていたようです。

港々で、服を着替えて、いろんな職種の人間に成り変ったようですから、相当、船か、もしくは人生に酔っていたのでしょう。

ここでは、書き込めないような叔父のトラブルやエピソードは、まだまだ沢山あります。

安全管理が厳しくなった今の時代では、到底考えられない就業内容、人生行路です。

それでも、この叔父であるオッサンには、教えられることが多かったです。

酔い潰れたような生きる不真面目さから、子供心に何かを学んだのは間違いないのです。

酒にだらしない・・酒に呑まれる・・「酒」にまつわる言い回しは、沢山あります。

そんな大人の醜態から、「僕でも大人になれる・・大丈夫だ」という元気を貰ったのかもしれません。

ただ、叔父の名誉のために付け加えて置きたいのですが、戦後、叔父は、百島とりわけ泊地区の漁師という生業(なりわい)から海運業の船員としての職業に導き、百島の雇用促進を大きく切り拓いた先駆者でした。

これは、誰も出来る者ではありません。

平均収入が増えて、百島の生活レベルが豊かになったのは間違いないのです。

父も、その事には感心していました。

ただ、酒に関しては、反面教師として観ていたのか・・父は、酒を嗜むことはありませんでした。

僕もドクターストップをかけられてもいますが、兄たちとは違い、父同様に酒を嗜むことはありません。

親子兄弟でも、いろいろです。

若い頃、一気飲みで意識欠如となり、嫌な思いをしたこともあり、体質的にアルコール・アレルギーかもしれません。

もう一人、身内で大酒飲みといえば、義父でした。

はじめて会った時は、全く分りませんでしたが、ある日、焼酎の中に大きなマムシを入れたガラス瓶から、独りグラスに汲み飲んでいる時には驚きました。

それでも、酒に呑まれた義父を、一度も観たことはありませんでした。

真面目で、人望も篤く、人脈も広く・・年賀状も毎年500枚程度、一枚一枚手書きで書いていました。

義父の葬儀の日、「あなたのお義父さんに助けられて、今こうしておられるんです」と何人もの方に言われました。

義父の酒に対する接し方で教わったのは「酒を水として扱っているような酔い方」でした。

独り飲むときは「酒」、相手と飲むときは「水」だったのでしょう。

父も義父も、酒の怖さを嫌というほど知っていたのかもしれません。

酒の力を借りて、自分を酔い心地気分に追いこむ人は、ほどほどにです。

義父には、広島三原の「酔心」を、いつも贈っていました。

最期まで「酔心」を飲み続けた義父でした。

安全神話

2012年06月18日 | 千伝。
父の日の日曜日、福井市街地は、全国から集まった脱原発グループの方々の「大飯原発再稼動」に抗議したデモ隊行進が行われていました。

子供の日から、全国50基の原発停止・・。

野田首相が、「福井県の決断に深く感謝します」と政府の最終決断による再稼動がなされました。

その後、脱原発を主張する自治体首長グループの反対声明やら大手メディアの批判論評も一斉に出てきました。

愛読しているローカルのメディアさえも、反原発、福井批判の論評がありました。

政府と福井県の談合だとか、西川知事への個人批判もあります。

いちいち、個々のメディア名を挙げて、言いたくもないですが・・昨年の3.11の大震災による福島第一原発の事故を境に、原発への「安全神話」も崩壊したとメディアは、伝えます。

実際、3.11以前から、原発への「安全神話」はありえない・・と訴え続けていたのは、福井県なのです。

世界でも類稀な原発密集地、福井県は、これまでに様々なトラブルに見舞われています。

この40年間・・低レベルの放射線漏れ事故から・・
敦賀第1原発の放射性廃液漏れ。
美浜第2原発の細管破断事故。
高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故。
美浜第3原発の蒸気噴出事故。
・・等々、死傷者も多く出ています。

しかも、電力事業者の「事故隠し」もありました。

その事故の報告先は、福井県ではなく、国でした。

福井県側が知る事故内容は、「東京経由」だという過去の経緯があるのです。

この40年間、国策として原子力エネルギーを推進した国と電力事業者に対して、迷惑がられるほど福井県は、追及してきました。

孤軍奮闘・・情報開示と安全対策強化を求め続けてきたのです。

その間、大消費地である関西圏は、何をしていたのか?・・というのが福井県関係者の正直な感想だと思います。

福井県若狭地方から電力を送られているのも知らなかったのかもしれません。

(因みに、国家の安泰と万民の豊楽を祈る法要でもある奈良県東大寺二月堂の若狭井からの「お水取り」・・今尚、若狭の神宮寺から「お水送り」として延々と東大寺二月堂の若狭井へ送り続けているです。)

福井県に「安全神話」は、ありません。

何とか「安全」を送っているという安全の物語しかないのです。

もう40年以上昔、福井県で初めての原発建設にあたり、その建設資材を運んだ第一船となる船長は、私の父でした。

父からの話を、子供心に憶えています。

父は、背広を用意して、地元の歓迎レセプッションがあり、花束も贈られています。

日本のバラ色のような未来の原子力社会に寄与している当時の風景が、目に浮かびます。

語り続けられるべき・・我が家の誉れとなる出来事でしたが・・。

世につれ、人につれ・・世相は、変わります。

さて、深夜のラジオで、ドイツが決断する「脱原子力社会」について、経済評論家が述べていました。

ドイツの企業に一時在籍した経験からしても、ドイツ人というのは、非常に合理的な思考をします。

概ね、国史の経験上、危ない橋は、渡りません。

もし、原発が無くても、日本のエネルギーは、ドイツ同様、大丈夫ではないかというのが、個人的な感想です。

地元福井の経済は、どうなるか?

原子力景気で潤うのは、県内の建設業、下請け業、警備業、宿泊施設やら交通関係・・。

福井に原子力産業に直接関わる技術企業はありません。

すべて県外の大手企業です。

逆に、関東茨城県の沖合いで、洋上風力エネルギー施設を作っている福井の企業があります。

七月から始まる「再生可能エネルギーの固定価格買取制度」の説明会も、福井もどこも全国で大賑わいだったそうです。

グリーンエネルギー起業の異業種参入が加速されて、大きな社会現象となるのでしょう。

半世紀も経たないうちに、バラ色となるはずの原子力エネルギーが、物騒なエネルギー扱いに変わりました。

グリーンエネルギー社会に向かう社会がバラ色のような安全神話となるならば、その傾倒も風潮も半ば疑心暗鬼です。

人間や社会には、必ずミスや不都合な結果が伴います。

ミスや危機を予測する疑心暗鬼の安全物語こそが、安全神話になり得るものだと考えます。

三十路分岐点

2012年06月17日 | 千伝。
今日、日本で一番注目を浴びた男二人・・同年齢では?

オウム真理教関連で最後の特別手配容疑者 高橋克也(54)が逮捕されました。

この男、オウム真理教に出家したのは、昭和62年(1987)です。

30歳という人生の岐路に、何かを宗教に求めたのでしょう。

それから、24年・・17年間の逃亡の末、本日、現金436万円を所持してまま遂に逮捕。

終身刑になれば、老後の金は、心配する必要もないでしょう。


もう一方の野田佳彦(55)・・日本国首相。

昭和62年、30歳の分岐点で、毎日毎朝毎夕、千葉県船橋の駅前に立ち「金権千葉の政治風土を変えよう」と訴えて県会議員を目指しました。

30歳という人生の岐路に、何かを政治に求めたのでしょう。

下馬評を覆して、見事、県会議員に当選。

それから、24年・・17年間の国会議員を経て、昨年、日本国内閣総理大臣に就任。

振り返れば、男の三十路は、あとあとの人生の大きな分岐点になるようです。


そして、彼らの人生は、終わりの始まりです。

今日の出来事雑感です。

大きな希望

2012年06月16日 | 千伝。
6歳未満の男児が、日本国内初の脳死と判定されたニュースがありました。

ご家族は、男児の臓器の提供を承諾もされました。

男児のご両親が日本臓器移植ネットワークを通じて発表したコメントです。(原文のまま)。

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 息子は、私たち家族が精いっぱい愛情を注いで育ててきました。

 元気な息子のわんぱくにふり回されながらも、楽しい時間を家族みんなで過ごしてきました。

 本日、息子は私たちのもとから遠くへ飛び立って行きました。

 このことは私たちにとって大変悲しいことではありますが、大きな希望を残してくれました。

 息子が誰かのからだの一部となって、長く生きてくれるのではないかと。

 そして、このようなことを成しとげる息子を誇りに思っています。

 私たちのとった行動が皆様に正しく理解され、息子のことを長く記憶にとどめていただけるなら幸いです。

 そして、どうか皆様、私たち家族が普段通りの生活を送れるよう、そっと見守っていただきたくお願い申し上げます。

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何だか・・涙が、こぼれてきます。

(男児の心臓は、大阪の10歳未満の女児へ。肝臓は、東京の10歳未満の女児へ。腎臓は富山の60歳代の女性に移植される。)

そして、大阪の拡張型心筋症を患う女児への心臓移植手術が、無事成功したとのこと。

通常、海外へ出向いての心臓移植は、1億円から2億円の費用が必要です。

今回、日本国内で初めての幼児からの臓器提供は、きっと移植を待つ重い病気の子供や家族には「大きな希望」につながる出来事でしょう。

臓器提供を決断した男児のご家族に敬意を表します。

小生も、同じく拡張型心筋症を患う身として、心臓が熱くなるような出来事でした。