百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

キュリー夫人 (1867~1934)

2016年07月31日 | 空木宝剣
お大師や 土用の丑の きゅうりかな

用の丑の日は、鰻だけではない。
おんころころ せんだり まとうぎ そわか 薬師如来 
お告げの胡瓜あり。
空海 (774~835)の時代より、病苦や災難を胡瓜に封じ込めて、夏の禍を避ける風習あり。
今世紀、セシウムやテロ、貧困まで封じて欲しい胡瓜かな。



2016年07月31日 | 空木宝剣
板の間や 孫の大の字 夏休み

夏は田舎が良い。
田舎の自然が良い。
樹木を揺らす蝉の声が良い。
浦風渡る浜辺が良い。
海水浴ではしゃぐ子供らが良い。
テラコッタ色に焼けた肌が良い。
それに、火照った体を冷ます、かき氷が涼。


幸福度散策。

2016年07月30日 | 百伝。
大手シンクタンクの日本総合研究所が、2年ぶりに発表した都道府県別の「幸福度ランキング」。

総合1位は、2年前の調査に続いて福井県でした。

総合2位は東京都、3位は富山県とのこと。

幸福度総合1位が日本の首都である東京都ならば、日本の地方は悲しい幸福度の現実を突きつけられたかもしれません。

幸福よりも「お金」が欲しいという日本の現実世相です。

もう随分昔になりますが、自分の通帳名義の氏名・住所変更のため、尾道のある金融機関の方と雑談したことがあります。

家族平均の貯蓄額等々、その時、百島全体での総貯蓄額の話題になりました。

記憶は定かではありませんが、過去からの積み重ねて、驚くべき金額だったような気がします。

学力、体力、就職率、犯罪率、貯蓄額・・こんなのが幸福基準となるのかな?

そんなことを考えながら、昨晩、久しぶりに街中方面を歩きました。





退院後、毎日2時間約10キロを歩くことを自分に課しています。

この頃、歩きながら思うことは、ポケモンGOとの関わり合いです。



歩くのに飽きた頃に、ポケモンGOを使うと、その楽しさ、面白さが存分に発揮されます。

但し・・今のところ完全に、ポケモンGOは、都市居住型ゲームプレイです。

ポケモンは、圧倒的に街中に暮らしているのです。



公園の中では、子供から大人・高齢者まで・・ポケモン探しに夢中になっていました。



60歳以上のシニア大会があるならば・・活躍できるかもしれません。

ビル・ゲイツのような人物が、このポケモンGOに絡んで散財すれば、地球は、もっとよくなるかもしれません。



来月は・・お盆です。

20か月ぶりに、百島に帰省しようと考えています。



広島平和公園やら伊勢神宮等々・・ポケストップ排除、ポケモン殺生禁止要請等々。

・・NIANTIC社に申請?



お墓参り・・お盆のようなモンスターボールの出るポケストップはあるのかな?

ポケモン騒ぎの今年の夏です。

百島散策・・幸福度1位です。

十二年後。

2016年07月26日 | 百伝。
昨日、富士山まで出かけて参りました。

12年に1度、申年の年に富士山頂の鳥居を交換の神事に礼拝。

今回は、山頂まで登らないので、日の出の時刻の早朝5時前、静岡県富士宮市にある富士山本宮浅間大社に参詣。







朝5時頃にお参りする近所の方々の丁寧な礼儀作法に感心しました。



さて、富士山五合目までシャトルバスで到着。



六合目まで歩いて行きました。



六合目ぐらいならば、いつもの軽い散歩・ハイキング気分です。



六合目到着。





残念ながら、あいにくの霧のため、宝永山火口口が見えませんでした。



そうそう、六合目で出会った下山中の祖父とお孫さん。


(写真許可済)

お孫さんが、高山病になって八合目で頂上を断念したようですが、いい顔されています。

滋賀県近江八幡から琵琶湖の水を持参されたとのこと。

今年60回目の親善訪問だそうです。(申年が区切になっている不思議な出会い?)

昔々、神様が、近江の国を掘って、その盛り土で出来上がったのが、日本一高い富士山だそうです。

そして、その日本一大きな穴が、琵琶湖になったそうです。

子供の頃は、淡路島が、琵琶湖を掘った土で出来上がったと思っていました。

毎年、この時季には、滋賀県の近江八幡市から琵琶湖の水を富士山の頂上に捧げるようです。

そして、富士山頂上の水を琵琶湖に注ぐようです。

富士宮市と近江八幡市は、姉妹都市ではなくて、夫婦(めおと)都市を締結しているとのこと。

7月25日・・よい一日でした。





行きは、北陸、名神、東名高速道でした。

新東名が開通して、東名は、とても寂しくなりました。

一年中、とても賑やかだった浜名湖サービスエリアでさえ、閑古鳥が鳴いていました。

帰りは、富士山から、百島周回道路と似ている本栖湖周回道路を経由、山梨県、長野県、岐阜県を通り抜けて、福井着。



越前・福井と信州・松本(飛騨・高山経由)を結ぶ国道158号線・・風景良し、山並み絶景、川に、ダムに、トンネルに、曲折多々のお薦めのドライブコースです。

無事に帰宅できました。

天運に感謝です。



退院後、久しぶりの長距離ドライブ・・今回、百島まで車を運転して行き来き出来る自信を取り戻しました。

12年後・・もし元気で生きておるならば、再び、72歳となる年に富士山頂上に挑戦したいものです。



心朗らかに、穏やかに、強い気持ちで!

合掌

ポケモンCOME。

2016年07月26日 | 百伝。
ポケモンGO・・賛否両論。

「一時的な流行なもの」ではないかと思うようになりました。

最も大事なのは、「ポケストップ」の位置情報です。

ポケストップのある場所から、ポケモンを捕まえるために必須の「モンスターボール」等々が配給されるからです。

それが、アンバランス過ぎるのです。

・・人口密度、人口集積の多い有名観光地、神社仏閣、大学構内に「ポケストップ」と「ジム」の配置が多すぎです。

田舎では「ポケストップ」を探すのには容易ではありません。

富士山でさえ、レアなポケモンも居なくて、「ポケストップ」もほとんどありませんでした。

これでは、田舎のポケモンマニアは、都市部・都会のポケモンマニアには、絶対に勝てません。

子供の頃にポケモンを知る、ポケモンと育った20代、30代の世代の中には、すでにレベル20ぐらいまで進化しています。

そうなると、次の興味は、「ジム」での対戦が、最重要になります。

高速道路の主要なPA、SAには、たいてい「ポケストップ」と「ジム」が、配置されています。

車で移動しながら、ジムを制覇していくと・・たちまち、次々と強いポケモンに乗っ取られてしまいます。

だから、そういう場所のジムは、どんどんと強くなっていきます。

一方で、散在している田舎のジムは、空き家状態で、強いポケモンもいません。

ポケモンジムでの戦国時代・・生き残り競争の熾烈さが一層増していくのでしょう。

おそらく、ポケモン対戦の国内大会、世界大会も出来上がると考えます。

加えて、ポケモンアイテム交換よる金銭利益、ポケモントレーナーへの報酬・・そういうビジネスも生まれてくると思います。

その近い未来を考えて、ポケモンマスターを目指す者も多くいると考えます。

ポケモンGOが、位置情報をベースとしたゲームの歴史的な快挙を成し遂げたのは事実です。

もっと、人口密度的な格差ゲームではなくて、日本各地にバランスよく配置して欲しいものです。

この現実では、田舎方面へ足が向きません。

百島へにも、人が集まると期待したのですが、拍子抜けです。

新しいゲーム戦略の登場を期待します。

12年昔の約束。

2016年07月23日 | 千伝。
ちょうど12年前の今日、富士山頂上まで出かけて参りました。

12年後の今日、同じく同ルートで目指すつもりでしたが、急遽明日の日中に用事が出来ました。

一日延期、明日出発予定です。

今回は、富士山山頂ではなく、六合目ぐらいまでが目標です。


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初めての富士山山頂到着・御来光、そして下山までの記録:

2004年(平成16年)7月24日(土)~25日(日)、富士山に登ってきました。

上り下りの際、「富士山め!!」と思いながらも、何とか良い思い出となりました。(笑)

最初は、息子と親子登山を計画していましたが、息子の体調を考えると単独行と相成りました。

加えて、突然の福井豪雨の被災地へのボランティア活動もあり、予定延期も考えましたが、この時を逃すと、いつになるのかわからず、このたびの強行軍となりました。

この達成感は、見ず知らずの何十人もの方々が、「がんばってください」「お気をつけて」とか、いろんな合い言葉の励みがあってこそだとも考えています。

以下、雑記のような書き方ですが、自分の人生の貴重な思い出になった、と実感がこみあげてきます。

2004年7月23日(金):

深夜23時、福井の自宅を車で出発。

偶然、カーラジオからNHKの深夜宅急便で、大林宣彦氏が、「故郷、尾道」をテーマにしたお話が、延々と流れてくる。

故郷を思い出しながら、山々を抜ける。

福井県美山町を通りすぎて、豪雨被害の凄さを、まざまざと思い知らされる。

それを越えた、もっと奥深い山間部の大野市や和泉村は、ほとんど被害に遭っていない。

「負けるな福井県」というローカルニュース。
(ジャンボ宝くじの当選金2億円を義援金として福井県に寄附したという出来事。)


7月24日(土):
九頭竜湖を通り抜けて、油坂峠を超えて岐阜県に入る。

白鳥村の道の駅で、深夜2時頃休憩。

愛知県から、これから白山に登るという夫婦と少し会話。

岐阜県白鳥から高山を通り抜け、安房トンネルを抜けて、長野県の諏訪湖湖畔まで一気に休息無しで走る。

山、山・・トンネル、トンネルである。

片側一車線の道を関東からの対向車が上高地や乗鞍、北アルプスをめがけて走ってくる。

そのライトに辟易。

夜が白く明けて、諏訪湖湖畔着。

コンビニで買ったパンで、一人湖畔で朝食。

朝食後、そのまま山梨県まで走る。

南アルプス市から本栖湖の周回道路へ。

そこから、朝霧高原の「道の駅」で時間待ち(富士新五合目10時着予定)。

富士宮市新五合目に午前10時過ぎ着。

駐車場満杯状態。

駐車場を一周りして四合目まで降りて駐車しようと覚悟。

その時、偶然運良く空きスペースを確保。

夕方5時まで車の中で仮眠後、午後6時登山開始予定。

しかし、早くも高山病の気配。

気持ちが悪く、眠れない。

時間が、刻々と過ぎていく。

ここまで来て、このまま登山断念する自分を許し難い。

意を決して、午後1時半頃、五合目をスタート。

だらだらと、富士山登頂開始。

六合目に午後2時頃着。

ベンチに座る。

隣りに、お孫さんを連れたご夫婦との会話。

「八合目で孫も自分も頭が痛くなったので引き返して下山中です」とのこと。

「実は、息子夫婦が今日、富士山山頂で結婚式を挙げているので、行きたかったが諦めた」とおっしゃる。

でも残念そうな気配もなく、実に明るい御夫婦、御人柄に思えた。

新七合目に午後3時半頃着。

かなりヘバル。

用意したペットボトル3本を飲み干して、飲み物がない。

ポカリスエット2本買う。

隣りに座ったカップルは、チリからの観光客だったが、ヘトヘトで話し掛ける気分にもなれない。

元祖七合目に午後5時頃着。

また、ポカリスエット2本買う。

少し頭がボーとする。

吐き気がしてきた。

高山病かもしれないと思った。

黙々と、腹式呼吸を繰り返す。

徹夜ドライブ明けのままの富士山登山を後悔する。

「歯を食いしばって、がんばれ」というが、歯を食いしばる時は、唾を飲み込む時だ。

口の中が砂だらけ。

砂を噛むようだ。

唾、涎を極力吐き出すことにした。

八合目に午後7時頃着。

これからが、ほんとうの富士登山の始まり。

気を取り直し、たっぷり休憩時間を取る。

九合目に午後9時前頃着。

辺りは、すっかりと暗い。

急速に、冷えて寒い。

食堂でうどんを食べる。

自動販売機があった。

何を買って飲んだか記憶がない。

昼間は雲に隠れていたが、下界の眺めが素晴らしく良かった。

どこの街かわからないが、花火を打ち上げている。

その花火が「せんこう花火」のように小さく見える。

下界を眺めながら、隣りの若い人と話す。

「ここの室で宿泊して、早朝1時半頃、ご来光を見るために出発する」という。

5合目あたりを見ると、次々と車のランプが見える。

これから、徹夜登山を開始しようとする人達の車であろう。

ただ駐車スペースが無くて困っているのではないかと、余計な心配をする。

外は真暗、冷え冷えとしてきた。

隣りの若い人が、「これから、まだ登るんですか?」と聞いてきた。

「防寒着、用意していますか?上は、かなり寒いですよ。お気をつけて!がんばってくださいね。上で会いましょう」

一期一会の出会いだったが、大変嬉しい会話だった。

気合を入れ直す。

ヘッドライトを点けるかどうか迷ったが、電灯なしで登ることにした。

九合五勺(標高3,590M)。

2-3人の宿泊客が、外に居た。

お茶のペットボトル2本買う。

かなり、頭痛がする。

足の痛みよりも、眩暈である。

体力の限界のようである。

ここで泊って一時休息すべきか、どうか迷う。

下界をじっと眺めながら、杖に祈りを込める。

「これから登るのですか?」と同年代ぐらいの方が話しかけてきた。

「昨日、五合目で泊って、今日、ここでもう一泊して、明日、富士山に登るんです」

聞けば、24畳のスペースに48人が、ここで男女区別なく雑魚寝して、翌朝2時半頃、ここから登頂するようである。

この方、3度目の富士山登頂のようだが、一度目は五合目で、二度目は九合目で高山病になったという。

上からも下からもゲロを吐いて失敗して、今回こそ、3度目の正直を狙っているようである。

高山病の恐ろしさを得々と説明してくれる。

この日も、七合目でヘリコプターを呼べという大騒ぎがあったらしい。

今ここで、少しでも横になったら、そのまま寝入ってしまうような気がした。

あとには、戻れぬ。

登頂を目指す。

御来光を必ず仰ぐ。

自分の体力の限界を超えている。

福井豪雨以来、口の中は、口内炎だらけ。

梅干を一個噛む。

余りの沁みるような痛みが口の中を走り回る。

飲み水がない。

死に物狂いで登る。

遂に、富士宮口の山頂に着。

夜10時頃だっただろうか?!

しかし、達成感も何もない。

山頂は、賑やかなところだと思っていたが、恐ろしいぐらいの静けさに愕然とする。

それよりも、飲み水が欲しい。

咽喉が、カラカラに乾いている。

そうだ!

山梨県河口湖側の方へ行くと、きっと賑やかにちがいない。

店もやっているのに違いない。と推測して歩き出す。

深夜の富士山頂の外輪山(剣が峰を筆頭とした)を歩き出すと、非常に不気味である。

深夜、誰一人、人っ子一人歩いていなかった。

途中、どこの道を歩けばいいのか判らなくなった。

頭が痛い。

高い丘があったので行くと、外輪山の成就ヶ岳というところだった。

もう、足が重い。

そのまま砂岩の上に横になった。

三日月が美しく浮かんでいる。

美しく思えた瞬間、とうとう気分が悪くて、吐いてしまった。

このまま凍死か、高山病で死ぬような気がした。

女房、息子、身内のことを考える。

「こんな所で死んだら、無謀な登山者。嘲笑われる。」と考えた。

四つん這いのような状態で、1メートルでも標高の低い場所に身体を移す。

ふっと下界を覗き込むと、夜景が素晴らしい!

右方向に沼津、左方向に小田原、熱海の夜景だと思う。

伊豆半島の根っこが地図そのままのように見えた。

沼津に住むネットの友達を思い出した。

あの街灯りのどこかに暮しているんだろうなぁ。

急に元気になった。

道なりに進み下るとトイレがあった。

もうちょっと進むと、山梨県河口湖からの登山口である。

御来光を臨む場所があった。

自動販売機があった。

温かいお茶の缶を買う。

誰もいない。

たった独りだった。

温かいお茶を飲む。

目線の前に星がある。

仰向けになると満天の星。

日本で、今の瞬間、自分一人だけが独占しているような気分になった。

何とも言えない気分になった。

じわじわと富士山山頂到達の達成感が湧いてくる。

下界を覗くと下から左右に上に登ってくる蟻のような、蛍の光のような行列が上にまで伸びてくる。

深夜0時頃だ。

ガサガサと後ろから音が聞こえてくる。

振り返ると両手にステッキを持った外国人がいた。

一人から二人になったと喜んだ。

聞けば、パプアニューギニアで医者をしているドイツ人で、「サマーバーケションで日本に立ち寄って富士山に登りにきた」という。

御来光時間は、午前4時45分だと伝えると、外輪山を一周してくるという。

こういうタイプの人と、以前どこかで会ったような気がする。(?!)

こういうタイプは、冒険心旺盛で、富士山火口の底まで入っていく。

0時を過ぎると、まばらに人が増えてくる。

カメラ撮りの一番良い場所をキープするために早く登ってくるようだ。

夕方5時頃に登山スタートして写真を撮りながら登ってきたとのこと。

1時過ぎ、人が、また増えてきた。

それにしても寒い。

チョコレートがカチカチに固まっていた。

零下1-2度ぐらいの寒さだ。

辛抱強く、寒さに耐える。

2時過ぎ、どんどん人が増えてくる。

寒い。

冷える。

2時半、店が開く。

「ここで飲食する人だけ入ってくださ~い」と呼び込みがあった。

荷物だけを置いて、一目散に店の中に入った。

炭火で温まる場所に座る。

お茶を買って頼んだ。

殆どの方が、茫然自失のような疲れ切った表情である。

右隣りは、福生から来た若いアメリカ人だった。

空軍のエアーフォースのエンジニアだそうだ。

二人で来る予定だったが、もう一人が病気になったので一人で来たという。

9月にテキサスに異動になると言うので、日本の思い出作りのために富士山に登ってきたという。

左隣りは、三重県伊勢から来たご婦人連れ三人だったが、聞けば34人の富士山御来光ツアーできたという。

あとで解ったが、34人中、登頂できたのは7人だけだったとおっしゃっていた。

4時前、この方々を連れて、ぼくがキープしていた場所に案内する。

ものすごく人が増えている。

雲海上に薄いオレンジ色の一直線が伸びる。

少しづつ少しづつ、そのオレンジの線が太くなっていく。

それを凝視していると、一瞬パーと明るくなり、薄いオレンジ色が、淡いピンク色に変わる。

おぅ!と叫ぶ。

星が消えて真っ青な世界に変わっている。

この時、河口湖側からの登山者が何故多いのか、よく解った。

御来光は、富士山のこの側面方向から昇る。

もう後ろは、押すな押すなの圧し合いの状態である。

今か今か、御来光間近かである。

すると、今度は、そのオレンジとピンクの帯びが、雲海の上を「さざなみ」のように、こちらに向ってくる。

予想外の自然現象の展開、大きなどよめきが起こった。

感動的なシーンである。

そして、御来光。

どこから昇るのか不思議でたまらなかった。

青色の背景世界からオレンジ、ピンクのさざ波の手前から、ひょこり真っ赤な小さな玉が浮かんでくる。

(夕日の海の中から真っ赤な蛸の頭が、浮かぶような)

おぅー、おぅーと歓声が上がる。

御来光である。

2004年(平成16年)7月25日。



ツアーの案内人だろうか「ありがとうございました」と言いましょう!と声があがる。

最後には、万歳三唱をしましょ!というアナウンスがあった。

御来光を臨んだ富士山山頂に居る全員で、「バンザイ、バンザイ、バンザイ」万歳三唱をして、御来光を無事見終えることができた。

ものすごい人の群れである。

富士山山頂で、暑中見舞いの葉書を書く。

手が震えて、巧く字が書けない。

内輪山を一回り(お鉢廻り)をする。

途中、何十人もの人が、ぐったりと座り込んでいた。

日本最高峰の剣が峰(3776M)まで、何とか辿り着いた。

当日の朝、12年に一度、申年の年に、富士山本宮浅間大社の鳥居が取り換えられる。

その鳥居を見て、12年後、また登りたいと祈願する。

下山。

足が、千鳥足状態でフラフラ。

八合目で、熱中症になる。

臨時診療所で小1時間、横になる。

七合目から土砂降りの雷雨に出会う。

雷が、横を走るとは・・ビックリ。

午後2時頃、富士宮五合目に無事帰還到着。

着替える気力無し。

ソフトクリームが、急に食べたくなった。

びしょ濡れ状態のままで、視界の無い霧の中を富士宮の街を目指す。

欲しいのは、ソフトクリームだ。

下界で雨が止んでいる所で、着替えた。

T-シャツと短パンになる。

ソフトクリームを探し当て、食べながら何杯も冷水を飲み干した。

おいしい!

携帯電話が、土砂降りの雷雨の中、水没で故障した。

足に豆が出来た。

海が見たくなったので、太平洋側から帰ることにした。

富士市から、高速道に乗る。

愛知県あたりで、前の車が二重に見える。

完全に居眠り運転である。

養老サービスエリアで熟睡、爆睡。

朝、養老SAで目覚める。

そこで、朝食バイキング後、7月26日昼前、無事帰宅。

金剛杖が残った。

この杖が無かったら、到底富士山に登れなかったと思う。

もうひとつ、六根清浄(ろっこんしょうじょう)と唱えながら登ることを忘れていた。

それぐらい気持ちに余裕が無かった小生の富士山登山記である。

天運に感謝する。

朝ドラ

2016年07月22日 | 空木宝剣
花山や アパッパーの ワンピース

人の行く裏に道あり裏ドラあり、花の山。
「トト姉ちゃん」の時代、衣食住困窮の時代。
食が最優先の死活問題を解決するには、おしゃれ。
アッパッパーのワンピースが、活路血路だったとは。
お釈迦様でも分かるめえの、ピースかな。


めざせポケモン・マスター。

2016年07月22日 | 百伝。
本日は、2016年7月22日。

日本生まれのポケモンが、大きく進化して、生誕地の日本へ凱旋。

海外メディアも、ポケモンGOの日本上陸(配信)を大きく扱っていました。

本日、早速・・ポケモンGOに登録しました。

登録した時点で、ポケモン・トレーナーになります。



早くも、我が家の中に、ポケモン一匹を発見!

でも、まだまだ・・捕獲はしません。

最初の捕獲は、富士山で行うと決めています。

それから、百島は、超ド級の穴場かもしれませんね。

現時点、ポケモンGOに現れるのは、151匹の初期世代の種類だそうです。

全部、捕獲すれば、ポケモン・マスターです。

このスマホでのポケモンGOゲーム・・相当面白いかもしれません。

Facebookへの滞在時間よりも長くなるというデーターも理解できます。

ただ・・スマホの使い方が、イマイチ分かりません。

ポケモンが生まれたのが1996年・・あれから20年!

当時は、まだ携帯電話も普及していなかったと思う。。

まさか、まさかの・・あのゲームボーイの中のポケモンが、これほど大きく進化するとは、夢にも思わなかったです。

探し疲れた幼い息子の代わりに、ぼくが、ポケモンを探していたことを思い出しました。

当時の子供たちは、みんなポケモン・マスターになることに、憧れていたのではないかな?

子供に、バク転を見せられなかった父親の気持ちも同じ。

そんな子供たちが、みんな大人になって、父親たちも、みんな高齢者に近づいてゆく。

西瓜を食べながら、ユーチューブで、当時のポケモンソングを聴いています♪



~♪めざせポケモン・マスター~

作詞 戸田昭吾 作曲 たなかひろかず 歌 松本梨香

(ポケモンゲットだぜーッ!)
たとえ 火の中 水の中 草の中 森の中 土の中 雲の中 あのコのスカートの中 (キャ~!)
なかなか なかなか なかなか なかなか 大変だけど かならずGETだぜ! ポケモンGETだぜ!
マサラタウンに さよならバイバイ オレはこいつと 旅に出る (ぴかちゅう!)
鍛えた技で 勝ちまくり 仲間をふやして 次の町へ

 いつもいつでも うまくゆくなんて 保証はどこにも ないけど (そりゃそうじゃ!)
  いつでもいつも ホンキで生きてる こいつたちがいる

たとえ 火の中 水の中 草の中 森の中 土の中 雲の中 あのコのスカートの中
なかなか なかなか なかなか なかなか 大変だけど かならずGETだぜ! ポケモンGETだぜ!
戦い疲れて おやすみグッナイ まぶたを閉じれば よみがえる (ぴかちゅう?)
炎が燃えて 風が舞い 鳴き声轟く あのバトルが

 昨日の敵は 今日の友って 古い言葉が あるけど (古いとはなんじゃ~っ!)
 今日の友は 明日も友だち そうさ 永遠に

ああ 憧れの ポケモンマスターに なりたいな ならなくちゃ ゼッタイなってやるーッ!

 夢は いつか ホントになるって 誰かが歌って いたけど
 蕾がいつか 花ひらくように 夢は 叶うもの

いつもいつでも うまくゆくなんて 保証はどこにも ないけど (ぴかぴ~か!)
いつでもいつも ホンキで生きてる こいつたちがいる

ああ 憧れの ポケモンマスターに なりたいな ならなくちゃ ゼッタイなってやるーッ!

ああ 憧れの ポケモンマスターに なりたいな ならなくちゃ ゼッタイなってやるーッ!

ポケット・モンスター。

2016年07月21日 | 百伝。
ムサシ・コジロウを団員とするロケット団・・「珍しいポケモンや 強いポケモンを集めて最強のポケモン軍団を作り、世界征服をする!」

・・というコミカルに非常に分かりやすい目的がある犯罪組織が登場します。

そして、その野望を打ち砕く少年サトシとピカチュの活躍。

ピカチュの存在が、そばに居ると、楽しいだろうと想像します。

いよいよ、ポケモンGOの日本上陸の日が、近づいてきました。

数年前まで、想像できなかったような不思議な感覚世界?

・・そんな現実が到来しそうです。

既に、ポケモンGOが配信されている欧米や豪州・ニュージランドでは、勤め先を辞めて、ポケモン探しに熱中しているとか!

自爆テロに走る若者よりも、微笑ましいかもしれません。

もう、20年ぐらい昔に「ミューツーの逆襲」という世界に配信されたポケモン・アニメ映画がありました。

当時、幼かった息子と一緒に観に行きました。

「自分と言うものの存在意義、自分を生み出した人間への復讐という重いテーマを抱えた作品である」というコメントがありました。
(ウィキペディア)

挿入歌は、演歌歌手の小林幸子さんが歌っていたのも話題になりました。

ストーリーでは、船に乗って出かけていくので、故郷の「百島」を舞台にしたようなイメージが膨らんできたのも思い出しました。

「ポケモンよ・・百島へ集合せよ!」・・とね♪

ミューのコピーであるミューツーを主人公とした、このポケモン映画「ミューツーの逆襲」・・とても考えさせられるものがありました。

ポケモン同士の戦いのあと・・なぜ殺し合うのか?

と、考えさせられます。

ポケモン世界は、人間が、ポケモンを育てるという成長・進化させる過程があります。

そして、戦い、奪い合い、譲り合う。

地球上の戦争、犯罪、宗教対立、社会の貧困、所得格差、人種民族差別は、ポケモンの世界とは無縁のようで身近な解決策を暗示しているのかもしれません。

現実問題、イスラム世界では、ポケモンを禁忌として受け入れない国も多々あります。

聖戦とは、殺し合うことなのか?

進化するとは、合法、非合法という二つの解釈に分かれるとのこと。

進化とは、戦うことなのか?

そうではないと・・ピカチュが、涙を流していました。

ポケット・モンスターの存在が、世界中へ平和の灯を広く照らし出すことを祈ります。

海の日

2016年07月18日 | 空木宝剣
海の日や 汽笛一笛 沖の道

海にも道あり、船路あり。
昭和30年代、泊の波止場の先に、
艫綱を張った櫓漕ぎ舟あり。
日除けの帆布の下で、麦わら帽子にステテコ姿。
海に揺られながら、ひねもすチヌを釣る老人がおった。
果たして、あの老人の域に近づけるや否や、66の夏。


還暦の同級生へ。

2016年07月17日 | 百伝。
よい人間、よい仲間、よい同級生に交わっていると、気づかないうちに「よい運」に恵まれると言います。

それでも、歳を重ねると、福の神さまを騙すぐらいの上機嫌さも必要です。

昨日、電話で同級生と話しをしていると、百島の同級生はっちゃんが、病気で亡くなったという知らせ。

はっちゃんは、子供の頃から、人の悪口も言わず、物静かな女の子でした。

最後に会ったのは、10年前の同窓会だった・・「孫がいるんよ」と笑っていた。

大笑いをしていた百島での子供の頃が、懐かしいです。

はっちゃんのご冥福を心よりお祈りいたします。

合掌。

今年の同窓会には、出席できません。

みんな、元気で、上機嫌で、心朗らかに、穏やかに、微笑んで、強い気持ちだよ!

ポケモン GO。

2016年07月15日 | 百伝。
任天堂の株価が50%アップしたとのこと。

要因は、ポケモンGOのゲームに世界が熱狂しているとのこと。

大阪ステーションシティ(JR大阪駅)に立ち寄りました。



大阪・梅田の中心地にある大阪駅・・新大阪駅か?と勘違いするぐらい大変貌していました。



大阪の人口が減ったのかな?・・と思うぐらい人並がまばらでした。

屋上にある「天空の農園」です。







・・人が少ないのです。

構内にある「時空の広場」です。



無事に、福井に到着しました。



大都会も、地方都市も、田舎も、過疎地も、日本中が、増加する空き家問題に直面しています。

近い将来・・日本中の空きビル・空き部屋問題が大きな課題になるのは、間違いありません。

博多山笠にでさえ、参加する若者が減っているとのこと。

・・時間的に拘束されるのが、嫌なのでしょう。

福井から福岡まで・・故郷の広島を通り過ぎながら、考えさせられたこと。

ポケモンに熱中する世界の世相に、何か学べるような気がします。

感謝。

福の神。

2016年07月14日 | 百伝。
明日15日早朝は、博多祇園山笠のクライマックスとなる「追山笠」。

一昨日は、その予行演習とも言える「追山馴らし」でした。

リハーサルなのに報道陣も警察警備陣も、あちらこちらで配置されていました。



知れば知るほど、熱気が伝わってくる神事です。

「山笠」の詳しい説明は省きますが、タイムを競う「舁き山笠」を担いで疾走する躍動感が感動を与えるようです。

先ずは、博多の総鎮守・櫛田神社へ参拝。





福岡の方は、警察官、報道人、男衆、女衆・・人なっつこい方が多くて、ずっと話しを続けてくれます。







ところで、櫛田神社近くに「萬行寺」という立派なお寺があります。

備中の国(現・岡山県)の娘が、悲運の遊女に成り果てた「明月尼」が眠っています。

22歳で亡くなった明月尼は、49日を迎えた朝、墓に一茎の白蓮華の花が咲いたそうです。

毛利家、村上水軍が、織田方と戦った石山本願寺の合戦が、この伝説の起因になっているのも気になりました。


(浄土真宗 普賢山 萬行寺)

合掌。

街中にある長閑な空間(キャナルシティ博多)です。



那珂川を越えて、福岡・天神エリアも賑やかです。

そう言えば、当日、食事制限されている僕ですが、天神エリアで、昼食時、立ち食いステーキと博多名物・豚骨ラーメンをいただきました。

美味しいのですが、駄目でした。

あとあと・・新幹線の中で、疲れたせいもあり、体調が崩れてしまいました。

今は、まったく大丈夫です。

短い時間でしたが、祇園エリアも満喫できました。

感謝。





有り難い一日でした。



福の神は、有り難い気持ちに宿るのでしょう。



感謝。

上を向いて歩く。

2016年07月13日 | 百伝。
一昨日、福岡入り。





とりあえず、ホテルに荷物を置いて、前々からずっと興味のあった「百道エリア」まで歩くことにしました。

平和台球場跡のプレート。



子供の頃、ここで、西鉄の試合を観た記憶があります。

時々、土砂降り・・雨に打たれての蒸し暑かった福岡散歩は、あとになるにつれて、今は見知らぬ街を歩いた心地よい思い出に変わりました。

途中、大濠公園を散策中・・レストハウスで永六輔さんが七夕の日に亡くなっていたというニュースが耳に入りました。





・・上を向いて歩こう♪

百道のビーチ(シーサイドももち海浜公園)からの眺め・・左側の島は、能古島かな?



・・この風景を見たことがあったのかな?

感謝。

・・優しい方でした。

昔、ぼくが20代の頃に観たNHKドラマ・・故郷の能古島に残り、船で通いながら福岡の街で働く若者が、デートの度に「最終便の船」に間に合うかどうかと、時間を気にしながらの恋愛ドラマの展開でした。

百島と同じような生活環境なんだと・・甚く感心した記憶があります。

さて、この「百道エリア」は、埋め立て地の上に、いろんな施設が出来上がっています。

福岡ヤフオクドーム、ヒルトンホテル、領事館、博物館、高層マンション、福岡タワー等々。





帰り道、サザエさん通り(作者長谷川町子さんがこの界隈で、サザエさん漫画を創作したのこと)を歩いて帰りましたが、モニュメントを写真におさめるのもシンドイ一日でした。

とても気になったのが、埋め立て地だからなのか・・ヤフオクドームに近い公園や道路まで、あちらこちらで雑草が生い茂っていました。

草むしり、草刈り、凸凹道・・大変な地域だと感じた百道エリアでした。

その後、途中、西南学院大学の前を通りました。



訊くところによると、チューリップの財津和夫さんの母校であり、今年創立100周年だとのこと。

九州の名門私立校だそうです。

そのような西南学院大学には、とても失礼に当たるかもしれませんが、我が母校と同じ雰囲気が漂っていました。

比較する事自体、無理かもしれませんが、母校のキャンパスにも女子大生がいっぱいいました。

かなり多くの有名芸能人、プロ野球選手等々をも輩出しています。

まぁ・・どうでもいいけどね!

生きていてヨカッタと想い、一生を終えるのが「大往生」だとのこと。



上を向いて歩いた一日でした♪

合掌。

七月十日 節目。

2016年07月10日 | 百伝。
今日は、朝から、ほぼ市内全域の町内一斉掃除の日。

昨年の町内会長という役職もなく、一市民、一町民として、とても気軽な気持ちで参加させていただきました。

その前後、2時間ぐらい河川敷を散歩しました。



今日7月10日は、第24回参議院議員通常選挙の投票日・・朝から国政ニュースばかりです。

与党勝利・・安倍さん、嫌いではないのですが、もっといい国作り、もっといい社会になりそうな「人生の目的地までの行きも帰りも希望ある指針政策、含蓄のある希望そして言葉」を国民に語りかけて欲しいなぁ。

7月10日は、個人的には人生の中で思い出の多い記念日です。

今日から夏季休暇に入る大学も多いのでは?

初めて国政の選挙権を得たのは、奇しくも39年昔の今日・・第11回参議院議員通常選挙1977年(昭和52年)7月10日が投票日でした。

当時の全国区の総得票数のトップ当選は、日本社会党の田英夫氏、2位は江田五月氏でした。

その記憶が甦るのは、たまたま東京から北陸地方を旅行中、福井県の敦賀駅で「選挙結果の新聞記事」を読んでいたからです。

まさか、自分の未来の中で、北陸地方の福井で暮らすとは、当時、夢にも思っていなかったです。



今日も、よく歩きました。

明日は、九州・博多まで出かけて、福岡市市街地を歩き回るつもりです。

・・東京じゃないよ。

人生の節目に、博多、福岡を歩きたいのです。