今から思えば妙円寺の西門から進めば涌泉寺に5分ぐらいで着いたと思うが、
あの時はこの道は絶対行き止まりだと思ったので、
グルッと下から回って涌泉寺へ行きました。
結果的にスゲー遠回りしちゃったよ。
所在地:京都府京都市左京区松ヶ崎堀町53
宗派:日蓮宗
御本尊:一塔両尊四士
創建:正暦3年(992)
開山:日像上人
開基:日生上人
【歴史】
正暦3年源保光は円明寺を建立、その後、歓喜寺と改称する。
徳治2年日像上人は歓喜寺・実眼と法論により、日蓮宗に改宗し妙泉寺と改称する。
天文3年天文法華の乱で焼失するも、天正3年豊臣秀吉により伽藍を再建。
天正8年妙泉寺・日生は松ヶ崎檀林を開檀する。
明治5年学制発布により松ヶ崎檀林は廃檀、その後、本涌寺と改称する。
大正7年(1918)5月、松ヶ崎集落にあった同じ日蓮宗の妙泉寺と本涌寺が合体して、
両者の寺名をとって成立した日蓮宗の寺院である。
ただし、当寺の現在地はかっての本涌寺の寺地にあたり、
妙泉寺の敷地は今松ヶ崎小学校の校地となっている。
【七面宮】
涌泉寺に向かって歩いていると鳥居を見つけた。
よく見ると涌泉寺の七面宮が上にあるようだ。
あ~、これは山を登って行かないダメだろうなぁと覚悟した。(^^;
他の日蓮宗の七面宮ってたいがい寂しい道のりなんで、
あんまり気乗りはしないんですがね。
短い距離であることを祈りつつ上に歩いていく。
思ってたより短い距離で到着。
良かった~。(^^
でも、やっぱり寂しい雰囲気がする場所です。
こちらには七面大明神が祀られ眼病救護の功徳があるとか。
【供養塔】
これはかなり古そうです。
【生師廟】
山門手前にあるのが日生上人を祀る生師廟。
さすがに聖地だけあって、柵があってこれ以上は行けませんでした。
【山門】
【石碑】
【鐘楼堂】
【本堂】
保育園を経営しているようですね。
こちらも柵で本堂に近寄ることが出来ませんでした。
御朱印の有無は不明ですが、
恐らくないと思います。
これにて洛北の神社仏閣巡りは終了。
予想以上に見所のあるお寺が多かったです。
金福寺、詩仙堂、狸谷山不動院、圓光寺、曼殊院門跡、赤山禅院はお勧めですね。
個人的に狸谷山不動院と圓光寺は特にお気に入りになりました。
あの時はこの道は絶対行き止まりだと思ったので、
グルッと下から回って涌泉寺へ行きました。
結果的にスゲー遠回りしちゃったよ。
所在地:京都府京都市左京区松ヶ崎堀町53
宗派:日蓮宗
御本尊:一塔両尊四士
創建:正暦3年(992)
開山:日像上人
開基:日生上人
【歴史】
正暦3年源保光は円明寺を建立、その後、歓喜寺と改称する。
徳治2年日像上人は歓喜寺・実眼と法論により、日蓮宗に改宗し妙泉寺と改称する。
天文3年天文法華の乱で焼失するも、天正3年豊臣秀吉により伽藍を再建。
天正8年妙泉寺・日生は松ヶ崎檀林を開檀する。
明治5年学制発布により松ヶ崎檀林は廃檀、その後、本涌寺と改称する。
大正7年(1918)5月、松ヶ崎集落にあった同じ日蓮宗の妙泉寺と本涌寺が合体して、
両者の寺名をとって成立した日蓮宗の寺院である。
ただし、当寺の現在地はかっての本涌寺の寺地にあたり、
妙泉寺の敷地は今松ヶ崎小学校の校地となっている。
【七面宮】
涌泉寺に向かって歩いていると鳥居を見つけた。
よく見ると涌泉寺の七面宮が上にあるようだ。
あ~、これは山を登って行かないダメだろうなぁと覚悟した。(^^;
他の日蓮宗の七面宮ってたいがい寂しい道のりなんで、
あんまり気乗りはしないんですがね。
短い距離であることを祈りつつ上に歩いていく。
思ってたより短い距離で到着。
良かった~。(^^
でも、やっぱり寂しい雰囲気がする場所です。
こちらには七面大明神が祀られ眼病救護の功徳があるとか。
【供養塔】
これはかなり古そうです。
【生師廟】
山門手前にあるのが日生上人を祀る生師廟。
さすがに聖地だけあって、柵があってこれ以上は行けませんでした。
【山門】
【石碑】
【鐘楼堂】
【本堂】
保育園を経営しているようですね。
こちらも柵で本堂に近寄ることが出来ませんでした。
御朱印の有無は不明ですが、
恐らくないと思います。
これにて洛北の神社仏閣巡りは終了。
予想以上に見所のあるお寺が多かったです。
金福寺、詩仙堂、狸谷山不動院、圓光寺、曼殊院門跡、赤山禅院はお勧めですね。
個人的に狸谷山不動院と圓光寺は特にお気に入りになりました。