Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

建仁寺 正伝永源寺(2014年1月13日参拝)

2014-03-01 | 仏閣
建仁寺を堪能し、特別公開している塔頭の正伝永源寺へ。

こちらも開山堂と同じく初めての参拝となるので楽しみです。

場所は建仁寺の境内の外になりますので、少し歩いて行きます。


【茶屋街】



所在地:京都府京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町586
宗派:臨済宗建仁寺派
御本尊:釈迦如来
寺格:建仁寺塔頭



【縁起】
正伝永源院は正伝院と永源庵の二つの歴史を持っています。
鎌倉時代中期、文永年間(1264-1275)において、大覚禅師の法嗣である
中国僧義翁紹仁勅謚普覚禅師によって、正伝院は開山となりました。

南北朝時代、正平年間(1346-1370)、永源庵は、建仁寺39世・鉄庵道生の法嗣である
無涯仁浩禅師によって開山となりました。

延文年中備後守護であった細川頼有が、戦場に赴かんとした際に、
同庵の門前にて無涯禅師に会い、馬上から問法した事が縁で、師檀の関係ができます。

以後、細川家が同庵住持に対する帰依は深まり、
同家から同庵に出家、住職になるものさえ出てきます。

のちに応安5年(1372)において、建仁寺塔頭に列しました。
室町時代年間、永源庵は現在地に移ります。
天文年間(1532-1555)の京都での戦乱以来、正伝院は荒廃したが、
江戸時代(1618)、正伝院は織田有楽斎により再興されました。

明治時代(1868)、神仏分離令後の廃仏毀釈後、建仁寺塔頭の多くが廃されました。
無住となっていた永源庵は堂宇のみを残すのみとなります。
一方、1872年において京都府による窮民産業所設立の為、正伝院は境内の建物を放棄し、
寺号のみを残して替地となった旧永源庵の現在地に移ります。

1873年において永源庵が廃寺となりますが、「永源」の名が消える事を憂いた細川侯爵によって、
正伝院と永源庵は合併し、寺号を正伝永源庵と改めました。


【山門】



【庫裏】



【前庭と鎮守社】



【鐘楼堂】



【墓所】






入っていきなり織田有楽斎や夫人、織田長好の供養塔がありました。




こちらは一条関白室の供養塔で、
石一つ一つに空・風・火・水・地と刻まれていました。


【細川石】



【細川家歴代墓石】


へー、細川家の菩提寺だったんですね。

きっと熊本にも菩提寺はあるんだろうけど。


【福島正則並家臣墓石】




更に驚くべき武将の墓石があるとは。

福島家の菩提寺は妙心寺の海福院でお墓も参らせていただきましたが、
この正伝永源寺に墓石があるとは夢にも思いませんでした。


【中門】


まずは本堂内を拝観。

狩野山楽筆の襖絵は素晴らしかったです。

細川元首相が奉納した襖絵は道楽レベルでそれなりです。(^^;

堂内は全て撮影禁止でした。


【庭園】













【如庵】




これは国宝のレプリカで本物は犬山ホテルの日本庭園有楽苑にあります。

悪名高き廃仏毀釈によって金持ちに買われたんだろう。
それが今や金儲けに使われている。

残念なことだ。

http://www.m-inuyama-h.co.jp/urakuen/joan/special.php


【御朱印】


書置きをいただきました。

いや~まだまだ知らない興味深い所があるね。

京都は奥が深い。