Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

海住山寺(2014年10月26日参拝)

2014-12-07 | 仏塔古寺十八尊
いつか行こうとずっと思っていた海住山寺。

国宝五重塔開扉と文化財特別公開していたので、
本日のメインの格付けでようやく参拝です。

木津川を横目に交通量の少ない快適な道を走る。

しかし、山に向かうとそれも一変。

いや~山の中とは承知してましたが、
これほどきつい道とは思ってませんでした。

あと少しという所で急に道が狭くなるんです。
ここ通れるの?って思うような道。(^^;

思わずビビッて案内していたガードマンらしき人に、
「この道通れます?」て聞いたぐらい。

通れると言ったので進みましたが、
狭いし対向車が来たら終了の道なんで結構焦りました。

山門手前に来ると道は広くなるので安心ですが、
急な坂道の連続です。

歩いて参拝する方々が何人も居ましたが、
皆さんしんどそうでした。



所在地:京都府木津川市加茂町例幣海住山境外20
宗派:真言宗智山派
御本尊:十一面観音
創建:伝・天平7年(735)
開基:伝・良弁
勅願:聖武天皇
札所:仏塔古寺十八尊


【歴史】
瓶原と呼ばれたというこの地は奈良時代のはじめ、元明天皇が離宮を設けた所といわれ、
ついで聖武天皇が橘諸兄に命じて大養徳宮恭仁大宮をいとなませられた地でありました。

由緒ある瓶原を一望におさめる海住山の中腹、幽邃の地に当海住山寺が創建されたのは、
恭仁京造宮にさきだつ六年前、天平7年(735)のことと伝えられております。

大盧舎那仏造立を発願あそばれた聖武天皇が、その工事の平安を祈る為、
良弁僧正に勅して一宇を建てさせ、十一面観音菩薩を安置して、
藤尾山観音寺と名づけたのに始まるということです。

しかし、この寺は不幸にして保延三年(1137)に灰燼の厄に遭い、
寺観のことごとくを失ったのであります。

その後、70余年を経た承元二年(1208)11月、
笠置寺におられた解脱上人貞慶が思うところあってこの観音寺の廃址に移り住み、
草庵をいとなんで補陀洛山海住山寺と名づけ、旧寺を中興されて、
ここに現在の寺基が定められたのでありました。

海住山寺は近世まで興福寺(法相宗本山)の支配下にあったが、
明治以降は真言宗智山派に転じている。



【山門】


山の寺によくある境内と少し離れたタイプの山門でした。

石段を見ても分かるように、ほとんど人が通っている気配がごじません。(笑)

少し上に行くと無料駐車場があります。


【山門】


こちらの山門も駐車場からは通れなくても境内に入れます。

まぁ、私はわざわざ境内から山門をくぐり、
また山門から入るというめんどくさいことをしてますけどね。(^^;

やっぱりお寺は山門から入らないと気が済まないので。


【修行大師像】


お出迎えです。


【五重塔】






建保2年(1214)貞慶の弟子である慈心上人覚真が、
貞慶一周忌供養に建立したもので国宝。

よく見ると6重塔に見えますよね。
このような裳階を持つのは非常に珍しいと思います。

初層部分四面が開扉していたので、
靴を抜いてグルっと一周。

五重塔の内陣には四天王が祀られていましたが、
残念ながら撮影禁止でした。

このような塔の特別開扉の時はどこの寺も撮影禁止ですね。


【薬師堂】




開山堂でもあるようです。


【三社】


天満宮、春日大明神、稲荷大明神。


【五重塔】





【本堂】


意外と広くない本堂内ですが、
なかなか重厚な雰囲気を感じました。

御本尊の十一面観音菩薩を間近で見れて最高でしたよ。

じっくり見て堪能されていただきたい仏様でした。
その他も見所がありましたが、残念ながら撮影禁止でした。


【文殊堂】


こちらのお堂も普段は開いていないそうですね。
ラッキーです。

しかし、こちらも撮影禁止でした。(泣)


【やる気地蔵】



【ぼけ止め地蔵】



【稲荷社】



【本坊】



【本坊庭園】


本坊というからには広いのかなと思っていたら、
この一室のみでした。

本坊というと大徳寺や妙心寺のような大本山を連想してしまいますが、
どうも頭の中で大きなものという認識があり過ぎました。(^^;


【襖絵】



【扁額】



【本坊庭園】







【町石】



【もち上げ大師】



【苦ぬき観音・苦ぬき地蔵】



【風景】


最後にホッと一息。

田舎の風景っていいなぁ。
癒されます。


【御朱印】





撮影禁止が多くてあれでしたが、
大変良いお寺でした。

出来れば特別開帳してる期間がお勧めです。

ただ、ここはアクセスに難があるからなぁ。
車が無いとしんどいし、車は車で狭い道を覚悟しなければならない。

まぁ、これも修行だと思って行ってください。(笑)

浄瑠璃寺(2014年10月26日参拝)

2014-12-05 | 仏塔古寺十八尊
本日のテーマは国宝や重文の仏像を堪能する「南山城古寺探訪」です。

南山城というのは京都市内から離れた京田辺市、木津川市にあたり、
自然豊かで個性豊かなお寺が多い地域であります。

まずは国宝九体阿弥陀如来坐像で有名な浄瑠璃寺から参拝開始です。



所在地:京都府木津川市加茂町西小札場40
宗派:真言律宗
御本尊:九体阿弥陀如来、薬師如来
創建:永承2年(1047)
開基:義明上人
札所:仏塔古寺十八尊、西国薬師四十九霊場、関西花の寺二十五霊場



【歴史】
浄瑠璃寺の創立については、寺に伝わる浄瑠璃寺流記事が唯一の史料であり、
天平11年(739)に行基によって開山されたと伝わる説もあるが、よく分かっていない。

永承2年(1047年)、義明上人により本堂が建立され檀那は阿知山大夫重頼であった。
これら2名の人物については、この流記事の記載以外にほとんど知られるところがない。

中世から近世にかけて浄瑠璃寺は興福寺一乗院の末寺であったが、
明治初期、廃仏毀釈の混乱期に真言律宗に転じ、奈良・西大寺の末寺となった。


【風景】


浄瑠璃寺にあと5分ぐらいという所。

こういう田舎の風景を見ると日頃のストレスが消えていきます。


【参道】


このお寺には有料駐車場しかありません。


【山門】


入れ込み過ぎて朝の8時半に着いちゃったので、
まだ閉まっています。(^^;


【あ志び乃店】




門前のとろろが美味しい店だそうです。
もちろん閉まってましたから食べてませんけど。(^^;


【弁財天】




一番乗りで境内へ入る。

そういや一番乗りで境内に入ったのは初めてかも。(^^


【三重塔】




三重塔は後にして、
さぁ、本堂へ向かおう。


【本堂】


拝観料を支払い堂内へ。
今や唯一無二の九体阿弥陀仏や四天王(持国天、増長天)等が祀られていました。

いや~、物凄い濃密な空間で圧倒されました。

素晴らしいったらありゃしない。
30分以上居たよ。(^^


【浄瑠璃寺庭園】


この庭園が趣があっていいのよ。


【鐘楼堂】



【本堂】


ここから見る本堂もいいですね~。
扉が開いていればもっと良かったんだけど。


【三重塔】




国宝。

平安時代の治承2年(1178)京都一条大宮から移築されたもの。




初層内は重文の十六羅漢図等、装飾文様で壁面が埋められているそうです。


【御朱印】



慈尊院(2014年5月3日参拝)

2014-05-26 | 仏塔古寺十八尊
先日、真田幸村所縁の神社に行ったので、
今日は和歌山の九度山へ行くことにした。

その後は丹生官省符神社、丹生都比売神社、高野山と、
盛りだくさんの内容となっております。(笑)


所在地:和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832
宗派:高野山真言宗
御本尊:弥勒仏
創建:(伝)弘仁7年(816年)
開基:(伝)空海
札所:仏塔古寺十八尊、神仏霊場巡拝の道


【歴史】
平成16年7月世界遺産に登録された慈尊院は、弘法大師が高野山開創に際し、
高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、
一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。

当時の慈尊院は今の場所より北側にあり、方6丁の広さがあったと伝えられていますが、
天文9年(1540)紀の川の大洪水にて流失しました。

しかし弥勒堂だけは天文6年(1474)に今の場所に移してあったので、流失を免れました。

ある時、「我が子が開いている山を一目見たい」弘法大師の御母公が、
香川県の善通寺より訪ねてこられました。

しかし、当時の高野山は女人禁制でありましたので、
弘法大師の元には行くことが出来ず、この慈尊院で暮らしておられた地であります。


【山門】


こちらには無料駐車場がありますが、
大型バス専用もあり、普通車の台数が限られています。

いっぱいの場合は上にある勝利寺の駐車場に停めていいそうです。

ただし、丹生官省符神社のみの参拝ですと、
駐車料金が取られますのでご注意ください。


【境内】



【宝篋印塔】



【弘法大師堂】


弘法大師が祀られていました。


【訶梨帝母尊堂】


訶梨帝母尊(鬼子母神)が祀られています。


【観音像】



【多宝塔】






寛永年間(1624-1643)に再建されたもので、
大日如来が祀られているので大日塔とも呼ばれています。

なかなか優美な塔でしたが、
さすがに重文や国宝の雰囲気は無かったですね。

それもそのはず、2年前に解体修理、彩色されたからです。


【弥勒堂】




重文。

弘法大師は亡くなったお母様が篤く崇拝していらっしゃった
弥勒菩薩座像と御母公像を安置する為、建立したそうです。

このお堂は全体が見えずらいのですが、
屋根がとても渋いです。

21年毎の秘仏ですが平成27年4月2日から平成27年5月21日まで、
高野山開創1200年を記念して弥勒堂が御開帳されます。

ということは秘仏の国宝弥勒菩薩が見れるのか。

これは絶対に行かねば。(^^

でも調べてみると弥勒堂の外から暗い堂内を覗くだけで、
肝心の弥勒仏はよく見えないとか。(^^;


【乳房形絵馬】




弥勒堂前にこんな絵馬がありました。

これがテレビで見たことがある絵馬か~。

ハァハァ…。

ってするわけがねー。(^^;

どうやら乳がんや母乳の出が良くなるように奉納されているようだ。


【みろく石】



【拝堂】






神社でいう拝殿ですね。

弥勒堂の反対側から中に入ると多くの灯篭が吊るされていて、
かなり良い雰囲気の堂内です。

堂内は撮影不可でした。


【弥勒仏】



【石碑】


世界文化遺産登録を記念して造られたもの。


【弁財天、稲荷大明神】







【鐘楼堂】



【弘法大師像】



【御朱印】




大きなお寺ではありませんでしたが、
弘法大師所縁の歴史あるお寺で、かなりお勧めです。

霊山寺(2013年1月6日参拝)

2013-01-23 | 仏塔古寺十八尊
本日は仏塔古寺の御朱印をいただきに霊山寺へ。

約2年振りの参拝となりますが、
前回参拝時は絶賛工事中だった三重塔が楽しみです。


<2011年1月10日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/6cb5907dc44007b934adb4cace4afd7f



所在地:奈良県奈良市中町3879
宗派:霊山寺真言宗
御本尊:薬師如来(重要文化財)
創建:天平8年(736年)
開基:行基・菩提僊那
札所:西国薬師四十九霊場第二番、仏塔古寺十八尊 第5番、役行者霊蹟札所、
神仏霊場巡拝の道 第28番、大和十三仏霊場 第10番


【歴史】
神亀5年(728)流星が宮中に落下し、
大騒ぎになり孝謙皇女が征中の病(ノイローゼ)にかかられた時、
聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ湯屋の薬師如来を祈念すれば治るとのお告げがあり、
すぐに行基菩薩が代参し皇女の病が快癒しました。

天平6年(734)聖武天皇は行基菩薩に大堂の建立を勅命。
天平8年8月インドバラモン僧、菩提僊那が来日され、
登美山の地相が霊鷲山にそっくりということから、
寺の名称を霊山寺と奏上され、落慶となりました。

平安時代、弘法大師が来寺され登美山に力の強い龍神様がおられると感得され、
奥の院に大辯財天女尊(弁天さん)として祀られました。
それまで当寺は法相宗でしたが弘法大師が真言宗を伝えられ、
以後は法相宗と真言宗の2宗兼学の寺となりました。

鎌倉時代には北条氏の帰依厚く弘安6年(1283)本堂の改築、堂塔寺仏の修復新調が行われ、
僧坊21ケ寺という所説からも非常に栄えました。
その後、豊臣秀吉公の社寺政策により寺領百石を与えられ、
また徳川幕府にも受け継がれ御朱印寺として国家安泰と五穀豊穣、
そして幕府の武運長久を祈願して参りました。

ところが明治維新の廃仏毀釈により、伽藍の規模は半減、
200体以上の仏像焼却の運命をたどりました。

しかし本尊薬師如来のご加護と弘法大師が勧請された大辯財天の霊験により復興し現在に至る。


【幸せを呼ぶ鐘】


無料駐車場に車を停めて今年初撞き。

間違っても帰りに鐘を撞いてはいけませんよ。

四国八十八カ所を巡っている時に先達に教えていただくまで、
かくいう私も知りませんでした。(汗)


【本堂】


国宝。

御本尊薬師如来、脇侍日光・月光菩薩は春日厨子内にあり秘仏、
十二神将・二天王・大日・阿弥陀如来・行基菩薩・菩提僊那が祀られている。

仏様の数々に溜息。

素晴らしい。

本堂内の売店のおばちゃんが本当に羨ましい。

だって国宝の中で仕事出来るんですよ。
国宝の素晴らしい空間の中で仕事をしてる人は日本に何人いることやら。

堂内は撮影禁止でした。


【鎮守十六所神社】






前回参拝時は思いっきり見逃してました。

今は十六所神社として独立しているが明治の神仏分離以前は霊山寺の鎮守社であった。

社殿は5棟並んでいて現在覆屋の中にあり南面して向かって左から
春日社、住吉社、本社、龍王社、大神宮となっている。
中央の3社は棟木墨書に至徳元年(1384)の建立としるされており重要文化財に指定されている。

資料によれば応永年間(1394-1427)建立の優れた割拝殿があったが、
明治末年破却されて失われたのは惜しい。

廃仏稀釈により200体以上の仏像焼却されたといい、
何度も書いてますが明治政府の愚行はもっと批判されていい。

そして破壊に関わった愚かな連中に対しても。

人類史上有数の文化破壊だ。

他文化を排他したがるのは人間の性とはいえ余りにも酷過ぎる。


【東光院】





【教祖像】


何でもこの像の主は元住職の奥さんだそうで。
その奥さんに十二単をまとった仏様が降りてきて教祖になったとか。

え?
このお寺って新興宗教なんですか?(^^;


【千体不動滝】




こちらも前回参拝した時は華麗にスルーしてました。


【石仏】







【三重塔】






重要文化財。

そんなに大きい塔ではありませんが、
雰囲気のいい優雅な塔です。

年に一回、普段非公開の三重塔の初層の扉を特別に開扉内部壁画を拝観することが出来る。
拝観料600円というのが微妙ですが。


【御朱印】


仏塔古寺の御朱印。




大和北部八十八ヶ所霊場の御朱印。

慈眼院(2012年5月4日参拝)

2012-06-17 | 仏塔古寺十八尊
日根神社に着いたはいいが駐車場が見つからない。

仕方ないので近くのお寺さんに駐車させていただき、
そのお寺を参拝することに。


所在地:大阪府泉佐野市日根野626
宗派:真言宗御室派
御本尊:薬師如来
創建:(伝)天武2年(673年)
開基:覚豪
札所:仏塔古寺十八尊 第12番、和泉西国三十三箇所 客番


【歴史】
創建当初は井堰山願成就寺・無辺光院と呼ばれていた。
天平年間になると寺領に1千石が加えられ聖武天皇の勅願寺となった。
 
弘仁6年からの2年間は、宗祖弘法大師のご留杖により多宝塔、金堂の造営を始め、
一山がことごとく整備され鎮護国家の道場にふさわしい輪奐の美を誇るところとなった。
 
その後はたび重なる戦火に盛衰を繰り返すこととなったが、
江戸初期の寛文年間には岸和田の領主岡部侯の帰依を得て一山の大営繕が行われた。
その時、総法務宮であった京都仁和寺の性承門跡より「慈眼院」の院号が下賜され、
仁和寺の末寺となって今日に至っている。




寺によくある山門はございません。


【弘法大師像】



【鐘楼堂】



【本堂】



【庭園】




よく手入れの行き届いた綺麗な庭園です。

奥に見える庫裏で御朱印をお願いする。

待っていると他の参拝者が奥様に予約はしていないけど多宝塔拝観は出来ますか?と
お願いしに来た。

奥様は大丈夫ですよ、と答えたので私も拝観料200円を支払って拝観することに。

この時は全くどんなものが見れるのか気付いていませんでした。


【苔】


苔の絨緞がお出迎え。


【金堂】




重要文化財。


【多宝塔】








国宝。

石山寺・高野山金剛三昧院のものと共に日本3名塔と称されています。


この多宝塔を見て思い出した。

ここは仏塔古寺の札所であることを。(^^;

いつかこの国宝の多宝塔を見に行きたいと思っていたのよねぇ。


この寺に来たのも全くの偶然なら、後から来た参拝客が拝観のお願いをしていなかったら、
私は今日、この素晴らしい多宝塔を見れなかった。



さすが国宝の名に恥じぬ優美な塔です。

緑の樹木に囲まれた渋い色の多宝塔の雰囲気が実に素晴らしい。

是非ともこの素晴らしい多宝塔と雰囲気を生で見て感じてほしい。



この多宝塔を見れて本当に良かったです。

後から来た参拝客と予約もしてなったのに参拝させていただいた奥様に感謝。


【御朱印】