Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

高野山總持院~親王院~龍光院~明王院(2014年5月4日参拝)

2014-05-31 | 高野山
総本山金剛峯寺参拝後は宿坊巡りをしてみましょう。

まずは金剛峯寺の西隣にある總持院からです。


總持院
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山143番地
宗派:高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:久安年間
開基:行恵


【縁起】
総持院は平安時代、久安年間に高野山第28世行恵総持坊により開創。

元々は現在の壇上伽藍の境内にあり、後に現在の金剛峯寺西隣に移る。
開基行恵師は高野山の法流、中院流の祖、明算大徳の孫弟子であり中院流総持院方の祖。

所縁の大名としては肥後熊本の細川家。伊勢菰野の土方家がある。
尚、当院は、お大師様の甥で高野山第2世の真然大徳開基の正塔院。
新義真言宗開祖覚鑁上人開基の龍城院、推信親王開基の理性院を併合。




小松宮彰仁親王旧跡石柱。

安政5年(1858)仁孝天皇の猶子となり、親王宣下を受け純仁親王を号し、
仁和寺第三十世の門跡に就任。

復飾後、大日本帝国陸軍元帥陸軍大将、高野山興隆会総裁、
日本赤十字社総裁等を歴任した皇族。




山門。




庫裏。
御朱印はこちらでいただきました。








境内は綺麗に手入れされており、
時期になれば美しい藤の花が咲くそうです。






弘法大師が祀られていました。




多宝塔なのかな。




御朱印。

物凄く字を崩されて書かれていたので、
全く読めません。(^^;

続きましてはお隣の親王院へ。



親王院
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山144
宗派:高野山真言宗
御本尊:不動明王
創建:平安初期
開基:真如親王


【縁起】
高野山別格本山親王院は平安初期、平城天皇の第三皇子であり、
後に嵯峨天皇の皇太子となった真如親王が開基と伝わる由緒ある寺院の一つです。

その真如は弘法大師の弟子として修行を行い、十人弟子の一人として数えられ、
空海が入定すると高弟として遺骸の埋葬に立ち会ったと伝えられています。

また、壇上伽藍の御影堂に今も祀られている空海の姿を描いた
御影を表した人物とも知られています。

本尊不動明王は智証大師の作と伝えられ、
また弘仁時代毘沙門天、白鳳時代金銅阿弥陀如来像等什宝を有す。




山門。






庫裏。




本堂は約350年前に建てられた蔵造りになっており、
高野山でもとくに古い建築様式を残したもの。

現在も電気が通っていない為、灯明や油壺の灯りだけでお勤めを、
行っているそうです。

その本堂には御本尊である不動明王(重文)をはじめ、
白鳳時代の金銅阿閦如来、弘仁時代の毘沙門天が祀られています。




鐘楼。

御朱印は残念ながら御住職が金堂にいらっしゃったので、
いただけませんでした。



龍光院
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山147
宗派:高野山真言宗
御本尊:大日如来
創建:不明
開山:弘法大師


【縁起】
弘法大師濡草鞋の寺と称され子院中もっとも古い由緒をもち、
歴代の山主がここに住居して、天暦年間(947-957)の再興まで、
一山の法務を掌り世人がみな中院御房と讃えられ、古くから高い寺格をもっている。

当院中興第16世明算大徳の時、庭の池中より神龍が宝珠を戴いて示現昇天せり、
これを護法の瑞祥であるとして龍光院と号す。






山門。




庫裏。

御朱印はされていないとのことです。
宿坊も檀信徒のみということで、少し閉鎖的な宿坊のようです。



明王院
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山146
宗派:高野山真言宗
御本尊:不動明王
創建:弘仁7年(816)
開山:弘法大師
札所:近畿三十六不動尊霊場


【縁起】
弘法大師高野山御開創の時、七堂伽藍の建立にあたり、
鬼門のこの地に伽藍安穏と佛法興隆の為、自ら五大明王を安置され、
五大堂明王院と名づけられました。

後醍醐帝は密教への崇信深く灌頂を授かり加持祈祷を能くした帝としても高名ですが、
特に赤不動さまを守り本尊として厚く信仰され、
吉野へも御籠の道中を共にされたと伝えられています。

その後南朝の終わり頃、戦火に喪われることがあってはいけないと、
後醍醐帝によって高野山に移され当院に安置される事となりました。

以来今日まで法灯絶えざる赤不動尊の寺として世に知られ、
別格本山となっております。






山門。




手水鉢ならぬ手水釜ですね。




奥に見えるのが本堂ですが、内陣は撮影不可でした。

秘仏の御本尊赤不動明王御開帳は4月28日のみです。




山門横のお堂ですが、よく分かりませんでした。




御朱印。


長くなりましたので続きは明日。
宿坊塔頭寺院巡りは続くよどこまでも。(笑)

高野山金剛三昧院~金剛峯寺(2014年5月4日参拝)

2014-05-30 | 高野山
いつもながらキツい480号線を走り高野山へ。

さすがにGWと胎蔵界結縁潅頂が行われるだけあって道路は大渋滞。
停める場所が無くて苦労する。

とりあえず金剛三昧院には駐車場があったので行ってみたら、
やっぱり駐車場が空いていた。(^^


【高野山金剛三昧院】
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山425
宗派:高野山真言宗
御本尊:愛染明王
創建:建暦元年(1211年)
開基:北条政子
札所:仏塔古寺十八尊、西国愛染十七霊場


【歴史】
北条政子の発願により源頼朝菩提の為に禅定院として創建。
開山供養には栄西も招かれている。

承久元年(1219)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、
以後将軍家の菩提寺として信仰された。

貞応2年(1223)、北条政子が禅定如実として入道し、
建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、
源頼朝と源実朝の菩提を弔う為の多宝塔を建立。

鎌倉幕府と高野山を結ぶ寺院であった為、高野山の中心的寺院の役割を担った。

その後、境内には勧学院が建てられ、高野版の摺本を用いた南山教学の中心地として栄えた。
ただし、初代住持が退耕行勇であったことでも分かるように、
当初は金剛峯寺とは別個の禅宗寺院として創建され、
後に実融によって再興されて以後は律宗も兼学するようになった。

金剛峯寺の院家として扱われるのは江戸時代初期頃と考えられている。


【桜】


山門横で咲いていました。
高野山はだいたい平地より三週間遅れで毎年咲きますね。


【表門】


文政年間(江戸時代後期)に建立されたもので、
門の中にある鐘楼は重要文化財。


【境内】



【多宝塔】






国宝。

貞応2年(1223)に建立されたもので、
大津市の石山寺に次いで二番目に古いものです。

運慶作と伝えられる重要文化財に指定されている秘仏五智如来像が安置されています。


渋い、渋すぎるだろ。(^^


【庫裏】



【本堂】




御本尊の愛染明王像は源頼朝公の等身大の念持仏で、
運慶の作であると伝えられているそうです。


【境内】


本堂から表門を見たらこんな感じです。


【経蔵】






正倉院などと同じ校倉造りをしており、重要文化財に指定。

ここの雰囲気は物凄くいいです。
是非、その雰囲気を体験してほしいですね。


【六本杉】







【御朱印】



金剛三昧院の多宝塔を堪能した後は、金剛峯寺へ向かいます。

金剛峯寺近くの壇上伽藍の裏側の道は路上駐車可能なのが判明。
この道路は結構広いし他車に迷惑もかからないので穴場ですね。

この高野山ど真ん中で警察も取り締まらないと思うけど、
絶対ではないので自己責任でお願いしますね。



【金剛峯寺】
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山132
宗派:高野山真言宗
御本尊:薬師如来
創建:弘仁7年(816)
開基:空海
札所:真言宗十八本山、西国三十三所特別札所、神仏霊場巡拝の道


【主殿】




写真は撮りつくした感があるので、
過去の日記を参照してください。

はい、手抜きです。(笑)

<2011年5月2日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/2a58fef8f1b72eae4c5710a82e3025c5

<2012年8月30日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/179345d3107aa138e560d2fc21a0ee04


【御朱印】

丹生都比売神社(2014年5月4日参拝)

2014-05-29 | 神仏霊場巡拝の道
真田庵から次なる参拝地の丹生都比売神社へ。

ここはどうしてもあの楼門が見ておきたかったので、
以前から訪れたかった神社です。




13号線から109号線を走る。
この109号線がくねくねとした狭い山道で結構しんどい。

480号線から4号線に入るルートの方が楽かと思われます。


所在地:和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230
主祭神:丹生都比売大神、高野御子大神、大食津比売大神、市杵島比売大神
創建:不明
社格:式内社、紀伊国一宮、旧官幣大社、別表神社
札所:神仏霊場巡拝の道


【由緒】
紀ノ川より紀伊山地の盆地天野に当社が創建されたのは古く、
今から千七百年前のことと伝えられます。

また、播磨国風土記によれば神功皇后の出兵の折、丹生都比売大神の託宣により、
衣服・武具・船を朱色に塗ったところ戦勝することが出来た為、
これに感謝し応神天皇が社殿と広大な土地を神領として寄進されたとあります。

祭神のお名前の「丹」は朱砂の鉱石から採取される朱を意味し、
魏志倭人伝には既に古代邪馬台国の時代に丹の山があったことが記載され、
その鉱脈のあるところに「丹生」の地名と神社があります。

丹生都比売大神はこの地に本拠を置く日本全国の朱砂を支配する一族の祀る女神とされています。
丹生都比売大神の御子、高野御子大神は、密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、
黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へと導きました。

弘法大師は丹生都比売大神よりご神領である高野山を借受け、
山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山を開きました。

中世、当社の周囲には数多くの堂塔が建てられ、
明治の神仏分離まで当社は五十六人の神主と僧侶で守られてきました。

鎌倉時代には、行勝上人により気比神宮から大食都比売大神、
厳島神社から市杵島比売大神が勧請され、社殿が北条政子により寄進され、
本殿が四殿となり、このころから舞楽法会が明治のはじめまで盛んに行われます。

平成十六年七月紀伊山地の霊場と参詣道の丹生都比売神社境内として世界遺産へ登録されました。


【第一鳥居】



【太鼓橋】




足の悪い老人が太鼓橋を歩いていたので、
ヒヤヒヤしながら見てましたが、何とか無事に太鼓橋を渡りきっておりました。(^^


【境内社】


太鼓橋から見た境内社。

恐らく弁財天であろうが詳細不明。


【境内】



【太鼓橋】



【第二鳥居】


楼門が見えてきました。





【楼門】




お~、めっちゃ立派。

実に素晴らしい。

こんな田舎の山奥にある神社にも関わらず、
これほどの楼門があるとは驚きです。


参拝した時にちょうど結婚式をあげられていました。

本当におめでとうございます♪






斜め横から見てもいいっすね。



第一殿、第二殿は絶賛工事中でした。


【本殿】


第三殿、第四殿。


【狛犬】



【佐波神社】



【神宝収蔵庫】


国宝の銀銅蛭巻太刀や重文の芦手絵兵庫鎖太刀(いずれも東京国立博物館出陳)、
重文の木造鍍金装御輿や狛犬等が納められているそうです。


【太鼓橋】


無料駐車場から見た太鼓橋です。

ここから見ると住吉大社の太鼓橋を思い出すが、
住吉大社の方が反りがきついですね。


【御朱印】

真田庵<善名称院>(2014年5月4日参拝>

2014-05-28 | 仏閣


丹生川にかかる鯉のぼりを見ながら真田庵へ。

九度山まで来て真田庵はさすがに無視はできまへん。


車は13号線沿いに専用駐車場があり、
そこに停めておいて、歩いて数分でお寺に到着です。



所在地:和歌山県伊都郡九度山町九度山1413
宗派:高野山真言宗
御本尊:地蔵菩薩
創建:寛保元年(1741)
開基:大安上人
札所:中部尼寺巡り


【土塀】



【山門】



【土砂堂】



【開山堂】



【本堂】


明日は真田祭ということで、
本堂内では皆さんお忙しくされていました。


【雷封じの井】



【真田地主大権現】


毘沙門天と真田三代の御霊が合祀されています。


【真田昌幸、幸村供養塔】



【真田家臣墓】



【鎮守社】



【日神様】



【長屋門】





【山門】


土塀沿いをぐるっと回るとまたまた門を発見。
このお寺には3つの門がありました。


【御朱印】


お寺のおばさまに書いていただきました。
少しお話をしましたが、前日に御朱印を逆さまにしてしまったそうだ。(^^;

その被害者(?)がおばさまに御朱印帳を渡す時に逆さまにして渡したから、
逆さまに書いてしまったと言っていましたので、
御朱印帳を書き手に渡す時は注意してくださいね。

被害者はたまたま怒らないタイプだったから良かったけど、
ちょっと間違えただけで怒る人も多いから、
御朱印を集めている人は怖い人が多いとも言ってたね。(^^;

うん、確かに日付を間違えただけで烈火の如く怒る人もいるよね。(苦笑)

書き手も人間なんだから間違えることもあるよ。

それを許せる懐の広い心を持てるようになりましょうね。

丹生官省符神社(2014年5月4日参拝)

2014-05-27 | 神仏霊場巡拝の道
慈尊院の境内から石段を登った場所に鎮座するのが、
丹生官省符神社です。

丹生官省符と書いて「にゅうかんしょうぶ」と読みます。


所在地:和歌山県伊都郡九度山町慈尊院835番地
主祭神:丹生都比売大神、高野御子大神、大食都比売大神、市杵島比売大神、
天照大御神、誉田別大神、天児屋根大神
創建:弘仁7年(816)
社格:郷社
札所:神仏霊場巡拝の道


【由緒】
弘法大師が慈尊院を開創した弘仁7年(816)、
その守り神として地元にゆかりのある丹生都比売・高野御子の二神を祀った神社です。

神社ができた当時の位置は現在の渡し場の東にあたる
宮の橋の付近であったと考えられています。
その後、河北から高野領地となり官省符21ヶ所村が成立しますと、
その総氏神として栄えてきました。

慈尊院の弥勒堂が現在の位置に移された際、この神社も一段高い神楽尾山へ移されました。
その時、天野神社にならって気比、厳島二神を合わせ祀って四神とし、
なお、古くからこの地に鎮座していた天照、八幡、春日の三神を合わせ
祀って七社明神としました。


【石段】


途中で一の鳥居がある。


【二の鳥居】



【拝殿】





【本殿】



【招魂社】



【御朱印帳】


吉野大峯・熊野・高野山の三霊場から成り立つ紀伊山地三霊場会より、
世界遺産登録10周年を記念し御朱印帳を製作されたもの。

表紙だけじゃなくページも杉で出来た珍しい御朱印帳です。

定価1500円です。

この御朱印帳を買ったら、大阪市立美術館の山の神仏特別展の招待券を貰った。

ラッキー♪
前から行こうと思ってたのよね~。

しかも最後の一枚だったとか。(^^

山の神仏特別展は1400円もするんで助かったよ。

あ~、庶民丸出しです~。(笑)

もしかしてこれは鎌八幡の御利益なのかな。
どうやら4月の悪運は去ったようです。(^^


【御朱印】