Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

来迎院法然寺(2014年7月5日参拝)

2014-07-24 | 法然上人二十五霊跡
無料駐車場に車を停めていざ参拝。

楽しみで仕方ありません。(^^


所在地:香川県高松市仏生山町字仏生山甲3215番地
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:寛文8年(1668)
開基:松平頼重
札所:法然上人二十五霊場、さぬき七福神(大黒天)


【前池】



【総門】




滕神社の方にある門です。

こっちが表門ということですが、
ここから入る人はほとんどいません。


【十王堂】


滕神社の方へ行くとあるお堂です。



亡くなった人が生前に犯した罪を裁く閻魔大王など
10人の王が祀られていました。


【仁王門】


そういやお遍路もそうだけど、
入山料って香川では取られないのが嬉しい。(^^


【仁王像】




法然寺建立時の1674年作とのこと。


【法然寺型万燈籠】


この先に進むと鐘楼門や来迎堂に行けます。

その鐘楼門の手前に二尊堂というお堂があったのですが、
今年の一月に全焼したとのこと。


【二尊堂】
http://blogs.yahoo.co.jp/heiannnosanuki261/17971741.html

こちらのブログで二尊堂の写真や状況を知りましたが、
全焼になったのが残念で仕方ありません。

せめて去年にでも参拝していればと悔いが残ります。


【五重塔】






法然上人八百年大遠忌・親鸞聖人七百五十遠忌の記念として平成23年3月建立。
松平頼重公寄進の仏舎利を祀られているそうです。

雰囲気は大阪の法楽寺の五重塔に似ている。
色合いは法楽寺の方がもうちょっとこげ茶色が濃いですけどね。


【涅槃門】



【三仏堂】





【本堂】


本堂は拝観料無しで内陣も見れます。

写真は後ほど。


【経蔵】



【弘法大師堂】





【宝物庫】



【出世大黒天】


こちらでも金箔が貼られていました。


【骨仏像】


庫裡で拝観料350円を支払い表玄関に移動し堂内へ。

しかし拝観料350円というのが何とも奥ゆかしい。

京都の観光寺院だったら500円が普通で、
特別拝観だったら800円も取られるんですから。


暗い書院に三仏像が祀られていた。

法然寺に骨仏があることは知ってましたけど、
まさか書院にあるとは知りませんでした。

実は一心寺のそれと同じく人間の骨で出来た骨仏です。

やっぱりちょっと怖くて良い気持ちにはなれない。

参拝した時は書院の三仏像が骨仏とは思わず写真を撮っちゃったよ。(^^;


【寺宝展示室】





【本堂】






法然上人御作と伝えられる御本尊、法然、親鸞上人像、善導大師座像
が祀られた空間は実にいい。

見ていて全く飽きませんでしたよ。


【中庭】



【回廊】



【宝物庫】



【御霊屋】




葵の御紋。




阿弥陀如来でしょうか、仏様の下には松平家歴代の位牌が祀られていました。




松平頼重公像。


【祖師堂】




こちらにも骨仏ありましたけど、
ちゃんと骨仏と書かれていたので写真は撮りませんでしたので、
とりあえず毘沙門天様だけ撮りました。

ここまでは無料で入れます。


【三仏堂】


涅槃堂というのが本来の堂名のようです。

ここからが拝観料が要りますが、
お金払わないで入るやつもいそうですね。(^^;




四方にこのような廊下があり、
真ん中の部屋にに涅槃仏と羅漢が祀られているという建物の構造。




歴代住職坐像。
この廊下は撮影OKです。



法然上人坐像。




三仏堂の四隅に四天王が祀られているというニクイ配置。

そしていよいよメインの部屋に入堂。




ここの部屋は撮影禁止でしたので、画像はネットで拾ったものです。


釈迦如来・阿弥陀如来・弥勒菩薩の三仏の下には、
嵯峨の立ち釈迦、さぬきの寝釈迦と言われた涅槃のお釈迦様、
その回りに嘆き悲しむ羅漢達。

この画像だけでは伝わり難いと思いますが、
まぁ、凄いのなんのって。

圧倒されるとはまさにこのこと。

江戸期の作ということで県の有形文化財に指定にされていますが、
個人的にはこの堂内は個人的に国宝に指定したい。

それぐらいこの濃密な空間は凄いです。

その場を離れるのが惜しくて30分くらい堂内に居たよ。(^^

この法然寺が京都か奈良にあったら何回も行くのになぁ。


大満足の本堂と三仏堂を見終わって文殊楼、来迎堂に行きます。


【文殊楼】




さすがに半年以上前の火事だけあって、
焼け跡の痕跡や二尊堂の気配はありませんでした。




梵天・帝釈天。

いつも思うんだけど、梵天とか帝釈天の目というか、
表情が好きになれない。(^^;


【来迎堂】


更に結構な石段があってこのまま引き返したくなる。(^^;






ハァハァしながら到着。




振り返るとこんな感じ。

降りる時は結構怖かったです。




阿弥陀如来と二十五菩薩が楽器を奏で、歌い舞う極楽世界を表現しているとか。

しかし、暗くてあんまりよく見えませんでした。




これは何なのか分かりません。


【松平家墓所】


特別な日しか開いていないらしく、門は閉まったままでした。


【御朱印】


後は岡山の誕生寺が難所だな。


【感想】
いや~見所たっぷりで実に充実した参拝であった。

この法然寺をブログにアップするのに、
いろいろ調べながら書いていたら4時間ぐらいかかったよ。(^^;

自分で書くのもなんだが、結構しんどいのよ。
御朱印を含め3枚ぐらいの写真と感想だけだったら楽なんですけどね。

でも、自分が訪れた寺社がどんな所だったか、ブログを見たらすぐに分かるし、
遠くで行けない方がどんな寺社か知りたい時とか、
初めて訪れる際の参考になれば良いと思い必死でアップしてます。(^^


何よりもこのブログは大げさに言うと自分の生きていた証だしね。


これからも頑張っていきますので、
よろしくお願いします。

十輪寺(2014年6月1日参拝)

2014-06-27 | 法然上人二十五霊跡
続きましてはメインの目的地の一つである十輪寺へ。

こちらは法然上人二十五霊跡の札所であります。

この辺りは寺町のようでお寺が林立している中、
一際大きなお寺が十輪寺です。

他のお寺も幾つか見てまわりましたが、
檀家寺で本堂も参れず、撮るべきものもないので紹介はしません。



所在地:兵庫県高砂市高砂町横町1074
宗派:浄土宗西山禅林寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:弘仁6年(815)
開基:弘法大師
中興 法然上人
札所:法然上人二十五霊跡



【縁起】
宝瓶山十輪寺は弘法大師空海が中国に渡航の際、
海上に地蔵菩薩出現の霊感を受け帰国され、弘仁6年(815)に「地蔵十輪経」の教旨に基づき、
勅命により鎮護国家の祈祷所として創建され、地蔵山十輪寺と号した。

約400年度の建永2年(1207)法然上人が讃岐に御配流の途中、この港に立寄られ、
漁夫の八田治部太夫老夫婦を始め、数多くの人を化益されたところである。

漁夫は上人の導きをうけて、その後念仏に帰し後に立派に往生したとつたえられる。

その後、大永7年(1527)堺の僧十万上人が小松の庄生福寺より
法然上人自画賛の「宝瓶の御影」を得て帰る途中、当寺に立寄りこれを奉納されてより、
山号を「宝瓶山」と改められた。


【山門】


享保15年(1730)建立。

さすがに堂々たる印象的な山門です。
大阪の大念仏寺の表門を模写したとされています。

駐車場は無く北門から入って境内に停めればいいでしょう。
山門手前の道路に停めても寺町通りなんで、30分程度なら全く問題ありません。


【本堂】


これまた立派な豪壮なる本堂です。

後で内陣拝観出来るのが分かっていたから、
楽しみで仕方なかった。


【慈巌陵】



【小玄関】



【庫裡大玄関】


中に入ると大本山クラスの庫裡で立派な梁が目を見張りました。

御住職に御朱印をお願いすると、本堂に行って来てくださいとのことで、
有り難く本堂へ参らせていただいた。


【中庭】




本堂へ行く途中で見事な中庭が。




向こうに見えるのが書院です。


【宝筐印塔】



【本堂内陣】






内陣は堂々たる外観の本堂に相応しい荘厳なものでした。


【書院】


通路を間違って本堂かなと扉を開けたら、
実は書院だったというのは、ここだけの話。(^^;


【御影堂】



【六字名号】



【宝筐印塔】


俗に高麗仏と称し豊臣秀吉の朝鮮出兵に際し、
当地より参加して溺死した九十六舟子の追福の為に建立されたもの。


【歴代上人碑】



【五輪塔】



【御朱印】

法然寺(2014年5月10日参拝)

2014-06-08 | 法然上人二十五霊跡
葛城山から橿原市の法然寺へ。

法然寺には数台分の無料駐車場がありました。



所在地:奈良県橿原市南浦町908
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
開基:法然上人
札所:法然上人二十五霊場


【歴史】
法然上人が高野山へ参詣の折、聖徳太子御誕生地・橘寺へ立ち寄られ、
その帰途、村人に念仏往生の教えを説かれる為に、
法座を持たれた紀寺に関係のある少林院という仏堂でございました。

それから300有余年後の大永8年(1528)、知恩院第26代御門跡・歓蓮社保誉源派上人が、
夢の中で法然上人より「香久山の麓の寺はせまけれど、
高きみのりを説きて弘めむ」とのお歌を賜ったことから、
門跡を辞して当山に御隠栖されることとなり、
その際、寺号を法然寺と改められたと伝えられております。


【山門】


静かに凛と佇むといった表現がピッタリの風情を感じます。


【本堂】


綺麗に手入れされた境内です。


【鐘楼堂】



【本堂内陣】




やはりこちらのお寺の内陣も荘厳。

阿弥陀三尊像の古色具合がたまりませんね。




法然上人木像。




善導大師像。




本堂は外からは見ることが出来ないのですが、
御朱印をお願いすると堂内に入れていただけるのが、
法然上人二十五霊場のお寺の良いところ。

しかも、決まって堂内は素晴らしいのよね。

【御朱印】

知恩院(2014年4月27日参拝)

2014-05-17 | 法然上人二十五霊跡
光明寺の駐車場から知恩院へ。

知恩院も久しぶりの参拝です。

昔は知恩院の前に駐車場があったけど、
今ではバス専用の駐車場になっているので、丸山公園の駐車場に車を停めました。

お墓参り用の駐車場が境内にあるようですが。

ふぅ、それにしても今日は駐車場代が結構かかってるなぁ。(^^;



<2011年2月19日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/27b22619420b95e20eb4782bc7e9ad95



所在地:京都府京都市東山区林下町400
宗派:浄土宗
御本尊:法然上人像、阿弥陀如来
創建:承安5年(1175)
開基:法然
札所:法然上人二十五霊跡


【歴史】
浄土宗の宗祖・法然房源空(法然)が東山吉水、
現在の知恩院勢至堂付近に営んだ草庵をその起源とする。

法然の住房は現在の知恩院勢至堂付近にあり、
当時の地名を取って「吉水御坊」「大谷禅坊」などと称されていた。

ここでの法然の布教活動は、流罪となった晩年の数年間を除き、
浄土宗を開宗する43歳から生涯を閉じた80歳までの長きにわたり、浄土宗の中心地となった。
ここに法然の廟が造られ弟子が守っていたが、
嘉禄3年(1227)、延暦寺の衆徒によって破壊されてしまう。

文暦元年(1234)、法然の弟子にあたる勢観房源智が再興し、
四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を下賜された。

その後も永享3年(1431)の火災や応仁の乱等で焼失するが、その都度再興。
現存の三門、御影堂をはじめとする壮大な伽藍が建設されるのは、
江戸時代に入ってからのことである。
浄土宗徒であった徳川家康は慶長13年(1608)から知恩院の寺地を拡大し、諸堂の造営を行った。

造営は江戸幕府2代将軍徳川秀忠に引き継がれ、現存の三門は元和7年(1621)に建設。
寛永10年(1633)の火災で、三門、経蔵、勢至堂を残しほぼ全焼するが、
3代将軍徳川家光のもとでただちに再建が進められ、寛永18年(1641)までにほぼ完成した。


【山門】


国宝。

光明寺、南禅寺の山門も素晴らしいですが、
やはり国宝だけあって格が違うといった堂々たる山門です。


春季非公開文化財特別公開で山門の楼上に上がれますが、
今回はパスして大方丈・方丈庭園を拝観させていただくことに。

両方見ちゃうと拝観料1600円になるんで。(^^;


【葵の御紋】



【男坂】


行きは石段を登りましたけど、
帰りは境内から山門下までマイクロバスに乗りました~。(^^;

さすがに歩き疲れた。


【山門】



【霊塔】


七百五十万霊塔と呼ばれるもので、1958年に建立されたもの。


【阿弥陀堂】


以前の阿弥陀堂は知恩院第二世勢観房源智上人によって勢至堂の前に建立。
明治にはいって荒廃が進み、いったん取り壊され明治43年(1910)に再建されたもの。




厳かな雰囲気の堂内に安置されている、
堂々たる丈六の阿弥陀如来が凄かった。

感動しました。
必見です。

画像はネットで拾ったものです。


【御影堂】


絶賛工事中。

瓦志納していたので値段をチェックしたら志納額1万円とか。

絶対無理~。(^^;


知恩院さんよ~、
興福寺さんは1000円なんですよ~。

もうちょっと庶民に優しくなってくださいよ~。(苦笑)




法然上人御堂、大方丈に行く途中で工事風景を少し見れます。

まずは法然上人御堂の外陣で内陣におわす仏様を拝んでから大方丈へ向かいます。


【大方丈】




法然上人御堂の次は大方丈の内部を拝観。
かなりの観光客が訪れていました。

大方丈は徳川将軍家の公務に用いられ、鶴の間、松の間、上段の間などの部屋に、
狩野一派の華麗なる襖絵で彩られていました。



上段の間はさすがの重厚感でしたね。

内部は全て撮影禁止でしたので、
画像はネットで拾ったものです。


【前庭】


ここから外に出て方丈庭園を見学。

この時点でデジカメのバッテリー切れ。(泣)
仕方なくスマホで撮影続行。


【方丈庭園】







【二十五菩薩の庭】




阿弥陀如来二十五菩薩来迎図を庭園で表現したもの。

石が阿弥陀如来と二十五菩薩、サツキの植え込みは来迎雲だとか。

そう見えるか見えないかは、貴方次第。(笑)


【小方丈】





【権現堂山門】


この奥に徳川家康、秀忠、家光の三代将軍を祀る堂宇があります。


【御朱印】


非公開文化財特別公開時のみにいただける山門の御朱印。




法然上人の御朱印。

そんなに並んで無かったけど、
皆さん4種類全部頼むもんだから結構待たされました。(^^;

永観堂(2014年4月27日参拝)

2014-05-14 | 法然上人二十五霊跡
所在地:京都府京都市左京区永観堂町48
宗派:浄土宗西山禅林寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:仁寿3年(853年)
開基:真紹
札所:法然上人二十五霊跡


【寺暦】
空海の高弟である僧都・真紹が、都における実践道場の建立を志し、
五智如来を本尊とする寺院を建立したのが起源である。

真紹は仁寿3年(853年)歌人・文人であった故・藤原関雄の邸宅跡を買い取り、
ここを寺院とすることにした。

当時の京都ではみだりに私寺を建立することは禁じられており、
10年後の貞観5年(863年)当時の清和天皇より定額寺としての勅許と
禅林寺の寺号を賜わって公認の寺院となった。


【寺号標】


モミジに覆われています。
全部赤くなったら凄いです。


【総門】


ここも緑が濃いですね~。
きっと視力がアップすることでしょう。(笑)


【中門】


こちらで拝観料を支払います。


【参道】


ここを進むと唐門、御影堂、放生池に行けます。


【唐門】




モミジで唐門がよく見えません。(^^;

大玄関から諸堂を巡ります。




こちらは釈迦堂から門の内側と撮影したものです。


【勅使門盛砂】





【釈迦堂前庭】






いい庭です。

紅葉が好きな方は脳内でモミジを赤く変換しましょう。(笑)


釈迦堂は室町時代の永正年間(1504-1511)に後柏原天皇によって、
建立された方丈です。

正面中央の間に釈迦如来像が祀られていますが、
堂内は全て撮影禁止でした。


【渡り廊下】





【臥龍廊】


開山堂へ向かう階段で龍が臥せたように伸びていることから、
「臥龍廊」と呼ばれています。


【開山堂】



【御影堂】







法然上人像が祀られていました。
こちらも堂内撮影禁止です。


【瑞紫殿】



【位牌堂】


左の白い建物はエレベーターです。


【みかえり阿弥陀如来】


御影堂の後はいよいよメインの阿弥陀堂へ。

堂内は勿論撮影禁止でしたので、画像はネットで拾ったものです。

こんな横向きの仏様は他に類を見ないもので、
まさに前代未聞と言っても過言ではない。

この阿弥陀様を造られた作者は、
仏像造りの常識の壁を越えれる度量の持ち主だったんだろうか。

それとも依頼主の強い要望があって、
この阿弥陀様を造られたんだろうか。

興味は尽きない。


【方丈庭園】






緑が濃い~。
こりゃ確実に視力が0.2アップするな。(^^

諸堂拝観はこれにて終了で、
靴を履いて多宝塔へ向かいます。


【御影堂】



【風景】


多宝塔に行くには結構階段がきつくて無駄に疲れます。(^^;

行ったことがある人は分かりますが、
多宝塔の下が狭くて多宝塔自体を撮影するが困難なんですよね。

という訳で、この多宝塔撮影ポイントである放生池まで下りていきます。


【極楽橋】


画像の真ん中あたりが極楽橋です。


【放生池】




近くに抹茶やお団子をいただける店があり、
この池を見ながらいただくと格別でしょう。


【弁天島】



【弁財天】





【画仙堂】


日本画家の鈴木松僊発案により1914年建立されたもの。

通常内部非公開。


【春紅葉】



【多宝塔】




茶所の裏から撮影。

この辺りは風情があります。






放生池から撮影しました。

他にナイスな撮影ポイントがあったら教えてください。(^^


【春紅葉】



【放生池】



【浴室】





【御朱印】



【感想】
永観堂といえば何といっても紅葉。
ここの紅葉は他とは違って紅葉の色が一段と赤く、
圧倒的に木々の本数が多い。

その代わり紅葉を求めて観光客の多さも凄まじい。
大混雑が嫌な人は朝一に行かれることをお勧めします。

それでも混雑が嫌だという、そこのあなた!
今の新緑の時期は緑が濃くて、なかなか美しいですよ。

新緑のモミジは命の瑞々しさを感じることが出来て、いいもんです。