Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

楽法寺(2012年7月21日参拝)

2012-07-31 | 仏閣
加西市を北上し中国自動車道横の一般道を走っていると、
何やら凄く綺麗な参道と山門が目に入った。

参拝し難い檀家寺かと思って少し躊躇したが、
行かないと後悔すると思い行ってみた。


所在地:兵庫県加西市北条町横尾3番
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼仏
創建:承応元年(1652年)
開基:然室尖廓大和尚
札所:加西西国三十三ヶ所霊場 第1番


【歴史】
楽法寺は戦国の武将赤松氏と何らかの関わりがあったと伝えられています。
赤松氏は戦国時代にかけて播磨地方に強い勢力を持ち小谷城を始め各地に城を築いています。

赤松氏の王子為重郷の手により最初は現加西市大内町に建堂。
最初の寺名は赤松山浄正寺と呼ばれ為重郷が病に倒れた際、
安置していた清水観音を信仰して治まったことから別名清水寺とも呼ばれていました。

その後善称寺と寺名が変わっていきましたが戦乱などで衰退していきます。
そして、承応元年(1652年)今から約350年前に 現在のこの地に移築し、
本尊釈迦牟尼仏を安置し姫路景福寺第十四世然室尖廓大和尚を招き、
天台宗だったのを曹洞宗に改めて楽法寺として姫路景福寺の末寺となったわけです。


【参道】


余りに立派で綺麗なもんで新興宗教の寺かと勘違いするほどです。(^^;


【山門】


先代の山門は戦国時代・小谷城の城門として使われていたものと伝えられており、
今から約500年前の建物と推定されていましたが、
近年門を支える柱の腐敗破損が著しく地震や大型台風で倒壊する危険性も指摘され、
平成24年4月に総檜造りの山門が建立されました。

やっぱり新しい檜は美しいし良い香りがしてますね。


【本堂】




約300年振りに再建されたもので、
平成12年大本山永平寺貫首宮崎奕保大禅師猊下をお迎えして落慶法要。






まずは御本尊様に合掌。


【諸仏】







【乗り駕籠】


大檀那の葬儀式や寺院合同仏教行事への参向などに限って使用されてきたそうです。


【旧本堂内陣御柱大念珠】


享保三年(1718年)に建立された旧本堂内陣の柱を使用して造られたもの。


【鐘楼堂】


明治26年(1893年)に建立されたもので、
平成24年に修復。


【境内】



この他に禅堂の裏に総丈6メートルの皇寿観世音菩薩像が祀られていました。


御朱印は残念ながら御住職が留守でいただけませんでした。

酒見寺(2012年7月21日参拝)

2012-07-30 | 新西国三十三ヶ所
住吉神社の隣にあるのが酒見寺。
読み方は「さがみじ」といいます。


所在地:兵庫県加西市北条町北条1319
宗派:高野山真言宗
御本尊:十一面観音
創建:(伝)天平17年(745年)
開基:(伝)行基、聖武天皇(勅願)
札所:新西国三十三箇所29番、播磨西国三十三箇所16番


【歴史】
天平17年(745年)、酒見明神(住吉神社)の神託を受けた行基が聖武天皇に奏上し、
寺号を酒見寺として開創したと伝わる。

平安時代から毎年勅使の参詣が行われていた名刹は2度全山を焼失している。
平治の乱での全山焼失(1159年)の際は二條院の勅により再建、
天正年間(1573~92年)にも兵火で全山が焼失した。
その後、江戸時代に入り姫路城主となった池田輝政が姫路城の守護寺に定めて援助を行い、
池田家の転封後は本多忠政の援助を受け、
寛永年間(1624~43年)に幕府の命を受けた実相院降恵が再興した。

さらに江戸幕府3代将軍徳川家光が朱印寺と定め、
代々将軍から朱印状を下附されて隆盛するなど、
これまで天皇や幕府、藩により厚く保護されてきた。



【仁王門】




文政8年(1825)に再建されたもので立派です。

隣の住吉神社といい加西市の小さな町にこのような立派な寺があるとは。


【灯篭】




弘法大師入定千五百年を記念して建立されたものです。

昼もいい雰囲気だけど万灯供養会だと美しい光景が見れるのだろう。


【多宝塔】






寛文2年(1662年)の再建にされたもの。

この寺で一番目につくのがこの極彩色で彩られた多宝塔です。
さすが重要文化財に指定されているだけあります。


【引聲堂】




御本尊阿弥陀如来、脇士観世音菩薩、勢至菩薩が祀られているそうです。


【地蔵堂】



【金堂】









【三つ葉葵】




3代将軍徳川家光が朱印寺に定められただけあります。


【ぼけ封じ観音】



【従軍記念碑】



【新観音堂】



【鐘楼堂】




寛文4年(1664年)再建されたもので彩色が美しい鐘楼堂でした。


【本坊】








手入れの行き届いた綺麗な本坊です。


【護摩堂】


歴代天皇と徳川歴代将軍の位牌が祀られているそうです。


【御影堂】


本堂の裏手にあり思わず見落とすところでした。

弘法大師が祀られているそうです。


【鎮守社】



【弁天堂】





【境内】





【御朱印】


この日は御住職が不在で本坊の玄関の前に書置の御朱印が置いてありました。

住吉神社(2012年7月21日参拝)

2012-07-29 | 神社
しかし今日も暑いですわぁ。
この時期は参拝するのも修行の一つのようです。(苦笑)



羅漢寺の近くに住吉神社と酒見寺があります。
まずは住吉神社へ。


所在地:兵庫県加西市北条町北条1318
主祭神:酒見神
配祀神:底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后、大歳神、応神天皇、仲哀天皇、四王子命、五王子命
社格:県社
創建:養老元年(717年)


【由緒】
養老元年(717)、老翁老媼の神様が五王子を伴い鎌倉山(河内町)に来られました。
随従していた佐保神は北条へ行くように勧め、その途中神宝を盗んで川東に逃げました。
この佐保神が祀られ佐保神社(社町)になりました。
その後、翁と媼は王子を伴い北条に来られて北条に六町歩の門田を持つ山酒人に宿泊を願い出ました。
酒人は手厚くもてなした後、神である証拠を見せてほしいとお願いしました。
すると、翌朝には六町歩の門田が悉く平地となり苗が大きな松に変わりました。
ここに山酒人が神殿を造り祀ったのが住吉神社(当時は酒見神社で明治期に改称)だといわれてます。

山の酒人なるもの摂津国の住吉大神の神託をかがふり本社を創設する。

神功皇后摂津住吉社領とし附近寄進。
平安朝、一条天皇の御宇正一位を寄せられ当国三宮として浅野家の崇敬あり。

鎌倉末期、北条別宮とし摂津住吉神社の所管となる。
建永2年(1207)、社殿焼失、後再建。

数度の兵乱にて社殿荒廃するも天正年間(1573~1591)、姫路城主池田輝政、
これを嘆き年々米三十石寄進。
後、藩主本多美濃守は年々米六十石を寄進。

慶安元年(1648)徳川家光より累代の将軍より崇敬あり。


【鳥居】


意外にも結構立派な鳥居で境内も広いようです。


【拝殿】








立派ですね~。

しかし拝殿の中に入ると鳥か蝙蝠か分かりませんが、
糞が散乱しており余り管理されてないのかなぁと、
少し残念な気持ちになりました。

やっぱり参拝は気持ち良くしたいもんね。


【本殿】






本社三殿が並んでる姿は見事です。

威厳を感じますね。


【稲荷社】





【境内社】



















御朱印はネットで調べてみるとあるようですが、
この日はどなたもいらっしゃらなかったのでいただけませんでした。

北榮山 羅漢寺(2012年7月21日参拝)

2012-07-27 | 仏閣
所在地:兵庫県加西市北条町北条1293
宗派:天台宗
御本尊:薬師如来
創建:不明
開山:不明
札所:播州薬師霊場11番


【縁起】
もとは酒見寺塔頭の一寺であったと言われるが、
戦国時代の兵火に焼かれた後、北条御旅町にあった薬師堂を移したと伝えられる。
境内に四百数十体の石佛を祭祀、通称五百羅漢と呼ばれているところから、
昭和十七年の宗教団体法施行時に寺名を羅漢寺とし天台宗に復帰。
(酒見寺はもともと天台宗であったが中途より真言宗に改宗現在に及んでいる)


【山門】


拝観料200円支払い境内へ。
蚊が多いからということで団扇を貸してくれた。(笑)


【本堂】




まずは本堂をお参り。

いくら羅漢が有名でも寺の根本は御本尊です。
しっかり拝みましょう。

ここで早速、蚊に血を吸われそうになって追い払った。

どこかの高僧のようにそのまま血を吸わせるほど人間が出来ておりません。(^^;


【北条石仏群】








パンフレットによると「いつ頃、誰が、何のために」造ったのか、
史実も資料も確かな言い伝えも何一つとして存在していない為、
今もって不明だそうです。

もともと石仏を造立することは亡き先祖を弔う純粋な信仰心の表れで、
この石仏群も何百年もの昔に戦争か飢饉で無残な死を遂げた人がたくさんあり、
それを当時の縁故の人々がその霊を追悼供養したものでしょうか。

石仏の彫刻技術は稚拙です。

稚拙さ故に職人集団ではなく普通の人々が供養の為に造ったのではないかと思います。
ただ単純に供養の為に。


【庚申堂】








御本尊・金剛青面龍王の他、いくつもの像と石仏が祀られています。


【ふれ愛観音】


でました!
こちらにもふれ愛観音さんがいらっしゃいました。

まさかこのお寺でお会い出来るとは思いませんでしたよ。(^^


【北条石仏群】





【聖天堂】


大聖歓喜天が祀られています。


【石棺】



【御朱印】




花の窟神社(2012年7月15日参拝)

2012-07-26 | 神社
瀞峡のジェットクルーズを楽しんだ後、
日本書紀に記され日本最古の神社といわれる花の窟神社へ。


所在地:三重県熊野市有馬町上地130
主祭神:伊弉冊尊、軻遇突智尊
創建:不詳


【由緒】
日本書記に「 一書曰伊弉冉尊火神を生み給う時に灼かれて
神退去ましぬ故れ紀伊国熊野の有馬村に葬しまつる土俗此神の魂を祭るには、
花の時に花を以って祭る。又鼓 吹幡旗を用て歌い舞いて祭る」とあり、
即ち当神社にして其の由来するところ最も古く、
花窟の名は増基法師が花を以て祭るより起これる名なり。

花窟神社は古来社殿なく石巌壁立高さ45米。
南に面し其の正面に壇を作り、玉垣で周う拝所を設く。
此の窟の南に岩あり軻遇突智神の神霊を祀る。
此の神、伊弉冉尊の御子なれば王子の窟という旧藩主に於いて、
此の霊地保護のため寛文9年9月、及び元禄8年11月四至限界御定書を下付し、
且つ高札を建て殺生禁断を布令せられた。


【花の窟】
神々の母である伊弉冊尊が火神・軻遇突智尊を産み、
灼かれて亡くなった後に葬られた御陵だそうです。

ということは葬送の地に神社が鎮座しているということになりますね。
これって珍しいと思うのです他にも結構あるのだろうか。


【鳥居】



【稲荷神社】




参道を進むとまず目に入るのがお稲荷さんです。

稲荷社ってどこの神社でも感じることですが、
薄暗い場所に鎮座してますよね。


【龍神神社】



【丸石】


石信仰も自然崇拝の一つであり石や岩に心霊が宿るという信仰は日本各地に存在しますが、
こちらでも丸石に神様が鎮まっているという丸石神仰が伝わっています。


【門】


簡素な門をくぐるといよいよ御神体を拝む。


【御神体】




この神社には本殿や拝殿はなくこの巨岩が御神体になります。

古より人間は巨大な石や大木に畏怖の念を抱き神格化してきました。

実際に目の前で見る圧倒的な大きさに私もそのような気持ちを抱きました。

この御神体の前では何にも悪いことは出来ないなと。(^^;






祈願を込めた白石を納めると願いが叶うと昔から言い伝えられているそうです。


【伊弉冊尊】


伊弉冊尊とは日本神話の大地母神であり人間の寿命を司る黄泉津大神。
同時期に生まれた国之常立神、豊雲野神、宇比地邇神、須比智邇神、角杙神、
活杙神、意富斗能地神、大斗乃弁神、淤母陀琉神、阿夜詞志古泥神、
伊邪那岐命と並んで「神世七代」と称される。

【軻遇突智尊】




軻遇突智尊とは日本神話にみえる火の神。
この火神はイザナミノミコトが神生みの最後に生んだ神で、
イザナミは陰部を焼かれて死ぬ。
夫のイザナキノミコトは怒って火神を斬る。
その血(火の色)から刀剣、雷神、水神が生まれ、
また死体から山の神々(山焼きの表象か)が生まれたという。


【大綱】


年2回、例大祭を行われ神々に舞を奉納し、日本一長いともいわれております
約170メートルの大綱を岩窟上45メートル程の高さの御神体から
境内南隅の松の御神木に渡すという神事が行われます。

この「御綱掛け神事」は太古の昔から行われているそうです。


【七里御浜海岸】


久しぶりにこんな良い海岸を見させていただきました。

帰宅してから調べたら全国渚百選の一つというこを知り納得。


【御朱印】