Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

江島神社(2013年3月17日参拝)

2013-04-30 | 神社



朝早くから海を見ながらの露天風呂は最高や。(^^




知らなかったんだけど、
大磯プリンスホテルからも富士山が見えるのね。(^^


さて、
これから江の島へ向かいます。

あのサザンオールスターズの聖地です。



所在地:神奈川県藤沢市江の島2-3-8
主祭神:多紀理比賣命、市寸島比賣命、田寸津比賣命
社格:県社・別表神社
創建:(伝)欽明天皇13年(552)


【由緒】
社伝によると欽明天皇十三年(552年)に、「欽明天皇の御宇、神宣により詔して
宮を島南の竜穴に建てられ 一歳二度の祭祀この時に始まる」とあります。

これは、欽明天皇の勅命で島の洞窟(岩屋)に神様を祀ったのが、
江島神社の始まりであることが記されてます。

当時は海運、漁業、交通の守護神として祀られ御窟を本宮といい、
奥津宮を本宮御旅所、中津宮を上の宮、辺津宮を下の宮と呼んでいました。

その後、文武天皇4年(700)に役小角という修験者がこの御窟に参籠して神感を受け、
泰澄、道智、弘法、安然、日蓮などの名僧が次々に行を練り、
高い御神徳を仰いだと伝えられています。

それから後、仏教との習合により江島は金亀山与願寺と号し、
源頼朝は鳥居を奉納し、北条時政は参籠し、
龍の三つの鱗を授けられそれを家紋としました。
また御宇多天皇は蒙古軍を撃ち退けた御礼として江島大明神の勅額を奉納されました。

神仏習合時代にも江島大神としての御神威はいささか曇り給うことなく、
御神徳はいよいよ広大に仰がれました。

明治初年の神仏分離によって仏式を全廃して純神道に復し、
改めて「江島神社」と号し現在に至ります。


【青銅の鳥居】


朝の9時前であったがそこそこ観光客がいましたね~。

さすが名高い観光スポットの江の島だけあります。

時間も無いのでこの鳥居をくぐり一目散で神社へ向かう。
参道の食いもん屋は完全無視。

私が神社仏閣に参拝する時はいつも「食」は後回しで、
コンビニでパンだけで済ませることも多いんですよね。


【大鳥居】


お~、
これは期待感が高まる鳥居と後ろに見える瑞心門ですね。

この鳥居の横にエスカーという有料のエレベーターがありましたが、
9時から開始ということでした。

まぁ、動いていてもエスカーを利用するつもりはありませんけどね。

でもお年寄りや足腰の悪い人達にとっては有難いモノでしょう。


【瑞心門】





【弁財天】


この彫刻がなかなか素晴らしい。


【辺津宮】


まず最初に到着したのが下の宮とも呼ばれ田寸津比賣命が祀られている辺津宮。

源実朝公により建永元年(1206)に創建、
現在の社殿は延宝3年(1675)に再建されたものだそうです。


【奉安殿】




時間も無いしまだ拝観時間前の雰囲気を感じたので華麗にスルーしちゃったけど、
後で調べると源頼朝が寿永元年(1182)に寄進したと伝えられる八臂弁財天、
世にも珍しい裸弁財天等が祀られているとか。

以前、裸の弁財天の事がテレビで紹介されていましたけど、
ここだったとは。

しまったなぁ。
ここは外していけない参拝ポイントだったのに。

またいずれの日かこの地に来ます。
その時は必ず参拝するとしよう。

時間が無くて奥津宮や岩屋洞窟も行って無いしね。


【八坂神社】





【むすびの樹】



【秋葉稲荷神社】



【遠景】


湘南の海を見ながらちょっと休憩。


【中津宮】




美しい社殿です。

何度も美しい恋したいので熱心にお参りしました。(^^


【狛犬】



【御朱印】



残念ながら時間が無くてここで終了。(泣)

滞在時間僅か40分とか泣けてくる。
これがツアーのツライところなのよ。

めっちゃ消化不良だけど安いツアーだから仕方なし。

富士山・芦ノ湖・大涌谷(2013年3月16日)

2013-04-29 | 旅行、その他
今日から一泊で富士、鎌倉を巡るツアーに参加。

富士山は言わずもがなですが、
鎌倉は小田原とともに私の憧れで前から行きたかった場所なんで、
非常に楽しみです。

とはいえ鎌倉大仏と長谷寺しか行けないけど。
まぁ、雰囲気は感じることは出来るでしょう。

鎌倉は翌日で本日は富士山を見に行きます。


安いツアーなんで岐阜羽島から新東名をバスでひたすら走ります。

これが結構長い。

しかし静岡に入ると見えてきました。








今日は天気も良くて霞んでもいないのでクリアに見えます。

バスの左側に座れてラッキーでした。


自然に湧き上がる拍手。
やっぱり富士山って見れたら嬉しいよなぁ。

こんな山は富士山以外無いよね。

もうこれでツアー代がペイ出来ました。(^^


ガイドさんによると二日間全く富士山が見えない時もあるとか。

仕方ないとはいえ富士山が見れなかったらガッカリもいいとこだよ。(^^;




サービスエリアで休憩してたら工場が火事。

昔、隣家が火事になったことがあって、
ウチにも燃え移るかと金玉が縮みあがったよ。(^^;

あの時は土地の権利書や通帳関係を必死で安全な所に移したもんなぁ。

本当に必死だった。(遠い目)

なんとか延焼は免れたから良かったものの、
我が家まで燃えていたと思うとゾッとしますよ。

で、火元の隣のおっさんは二階のベランダから飛び降りようとするし、
ちょっとした修羅場になっていた。(^^;

何とか消防車のハシゴで降りて助かったから良かったよ。


火事は本当に怖い。
皆さんも火事にならないように気を付けましょうね。


【箱根関所】


芦ノ湖遊覧船の乗り場近くにありました。

時間も無いしさほど興味も無いので華麗にスルーしました。


【芦ノ湖】




天気が良くて気持ちがいい。








富士山はやっぱり最高やね。






遠くに鳥居が見えた。






あ~、この鳥居は箱根神社のものですね。

この近くで遊覧船を降りるのにツアーは箱根神社に立ち寄る予定なし。

ツアーの宿命とはいえ、
ここまで来ておきながら華麗にスルーとは悲し過ぎる。


【大涌谷】
箱根ロープウェイに乗って大涌谷へ。

ここって物凄い人気スポットなんですね。
車も大渋滞で人も多過ぎ。(^^;



ここからも富士山が見えるのですが霞んでいました。








自然は偉大です。

さすが人気スポットになるだけあります。

かつて「地獄谷」と呼ばれていたが明治天皇・皇后の行幸啓に際し改称されたそうです。




こんな所に何故地蔵尊があるのか不思議でした。

しかしこのお地蔵さんは只者ではありません。

何故なら昔弘法大師が大湧谷の地獄のような風景に心を痛め、
地蔵菩薩をつくり祈願したのがはじまりと言われているそうです。


さて、
本日はこれから湘南を通って宿泊先の大磯プリンスホテルへ。


明日はいよいよ鎌倉と江の島だ。(^^

今宮神社(2013年3月2日参拝)

2013-04-28 | 神社
建勲神社から大徳寺の横を過ぎると鎮座するのが今宮神社。
何気に初めて訪れる神社です。

というか、
訪れてない神社仏閣の方が遥かに多いです。

いつの日か京都市の神社仏閣は制覇したいものである。

無理か。(^^;



所在地:京都市北区紫野今宮町21
主祭神:大己貴命、事代主命、奇稲田姫命
社格:旧府社
創建:正暦5年(994年



【由緒】
当社地には平安建都以前より疫神を祀る社があったといわれる。
建都ののち平安京が都市として栄える一方で、人々はうち続く疫病や災厄に悩まされ、
これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祗園社など各地で盛んに御霊会が営まれた。

今宮社の紫野御霊会もその一つである。
すなわち、一条天皇の御代正暦五年(994)六月、
当社地の疫神を二基の神輿に齋いこめて船岡山に安置し神慮を慰め奉って悪疫退散を祈った。

これが紫野御霊会であり今宮祭の起源である。
そしてこの時、京中の老若男女は挙って神輿に供をし船岡山へ登り、
綾傘に風流を施し囃子に合わせて唱い踊り病魔のよれる人形を難波江に流したといわれる。
これが夜須礼(やすらい祭)である。

長保三年(1001)ご霊夢によって疫神は船岡山から再び現在の当社地に奉遷され、
新たに設けられた神殿三宇ともども今宮社と名づけられた。
これが今宮神社の起源である。

創祀以来朝野の崇敬を集め、
とりわけ徳川綱吉公生母桂昌院の崇敬は西陣への愛郷の念とともに厚く、
元禄七年(1694)には荒廃していた社殿の造営など大いに務められ、
祭礼も往時のような盛況を取り戻したと伝えられる。


【大鳥居】


神社から数百メートル離れた所にありました。

とても立派です。


【楼門】




お~これは凄い。

京都でも有名な神社ですけど、
これは思っていた以上に大社のようですね。

まだ雪が降っていて寒い。


【東門】


この辺りだとさすがに駐車場も有料になりますね。
しかも台数が20台ぐらいしかありません。

祭の時は車は諦めた方がいいみたいですね。


【境内】


いや~なかなか良い雰囲気です。

しかも境内は結構広いですね。


【絵馬殿】



【拝殿】




渋いって訳ではないけど立派な拝殿です。


【狛犬】


拝殿前の狛犬です。


【本社】








美しい。

これほど気品のあるお社は久しぶり。

見てるだけで清々しい気持ちにさせてくれました。
とても寒かったけど。(^^;


【疫社】






健康長寿と厄除にご利益があるそうで。

ここは熱心にお参りしました。(^^


【織姫社】


御祭神:栲幡千千姫命


【八社】


大国社・蛭子社・八幡社・熱田社・住吉社・香取社・鏡作社・諏訪社の八社が祀られている。


【境内社】


八幡社・大将軍社・日吉社


【織田稲荷社】


織田信長公を祀る「織田稲荷社」は墓所阿弥陀寺の移転跡地、
西陣元伊佐町に鎮座したが、これを昭和六十二年に当社境内に遷し祀ったそうです。


【阿呆賢】




古くから「神占石(かみうちいし)」とも云われ、
病弱な者はこの石に心を込めて病気平癒を祈り、
軽く手で撫で身体の悪きところを摩れば健康の回復を早める。

また、「重軽石(おもかるいし)」とも云はれ、
まず軽く手の平で三度石を打ち、持ち上げるにたいそう重くなり、
再度願い事を込めて三度手の平で撫でて持ち上げる。

軽くなれば願いが成就すると言い伝えられておりますが、
私は重く感じました。(泣)


【月読社】






伊勢神宮の別宮月読宮の御祭神である月読尊が祀られていました。


【若宮社】



【地主稲荷社】


天孫降臨に関わる神とされる倉稲魂大神・猿田彦大神が祀られていました。


【宗像社】


素盞鳴尊の十握剣から生まれられた宗像三女神が祀られていました。


【神馬舎】



【御朱印】




これにて本日の京都神社仏閣巡りはおしまい。

今回もとても充実した日であった。(^^

建勲神社(2013年3月2日参拝)

2013-04-27 | 神社
お寺に少し飽きてきたので神社に参拝しようということで
大徳寺近くに鎮座する建勲神社へ。

こちらの神社の御祭神があの織田信長です。



所在地:京都府京都市北区紫野北舟岡町49
御祭神:織田信長公
社格:別格官幣社・別表神社
創建:明治3年(1870)



【由緒】
明治2年(1869)11月8日、戦国時代を天下統一、朝儀復興などを進めた織田信長を賛える為、
健織田社(たけしおりたのやしろ)の創建が明治天皇により決定された。

翌明治3年(1870)10月17日、織田信長の子孫で天童藩知事・織田信敏の邸内と
織田家旧領地の山形県天童市に建勲社が造営された。
明治8年(1875)4月24日に別格官幣社に列格した。

現在地の船岡山は平安京の四神相応の玄武に位置し、
豊臣秀吉によって信長の廟所と定められた地である。

その船岡山に神社を移すことになり、明治13年(1880)9月、社殿が竣工して東京より遷座した。
この時は現在表参道を少し登った所にある「大平和敬神」の石碑が建っている場所に本殿があった。

明治14年(1881)に織田信忠が合祀、明治43年(1910)に社殿が現在の山頂部分に移建された。


【境内図】



【北参道】


初めて訪れたこの神社。
車が通れる参道が見えたのでてっきり上に駐車場があると思ったら、
ここで行き止まり。

車は縦に2台ギリギリ停めれるかどうかの狭いもので、
しかもUターンが非常に厳しい。

なんとかUターン出来たからいいものの、
出来なければ数百メートルバックで戻らなければならないところであった。

本殿まで楽に行けるけど北参道を車で登るのは覚悟が必要です。


【大鳥居】


東参道をわざわざ下って鳥居へ。

めんどくさいけど神社は鳥居からじゃないとないとね。(苦笑)

そしてまた東参道を登る。(^^;


【義照稲荷神社】








鳥居をくぐり東参道すぐに鎮座する末社。

宇迦御霊大神、国床立大神、猿田彦大神が祀られていました。


【稲荷命婦元宮】


伏見稲荷大社命婦社の親神「船岡山の霊狐」が祀られている。

伏見の稲荷山とは極く古い昔より神霊の交渉が多かったようで、
この社はまさに伏見のお稲荷さんの元宮であり、
又、秦氏の守護神として今日の西陣織の祖神をなしている。


【狛狐】


檻で閉じ込められておりました。

逃げないようにする為でしょうか。(^^;


【大明神】



【船岡稲荷大神】



【新八大神・笠七大神】


さぁ、どんどん東参道を登っていこう。


【参道】


拝殿が見えてきました。

それにしても綺麗に手入れが行き届いた参道です。


【拝殿】




雪が降ってきた。

低い山とはいえ、やっぱり寒い。


【狛犬】



【神門】





【境内】


拝殿と手水舎が見えます。

これだけ寒いと手を洗う気がしないけど我慢我慢。(^^;




左手に社務所と奥に見えるのが貴賓館です。

更に遠くは京都の街並みが見えます。


はぁ、それにしても寒い。
誰か私を温めて。(^^


【御朱印】

妙蓮寺(2013年3月2日参拝)

2013-04-26 | 洛中法華21ヶ寺
以前参拝して御朱印をいただけなかった興聖寺へ向かうも、
山門が閉まってる。

なんでやねん。(泣)


気を取り直して興聖寺近くの妙蓮寺へ。



所在地:京都府京都市上京区寺之内通大宮東入妙蓮寺前町875
宗派:本門法華宗
御本尊:十界曼荼羅
創建:永仁2年(1294)
開山:日像
開基:柳屋仲興
札所:洛中法華21ヶ寺


【沿革】
宗祖日蓮大聖人より帝都弘通宗義天奏の遺命を受けた日像聖人が遺命を果たす為、
鎌倉より京都へ上られた時、五条西洞院の柳酒屋は深く聖人に帰依し、
未亡人は邸内に一宇を建立して聖人を請じ卯木山妙法蓮華寺と称した。
これが妙蓮寺の縁起である。

その後、たびたびの法難にあったが応永年間(1420年頃)本勝迹劣、
本迹一致の論争を契機に妙顕寺を退室した日慶聖人によって
柳屋の地に本門八品門流として再興された。

その後、寺域を堀川四条に移し皇室ならびに伏見宮家と関係深い日応僧正を迎えるに及び、
皇族始め足利将軍義尚等の参詣多く、また今出川家の公達日忠聖人は、
三井寺より改宗して当寺に投じて学室道輪寺を創立し、本化教学の道場を開く。
ここにおいて当寺の法運は隆昌を極め、山門の様式も格式高いものとなった。

天文5年(1536)には法華宗の隆昌を妬む比叡山天台宗を筆頭に
諸宗の僧俗10万人によって襲撃され、妙蓮寺をはじめとする日蓮聖人門下21本山は、
ことごとく灰燼に帰し堺に立ち退いた。
 
天文11年(1542)大宮西北小路に復興され、天正15年(1587)には、
豊臣秀吉の聚楽第造営に際して現在地に移転した。
当寺は1k㎡の境内に塔頭27ヶ院を有する大寺院であったが、
天明8年(1788)の大火によって、そのほとんどが焼失し僅かに宝蔵・鐘楼を残すのみとなった。

寛政元年より漸次復興して現在に至り塔頭8ヶ院を残す。


【山門】


日蓮系法華宗としてはなかなか良い雰囲気を感じる。

それもそのはず、
文政元年(1818)に禁裏(御所)より拝領したものだそうです。


【鐘楼堂】


袴腰鐘楼はやっぱりいいですね。


【本堂】


1789年に敦賀本妙寺の祖師堂を移したものだそうですが、
本堂を見ると最近改築されたものと推測出来ます。


【日像上人像】



【庭】


桜が咲いたらさぞかし美しいことだろう。

でも私はその時期に神社仏閣は出来るだけ参拝しないようにしている。
何故なら私は桜で着飾った神社仏閣よりも普段のありのままを見たいから。


【庫裏】


こちらで御首題や拝観受付をしています。

このお寺では500円を支払えば十六羅漢石庭や秀吉が寄進した臥牛石が拝観可能。
更に300円追加すれば収蔵庫や長谷川等伯の襖絵が拝観可能。

うーむ、合計800円か。
なかなかヘビーですね。

だから長谷川等伯だけを見に来る人も結構いるとか。

私は長谷川等伯に興味は無いですが。


尚、京都のお寺には珍しく素泊まり3800円で宿泊出来ます。

お金が無くてお寺の雰囲気を感じたい方は是非。(^^
十六羅漢の庭園無料見学の特典付きです。


「ひとりでうろつく京都(β版)」というブログでクリスマスイブに
男ひとりで素泊まりされている様子が書かれていますのでご紹介しておきます。(笑)

http://aloneagainorkyoto.com/2011/2011-12-24-myourenji-01/


【刀痕】




庫裏の柱にありました。


御首題は上人が留守で書置きも品切れでしたのでいただけませんでした。

またの機会にいただきに訪れたいと思います。