Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

長榮寺(2013年1月19日参拝)

2013-02-16 | 河内西国三十三箇所
所在地:大阪府東大阪市高井田元町1-11-1
宗派:正法根本道場 新真言宗
御本尊:十一面観音
開基:聖徳太子
開山:慈雲尊者
札所:河内西国結願所、河内飛鳥古寺霊場



【由来】
長栄寺は日本への仏教伝来、当時の百済の僧によって建立、管理されたといわれている。

考古学の権威門脇禎二教授によれば四天王寺と飛鳥寺を建立の後、
大阪東部にこの寺を建立したのではないかと言う説を立てている。
そのうえで飛鳥時代に推古天皇、聖徳太子、蘇我馬子が、
創建にかかわったことがうかがえるとしている。

そして百済僧、恵聴は飛鳥寺に住み聖徳太子に仏教を教え最高大臣の蘇我馬子をして
長栄寺を建立したとしている。

また長榮寺は慈雲尊者全集によれば河州高井田村百済山西之坊 長榮寺と称し、
中興初代文職とあり第10世・中興初代忍網貞紀和上とある。

この忍網貞紀和上はほかならぬ慈雲尊者の剃髪の師であり終生敬幕した名僧である。

この忍網貞紀和上 の次に第一一世、中興第二世として住したのが慈雲尊者であり、
以後尊者の高 弟やその弟子達が後を嗣いでいる。


【雙龍庵】




駐車場に車を停めたらまず目に飛び込んできたのが、
この渋い建物である。

いきなり良いモノを見せていただいた。

実は反対側にも駐車場があり、そちらの方が山門や本堂に近いです。


ちょうど庫裏の前に奥様がいらっしゃって、
中に入ってと言われたので入らせていただいた。

私の後ろには骨壺を持たれてる方々も居て恐縮。(^^;


庫裏の中に仏様が祀られており、
こちらで法要が営まれることもあり早々にお祈りして退散。


【山門】


庫裏から境内を歩き山門へ。

やっぱりお寺は山門から参らないとね。


【仁王像】


独特のお顔をされております。


【不動明王】



【弘法大師】



【本堂】




文政8年(1825年)に再建された立派な本堂です。

残念ながら堂内に入ることは出来ませんでした。


【護摩堂】




堂内は2月から入ることが出来ます。


【開山堂】



【北向地蔵尊】



【涅槃堂】



【鎮守社】



【御朱印】

玄清寺(2012年8月4日参拝)

2012-08-23 | 河内西国三十三箇所
額田戎神社参拝後、更に坂道を登るとすぐに玄清寺がある。


住所:大阪府東大阪市東山町11-17
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀仏如来
創建:慶長2年(1597)
開山:聖誉上人
札所:河内西国観音霊場


【山門】



【本堂】




昭和47年建立。

予想以上に立派な内陣と御本尊様です。
外観はあんまり好きじゃないんだけど。


【観音堂】




元文元年(1736)建立されたもの。

御本尊の聖観音像、脇侍の地蔵尊像(右)と共に聖徳太子2歳像(左)が祀られていました。


【鐘楼堂】


鐘楼堂や観音堂の横に一般の墓がありましたので写真撮影し難かったです。

社寺巡りのブログでたまに一般の墓が写っているのをUPしてるのを見ますが、
私は写真は撮らないようにしている。

一般の方の墓にはリアルに納骨されているのが多いので。


武将等の歴史上の人物の供養塔などは遺骨が埋葬されていないので撮れるけどね。

あ、平将門だけは写真撮影は出来ません。(汗)


【法然上人和歌】
月影の 至らぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ

意味は月の光が照らさないところはないが、
月を眺める人の心にこそ月は澄み渡るのである。


【御朱印】


御住職が留守でしたので書置きをいただきました。

大龍禅寺(2012年6月3日参拝)

2012-07-08 | 河内西国三十三箇所
所在地:大阪府東大阪市日下町8-3-57
宗旨:黄檗宗
御本尊:十一面観音
創建:元禄年間
開基:聖徳太子
開山:慧極、泰宗
札所:河内西国三十三観音霊場


【歴史】
古くは598年(推古6年)聖徳太子が自作の観音像を安置、創建したと伝わり、
元瑞雲山巌松寺と称していた。
貞亨3年(1686年)夏、干ばつが続いた為、奉宗禅師が雨乞いをしたところ、
たちまち雨が降り大龍が宮中に現れたというところから寺号を大龍寺とした。


【山門】


簡素ですが渋い雰囲気を醸し出しております。

さぁ、境内に入りましょう。


【斉堂】



【仏殿】


本堂に入らせていただいた。

これが予想以上に良かった。




















これほどの仏様達がいらっしゃるとは。

しびれました。


【経王塔】



【地蔵尊】



【開山堂】



【行者堂】





【御朱印】



このお寺は全然有名ではありません。

掘り出しものって言ったら怒られるかもしれませんが、
まさにそんな感じのお寺でした。

また訪れたいと思う。

千手寺(2012年1月1日参拝)

2012-01-25 | 河内西国三十三箇所
石切神社参拝後、参道を歩き途中にある千手寺へ向かうが、
その前にまずこの自称日本で三番目の大佛を拝顔しなくては。(笑)




満足です。(^^


それでは千手寺へ。


住所:大阪府東大阪市東石切町3-16
宗派:真言毘盧舎那宗 
御本尊:千手観世音菩薩
開基:役行者
創建:西暦700年頃
札所:役行者霊蹟札所、河内西国三十三箇所


【歴史】
今から千三百年程昔のこと笠置山千手窟で修行していた役行者は、
不思議な神光に導かれて生駒山を越えこの地に到りました。
岩上に草を敷き黙念する行者のまのあたりに千手観音が諸々の神祇を並び従えて姿を現されました。
そこでこの地を拓いてはじめて寺を建て恵日山千手寺と題しました。
ゆえにこの寺を俗に呼んで光堂と称し、また里の名を神並村と号するようになりました。


【山門】



【本堂】


別名光堂といい阿弥陀如来や千手観音、地蔵菩薩などをあんして西方浄土に往生を願うお堂のことで、
方形造り正面三間の比較的小規模の堂宇のことをいいます。

千手寺の旧本堂は享保5年(1720)の建立でしたが老朽化の為、
昭和59年今日の姿に改められました。

現在のお堂は方形造の本堂に礼堂をとりつけた珍しい形式の建物です。

南北朝時代正平12年(1357)南都興福寺大佛師康成の造立の本尊千手観音立像が祀られている。


【護摩堂】




もとは開山堂(安永2年-1773再建)と称し役行者が祀られていました。

現在は木造不動明王座像、厨子入不動明王立像が祀られています。
いずれも宝山寺を開いた高僧湛海作。


【境内】



【鐘楼】



【役行者像】



【鎮守社】


中興の祖である在原業平と鎮守の菅原道真公が祀られています。


【お地蔵さん】



【御朱印】


今回は河内西国の御朱印をいただきました。



野崎観音 慈眼寺(2011年12月28日参拝)

2012-01-24 | 河内西国三十三箇所
所在地:大阪府大東市野崎二丁目7-1
宗派:曹洞宗
御本尊:十一面観世音菩薩
創建年:天平勝宝年間(749年~757年)
開基:行基
札所:河内西国三十三箇所特別客番



<2011年2月26日参拝)
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/e9838a5e802f167ebe0c567f0bc09da4


【歴史】
福聚山慈眼寺といい禅宗のお寺で今から1300年ほど前、天平勝宝年間(749〜757年)に大仏開眼の為、
来朝した婆羅門僧正が「野崎の地は釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(ハラナ)によく似ている」と
行基に申され感動された行基は観音様のお姿(十一面観音)を彫みこの地に安置されましたのが
このお寺のはじまりです。
幾多の戦乱の為荒れ果て1565年(永禄8年)三好・松永の兵によって全焼し、
御本尊の観音様だけが残り長い間、小さいお堂のままでお祀りしてありましたが、
元和2年(1616年)青厳和尚がこのお寺を復興。


【山門】



【本堂】





【三十三所観音堂】



【鐘楼】




梵鐘は宝永五年鋳造。


【大阪平野】



【お染久松の塚】


野崎観音はお染久松を主題にした近松半二「新版歌祭文」をはじめ、
近松門左衛門「女殺油地獄」、落語「のざき詣り」、東海林太郎「野崎小唄」等で知られております。


【お地蔵さん】



【南條神社】


祭神・牛頭天王・スサノオノミコトが祀られています。


御朱印は15時半頃着いたのですが寺務所が閉まっていましたのでいただけませんでした。


とりあえず今年の参拝は打ち止め終了です。