Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

専念寺(2013年1月12日参拝)

2013-01-31 | 仏閣
貴布禰神社から歩いて5分ほどで尼崎の寺町に到着。

なかなか良い雰囲気な感じがしますね。
寺町に着いて最初に見えたお寺が専念寺。






平重盛公と所縁のあるお寺で仏像が充実しているお寺のようです。



所在地:兵庫県尼崎市寺町12
宗派:浄土宗鎮西派
御本尊:阿弥陀如来
創建:治承元年(1177)
開基:平重盛
開山:仙坊心寂


【山門】


平重盛の菩堤所となり朝廷から朱塗りの山門を許されたと伝えられ、
山門に朱色を施して通称「赤門の寺」と呼ばれているそうです。


【本堂】


残念ながらこちらは観光寺院ではなく、
七福神巡りとも関係ないお寺なので門から中に入ることは出来ませんでした。


【仏像】




画像はネットで拾ったものですが、
本堂内の阿弥陀如来坐像と十一面観音菩薩立像は、
専念寺が開創された時から伝わるもので重盛が平安時代に拝んでいたとか。

通常非公開なのが残念でならない。


御朱印の有無ですが恐らく無いと思われます。

貴布禰神社(2013年1月12日参拝)

2013-01-30 | 神社
神戸の長田神社から尼崎に鎮座する貴布禰神社に到着。

尼崎七福神を始める人だったら地理的に一番最後になる神社ですが、
私は色紙を買って巡らないので、
走って来た43号線沿いにある貴布禰神社から参拝。

貴布禰は「きぶね」と読みます。



所在地:兵庫県尼崎市西本町6-246
御祭神:高寵神
配祀神:加茂別雷神、加茂御祖神
創建:不明
社格:県社
札所:尼崎七福神巡り


【由緒】
貴布禰神社は全国に約460社あり総本宮は京都・鞍馬の貴船神社。
伝承によると「神武天皇の皇母・玉依姫命は雨風の国潤養土の徳を尊び、
その源を求めて、黄船に乗り、瀬戸内から尼崎、淀川、鴨川を遡り、
その川上貴船川の上流のこの地に至り清水の湧き出ずる、霊境吹井を認めて水神を奉斎す」とある。
この尼崎とは旧社地(長洲)と推察される。

京都の貴船神社は表記が違うがこれは明治4年に太政官達を以て変更されたもの。

長洲貴布禰神社によれば平安京遷都の折、調度の運搬を命ぜられた紀伊の紀氏が
任務の成就を己が護神に祈願したところ、予定通りに事が運び、
報謝のために吉備真備に謀りこの地を定めて社を奉建したと伝えられる。

長洲貴布禰神社は京都鴨社の社領である長洲御厨に位置し長洲の集落の微高地に建てられている。
大覚寺との関係が多大で加茂の御厨の雑掌として鎌倉末期に尼崎・長洲の地に来た大覚寺が、
賀茂御厨の守護神として賀茂別雷大神と賀茂御祖大神を奉斎していた。

その後、貴布禰社を京都より勧請して自寺の境内社とし賀茂社を吸収したものと考えられる。
この三神は鴨川水系の同系神と見られ合祀されたようでその後、転々とした。

1500年代の尼崎築城とともに城内三の丸に鎮座し、
元和年間の尼崎城主・戸田氏鉄によって行われた改築城の際、
役人町へ、その後、火災や洪水などに見舞われ正徳五年(1715)に現在地に遷座した。

江戸時代には尼崎藩のご祈願所となり公式祈願祭をそれまでの大覚寺に変わって斎行した。
また城主の崇敬はすこぶる篤く初代戸田家から始まり次代青山家からは家紋をいただき、
三代櫻井松平家とは最近に至るまで重厚な崇敬を受けている。

昭和20年戦災に遭い文政8年竣工の社殿を焼失したが、昭和25年に阪神間の被災神社に先駆けて復興。
また平成7年の阪神淡路大震災でも大鳥居の倒壊、南門の半壊など被災したが、
氏子また会社工場の協力により翌年までには全て復興がなされた。


【鳥居】


この神社には鳥居が二つあり、
もう一つは43号線沿いに新しい大きな鳥居があります。

こちらの鳥居は結構古い感じがします。

駐車場は二つの鳥居の所に各10台以上停めれます。


【相殿社】





【榎社】





【愛敬三社】







【市庭戎神社】




結構境内社がありますね。


【白龍大神】





【白波稲荷神社】





【狛犬】


陶器で出来ているようですが、
口の周りが残念ながら割れていました。


【拝殿】




昭和25年に再建されたもの。

本殿ともに立派なものです。
正直、尼崎にこれほどの神社があるとは知りませんでした。(^^;


【狛犬】



【本殿】



【表門】


これがまた立派なもので約300年前のものと推測されています。

阪神淡路大震災では半壊したが根元を米檜で継ぎ足すなどして修復。

よく見ると根元の所で色が違うのが分かります。


【大鳥居】


こちらが43号線沿いの鳥居です。

この鳥居と表門を抜け境内に入ると駐車場があります。


【旧大鳥居】


阪神大震災で倒壊した以前の大鳥居です。

近くで見ると結構太い鳥居がこのようにポッキリと折れています。

大震災の威力がまざまざと分かります。


【御朱印】


印が上品でいいですね~。

御朱印代を支払おうとすると奥様は受け取られなかった。

最近こういうことが多いなぁ。(^^

有難いですが今回も賽銭箱にインして参りました。

長田神社(2012年1月12日参拝)

2013-01-29 | 神社
今年は久しぶりに七福神巡りをしようといろいろチェック。

当初は日本最初の七福神巡りである泉涌寺の七福神巡りに行こうと考えていました。
こちらは笹を貰って塔頭を回って福を授かるというものです。

しかし成人式の14日は生憎天気が大荒れの予想。
冬の京都の大荒れって寒いしめちゃくちゃツライのよ。(泣)


まぁ、来年もやることだし今年は諦めて他の七福神巡りを探す。

そこで気になったのが尼崎寺町七福神めぐり。

へぇ~尼崎に寺町があるなんて初めて知ったよ。

で、どんな七福神めぐりなのか調べてみた。




尼崎駅前商店街で上のような色紙を500円で買って、
各社寺を巡って七福神のキャラクターの顔のハンコを自分で押していくというもの。

う~ん、
朱印じゃなくキャラクターの顔のハンコを押すのかぁ。

これは完全にスタンプラリーですよね。

まぁ、御朱印をいただくのもスタンプラリーと揶揄されるかも。(苦笑)


しかも色紙の七福神がもうちょっと威厳のあるキャラだったらいいのだが、
余りにもマンガっぽくて嫌なんですよね。

という訳で尼崎の寺町は巡ることにしたが、
色紙を買うのは止めました。(^^;


尼崎に行く前に関西一の品揃えである酒屋に寄ることにした。

その店で兼八と飛露喜特撰純吟をゲット♪




尼崎に向かって車を走らせていると近くに長田神社があるのを思い出す。
ここはKOBE七福神の札所の一つ。

今年の七福神巡りに決定。(^^

KOBE七福神の札所は長田神社、大龍寺、天上寺、念仏寺、生田神社、湊川神社、須磨寺になります。

大龍寺と天上寺はいつか行かねばと思っていたのでちょうど良かったです。



所在地:兵庫県神戸市長田区長田町3-1-1
主祭神:事代主神
社格:名神大社、官幣中社
創建:伝・201年(神功皇后摂政元年)


【拝殿】



【蛭子社】



【御朱印】




サイズは縦52.8センチ、横38センチと大型のものになります。

新田山王宮 大神社(2013年1月6日参拝)

2013-01-28 | 神社
勝福寺参拝後、車を少し走らせたら鳥居を発見。
これも何かのご縁ですから参拝することに。(^^


所在地:大阪府大東市新田東本町884
御祭神:大山咋命
創建:不明


【由緒】
新田という呼称は当時の既存の集落に対し、
新しく開拓された土地であるところから付けられたものである。
しかし豊臣秀吉の太閤検地を受けており、
その時点での新田村であり、その開拓の起源は戦国期に遡るといえよう。

伝承によれば当地の開拓を手がけたのは、近江(滋賀県)から移って来た人達であった。
そこで氏神も故郷の神である山王宮(日吉神社)をこの地に勧請したという。
改築前の社殿には享保二年(1717)の棟札があり、
その時に新築されて二百七十年間、この間には氏子による修築が加えられていた。


【鳥居】



【境内】



【門松】



【拝殿】





【狛犬】



【境内社】






稲荷社などが祀られていました。


この神社は木々の茂みが無いので殺風景に感じる神社です。

しかし氏子連によりしっかりと管理されているようですね。

神社庁によると神職不在神社で問い合わせ先が四条畷神社になっていますので、
四条畷神社の神職が兼任しているのかも知れません。


四条畷神社でこちらの神社の御朱印をいただけると淡い期待をしたが、
やはり御朱印は無いようです。

勝福寺(2013年1月6日参拝)

2013-01-27 | 仏閣
諸福天満宮の真ん前に勝福寺というお寺がある。
小さいお寺ですが折角なんで寄ってみた。

おそらく明治以前までは諸福天満宮の宮寺であったのだろう。


所在地:大阪府大東市諸福1-7-14
創建:慶長元年(1596)
宗派:曹洞宗
御本尊:十一面千手観世音菩薩
開基:東治左衛門
開山:白如明庵和尚


【歴史】



【山門】



【本堂】


御本尊の他に135体の羅漢像、10体ほどの立像が祀られているそうです。

是非とも拝観したかったが残念ながらお寺の方は不在でした。

見れるとすれば朝早くの座禅会の時かな。


【諸福不動尊】


お不動さんが祀られていました。


御朱印の有無は不明ですが、
恐らく無いと思われます。