Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

三宅八幡宮(2013年5月2日参拝)

2013-05-31 | 神社
ちょっとどんよりした気持ちを抱きつつ、
崇導神社から車で数分の場所に鎮座する三宅八幡宮へ行って気分転換しよう。


所在地:京都府京都市左京区上高野三宅町22
主祭神:応神天皇
社格:村社
創建:飛鳥時代



【由緒】
社伝によると推古天皇の時代(6~7世紀)、
聖徳太子の命により小野妹子が遣隋使として隋におもむこうとした折に、
道中、築紫の辺りで病気になったところ、近くにあった宇佐八幡宮に祈願すると
またたくまに全快し随に渡った後も数々の危難を免れ、無事帰国することができた。

聖徳太子の没後、上高野の地に移り住んだ小野妹子はその時の恩に報いる為、
宇佐八幡宮を勧請し八幡神をお祭りしたと伝えられています。

後に、南朝の忠臣であった、「備後三郎三宅高徳」がこの地に移り住んで大神を崇敬したことから、
いつしか「三宅八幡宮」と称するようになったといわれています。

応仁の乱の戦火によって全焼しましたが、数十年後に里人たちによって復旧され、
明治時代に入ってから拝殿(明治2年)、本殿(明治20年)が再建されました。


【鳥居】


駐車場は鳥居の近くに停めれます。
ただし神社参拝者のみとなります。


【二の鳥居】


扁額の八の字が鳩の姿になっておりました。


【狛鳩】


狛犬ならぬ狛鳩。

これは珍しいですね。


【拝殿】


この屋根の反り具合がたまらない。


【本殿】


この辺りにも鳩が沢山おり、
気分転換に鳩と戯れておりましたよ。(^^


【御朱印】

崇導神社(2013年5月2日参拝)

2013-05-30 | 神社
蓮華寺の横に鎮座する神社が崇導神社。

神社名から察するにどうやら崇道天皇が祀られているようですね。

日本の歴史上で平将門以上に恐れられたのがこの崇道天皇と言われている。

うーむ、
こういう所は下手に行くと祟られるかもしれん。

ここは鳥居をくぐらずにそのまま帰った方がいいのでは?と自問自答しつつ、
遊びで来たのではなく真剣に参拝すれば大丈夫と思い参拝することに。


そういえば以前、
崇道天皇と言えば奈良の崇道天皇社を参拝してました。

<2012年11月25日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/47501c3b434a65d147cb815ec0cc132f



所在地:京都府京都市左京区上高野西明寺山町34
主祭神:早良親王
社格:村社
創建:貞観年間(859年~877年)



【由緒】
当社は桓武天皇の皇弟早良親王(崇道天皇の謚を追尊)を奉祀する
旧高野村の産土の社でその創建年代は詳かでない。

延暦四年に造長岡京使藤原種継暗殺事件がおこり親王も関係ありとされて
淡路島へ配流の道中大山崎で怨念を残しつつ憤死された。

その後朝廷をはじめ都の内外に不吉な事件と奇妙な異変が続発した。
これらの怪異天災は親王の怨霊が祟りがあると占に出たために鎮魂の行事が盛んに行はれた。

都の鬼門に当ると共に北陸への要衝のこの高野の地に御霊社として親王を祀ることとなった。
御霊信仰の全国的に流行する貞観時代に早良親王のみを祭った例はない。


【崇道天皇】
光仁天皇の皇子早良親王のことで、
母方が下級貴族であったために立太子は望まれておらず、
天平宝字5年(761)に出家して東大寺羂索院や大安寺東院に住み親王禅師と呼ばれていた。
天応元年(781)、兄・桓武天皇の即位と同時に光仁天皇の勧めによって還俗し立太子された。

だが延暦4年(785)、造長岡宮使 藤原種継暗殺事件に連座して廃され乙訓寺に幽閉された。
無実を訴えるため絶食して淡路国に配流の途中、
河内国高瀬橋付近(現・大阪府守口市の高瀬神社付近)で憤死した。

藤原種継暗殺に早良親王が関与していたかどうかは不明である。

その後、桓武天皇の第1皇子である安殿親王(後の平城天皇)の発病や、
桓武天皇妃藤原旅子・藤原乙牟漏・坂上又子の病死、
桓武天皇・早良親王生母の高野新笠の病死、疫病の流行、洪水などが相次ぎ、
それらは早良親王の祟りであるとして幾度か鎮魂の儀式が執り行われた。

延暦19年(800年)、崇道天皇と追称され、大和国に移葬された。
近辺にも親王を祀る寺社が点在しているほか、
京の鬼門に位置する高野村(現:左京区上高野)には、
京都で唯一早良親王のみを祭神とする崇道神社がある。



【一の鳥居】


参道を歩いていると右手にお寺らしき建物が見えた。

他にお寺があるようで、
神社参拝後、このお寺に行こうと歩いたがお寺の入り口が見つからない。

歩き疲れていたし、めんどくさくなって行くのを止めたが、
帰宅してから調べたらネットでこのお寺を紹介するのは禁止しているお寺でした。

今時、ネットで寺の名前さえ晒してはいけないなんて、
何とも珍しいものである。

しかし、
おもしろい。

恐らく住職さんは相当小難しい方なのかな。

どんな方なのか興味が湧いてきたのでいつの日か絶対参拝する。


【二の鳥居】


意外と長い参道です。

奥へ進むと陰な雰囲気が増してくる。


【狛犬】


こちらは実に雄々しい狛犬でした。


【拝殿】



【境内】


写真は明るめに撮っておりますが、
実際はもっと雰囲気が暗いです。

さすが京都の鬼門に祟り静める神が祀られているだけあります。

本当に居心地が悪い。

社務所がありましたが無人でした。

もしこの社務所に常駐してたら鬱になりそうです。(^^;


【伊多太神社】


摂社。


【末社】




末社は鎌倉社・三穂津社・三輪社・足之社・教之社・日吉社の6社となります。


【打たせ瀧】



以上、早々に退散しました。
御朱印の有無は不明です。


蓮華寺(2013年5月2日参拝)

2013-05-29 | 仏閣
九頭竜大社から蓮華寺へ向かうが、
この時、すっかり瑠璃光院を忘れていた。

八瀬八幡宮と共に瑠璃光院もいずれの日か訪れるとしよう。



所在地:京都府京都市左京区上高野八幡町1
宗派:天台宗
御本尊:釈迦如来
創建(再興):寛文2年(1662)
開山:実蔵坊実俊
開基:今枝近義


【歴史】


蓮華寺は左京区上高野西明寺山の麓にある天台宗の寺院です。

創建年代についてははっきりしませんが、
もとは七条塩小路(現在の京都駅付近)にあった西来院という時宗の寺で、
応仁・文明の乱(1467~1477年)の乱以後荒廃していたものを、
加賀藩の家老であった今枝近義が祖父・重直の菩提を弔うために現在地に再興しました。

今枝重直は織田信長や豊臣秀次に仕え、勲功により豊臣の姓を許されるほどの人物でしたが、
秀次の死後は前田利家に仕えた後、隠退して宗二居士と名乗り、
茶の湯をたしなむなど、余生を風流人として過ごしました。

蓮華寺が現在地に再興されたのは寛文2年(1662年)ですが、
境内には寛文6年(1666)に今枝重直の功績を刻んだ石碑が建てられたこと、
延宝9年(1681)には池にその石碑が建てられていたことが記録に残っている


【山門】


駐車場に車を停め山門へ。

こちらのお寺は初めて参拝します。
どうか三杯目の抹茶が出ませんように。(祈)


【境内】




うーむ、
ここは紅葉の時はさぞや美しいことが簡単に想像出来ます。


【石仏群】


境内の左手には約300体といわれる石仏群が居並んでいて、
これらは京都市電河原町線の敷設工事に際して発掘されたものであるとか。

河原町周辺はかつて鴨川の河原で戦災や天災による死者や
刑死者の屍が打ち捨てられる遺棄葬の場であった。

そうした死者を弔うための石仏群が、
鴨川の氾濫によって埋没していたものが工事によって掘り起こされ、
供養されているのがこの石仏群である。

これらの石仏群はいずれも大日如来像で中央には地蔵菩薩像が配されている。


工事していてこれらの石仏を掘り起こした時は、
さぞや工事関係者は驚いたでしょうね。


自分がもし掘り起こしたら祟りを恐れただろうか?

それとも暗き地中から掘り起こし日の光を当てて
祀ることが出来る喜びを感じただろうか?


それにしても現在の河原町周辺がかつての遺棄場であったとは。

現在の繁栄ぶりを見ると全く想像出来ないですね。


【鐘楼】



【書院】


庫裏で拝観料を支払い通されるのが書院で、
ここで有名な庭園を拝見。

抹茶のサービスはありませんでした。(ホッ)


【庭園】








「池の右手前には舟石と呼ばれる石が配されている。
舟石を置く庭園は稀少であるが、とりわけ蓮華寺の舟石は入舟の形をしている点で
さらに珍しいものとか。

舟石を置く庭園のほとんどでは出舟の形があしらわれている。
出舟とは向こう岸に理想郷(浄土)を見出し彼岸を想念させるものである。
それに対し入舟は浄土を此岸に見出す思想を表すものである。」

そうなんです!

お寺の庭園はただ美しいものを見る為でなく、
また撮影する為だけでなく、
仏教や仏の教えを表現しているんですよね。


【本堂】


堂内撮影禁止でした。


【土蔵】



【鎮守社】





【御朱印】



このお寺の庭園のレベルは相当高いです。

紅葉の時期に平日休みが取れれば是非訪れたいですね。

あ、いかん、
庭園は紅葉を眺めに来るのではなく、
庭園を眺めながら静かに浄土思想を思い浮かべることなんですよね。

その事を忘れないようにしなければならない。

九頭竜大社(2013年5月2日参拝)

2013-05-28 | 神社
大原から京都市内に戻る時は高野川沿いの367号線を通るのですが、
八瀬付近にもいろいろ神社仏閣があります。

まずは八瀬八幡宮と思っていたのですが、
いつの間にか通り過ぎていたようで九頭竜大社に到着。

八瀬八幡宮はまた今度。(笑)


所在地:京都府京都市左京区八瀬近衛町681
御祭神:九頭竜弁財天大神
創建:昭和30年


【歴史】
昭和29年11月24日、ご祭神九頭竜弁財天大神様が開祖大西正治朗の夢枕に立たれ、
「汝の身を社にする。無限に人を救う。奇蹟を以て即座に守護を与える。神は人を救って神界に上る。」
とのご神託をお授けになり京都八瀬の地に降臨され、九頭竜大社が発祥いたしました。

九頭竜弁財天大神様は慈悲の神であり、人生における諸々の災い、
厄を取り除き、福徳を授け、幸いにお導き下さいます。

発祥当初より九頭竜弁財天大神様の奇蹟の力が発揚され、
月参りをなさるなど、熱心にお参りになる方々が後を絶ちません。


【大鳥居】



【諸仏】


鳥居をくぐるとすぐに身代わり地蔵や大日如来等が祀られていました。

開祖は元々仏教徒だったと思われる。


【本殿】



【雅楽殿】



【蛇石】



【旧御神木】



【御霊水】



【鳥居】


この時も信者さんでしょうか、
掃除されておりました。

この上に帝釈天社があるとか。


【帝釈天社】


仏教の守護神を祀っているようですね。


【旧御本殿】



【御朱印】



大社というほど境内は広く無かったけど、
境内の大きさではなく霊験の大きさで大社と名付けられたと勝手に想像。(^^;

大黒山北寺(2013年5月2日参拝)

2013-05-28 | 仏閣
阿弥陀寺を堪能した後は大黒山北寺という、
大黒本宗という日蓮宗系の単立本山のお寺へ向かう。



所在地:京都市左京区大原小出石町669-1
宗派:大黒本宗
御本尊:大黒尊天、法華曼荼羅
創建:不明
開山:泰清院日寛上人




【山門】


駐車場は山門を入り境内に停めれます。


【大黒堂】





【内陣】


甲子大黒祭というのが60日に一度あるというから、
その日に合わせて訪れて内陣に上がりたいと思います。


【狛犬】



残念ながら御不在で御朱印の有無は不明です。

というか、このお寺自体不明点が多いです。




最後になりますが「でんじゃら通信」というブログを拝見したら
面白い画像がありましたので、紹介させていただきます。

http://blogs.yahoo.co.jp/benpiwakirai/6032701.html