Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

前神寺(2014年10月18日参拝)

2014-12-01 | 四国八十八箇所
石鎚神社からすぐ近くにあるのが前神寺。

ここは本堂がカッコいいんですよね。
絶対見たいと前から思っていたので楽しみです。

お遍路さんの札所だけあって沢山の参拝者がいました。

無料駐車場がありました。



所在地:愛媛県西条市洲之内甲1426番地
宗派:真言宗石鈇派
御本尊:阿弥陀如来
創建:奈良時代
開基:役小角
札所:四国八十八箇所


【縁起】
山岳信仰の山として崇拝される富士山など日本七霊山の一つ石鎚山の麓にある。

弘法大師は若い空海の頃、この石鎚山に2度入山しており、
虚空蔵求聞持法や37日におよぶ護摩修法、あるいは三七日(21日間)の
断食修行をしたことが知られている。

修験道の祖・役行者小角が石鎚山で修行をしたのは天武天皇の頃とされ、
修行中に釈迦如来と阿弥陀如来が衆生の苦しみを救済する為に、
石蔵王権現となって現れたのを感得した。

その尊像を彫って安置し祀ったのが開創とされている。
その後、桓武天皇が病気平癒を祈願したところ、
成就されたので七堂伽藍を建立して、勅願寺とされ金色院・前神寺の称号を下賜した。

以来、歴代天皇の帰依が厚く、仏像や経巻がしばしば奉納され、
諸堂の修復や増築にも寄与されている。
また、江戸時代には西条藩主・松平家の祈願所になるなど寺運は隆盛を極めた。

しかし、明治新政府の神仏分離令により寺領を没収され廃寺を余儀なくされた。
その間、石鎚神社が建立されたりしたが明治22年に霊場として復興した。


【山門】


質素なものです。


【狛犬】


山門前に狛犬って意外と珍しい。


【鐘楼堂】



【上人像】



【地蔵尊】



【修行大師像】



【金毘羅大権現】



【十三佛堂】



【不動明王】



【鎮守社】



【稲荷社】



【本堂】




めちゃくちゃカッコええ。

以前は無かった両横の廻廊の屋根が、
まるで翼のように羽ばたいているように見える。

素晴らしい。




本堂に感動しつつ打つ。


【回廊】



【権現堂】


あんまり登りたくないような、しんどい階段ですが登った。(笑)





【薬師堂】



【護摩堂】


この辺りのお堂は全て開いてなくて残念。


【大師堂】



【御朱印】

吉祥寺(2014年10月18日参拝)

2014-11-29 | 四国八十八箇所
お遍路さんの札所の中で、
毘沙門天を御本尊としている唯一のお寺である吉祥寺へ。

こちらのお寺には有料駐車場しか停める場所がありませんので、
車で参拝する時は出費を覚悟してください。(笑)



所在地:愛媛県西条市氷見乙1048
宗派:真言宗東寺派
御本尊:毘沙門天
創建:(伝)弘仁年間(810-823)
開基:(伝)弘法大師
札所:四国八十八箇所



【縁起】
弘法大師がこの地方を巡教したのは弘仁年間とされ、
その折に大師は1本の光を放つ檜を見つけ、一帯に霊気が満ちているのを感得した。

お大師はこの霊木で本尊とする毘沙聞天像を彫造、
さらに脇侍として吉祥天像と善膩師童子像を彫って安置し、
貧苦からの救済を祈願して堂宇を建立したのが開創と伝えられている。

その頃の寺は現在地より南東にあたる坂元山にあり、
広い寺域に塔頭を21坊ほども有していた。

天正13年(1585)豊臣秀吉による四国攻めの争乱に巻き込まれて全山を焼失されている。
その後、江戸時代の万治2年(1659)、末寺であった檜木寺と合併して、
現在の地に移り再建されたと伝えられる。


【山門】



【象】


これいる?(笑)

歩き疲れたらこれに座ってください。(^^;


【本堂】





【大師堂】



【鐘楼堂】



【成就石】



【お迎え大師】



【くぐり吉祥天女】



【天満大神】



【福聚閣】




この建物の中に毘沙門天を除く七福神が祀られていました。

毘沙門天は本堂に祀られているから、
この福聚閣にいないということです。


【御朱印】

香園寺(2014年10月18日参拝)

2014-11-26 | 四国八十八箇所
続きましてはもの凄い本堂(大聖堂)がある香園寺へ。
近くに札所が固まっているので助かります。(^^

大型無料駐車場がありました。



所在地:愛媛県西条市小松町南川甲19
宗派:真言宗
御本尊:大日如来
開基:(伝)聖徳太子
創建:(伝)6世紀末
札所:四国八十八箇所



【縁起】
用明天皇の病気平癒を祈願して皇子である聖徳太子が建立したと伝えられる。
太子の前に金の衣を着た白髪の老翁が飛来して、
本尊の大日如来像を安置したとも伝えられ、天皇からは教王院の勅号を賜った。

天平年間(729-749)には行基菩薩が訪れ、
弘法大師が訪れたのは大同年間(806-810)であった。

ある日、門前で身重の婦人が苦しんでいた。
お大師は栴檀の香を焚いて加持、祈祷をした。
すると婦人は元気な男子を無事に出産した。
これが機縁となり、大師は唐から持ち帰った小さな金の大日如来像を本尊の胸に納め、
再び栴檀の香を焚いて安産、子育て、身代わり、女人成仏を祈る
「四誓願」の護摩修法をされて寺に遺し、霊場に定められた。

以来、安産、子育ての信仰を得て栄え、七堂伽藍と六坊を整えたが、
天正の兵火で焼失、寺運は明治・大正になって復興している。

明治36年に晋山した山岡瑞園大和尚により、大正3年に本堂を再興し、
明治7年には子安講を創始して、全国の行脚はもとより、
東南アジアやアメリカまで足を延ばし、講員の拡大と寺の隆盛に尽力している。


【大聖堂】




こちらは山門がありません。
いきなり見えてきます。

これは予想以上にでかい。
というかモダン過ぎるでしょ。(^^;

このお寺の資金力はかなり凄いですね。
他の札所とは桁が違う。




1階正面に恐らく大日如来が祀られ、
屏風と掛け軸が安置されていました。


本堂は二階です。


【本堂・大師堂】




堂内に入ると予想以上に荘厳な雰囲気。
やっぱりお寺はこうでなくっちゃ。

でも、700席もの椅子がありちょっとしたライブが出来そうですが。(^^;








御本尊の大日如来です、と言いたいところですが、
残念ながら御前立です。

御本尊のみならず不動明王、子安大師は秘仏だとか。

どうりで写真撮影OKなわけだ。




観音像。




弘法大師が祀られていました。


【子安大師堂】



【聖徳殿】


聖徳太子が祀られていました。


【地蔵尊】



【本地堂】


釈迦如来、地蔵菩薩、観世音菩薩が祀られています。


【五重塔】



【鐘楼堂】



【御朱印】

宝寿寺(2014年10月18日参拝)

2014-11-25 | 四国八十八箇所
今日は所用が愛媛県西条市であり、
全くもって無謀にも日帰りで行くことに。(^^;

片道5時間以上かかるんですけど。(泣)


まぁ、行くからにはお遍路にも行っておかないとね。

まずはお昼休みがあるという札所の宝寿寺に。
ここは昼の12時から1時間休憩して納経所が閉まるんですよ。

こんな所って他にあります?

昼に行って閉まっていたらショックですよね。
事前にネットで調べておいて本当に良かった。

小さいながらも無料駐車場がありました。



所在地:愛媛県西条市小松町新屋敷甲428
宗派:高野山真言宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:(伝)天平年間(729-748)
開基:(伝)道慈律師
勅願:聖武天皇
中興:寛永13年(1636)
中興:宥伝上人
札所:四国八十八箇所


【縁起】
天平のころ聖武天皇は諸国に一の宮を造営した。
その折、この地に伊予の一の宮神社が建立され、大和の僧・道慈律師が勅命をうけて
法楽所としての別当寺を創建したのがはじめとされる。

このとき天皇は金光明最勝王経を奉納され、寺名は金剛宝寺と称して、
現在地ではなく中山川下流の白坪という地にあったと伝えられる。

弘法大師がこの地方を訪ねたのは大同年間(806-810)で、
寺に久しく留まり聖武天皇の妃である光明皇后の姿をかたどった
十一面観世音菩薩像を彫造した。

これを本尊とし、寺名を宝寿寺と改めて霊場とされた。
そのころ国司の越智公夫人が難産で苦しんでいた。
大師が本尊に祈願した霊水・玉の井で加持したところ、
無事出産したことから安産の観音様としても信仰されたという。

ただ、中山川のたび重なる洪水の被害を受け、
天養2年(1145)に堂宇を再建し、山号も「天養山」と改めている。

以後、大山祇神社の別当寺として栄えたが、
天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の戦禍で壊滅し、
さらに明治維新の廃仏毀釈令に遭い明治10年に再建されている。


【初号標】


こじんまりとした質素なお寺のようです。


【旧本堂】


かなり朽ちてきていますね。

参拝した時はこちらが正式な本堂だと思ってました。(^^;


【本堂】



【大師堂】



【香炉鉢】



【安産観音像】



【稲荷社】



【御朱印】



【感想】
お昼の札所が閉まるのは百歩譲って許せても、
「当寺は霊場会とは無関係です」という張り紙はいかがなものか。

どういう経緯か知りませんが、
関係無かったら札所を脱退すればいいのに。

納経代は年間では結構な額になるから、
他に札所になりたいお寺も多いと思うよ。

霊場会とは無関係なのに札所の朱印を押しているということは、
結局、利権だけは渡せないってことでしょ。

残念な寺の人達である。

神恵院・観音寺(2014年7月6日参拝)

2014-08-12 | 四国八十八箇所
もうこの辺りで帰宅の途につかないと明日に堪えるなぁ、と
思いながらも琴弾八幡宮に行ってないことに気づく。

ここまできたら行くしかないでしょ!

琴弾八幡宮に行くなら近くのお遍路の札所である
神恵院・観音寺にも行くしかないでしょ!(笑)

という訳で同じ境内に二つのお寺があるという、
世にも奇妙な神恵院・観音寺へ。



神恵院
所在地:香川県観音寺市八幡町一丁目2番7号
宗派:真言宗大覚寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:大宝3年(703)
開基:日証上人
札所:四国八十八箇所


【歴史】
日証上人がこの地で修行中、宇佐八幡宮のお告げを受け、かなたの海上で神船と琴を発見。
琴弾山に引き上げ琴弾八幡宮を建立して祀りました。

この時、神宮寺として建てられた寺が起源とされています。
大同2年(807)弘法大師が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、
寺の名を神恵院とし六十八番霊場としました。

その後、明治初年の神仏分離令で八幡宮は琴弾神社と神恵院に分離され
神恵院は麓の観音寺境内に移転。

同時に八幡宮に安置されていた阿弥陀如来像も西金堂に移されました。
以降、神恵院は西金堂を本堂に阿弥陀如来像を本尊として今に至っています。


【仁王門】


二つの霊場の名前が書かれています。

こんなのは初めて見ましたよ。

逆のパターンとして善光寺は複数のお寺が護持しているのは有名ですよね。


【仁王像】



【参道】



【境内マップ】


本堂と大師堂以外は共同で管理してるのか、
それとも一つの組織が管理してるのか、分かりませんが、
恐らく御住職は一人しかいないと思われます。


【境内】



【本堂】


まさかのコンクリート打ちっぱなし。

まさかあの安藤氏が設計じゃないでしょうね。(苦笑)




こちらは普通。

二組の団体さんがいらっしゃったので、
一緒にお参りさせていただきました。


【交通厄除地蔵】


ここは帰りの事もあるので念入りにお参り。

安全運転第一です。


【大師堂】



【巍巍園】



【御朱印】




観音寺
所在地:香川県観音寺市八幡町一丁目2番7号
宗派:真言宗大覚寺派
御本尊:聖観音
創建:(伝)大宝3年(703)
開基:(伝)日証上人
札所:四国八十八箇所


【歴史】
創建された頃の寺号は神宮寺宝光院と称した。
大同2年(807)、弘法大師は琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来像を納めた時、
この寺の第7世住職となって入山している。

大師はその頃、琴弾大明神が乗っていた神船は神功皇后とゆかりがあり、
観音の化身であると感得した。
そこで大師は、琴弾山の中腹に奈良の興福寺に倣ならって
中金堂、東金堂、西金堂の様式で七堂伽藍を建立し、
その中金堂には本尊とする聖観世音菩薩像を彫造して安置した。

この地に仏塔を建てて瑠璃、珊瑚、瑪瑙などの七宝を埋め、地鎮をしたことから、
寺名の神宮寺を「七宝山・観音寺」に改め、霊場に定めたとされている。

桓武天皇はじめ3代の天皇の勅願所となり、
また室町時代には足利尊氏の子・道尊大政大僧正が住職として45年間務めるなど寺運は隆盛。

だが明治新政府の神仏分離令により本地仏を移し、一境内に二霊場となり現在に至る。


【本堂】


金堂とも呼ばれている本堂は室町時代の建築で重要文化財。

これこれ、やっぱりお寺はこういうのじゃないと。
コンクリートだと冷たい感じするし、落ち着かないよ。


【大師堂】



【宝物館】



【鐘楼堂】



【石仏】



【供養塔】





【大日堂】



【薬師堂】





【上人像】



【心経殿】



【開山堂】



【御朱印】


納経所は一箇所で漏れなく二つのお寺の御朱印がいただけます。

御朱印を担当される方々の墨書きが本当に速い。

お遍路さんはどこも早書きの方が多いですが、
あれぐらいじゃないと捌ききれないんでしょうね。


それと他の方の帳面をみたら、
帳面が朱印で真っ赤な御朱印帳を見た。

あれほど真っ赤になるのは15回以上は軽く参拝して重ね印してるはず。




このようにネットの画像では見たことあるけど、
実際に見ると真っ赤過ぎてちょっと引きました。(^^;