Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

千本釈迦堂大報恩寺(2014年9月27日参拝)

2014-10-26 | 新西国三十三ヶ所
いよいよ本日のメインである千本釈迦堂へ。

こんな有名なのに初めて参拝するとは、
京都は他に行く所が多過ぎるというか、奥が深いというか。


もうすぐ到着という場所で凄く細い道にナビは誘導する。

素直にナビに従い行ってみると、これが超絶細い道で、
しかも角を曲がらなくてはならない。

バックで戻ろうにも距離的に難しく、
意を決して進むことにしたが、マジでギリギリ。(泣)

何とかテクを駆使し車に傷をおわすこともなく進めたよ。(^^

ようやく山門前に出たが車は停めれないことが発覚。(泣)

仕方なくグルグル界隈を回っていると西門があって、
そこから境内に入ると駐車場がありました。(^^

良かったー。

全く、ナビの野郎、
最初から西門に着くように誘導しろよ。(^^;

あんな細い道を誘導するから泣きそうになったじゃないか。


またまたナビを信じきってはいけないと思った今日この頃。(^^;



所在地:京都府京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町
宗派:真言宗智山派
御本尊:釈迦如来(重要文化財)
開基:求法上人義空
創建:承久3年(1221)
札所:新西国三十三箇所、京都十三仏霊場、近畿十楽観音、ぼけ封じ三十三観音



【歴史】
千本釈迦堂大報恩寺は用明天皇が勅願の道場として開創されたと伝えられるが、
その後廃滅に帰していたのを、今から約800年前、
鎌倉初期安貞元年(1227)義空上人によって開創された寺です。

千本釈迦堂は「おかめ塚」伝説のお寺としても知られます。
釈迦堂を建てる時、大工の棟梁が四本ある柱のうち一本を誤って柱を短く切り、
困っているときに妻のおかめが、短い一本に合せ全部の柱を切るよう助言をしました。

そして、夫の失敗を救ったのが女性である自分だということを
人に知られないように、自ら命を絶ったというのです。

江戸時代初期、京都所司代・板倉勝重(1545-1624)により真言宗に改宗。

現在まで続く冬に大根焚きは鎌倉時代に茲禅上人が、
大根の切り口に梵字を書いて魔除けとしたのが始まりです。
今も梵字を書いた大根を加持祈祷した後、切り分けて炊き込んでいます。


【山門】



【本堂】


本堂は創建時そのままのものであり、応仁・文明の乱にも両陣営から手厚き保護を受け、
奇跡的にも災火をまぬがれた京洛最古の建造物として国宝に指定されています。


【阿亀桜】



【霊宝殿】


拝観料600円を支払い中へ。

中に入ったらその凄さに圧倒された。
快慶作の釈迦十大弟子像10躯と、定慶作六体観音像が凄過ぎる。

リアルティの極致かつ圧倒的な技術に驚嘆するばかり。

素晴らしい。
感動しました。

何で今まで千本釈迦堂に訪れなかったのか、と後悔したよ。

館内は撮影禁止でした。


【本堂】




御本尊の釈迦如来坐像は秘仏で厨子に安置されています。

内陣は物凄く厳かな雰囲気でした。


【観音菩薩像】



【刀傷跡】


応仁の乱により兵士によってつけられた傷だとか。

柱ひとつとっても歴史的遺産ですね。


【おかめ人形展】




結構、不気味である。(^^;


【鎮守社】



【布袋尊】



【おかめ塚】



【宝篋印塔】



【ぼけ封じ観音】



【不動明王堂】



【北野経王堂願成就寺】





【天上多田稲荷大明神】



【御朱印】


確か5種類あって、幾らでも書きますよ的な対応だったが、
今回は2種類いただきました。

浄土寺(2012年1月12日参拝)

2014-02-26 | 新西国三十三ヶ所
今日は姫路城大天守の修理見学する為に姫路城へ。

そのついでにと言ったら語弊がありますが、
小野市を通るので浄土寺に寄り道です。

ここの阿弥陀如来三尊像が凄いんですよね。


<2012年10月20日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/6f10dddbddab2592a32565a906d48a05



所在地:兵庫県小野市浄谷町2094
宗派:高野山真言宗
御本尊:薬師如来、阿弥陀如来
創建:建久年間(1190~1198)
開基:俊乗坊重源上人
札所:新西国三十三箇所客番


【境内】




左が薬師堂、右が開山堂です。


【浄土堂】


さすが快慶作の国宝だけあって、惚れ惚れしますね。

久しぶりに見れて幸せです。

しかし、この時期の堂内は寒いです。
靴下を二つ履いてないとツライですので御注意を。


【御朱印】

楊谷寺(2013年10月12日参拝)

2013-11-01 | 新西国三十三ヶ所
本日のテーマは長岡京の神社仏閣巡りを楽しむことです。

本当は大阪能勢の妙見山に行こうと思ったが、
高速がバカ混みで急遽回避したのはここだけの話。


まずは柳谷観音こと楊谷寺へ。

歩いて登っている方もいましたが、
なかなかの山道を我が愛車は颯爽と走り到着。



所在地:京都府長岡京市浄土谷2
宗派:西山浄土宗
御本尊:十一面千手千眼観世音菩薩
創建:伝・806年 (大同元年)
開基:伝・延鎮僧都
札所:新西国三十三箇所、洛西観音霊場


【歴史】
眼病の観音様、独鈷水の観音様で名高い楊谷寺は、
京都東山の清水寺を開創した延鎮僧都が「観音さまのお姿を拝したい」と
発願し日夜祈願していたところ、霊夢のお告げを受け、そ
の通り西山へ向うと柳の茂る谷間から光明がさしており見上げると、
そこに十一面千手千眼観音さまが立っていたという、その場所に建立された。

すなわち、延鎮僧都は自分の眼でみたその観音さまを刻んでおまつりしたのが、
楊谷寺の始まりと伝えられている。

その後、弘法大師空海上人が楊谷寺にお参りし供養された際に、
裏山の岩窟に十七日間秘法を修せられると汲めども尽きぬ霊泉が沸いて出た。

この水が眼病その他諸病平癒の独鈷水であり、
現在も納経所の前を通って小さい門をくぐり、
右へ少し行った所の小さな堂のなかで、こんこんと湧き出ている。


【境内マップ】



【遠景】


石垣が凄い。


【不動明王】



【観音菩薩像】



【山門】



【風神雷神】




【本堂】




開帳日の17,18日以外は見れませんが、
御本尊と勝敵毘沙門天王、将軍地蔵大菩薩が祀られています。


【阿弥陀堂】




御本尊の阿弥陀如来は厨子の中に安置され見れませんでした。

お寺によると厨子は淀君が寄進したそうです。


【寺宝庫】


毎月17日と文化の日は開館。


【境内】


奥の院に向かう途中で見た境内の風景。


【十三重塔】



【弘法大師像】




お大師さんにしては珍しく厳しい顔つきをされていました。


【奥之院】


歩いて5分くらいで奥の院に到着。

山を登って40分とか1時間とかかかる奥の院がありますけど、
ここは近くて助かります。






中御門天皇が九歳の時に両親が崩御され、
その追善菩提のために御造りされたのが奥之院の観音様。

でも、残念ながら見れません。

このお寺の御本尊様は普段は見せていただけないようです。(泣)


【眷属二十八武衆】









【あじさいの道】


奥の院から下の本堂まで回廊が繋がっています。

あじさいの時期は綺麗なんでしょうけど、
今の時期は寂しい雰囲気です。


【愛染堂】



【眼力稲荷】



【地蔵尊】



【浄土苑】



【眼力稲荷】



【淀殿弁天堂】




淀君がメインかと思っていたら、
淀君の人形は弁財天の御前立とか。


【地蔵堂】





【護摩堂・経蔵】


手前が護摩堂、奥が経蔵です。




当日、この中を見た時はとても残念な気持ちになりましたが、
このお寺の経蔵はいろいろな経や本や、
古くなったお札やお守りを収めているようです。


【境内】



【地蔵尊】



【独鈷水】






独鈷水と書いて「おこうずい」という弘法大師が、
眼病平癒の霊水に成就された水が有名です。

江戸時代に第112代霊元天皇が眼病を治癒されたことをきっかけに、
明治に世に至るまで天皇家に独鈷水を献上されていたとか。

実際に飲んでみましたが、
とても美味かったです。


【弘法大師お砂踏み】





【鐘楼堂】



【御朱印】


今回は3種類の内、新西国と洛西観音霊場の御朱印をいただきました。

花岳寺(2013年2月23日参拝)

2013-04-01 | 新西国三十三ヶ所
本日は兵庫県は赤穂市にやってきました。

赤穂に来るのは約10年振りですが、
何故赤穂に来ることになったかと言えば雲火焼という焼き物を見たくなり、
いいモノがあったら買おうかなと思ったから。



このような夕焼けを思わせる焼き物は初めてみた。

日本人が一番好きな情景は夕焼けじゃないでしょうか。
なんかこの作品を見るだけで心が落ち着く感じがします。


【雲火焼】
大嶋黄谷の雲火焼を復元し兵庫県伝統的工芸品に指定されている陶器。
江戸時代後期から明治時代初期にかけて赤穂の地において大嶋黄谷が生み出した独特の焼き物。
無釉でありながら炎と煙によって窯の中で描かれたその色彩と文様は、燃える夕焼空を連想させ、
精巧な技術で磨かれた陶膚は、鈍い光沢を呈し当時の人々に賞賛を得ていた。
しかし、その陶法を伝える人もなく文献もなく幻の雲火焼と称せられ珍重されてきた。

雲火焼作家の桃井香子と長棟州彦の手により、
1987年(昭和62年)第1回雲火焼研究発表会において復元に成功。
さらに1993年(平成5年)には、兵庫県伝統的工芸品に指定された。
赤穂雲火焼の窯元、赤穂瀬戸内窯では歴史を踏襲しつつ、
現代に生きる陶工として、新たな美的・技術的革新を重ねている。


【桃井ミュージアム】
作家さんの作品が陳列販売している赤穂にある桃井ミュージアムへ。

並んでいる作品を見るとやはり夕焼けを思わせる作品が多い。

この色の配色がたまらない。

備前焼はどっしりとした重さを感じるのですが、
この雲火焼は作品を手に取ってみると驚くほど軽い。

しかし、値段が高いです。

ぐい呑みが6千円とは庶民の私には高過ぎます。(泣)

やはりまだ大量生産出来ない為に高くなっているようです。

宝くじが当たったら買うことにして赤穂の神社仏閣巡りへ。

まずは花岳寺へ。


所在地:兵庫県赤穂市加里屋1992
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:正保2年(1645)
開基:秀巌龍田
札所:新西国三十三箇所31番、瀬戸内観音霊場7番



【歴史】
花岳寺は、徳川三代将軍家光公の頃、浅野長直公が常陸笠間から赤穂へ所替えになった時、
浅野家の菩提所として建立された。
元禄14年(1701)、浅野長矩による江戸城松之大廊下での吉良義央に対する刃傷事件が起こり、
浅野家は改易となった。
翌、元禄15年(1702)赤穂浪士による吉良邸討ち入りが起きた。

その後、赤穂藩には永井家が入り宝永3年(1706)には森家が赤穂藩主となり花岳寺を菩提寺と定めた。
赤穂浪士37回忌にあたる元文4年(1739)には境内に有志により義士墓が建立された。
ここには遺髪が納められているとされる。

また、宝暦2年(1752)は赤穂浪士50回忌にあたり、
大石良金(主税)と関わった藤江熊陽の撰による碑文が刻まれた義士塚が建立された。

浅野家断絶後も歴代藩主の菩提所であったが、
何といっても浅野家と赤穂義士ゆかりの史跡である。


【山門】


塩屋惣門と言われていたこの門は元は赤穂城の門だったそうで、
取り壊される予定だった門を当時の花岳寺の住職であった仙珪和尚が金6両で買ったもの。

駐車場はこの門をくぐり奥に8台分の無料駐車場があります。


【友愛観音】




駐車場の近くにあるのがこの観音さん。

まずは観音さんに今回の旅の無事を祈る。


【千手堂】




休憩所になっており「初代名残の松の幹」が展示されていました。


【鳴らずの鐘】



【本堂】




天井を見ると大きな虎が。

この天井画は法橋義信筆「竹に虎」というそうです。

残念ながら本堂に上がることは出来ないようです。

正直、墓所を見せるぐらいなら本堂内を見せてほしいな。


【坐禅堂】


ここまでは無料で見れます。

これだけで帰っては勿体ないので拝観料400円を支払い境内の中へ。


【浅野家霊廟】



【忠義塚】


変な亀がいますね。(^^;


【森家霊廟屋上の役瓦】



【義士墓所】


中央に浅野内匠頭長矩公、向かって右が大石内蔵助、左が大石主税の墓です。
そして周囲に45人の墓があります。



大石内蔵助の墓。


【石塔】



【渡来石佛】







【義士木像堂】


大石家代々の守り本尊「千手観音」と浅野長矩公のお位牌を中央に祀られ、
義士の木像が安置されていました。

撮影禁止。


横にある義士宝物館は同じく撮影禁止でしたが、
浅野家、義士に関する宝物、経巻、書簡、絵画、刀剣が陳列され、
とても見応えがありました。


【浅野長重之墓】




母の姉が太閤秀吉に嫁いだ「ねね」という間柄。

戒名の華岳院殿鋳山道牛大居士から花岳寺という寺の名前になったそうです。


【御朱印】


飛鳥寺(2013年2月3日参拝)

2013-03-05 | 新西国三十三ヶ所
おふさ観音参拝した後は七福八宝巡りの札所である
長谷寺や談山神社と考えたが行くには時間が足りないので、
久しぶりに明日香へ。

明日香もいろいろ由緒あるお寺が多いですが、
明日香といえば飛鳥寺でしょ!ってことで約2年半ぶりに参拝。





所在地:奈良県高市郡明日香村飛鳥682
宗派:真言宗豊山派
御本尊:釈迦如来(飛鳥大仏、重要文化財)
創建:推古天皇4年(596)
開基:蘇我馬子
札所:新西国三十三箇所9番


【歴史】
596年蘇我馬子が発願して創建され明日香村豊浦の豊浦寺(現在の向原寺がその後身)と並び
日本最古のお寺です。

寺名を法興寺、元興寺、飛鳥寺で現在は安居院と呼ばれています。

奈良市にある元興寺は平城遷都と共にこのお寺が移されたものです。

飛鳥寺の伽藍については発掘調査実施以前は四天王寺式伽藍であると考えられていたが、
昭和31~32年(1956~1957年)の発掘調査の結果、
当初の飛鳥寺は中心の五重塔を囲んで中金堂、東金堂、西金堂が建つ
東西200m、南北300mの回廊がめぐらされた一塔三金堂式の伽藍である大寺院であった。

現在の建物は江戸時代に再建した講堂(元金堂)のみを残します。


【山門】


まだまだ寒いのに駐車場がいっぱい。
このお寺の人気の高さがうかがい知れますね。


【本堂】


大伽藍だったのは今や遠い昔の話で現在は本当に小さなお寺ですが、
こちらには超有名な御本尊様がいらっしゃいます。

この位置に中金堂があったとされる。


【飛鳥大仏】






重要文化財。

606年或いは609年に完成されたという飛鳥大仏。

火災や廃仏毀釈により失われた仏像は数知れず。

この飛鳥大仏も火災や野ざらしにされるなど苦難があったそうです。

それでもこの飛鳥大仏は頭部の額から下、鼻から上の部分と右手の第2~第4指は、
造られた当時のもので石造台座は創建当時のままという。

ほんの一部分とはいえ1400年も前のものが残っているのが凄い。

歴史のロマンを感じますよ。

堂内は撮影OKなのも嬉しいですね。


【仏舎利】


推古天皇元年の日本最古の仏舎利とか。


【阿弥陀如来】



【聖徳太子孝養像】



【思惟殿】



【万葉池】



【庭園】


宝篋印塔などが置かれておりました。


【鐘楼】



【地蔵尊】



【遠景】


入鹿の首塚を見る為に寺の裏手から外へ出る。

長閑な風景がたまりません。


【蘇我入鹿首塚】


首塚の向こうでは発掘調査が続けられ、
更に奥に見える小高い丘が大化の改新の舞台ともなった甘樫丘です。


【御朱印】