Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

門真神社(2014年6月7日参拝)

2014-06-30 | 神社
今日は所用があって大阪の門真市に。

門真市といえばお客様は神様です、の松下幸之助さんが創設された
パナソニックのお膝元ですね。

神様と呼ばれるパナソニックのお客様は多いが、
神様がいらっしゃる神社が非常に少ないのが門真市です。

大阪府神社庁に登録している神社は僅か10社。
その内、神職の居る神社は6社しかない過疎ぶり。

勿論大きな神社はない。

お寺も檀家寺はあるが、観光寺はおろか、真宗系の大寺もない。

当然ながら御朱印をいただける寺社は本当に少ない。

門真市は守口市と同じで、寺社巡りや御朱印集めの方々にとっては、
鬼門と言っても過言ではない都市です。

いっその事、パナソニックが調子良かった時に、
幸之助さんを御祭神にして、松下神社という観光神社でも造れば良かったのに。(^^


ま、そんな冗談は置いといて、
せっかく門真まで来たんだからお土産でも持って帰らないとね。

まずはその名もズバリ門真神社へ。


所在地:大阪府門真市元町17-11
主祭神:素盞鳴尊
創建:不明
社格:村社


【鳥居】


駐車場はなんとか1台停めれるかどうかというもので、
道が狭いこともあって非常に停めにくい。

私の車はちょっと大きいので断念し、近くの有料駐車場に停めました。
20分100円だったし。


【拝殿】




こじんまりとした神社です。


【狛犬】


なかなかええ顔しております。


【真手神社】



【神輿庫】



【稲荷神社】





【御朱印】


シンプルな御朱印です。

しかしこれはこれでいい。

鶴林寺(2014年6月1日参拝)

2014-06-29 | 聖徳太子御遺跡霊場
本日のトリを飾るのは加古川の鶴林寺へ。

播磨の法隆寺と呼ばれるほどの古刹です。

大型の無料駐車場があるのはありがたい。


所在地:兵庫県加古川市加古川町北在家424
宗派:天台宗
御本尊:薬師如来
創建:伝・崇峻天皇2年(589)
開基:伝・聖徳太子
札所:新西国三十三箇所、西国薬師四十九霊場、聖徳太子霊跡、播州薬師霊場、
関西花の寺二十五霊場


【歴史】
伝承では創建は崇峻天皇2年(589)にさかのぼり、
聖徳太子が当時播磨の地にいた高麗僧・恵便の為に建立、
その後養老2年(718)身人部春則なる人物が七堂伽藍を整備したというが、伝承の域を出ない。

ただし推古天皇14年(606)、聖徳太子が法華経を講義し、
その功で天皇から播磨国の水田百町を得たことは史実とされ、
聖徳太子と播磨には何らかの関連があったと想像される。

創建時は四天王寺聖霊院という寺号であったものを、
天永3年(1112)に鳥羽天皇によって勅願所に定められたのを期に「鶴林寺」と改めたという。

鎌倉時代、室町時代と太子信仰の高まりとともに、鶴林寺は全盛時代を迎え、
寺坊30数カ坊、寺領25、000石、楽人数十名が常に舞楽を奏していたといれれたが、
戦国時代にいたって、信長、秀吉らの弾圧、更に江戸幕府の厳しい宗教政策の為、
衰徴の一途をたどらざるを得なかった。

その後、明治維新の排仏棄釈など、時代の荒波を潜り抜け、
宝生院、浄心院、真光院の3カ寺、15,000坪の鶴林寺として現在に至る。


【仁王門】




毎週日曜日は二階に上がれて坐禅堂の見学が出来ます。
拝観料は入山料(500円)とは別で200円必要です。




スゲー登り難い階段を登る。
さすがに京都の知恩院の山門と違って低いです。(笑)




10人も入ればいっぱいになる狭い坐禅堂に入る。

朱色に染められた壁が印象的で、
真ん中に釈迦如来像、十六羅漢像等が祀られていました。


【仁王像】


かなり怖い顔をしてる仁王像でした。


【本堂】




まずは本堂にお参り。

応永4年(1397)に建立されたとされる本堂は実に重厚でした。

内陣は撮影禁止でした。

さて、諸堂を見ていきましょう。


【三重塔】






室町時代の創建されたもの。

昭和57年(1976)放火で初層から出火し、三層の屋根の一部も燃えるほど損傷したが、
大日如来は無事に救いだされ、昭和55年(1980)解体復元修理が行われた。

よりによって何で貴重な建築物を放火するかな。
放火するなら自分の家を燃やせっちゅうの。

何度も書いてますが、
放火犯は確実にいい死に方をしないから覚悟しといた方がいいよ。




4月から6月は初層の扉が開けられ、
内部と大日如来が拝観出来ます。

ちなみに無料です。(^^


【石仏】


天人衆が雲に乗って下界に降りてくる様子が刻まれています。


【行者堂】






重要文化財。

何故か寂しげな場所にありました。


【経堂】



【山下地蔵尊】


お顔が。(^^;

届かなかったから直さなかったけど、
もし届いた場合でも直すのは躊躇する。

触らぬ神に祟りなしと言うしね。


【新薬師堂】


こちらに女子に人気のウィンクしている十二神将摩虎羅大将がいらっしゃいます。








秘仏で全く見れない御本尊より、
こうやってお姿を見せていただく薬師三尊像の方が、
遥かに有り難みを感じます。

しかも嬉しいことにこちらは撮影OK。

撮影の許可の基準は何?

寺にとって貴重なものはダメで、
それほどでもないものはOKという基準なの?




十二神将の内の5体。

向かって左から2つ目の招杜羅大将だけが、
何故か中国の学者というか軍師のようなお姿をされてました。




向かって右側が例の摩虎羅大将です。


【講堂】



【常行堂】


重要文化財。

常行三昧とは阿弥陀仏の周囲を歩き続けながら念仏を唱える天台宗の修行であり、
その修行を行う為の専門のお堂。

かなり格式の高い天台寺院にしか無いもの。


【本堂】


横から撮影したもの。


【浄心院】





【子安地蔵尊】



【宝生院】





【鐘楼堂】


応永14年(1407)に建立されたもので、
梵鐘は朝鮮・高麗時代に鋳造された重要文化財。


【観音堂】



【護摩堂】







【弁財天】



【佛足石】





【宝筐印塔】



【石風呂】





【石塔】



【太子堂】




国宝。

嬉しいことに堂内に入ることが出来ました。

渋い外観よりも更にいぶし銀の渋さ。
煤で燻されてることもあるけど。(笑)

釈迦三尊像が祀られ、九品来迎図、仏涅槃図、柱絵、壁画が描かれているそうですが、
長年の煤で全く見えませんでした。

しかし、この歴史ある太子堂の中に居れることが嬉しい。

全然華美では無く地味な内陣も長い間見てても全く飽きない。

不思議だ。

お寺といえば本堂が最重要ですが、
本堂よりも参ってほしい全国でも数少ない御堂です。



諸堂と堪能し宝物館を拝観。
拝観料は500円だったかな。

入山料とは別途だから結構お金かかっちゃいます。(^^;


国宝太子堂須弥壇の想定復元図や聖観音立像、釈迦三尊像などが見れました。

なかなか充実していましたが、
拝観料300円ぐらいになりませんかね。(^^;


【御朱印】


5種類ぐらいありましたが、
今回は2種類いただきました。


【感想】
兵庫県でナンバー1と言っても過言ではない古刹。

見所満載でした。

播磨の法隆寺と言われるだけはありますが、
さすがにあの法隆寺と比べたらアカン。

伽藍や仏像等の規模、質、量は、
やはり法隆寺は桁違いの凄さです、圧倒的です。

相手が悪すぎる。

下手に播磨の法隆寺と名乗らない方がいい。

まぁ、余計なお世話ですが。(^^;

高砂神社(2014年6月1日参拝)

2014-06-28 | 仏閣
十輪寺から車で5分くらいの場所に鎮座しているのが高砂神社。

ここは参拝する予定は無かったが、
やっぱりここまで来たからには参拝しないと勿体無いと思い、
急遽参拝することになりました。

結果的に参拝していなかったら後悔するところでした。


所在地:兵庫県高砂市高砂町東宮町190
主祭神:大己貴命
配祀神:素盞嗚尊、奇稲田姫
創建:創建不明
社格:県社



【由緒】
神功皇后が外征の時、大己貴命の神助を得て敵を平らげられた。
帰国の途中、この地に船を寄せられ、国家鎮護の為、
大己貴命をまつられたのが高砂神社のはじまりです。

その後、天禄年間(970~972)国内に疫病が流行し、庶民が苦しんでいた時、
神託によって素盞嗚命、奇稲田姫命をあわせまつったところ、
疫病がたちまちおさまったので、庶民は喜んでお礼参りをした。

文禄元年(1592)豊臣秀吉は朝鮮出兵の時、この神社に参拝し戦勝を祈願したと伝えられる。

池田輝政をはじめ、歴代姫路城主は社領を寄進し、特に本多忠政は尊崇熱く、
輝政によって他に移されていた社殿を旧社地に再建し賑やかな遷座祭を行った。

天樹院(千姫)をはじめ、武将や貴人、学者、詩人、歌人、俳人が多くこの神社を歴訪している。


【鳥居】


鳥居の近くと境内に車は停めれます。


【神門】



【境内】



【境内マップ】


これは見所いっぱいのようです。


【ご神木】





【本社】








歴史の重みを感じる社殿ですね。


【狛犬】


本社を参ったら境内を時計回りで巡ってみます。


【工楽松右衛門像】


海運業者にして稀代の発明家で後に幕府より「工楽」の姓を授かる。

従来の破損しやすい脆弱な帆に代わり、木綿を使った厚手大幅物の帆布の織り上げに成功。
「松右衛門帆」として全国的に普及し、この松右衛門帆の考案により航海術が飛躍的に向上し、
結果として北前船の北方領土進出が現実的となったそうです。


【神馬】



【東宮駐駕所】



【石碑】



【和魂神社】






高砂町出身の英霊が祀られています。


【琴平神社】




海上安全を守る神が祀られています。


【猿田彦社・秋葉社】



【神馬社】



【天神社】





【粟嶋社】


婦人病や安全を祈る神が祀られています。


【神輿庫】



【榎神社】



【稲荷社】





【本殿】



【三社】


本社の裏側に祀られている稲荷社、八幡社、住吉社です。

社務所はこの辺りにあります。


【境内社】


社務所の中にある境内社です。

神社のHPでは紹介されておりません。


【中庭】





【五代目相生松】


秩父宮妃殿下が命名されたそうです。


【尉姥神社】





【霊松殿】











【愛宕社】



【能舞台】




新しく出来たみたいで、良い木の香りがしてました。


【弁財天】



【こまちゃん】




最初見た時は「なんだこれ?」と思ったが、
沖藤友香という小学生の作品だとか。

小学生の作品だったら許す。(笑)


【石柱】


鳥居の欠片のような気がするが、
沖藤友香ちゃんの作品じゃないよな。(^^;


【御朱印】

十輪寺(2014年6月1日参拝)

2014-06-27 | 法然上人二十五霊跡
続きましてはメインの目的地の一つである十輪寺へ。

こちらは法然上人二十五霊跡の札所であります。

この辺りは寺町のようでお寺が林立している中、
一際大きなお寺が十輪寺です。

他のお寺も幾つか見てまわりましたが、
檀家寺で本堂も参れず、撮るべきものもないので紹介はしません。



所在地:兵庫県高砂市高砂町横町1074
宗派:浄土宗西山禅林寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:弘仁6年(815)
開基:弘法大師
中興 法然上人
札所:法然上人二十五霊跡



【縁起】
宝瓶山十輪寺は弘法大師空海が中国に渡航の際、
海上に地蔵菩薩出現の霊感を受け帰国され、弘仁6年(815)に「地蔵十輪経」の教旨に基づき、
勅命により鎮護国家の祈祷所として創建され、地蔵山十輪寺と号した。

約400年度の建永2年(1207)法然上人が讃岐に御配流の途中、この港に立寄られ、
漁夫の八田治部太夫老夫婦を始め、数多くの人を化益されたところである。

漁夫は上人の導きをうけて、その後念仏に帰し後に立派に往生したとつたえられる。

その後、大永7年(1527)堺の僧十万上人が小松の庄生福寺より
法然上人自画賛の「宝瓶の御影」を得て帰る途中、当寺に立寄りこれを奉納されてより、
山号を「宝瓶山」と改められた。


【山門】


享保15年(1730)建立。

さすがに堂々たる印象的な山門です。
大阪の大念仏寺の表門を模写したとされています。

駐車場は無く北門から入って境内に停めればいいでしょう。
山門手前の道路に停めても寺町通りなんで、30分程度なら全く問題ありません。


【本堂】


これまた立派な豪壮なる本堂です。

後で内陣拝観出来るのが分かっていたから、
楽しみで仕方なかった。


【慈巌陵】



【小玄関】



【庫裡大玄関】


中に入ると大本山クラスの庫裡で立派な梁が目を見張りました。

御住職に御朱印をお願いすると、本堂に行って来てくださいとのことで、
有り難く本堂へ参らせていただいた。


【中庭】




本堂へ行く途中で見事な中庭が。




向こうに見えるのが書院です。


【宝筐印塔】



【本堂内陣】






内陣は堂々たる外観の本堂に相応しい荘厳なものでした。


【書院】


通路を間違って本堂かなと扉を開けたら、
実は書院だったというのは、ここだけの話。(^^;


【御影堂】



【六字名号】



【宝筐印塔】


俗に高麗仏と称し豊臣秀吉の朝鮮出兵に際し、
当地より参加して溺死した九十六舟子の追福の為に建立されたもの。


【歴代上人碑】



【五輪塔】



【御朱印】

西光寺(2014年6月1日参拝)

2014-06-26 | 仏閣
大満足の生石神社から宮本武蔵とその甥で武蔵の養子となった
伊織の生誕地であるとされる西光寺へ。


所在地:兵庫県高砂市米田町米田460
宗派:浄土宗西山禅林寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:建治元年(1275)
開山:遊向上人


【縁起】
開山は伊予の地頭、川越四郎兵衛信義という武将が、発心出家の志を懐き、
播磨へ至り、阿弥陀、時光寺の開山、時光上人の弟子となり、
遊向上人と称され西光寺を開かれたものである。

遊向上人が時光上人の弟子になられたことは、
このような源氏の関係があったのではないかと考えられる。

流れとしては、法然上人-西山国師-時光上人-遊向上人-となり、
西光寺開山の遊向上人は法然上人から四代目の弟子に当たることになる。

西光寺二十二世、檀上仁光上人は祥空上人の甥にあたり、
その縁故で広島県、尾道から祥空上人の弟子として、時光寺へ入り、
のち西光寺住職となったものである。

川越姓は明治二十九年に遷化された二十一世、川越湛隆師の弟子、川越善来師が、
北海道美唄市に善来寺を開創され、以来、善来寺住職は川越姓である。

檀上姓は尾道に多く平家筋といわれ、西光寺で源平が合一したわけである。
西光寺は当初、現高砂市伊保崎に建立されたが、後現在地に移った。
移転の理由については不明である。



【山門】


こじんまりとしたお寺のようです。

ちなみに無料駐車場は山門の横にありました。


【本堂】


本堂は残念ながら閉まったままでした。

御本尊阿弥陀如来は法然上人が刻まれたものを親鸞聖人に贈られ、
後に縁あって遊向上人に譲られ、西光寺が開かれたそうです。


【宮本武蔵・伊織像】





【石仏】



【鐘楼堂】



御朱印はお寺の方が不在でいただけませんでした。

ちなみに拝観料300円で五輪之庭、九品来迎之庭の庭が見れるようです。