Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

喜蔵院(2012年5月26日参拝)

2012-06-30 | 役行者霊蹟札所
所在地:奈良県吉野郡吉野山1254
宗派:本山修験宗別格本山
御本尊:役行者
創建:承和年間(834年~837年)
開基:智証大師円珍
札所:役行者霊蹟札所


【山門】



【本堂】


本堂前では採燈大護摩供も行われます。




【寿稲荷大明神】


火除けのご利益で知られているそうです。


【御朱印】

大日寺(2012年5月26日参拝)

2012-06-30 | 近畿三十六不動尊
所在地:奈良県吉野郡吉野山2357
宗派:真言宗醍醐派
御本尊:役行者
創建:白鳳時代
開基:日雄角乗
札所:役行者霊蹟札所


【歴史】
役行者の高弟、日雄角乗によって開創されたという
日雄寺の跡地近くに建立された寺院です。

日雄寺には五智如来が祀られていましたが日雄寺が室町期に消失。
その後、火難を逃れた五智如来を祀るため寺院を建立、
名を「大日寺」と改めたと伝えられています。

大日寺は元弘三年(1333)、北条と戦って敗走した大塔宮護良親王を守って
壮烈な最期を遂げた村上義光とその子義隆の菩提所です。


【祠】


大日寺に行く手前にある小さな祠です。

大日寺との関係は不明です。


【山門】


質素な山門です。


【本堂】


現在の本堂は当時のものでなく、
宝永年間(1704-1710)に建立されたものです。

五智如来が祀られていますが、
誠に残念ながらお昼のお勤めでしょうか?
中で御住職が読経をあげられており拝観出来ませんでした。


この素晴らしい御本尊を直接拝まないなんて、
本当に残念でした。

<五智如来>
大日如来を中心とし、東に阿シュク如来、南に宝生如来、西に無量寿如来、北に不空成就如来と
位置する五如来の総称でそれぞれの如来が異なる五つの知恵を象徴していることから、
五智如来と言われます。

大日寺の本尊たる五智如来は平安後期(藤原時代)に造立されたもので、
全国的に見ても稀とされており国の重要文化財に指定されています。




画像はネットで拾ったものです。


【卍地蔵尊】



【鎮守社】



【大木】



【御朱印】

大峰山持護院・東南院(2012年5月26日参拝)

2012-06-29 | 役行者霊蹟札所
所在地:奈良県吉野町吉野山2416
宗派:金峯山修験本宗別格本山
御本尊:役行者
創建:7世紀後半
開基:役行者
札所:役行者霊蹟札所


【歴史】
東南院は金峯山寺が役行者によって建立された折、共に建てられた古い歴史をもつ寺院です。
日本の霊地では古来、そこに大伽藍を形成するにあたって、
その土地を守護する役割を果たすものとして、巽の方角に小堂を設け、
一山の安泰と興隆を祈念したとされています。

「巽」とは東南の方角のことで東南院は金峯山寺より東南に位置する、
金峯山寺を守ってきた寺院なのです。

寛治六年(1092)には白川上皇が金峯山に参詣された際は、
東南院を宿坊としているなど宿坊としての歴史もあります。

また、東南院は木曾の御嶽山とも縁が深い寺院です。
東南院に入門、修行していた覚明は修験の奥義を究めた後、
一時衰退していたという御嶽山を復興しています。


【山門】



【多宝塔】






元は江戸初期に建立されたもので和歌山県海南市の野上八幡にあったもので、
昭和12年、和歌山の松長定一氏の寄進によって東南院に移築されたそうです。

なかなか美しい多宝塔です。


【鎮守社】





【鐘楼】



【御朱印】

金峯山寺(2012年5月26日参拝)

2012-06-28 | 神仏霊場巡拝の道
所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山
宗派:金峯山修験本宗
御本尊:蔵王権現3躯(重要文化財)
創建:7世紀後半
開基:(伝)役小角
札所:役行者霊蹟札所、神仏霊場巡拝の道 第39番


【歴史】
大和の国・吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山と称し、
古代より世に広く知られた聖域でした。
この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、
修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得されます。

この姿を桜に刻んで山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と、
山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀されます。
これが金峯山寺の開創と伝えられています。  

明治7年(1874年)明治政府により修験道が禁止され、
金峯山寺は一時期、廃寺となり復職神勤しますが、
同19年(1886年)に天台宗末の仏寺として復興。

昭和23年(1948年)には蔵王堂(国宝)を中心に金峯山修験本宗が立宗し、
その総本山として今日に至っています。





【蔵王堂】


まさに威風堂々の東大寺とはまた一味違う豪快な本堂です。


【愛染堂】


愛染堂の愛染明王像は廃仏毀釈に伴い廃寺になった安禅寺の元御本尊。


今、思えば廃仏毀釈、寺社領上知令、修験禁止令、神社統一政策、
廃城令など織田信長も真っ青な悪行三昧を明治政府はしてくれたもんだ。

廃仏毀釈によってどれだけの貴重な仏像や伽藍が失われたことか。

織田信長の延暦寺焼き討ちどころの話ではない。

日本歴史上、最低最悪の文化破壊行為といっていい。

本当に残念だ。

普通の人間の心の持ち主なら祟りが怖くて出来ないよね。

しかしそれが普通に出来てしまう。

人間はひとつタガが外れると狂気の沙汰に走る。

人間の心は弱く脆い、そして恐ろしい。

このような破壊の限りを尽くした連中(神職を含む)は地獄に落ちていてほしいものです。


ひとつ疑問なのは明治天皇や皇族はこの事に関与していないのか?


ちょっと調べてみた。

明治天皇は廃仏毀釈勅文の中で「今まで皇室が仏法を信仰してきのは、
時代の流れの中でしかたなかった。それは、あやまちであった。
今後は正しい本来の道に戻すことにする。」 と述べたとある。

...。


なるほど、
これが事実ならどうやら私はタブーに触れてしまったようだ。


【護摩行】





【御朱印】

吉水神社(2012年5月26日参拝)

2012-06-27 | 神社
所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山
主祭神:後醍醐天皇、楠木正成、吉水院宗信法印
社格:村社
創建:明治8年(1875)


【歴史】
吉水神社は元吉水院と称し今から凡そ千三百年前、
白鳳年間(650~654年)に役行者の創立と伝えるきわめて古い吉野修験宗の僧坊であった。

そして明治の初めまで永年の間幾多の歴史を秘めて
修験道の勢力と共に発展して来たが明治維新の神仏分離の際(明治八年)、
神社と改まったものである。
元より当社は南朝の元宮でありここに後醍醐天皇を祭神とし
当時天皇の忠臣であった楠正成、吉水院宗信法印を合祀している。


【鳥居】



【神門】


やはり江戸時代まではお寺だけあって、
山門のような良い雰囲気を感じますね。


【中門】



【社殿】










旧吉水院護摩堂。


【書院】


今日は観光客が多く静かに見れないなと思い今回は拝観はしませんでした。

また静かに見れる頃に訪れ拝観したいと思う。


【恵比須神社】



【桃山庭園】



【一目千本】


素晴らしい景色でした。


【勝手神社】


少し離れた所に平成13年に不審火により焼失した勝手神社がありました。


【御朱印】


言わなくても二種類の御朱印を書いていただきました。
この神社では片方だけをいただくのが逆に無理です。(^^;

これも勝手神社本殿再建の為でしょうか。