Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

徳川家霊台~五坊寂静院(2014年5月4日参拝)

2014-06-05 | 高野山
南院の近くにあるのが徳川家霊台。
ここも久しぶりの参拝となります。


徳川家霊台

【概要】
徳川家霊台とは徳川家康と秀忠をまつる東照宮をいいます。

この場所は本来、聖派の代表寺院である大徳院の境内だったのですが、
大徳院自体は明治になって他の寺院と合併して現存しませんので霊台だけが残りました。

大徳院は代々徳川家との関係が深い寺院で、
後に家康によって、それまで蓮華院と呼んでいたのを、
大徳院と改められたともいわれています。

大徳院に東照宮を勧請することを、
早い時期から幕府に参画していた天海僧正に願い出ていたらしく、
造営に着工したのは寛永10年(1633)頃で、同16年には、正式に将軍家光より認可され、
同20年に竣工し4月17日には落慶法要が行われました。




拝観料200円を支払い中へ。









徳川家康霊屋。

うお、今回は普段閉められている門が開いている。(^^
めっちゃラッキー。

これは中に入るしかないでしょ。











美しい。

透塀の間から見るのとは大違い。

実に素晴らしい建築美が見れます。
是非とも扉が開いて時期に訪れていただきたいです。










徳川秀忠霊屋。

こちらも美しく素晴らしい。

そりゃ、建築に10年はかかりますわな。(^^




10月の2週間ほど、内部特別公開がされるそうです。
とても煌びやかな内部ですね。

その時期になったらまた訪れるとしよう。




御朱印。



五坊寂静院
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山684
宗派:高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:伝・1198年(建久9年)
開山:伝・明寂上人
開基:伝・八条女院


【歴史】
寺伝によると妙法蓮華経に因む妙智坊・法智坊・蓮智坊・華智坊・経智坊という宿坊があり、
これらを一心院としたのが明寂上人であるという。

その後、行勝上人が相伝し貞暁上人が五坊寂静院と改称したという。

後醍醐天皇・後村上天皇・後土御門天皇・後柏原天皇などの
歴代天皇より綸旨を賜り勅願寺となった。

平安時代以降、高野山を構成した高野三方の学侶方に属し、
相当な有力寺院であった。

日蓮聖人が若い頃に真の仏教・お釈迦様の真髄を求めて、
高野山のここに学びに来られた地である。




まさか、この高野山で南無妙法蓮華経のお題目碑を見るとは。
よく見ると日蓮聖人遊学之旧蹟と刻まれている。

ほ~、あの日蓮聖人が高野山に来られていたんですね。

このお題目碑の先に山門が見えた。

金輪塔の近くにもかかわらず、
こんな所にお寺があることすら知らなかったよ。






山門。




本堂。

境内はさすがに日蓮聖人所縁の地らしく、
よそ者を受け付けない、殺風景な雰囲気。

一瞬、廃寺かと思うほど。(^^;

それでも怖いもの見たさじゃないけど、
勇気を振り絞って境内に入ってみた。

閉まった本堂と庫裏があるだけ。

何の見所もありません。(苦笑)


というか、
この五坊寂静院って真言宗だったのね。

参拝した時は確実に日蓮宗と思ってたよ。(^^;


しかし、真言宗の寺院でありながら日蓮聖人の御尊像が安置されているという。

そんなお寺は他にあるの?

本当に不思議でレアなお寺ですね。

御朱印の有無は不明です。

高野山安養院・金蔵院~南院(2014年5月4日参拝)

2014-06-04 | 高野山
安養院
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山412
宗派:高野山真言宗
御本尊:大日如来
創建:不明



【縁起】
当院は早くより宿坊として栄え、鎌倉末期においては融通念仏宗の中興の祖、
法明上人が登山され、徳治2年(1307)故郷河内の国にお帰りになり、
大阪平野大念仏寺を再興されるまでの約十年間、
当院を修行の道場として密教を体得されるのであります。

その後、天正年間、当院十六世勢尊法印が、山陽・山陰の二道を巡錫された折、
毛利元就公の深い帰依を受け、師壇の関係を結ばれるのであります。

さらに二代毛利輝元公の時より知行五十石を付され、
以来、毛利家の信仰は篤く当院を菩提所と定め、
歴代の建牌、石塔の建立は数十基を数えるに至り歴史の深さを物語っています。

境内にある金蔵院は愛染明王(重要文化財)を本尊として、天長9年に建立されたものです。





参道。




山門。




五輪塔が数基ありました。

毛利家の家族、家臣の菩提を弔う為のもの。




砂紋。




庫裏・中門。








金剛界大日如来(重文)、脇侍二仏は不動明王と愛染明王が祀られ、
毛利元就公をはじめ、当院にご縁のあった方の位牌が安置されています。

厳かな雰囲気で良かったです。




法明堂。

融通念仏宗中興の祖、法明上人が当院に滞在された折、
念仏の道場とされたことから法明堂と名づけられました。




地蔵尊。




御朱印。

続いて車で南院へ。



南院
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山680
高野山真言宗
御本尊:浪切不動尊
創建:弘仁年間(810-824)
開山:弘法大師
札所:近畿三十六不動尊霊場




近くに南院の無料駐車場があります。

ここまで来ると参拝客も少なく余裕で停めれました。






天上に描かれた龍の目の下に立って拍手をすると鳴くそうです。




近畿三十六不動尊霊場のバインダー式の御朱印をいただいた。

しかし書いてくださったおじさん、
日付か何か間違えたのか書き直し。

その間違えた御朱印はどうするのかな~と見ていたら、
あろうことかクシャクシャとしてゴミ箱へin。

は~、そうですか、ゴミ箱へ捨てますか。(怒)

寺男にとったら書き損じはただのゴミかも知れないが、
全く残念なことです。

高野山霊宝館~明泉院・増福院~釋迦文院(2014年5月4日参拝)

2014-06-03 | 高野山
壇上伽藍と堪能した後は霊宝館で仏像を堪能するとしよう。


霊宝館






国宝21件、重要文化財143件をはじめ5万点以上保管されています。
拝観料600円を支払い中へ。


最初の部屋の十二神将が凄過ぎる。
凄過ぎて30分くらい見ていたよ。

次の部屋では仏画とかあったけど、
これは特に興味の無い部門なんで、サーッと見て次の部屋へ。

またまた仏像が見れて盛り返し。(笑)

館内は全て撮影禁止でした。


今回の拝観で印象に残ったのは十二神将ですね。
これしか残っていないと言っても過言ではない。(笑)

それぐらい素晴らしかったです。

でも、個人的には興福寺の国宝館の方が圧倒的にいいですね。

国宝21件、重要文化財143件が全て揃ったら、
高野山霊宝館の方が凄いかもね。

無理か。(^^;




霊宝館でも御朱印をいただくことが出来ました。


次は霊宝館の前にある明泉院へ。



明泉院
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山339   
宗派:高野山真言宗
御本尊:愛染明王
創建:不明
開基:源賢和尚


【縁起】
鎮守府将軍多田満仲公の末孫多田仲光の三男源賢和尚の開基。

満仲公は元弘法大師を深く尊信し高野山を師崇していました。
長徳三年病床に伏すや高野山に寺院を建立、
弘法大師を讃仰し一門の「福祐増進を祈るべし」と遺言しました。

増福院の院号はここから来ています。

清和天皇の御代、土岐山城守の長子以空上人が入寺して当院を中興しました。
また、鎌倉時代の傑僧覚海大徳は当院に併合された華王院に住し寺内興隆を計ると共に、
高野一山の宗学を振興しました。

さらに弘法大師に祈って神通力を得、
自己の七生の流転を知るや天狗と化して昇天した事は当院に於ける伝承であります。




山門。






こちらの宿坊も綺麗な境内です。




本堂。




十三重塔。




延命地蔵尊。




御朱印。


釋迦文院
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山349   
宗派:高野山真言宗
御本尊:釈迦如来
創建:不明
開基:祈親上人


【縁起】
上人は常に両親の菩提を祈っていたのでこの名前が付きました。
高野山第一回の荒癈期の復興した人で奥院の貧女の一灯の話の頃です。

高野山が雷火により一山灰燼に帰し、住山の僧さえもまばらとなり、
奥の院、伽藍諸堂の香煙も絶え、第一の荒廃期となった。

上人はこれを復興し高野山を発展させた。

徳川時代家康公より、山内一千余ヵ寺の中で
名室寺院二十ヵ寺に選ばれ全盛を極めた。

徳川時代には津山、赤穂藩主森家(森蘭丸一族)の菩提寺で、
明治四年最後の仇討となったのがこの家臣で、討たれた七名の墓も管理している。

国の重要文化財には大日如来、不動明王、弘法大師筆の碑文がある。




この奥に行くと山門があります。




ご覧のように境内に車は停めれますが、
ギリギリの幅でした。






桜が見れた。(^^




本堂。




表玄関。





とりあえず今日はここまで。
まだまだ続く。

高野山寳壽院・専修学院~壇上伽藍(2014年5月4日参拝)

2014-06-02 | 高野山
寳壽院
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山223
宗派:高野山真言宗
御本尊:大日如来
創建:大正2年(1913)
開基:深覚僧正


【縁起】
寳壽院はもとは無量壽院と称されていた。
長和5年(1016)に深覚僧正が開基となり創建。

室町時代には長覚尊師は不二門教学、寳性院の宥快法印は而二門教学を確立した。
このことが南山教学がさらに発展していく契機となり、
無量壽院と寳性院は高野山山内の塔頭寺院の中では高い格式が与えられた。

ともに門主寺と呼ばれて江戸時代に全盛を迎えた。

大正2年(1913)6月、高野山内に大師教会本部を設立する為に、
大師教会本部が建設される土地にあった寳性院を無量壽院に合併し寺号を寳壽院とした。
高岡隆心大僧正が初代の門主に就任した。

天保10年(1839)に本堂は焼失してからは再建されなかったが、
昭和45年(1970)には本堂が新築された。
昭和48年(1973)大本山に昇格。






私が訪れた時に沢山の若いお坊さんが出ていかれました。

ここも単なる宿坊塔頭寺院かと思ってましたが、
どうやら雰囲気が違う。

スマホでチェックしてみると寳壽院内に専修学院という教育機関があると判明。


専修学院
真言僧侶としての学問、読経や声明といったいわゆる日常作法、
そして行などを一年間で伝授する教育機関。

数ある真言宗の修行道場の中でも、
とりわけ高い評価を受けている僧侶の養成機関です。

学費だけで年間150万縁でトータル206万円もかかるとか。

ここで修行するのはとても高額なんですね。(^^;




広い境内です。

ここは雰囲気が全然違う。

ここは私のような一般人が訪れてはいけないような雰囲気を感じる。
一般立入禁止では無いのですが。

何故か無神経に境内の真ん中を歩くことは出来なかったです。(^^;


【庫裏】


高野山真言宗総本山・金剛峯寺の建物を模して作られているそうで、
これは金剛峯寺が災害などで、使えなくなった場合に復旧するまでの間、
寳壽院に高野山真言宗の総本山を置くことになっている。

これは高野山真言宗の宗務が一日たりとも滞らないようなどの理由がある。




大玄関。

とても奥行がありそうです。

我が家もこんな大玄関だったらなぁ。(^^;




奥を覗くと美しい襖絵がありました。




本堂。

本当は本堂に行きたかったんですけどね。
やっぱり気が引けちゃって行けませんでした。




よく分からないが供養塔みたいなものがありました。




これは蔵でしょうか。


次回、訪れる機会があれば若い坊さんに本堂に行っていいか、
確認してみよう。

さて、次は近くの壇上伽藍に行きます。



壇上伽藍



<2011年5月2日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/6df1326603aeef4133bc38a14e864f5b




壇上伽藍の裏側から境内へ。






根本大塔。

今回も塔内に入りました。
渋さとは無縁ですが、さすがに圧倒されました。

しかし、須弥壇に小銭を立ててるのをたくさん発見。

全く意味不明。
以前は小銭を立ててなかったのに。

誰かが面白がって立てた小銭を観光客がマネたのかな。(苦笑)






高野山開創1200年記念大法会に向けて再建中の伽藍中門。

かなり出来てきましたね。
楽しみです。(^^




大塔の鐘・高野四郎。

一人の僧侶が撞いていましたが、
撞く数は石で数えられていました。




金堂。

GWの三日間限定で結縁灌頂が行われていました。

興味はあったんですが、
3000円もするし、私の守護仏は他にいらっしゃるので回避しました。

というか、これって本当に縁を結べば守ってくれるのかな?(^^;

さて、次は高野山で一番好きな西塔を見にいきます。




ここから見る西塔が本当に好きでね。
ここの雰囲気がたまらない。




渋すぎます。(^^




山王院。




根本大塔と御影堂。




東塔。




2種類ある内の薬師如来をいただきました。



こちらは金堂手前のテントの下で授与されていました、
大日如来の御朱印です。

通常の御朱印と違い「春季 結縁灌頂」と書かれておりました。
書置きですけど。(^^;




伽藍中門再建記念で発売されていました。

材質がヒノキだけあって1700円と少々高いですが、
買わずにはいられない。(笑)

ちなみに1ページ目は奥の院の御朱印にしなければならないとのこと。

これにて壇上伽藍参拝終了。

長くなりましたので続きはまた。

高野山寶城院.~西褝院~正智院(2014年5月4日参拝)

2014-06-01 | 高野山
寶城院
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山156
宗派:高野山真言宗
御本尊:大日如来
創建:保延年間(1133-1141)
開山:琳賢



【縁起】
今から約870年前、後白河法皇ご登嶺の砌、阿闍梨を置かれた由緒ある本山で、
高野山の中心、大伽藍根本大塔のすぐ北の高台にあります。

元閑院宮家の御菩提所で、特に秘宝の弁財天は重要文化財に指定、
その他書院壁面大広間襖絵等、古代文化を偲ぶにふさわしい幽邃閑雅な名刹です。

成仏院というお寺でしたが寛永9年(1632)復興させた朝栄により、
宝城院と改号し今に至る。




元閑院宮家菩提所。

閑院宮は四世襲親王家の一つで、江戸時代中期に東山天皇の皇子直仁親王が創設した宮家。




山門。




庫裏。



本堂。

堂内から読経が聞こえてきた。
当たり前ですがさすがに上手いですね。(^^




鎮守社。




御朱印。



西褝院
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山154
宗派:高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明



【縁起】
別格本山西禅院は親鸞上人が修行された古跡坊で、
上人ご自作の尊象を安置する由緒深いお寺です。

また壇上伽藍に隣接しており、
大塔・金堂・御影堂等を樹間に見る静寂境に位置しています。

重森三玲氏によって作られた庭も見所となっています。
また、室内には仙台藩御用絵師、菊田伊洲氏作の襖絵があり、
常時ご覧頂く事が出来ます。




参道。




山門。






庫裏。

清涼感溢れる木村英輝氏作の屏風がお出迎えしてくれます。

あの松下幸之助さんもお泊りになられたそうです。




左が本堂です。




前庭。




御朱印。




正智院
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山159
宗派:高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:永久年間(1113-1117)
開山:教覚正智坊


【縁起】
学僧教覚正智坊によって開基せられ、当山中興の道範大徳は高野八傑の1人であり、
聖僧・学僧等が相次いで傑出した由緒深い山内随一の寺院であります。

筑前の黒田家・薩摩の島津家の帰信が厚く、御本尊は阿弥陀如来。

有名な国宝文館詞林、不動明王、五銛鈴その他仏像、仏画・典籍を多数所蔵しております。
宿坊としては岩山を背景に枯山水の庭園、客室、大広間、浴室等完備し、
精進料理を味わって戴きます。






山門。

恐らく大楽院と合併したんでしょうね。




庫裏。




本堂。




画像はネットで拾ったものですが、
こちらには有名な美しい庭園があるようです。

そんな庭があるとは全く感じなかったので、
庭園は見ておりません。

知らないのは損しますね。

御朱印はあるのですが、
残念ながらタイミングが悪くいただけませんでした。