バコタ薬師堂と清水観音堂の間に神社があった。
鳥居を見ると稲荷神社のようだ。
<花園稲荷神社>
所在地:東京都台東区上野公園4-17
御祭神:倉稲魂命
創建:不明
【由緒】
御創祀の年月は不祥です。
古くからこの地に鎮座し忍岡稲荷が正しい名称ですが、
石窟の上にあった事から俗称、穴稲荷とも云われていました。
承応3年(1654)、天海大僧正の弟子本覺院の住僧晃海僧正が、
霊夢に感じ廃絶していたお社を再建し上野の山の守護の神としました。
幕末、彰義隊の戦では最後の激戦地として知られています。
明治6年(1873)に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興され、
花園稲荷と改名、五條天神社が現地に御遷座になるに及び、
社殿も南面して造営され神苑も一新されました。
お穴様の左奥にありますお社は、古書に弥佐衛門狐と記され、
寛永寺が出来る時忍岡の狐が棲む処が無くなるのを憐み、
一洞を造り社を祀ったと云われます。
【鳥居】
【狛犬】
耳が垂れ下がっていて初めて見るタイプの狛犬でした。
【朱鳥居】
【拝殿】
こちらで早速お参り。
宝くじが当たりますように。(笑)
こちらは穴稲荷の拝殿のようで、
神徳惟馨と書かれた扁額がありました。
よく見ると伊藤博文と書かれていたので、彼の字なんでしょう。
神徳惟馨とは、
神徳(しんとく)惟(こ)れ馨(かぐわ)し。
【穴稲荷】
感度を上げて撮影していますが、
稲荷さんだけあって薄暗い雰囲気です。
夜に行ったら怖いぞ。(^^;
【蔵】
【御朱印】
同じ境内に鎮座する五條天神社の社務所でいただきました。
<五條天神社>
所在地:東京都台東区上野公園4-17
御祭神:大己貴命、少彦名命
創建:伝・景行天皇朝(伝・110)
社格:村社
札所:東都七天神
【由緒】
景行天皇の御宇、日本武尊東夷征伐の為、武蔵忍岡を御通行の砌、
大己貴命(大国主命)、少彦名命二柱の大神の奇瑞を現し給うことあるに依って
同所に両神を勧請せられたのが当社の創祀であると伝えられる。
相殿に菅原道真公を祭祀したのは社名の天神と呼ばれたるにより、
菅神の尊像なくてはとて寛永十八年道真公の尊像を造り、
天海大僧正並びに毘沙門堂公海が開眼供養を修したのであると伝う。
寛永寺拡張のことなどに依り当時の社地天神山より暫く、
当社別当にて連歌師たる瀬川屋敷内に遷座されていたが、
昭和三年九月廿二日に当地に御遷座し奉った。
当社は古より醫薬の祖神として尊崇されている
【鳥居】
花園稲荷神社と五條天神社はどちらかが境内社かなと思ったけど、
巫女さんに聞いたら別々の法人があるということでした。
【七福社】
江戸時代に上野の繁栄を願い、山内各門に祀られた祠の一つだそうです。
【拝殿】
【舞殿】
【御朱印】
二種類あって印が大きい方をいただきました。
印が小さい方は印が二つ押印されます。