Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

道明寺天満宮(2011年9月23日参拝)

2011-09-30 | 神仏霊場巡拝の道
所在地:大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
主祭神:菅原道真、天穂日命、覚寿尼
社格:郷社
創建:伝・垂仁天皇32年
札所:神仏霊場巡拝の道58番(大阪17番)


【神門】



【境内】



【石鳥居】



【拝殿】


江戸時代初期建立と伝えられています。

立派です。


【本殿】





【能楽殿】


文化12年(1815)の江戸時代後期に創建。
この能楽殿は大阪府下では最古のもの。


【修羅】


昭和53(1978)年4月、当宮氏地内の三ツ塚古墳の周濠から大小2基の修羅が出土。
修羅とは古墳を造るときに必要な巨大な石を運ぶためのソリのことです。
道真公の先祖土師氏の領地であり、
この修羅を使った土木技術も土師一族のものであったろうと思われます。

この修羅は「復元修羅」で実験考古学の試みとして製作されたもので、
現物は大阪府立近つ飛鳥博物館に大が、
藤井寺市立図書館に小が保存されております。

平成18年に大小の修羅と、てこ棒が重要文化財に指定されました。


【白太夫社】


菅原道真公が大宰府へ下向の時、
菅公のお伴をされた白太夫命が祀られています。


【和合稲荷社】


商売の神様、和合稲荷大神が祀られています。


【さざれ石】


♪君が代は千代に八千代に さざれ石の巌となりて苔のむすまで♪

国歌に歌われているさざれ石です。
この石は白亜紀後期(約七千年前)の和泉層礫岩です。


【御朱印】



誉田八幡宮(2011年9月23日参拝)

2011-09-28 | 神社
数日前の日経新聞web版を見てると興味深い記事が。

皇室の祖先の墓である陵墓は宮内庁が「聖域」として管理しており、
一般の立ち入りは原則禁じられているが、
全国で唯一特別に天皇陵に入ることができる祭礼があるという記事を読んだ。

その神社の名は誉田八幡宮。

知らない神社だったけど場所が大阪の羽曳野市だったので、
これは行くしかないと思い参拝しました。

<記事>
http://www.nikkei.com/life/culture/article/g=96958A90889DE1E6EAE2E2E0E1E2E3E6E2EBE0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;dg=1;p=9694E0E5E3E0E0E2E3E2EBE3E7E5


所在地:大阪府羽曳野市誉田三丁目2-8
主祭神:応神天皇
社格:府社
創建:不明


【武将と八幡】
氏の氏神が八幡であるという信仰がひろまると、
誉田八幡宮は将軍家をはじめ源氏を名のる武士たちの信仰を受けるようになり、
源頼朝は建久7年社殿、伽藍を修復し国宝の神輿や、神馬、
重要文化財の鳶松皮菱螺鈿鞍・同鉄蛭巻薙刀などを寄進。

室町幕府六代将軍足利義教は重要文化財「誉田宗廟縁起」、
同「神功皇后縁起」を奉納されました。

南北朝時代から戦国時代にかけては当宮の別当職、誉田三河入道一族によって
守護されていましたが享徳3年(1454)河内守護の畠山一族の内輪争いに端を発した
戦乱により再三再四その激戦場となり社殿と伽藍が戦災を受けて荒廃。

その後、織田信長が全国統一の途中、三好一族を河内に攻め、
河内一円を完全に支配したとき当社寺領を没収してしまったと言われます。

天下統一を果たした豊臣秀吉は誉田八幡宮に社領二百石を寄進。
天正14年(1586)に社殿、伽藍が焼失したため、
文禄3年(1594)社領二百石を志紀郡古室村に転換し、
次いで豊臣秀頼も社殿再建に力を添えたそうです。


【鳥居】


無料駐車場の前にあります。


【拝殿】


慶長11年(1606)に豊臣秀頼が普請奉行に片桐且元を任じて再建させたもの。
しかし完成直前に大阪の役(冬の陣、夏の陣)が勃発した為、
八割方でき上がったまま放置されていた。
その後、徳川家光が再建工事を続行して寛永年間の初期に竣工。
 
徳川家によって最後の仕上げがなされたので三ツ葉葵の定紋が付けられている。


【本殿】



【姫待稲荷社】


末社。


【当宗神社】




素戔嗚命が祀られています。


【恵比寿社】



【盆栽】


絵馬堂に飾られていました。


【南大門】


切妻造で大葺の立派な四脚門はこの神社の門ではなく、
江戸時代に八幡宮の神宮寺であった長野山護国寺の門である。

この門も拝殿と同じく豊臣秀頼が片桐且元に命じて再建させたものであるが、
大阪の役(冬の陣、夏の陣)で豊臣氏が滅亡した後、
徳川家によって寛永年間初期に最後の仕上げを行ったもの。
切妻の部分に徳川家の三ツ葉葵の定紋が付けられている。


【放生橋】


この先が応神天皇陵で普段は柵で行けないようになっている。
しかし秋の大祭で執り行う「渡御(とぎょ)」の神事の際のみ、
陵墓への立ち入りが許可されている。

天皇陵への立ち入りという特別扱いが誉田八幡宮にのみ、
認められているのは何故かというと江戸時代まで墳丘と周濠の間には橋が架かり、
神輿は後円部の頂上にあった御堂まで渡御していた。
江戸末期の神仏分離で橋や御堂は取り壊され、
神輿が墳丘に渡ることはなくなったが、
こうした史実に加えて「永く応神陵を守護してきた歴史的経緯もあり、
堤の上までの渡御を認めている」と宮内庁陵墓課は説明する。


誉田御廟山古墳は5世紀ごろ築造されたとみられる巨大な前方後円墳。
墳丘の全長は425メートルで大仙古墳(仁徳天皇陵)に次ぐ全国2位だが、
高さでは勝っており容積では全国最大とされる。


【塵地螺鈿金銅装神輿】


源頼朝寄進と伝わる国宝。

土曜日の午後1時から4時まで見学可能。(拝観料400円要)


【御朱印】




今年の秋の大祭は残念ながら参加できなかったが、
来年は是非とも参加したいものである。

観心寺(2011年9月23日参拝)

2011-09-26 | 仏塔古寺十八尊
所在地:大阪府河内長野市寺元475
宗派:高野山真言宗
御本尊:如意輪観音(国宝)
創建:天長2年(825年)または天長4年(827年)
開基:実恵
札所:新西国三十三箇所客番、仏塔古寺十八尊 第13番、
関西花の寺二十五霊場25番、役行者霊蹟札所、神仏霊場巡拝の道 第56番


【山門】


山門見ただけで寺の広大さが分かるというもの。
いい雰囲気です。


【境内】




紅葉の季節は紅葉が本当に美しい。
しかしその分、参拝客が多過ぎて萎える。

やっぱり神社仏閣は静かに参拝したいものです。


【弁天堂】



【訶梨帝母天堂】




創建年代未詳ながら興国5(1344)年に焼失。
後村上天皇の命により楠木正行が室町後期の天文18(1549)再建。
重要文化財。

訶梨帝母天とは鬼子母神のことである。


【金堂】






大阪府最古の国宝建築物。
御本尊:如意輪観世音菩薩坐像は密教美術の最高の仏像といわれ、
普段は秘仏ですが4/17,18のみ開帳される。(拝観料700円要)

国宝指定第5号。

左右の厨子には愛染明王と不動明王が祀られています。

三像が同時に見れるのは超絶レアらしい。


【建掛塔】


重要文化財。

知らない人が見たら小さな渋いお堂だと思うだろう。
ですがこれは楠正成が戦死したことにより初塔のみとなった
未完成の三重塔です。

茅葺の屋根は後付だそうです。


【鐘堂】


創建不明。


【阿弥陀堂】



【開山堂】




道興大師実恵が祀られています。


【楠正成首塚 】




湊川の戦いの後、足利尊氏の命によって送り届けられた
楠木正成の首級が葬られています。


【道興大師御廟】


弘法大師の筆頭弟子である道興大師実恵の墓です。


【後村上天皇御陵】




意外としんどい石段を登るのですが到着すると、
本当にあっけないというかあっさりとした感じですね。


【御朱印】



満願寺不動尊(2011年9月23日参拝)

2011-09-25 | 仏閣
満願寺不動尊は施福寺の駐車場の前にあります。
西国参拝目的の方々はスルーされる傾向にありますが、
こちらにある落差92メートルの満願の滝は見ないと損します。


【本堂】



【千体地蔵堂】


正面のお地蔵さんの左右に小さなお地蔵さんが祀られていました。
千体あるかは数えてません。(笑)


【お地蔵さん】


本堂の左横に何体も祀られていました。
自分にとって一番身近な存在がお地蔵さんで親近感がわきます。


【弁財天】











【満願の滝】








写真よりめちゃめちゃいい滝です。
見てて飽きません。




弘法大師像が祀られています。






滝の横に役行者神変像が祀られています。


【御朱印】


大利益?(^^;

施福寺(2011年9月23日参拝)

2011-09-24 | 西国三十三ヶ所
暑さもだいぶマシになってきたので登るのがしんどい施福寺へ。
真夏に行ったら軽く死ねますからね。(^^;


所在地:大阪府和泉市槙尾山町136
宗派:天台宗
御本尊:弥勒菩薩
創建:伝・欽明天皇(勅願)
開基:伝・行満上人
札所:西国三十三箇所第4番、和泉西国三十三箇所第1番、
西国愛染十七霊場第15番、神仏霊場巡拝の道 第52番


細い山道を走り無料駐車場へ。
ここは西国さんだけあって観光バスも多く来ると思いますが、
対向で観光バスが来たら泣くと思います。(^^;

それはバスの運転手も同じ。
運転手にとって凄い神経を使う山道ですね。


【磨崖仏】


駐車場から参道を歩くこと数分、
岩壁に造られた仏様です。


【十三塔】


仁王門の前にあります。


【仁王門】




実に堂々とした立派な仁王門です。
豊臣秀頼の寄進と伝えられています。




駆除されたスズメバチの巣がありました。


【仁王像】



【弘法大師 姿見の井戸】




さすがに西国さんでも難所の一つとされるだけあって山道が厳しい。
完全に登山道です。(^^;

ハァハァしながら歩いていると姿見の井戸がある。

弘法大師がこの井戸で剃髪した自分の姿を見たのでしょうか。


【風景】


あとちょっとで本堂に到着という所で休憩。
大阪湾が見えて気分爽快にさせてくれます。


【愛染堂】


弘法大師が剃髪した場所と伝わるが真贋は怪しいそうです。
しかしこのお寺に2年ほど修行していたのは事実のようです。


【弘法大師御髪堂】


弘法大師が剃髪した髪を納めた御髪堂。

本堂に到着する最後の石段の途中にあります。
あの石段はほとんどいやがらせとしか思えない。(^^;


【本堂】




駐車場約1キロの山道を登り到着。
なかなかキツイ道のりでしたが、
談山神社と聖林寺の間にある音羽山観音寺に比べたら楽勝でした。

<音羽山観音寺>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/c/1b947ec078155616c421b09837cb30d2


1857年(安政4年)の再建。
御本尊弥勒菩薩(秘仏)、十一面千手千眼観音、文殊菩薩立像、
後堂に馬頭観音坐像が祀られています。


【救世観音菩薩像】



【西国三十三所観音堂】





【槙尾大明神】




ほとんど訪れる人も居なく殺風景でした。


【風景】


本堂近くから見た風景で一番奥に見えるのが金剛山です。


ちなみに境内には小さな食堂があるのですが、
ここの「ひあしあめ」は250円もするのにあんまり美味しくありませんでした。


【御朱印】