Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

金泉寺(2010年3月21日参拝)

2010-03-21 | 四国八十八箇所
本日最後の参拝になるのが金泉寺。


所在地:徳島県板野郡板野町大寺66
宗派:高野山真言宗
御本尊:釈迦如来
創建:伝・天平年間(729-749)
開基:伝・行基、
勅願:聖武天皇
中興:延宝2年(1674)、南山国師
札所:四国八十八箇所3番


【歴史】
聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が寺塔を建立し、
「金光明寺」と命名されたと伝えられる。
その頃の本尊は高さ約91センチの釈迦如来像で、
脇侍に阿弥陀如来、薬師如来の三尊像を安置して開基したという。
弘仁年間(810〜24)になって弘法大師が四国を巡教された際、
村の人たちが日照りに苦しんでいるのを見て、この地に井戸を掘られた。
この井戸から湧き出た水は霊水で、「長寿をもたらす黄金の井戸」とされ、
寺名の「金光明寺」を改め、「金泉寺」とした。
その後、亀山天皇(在位1259〜74)が法皇になられ、
弘法大師を篤く信仰されて各地の霊跡を巡拝、金泉寺にもしばらく滞在された。

黄金地蔵尊その間に、京都の三十三間堂(蓮華王院)に倣ならった堂舎を建立し、
1000の千手観音像を祀られ背後の山を「亀山」と命名し山号も「亀光山」と改めた。
以来、皇室との縁が深く長慶天皇(在位1368〜83)の御陵も本堂裏にある。
また源平合戦(元暦2年=1185)のおり、源義経が屋島に向かう途中に金泉寺に立ち寄り、
戦勝開運の祈願をしたと「源平盛衰記」に伝えられている。
本堂の左手にある慈母観音子安大師は義経の祈願所ではあるが、
境内西隣にある「弁慶石」もその一つで、義経が弁慶の力試しに持ち上げさせたと伝えられている。
健やかに育てと願う親心の観音菩薩んは今も人生の開運を願う参詣者が多く訪れる。


【仁王門】


とても立派な仁王門です。

京都や奈良の本山ならいざ知らず、
徳島の田舎のお寺には不釣り合いなほどです。

さすがお遍路の札所だけあって儲かっているのであろう。


【本堂】



【多宝塔】



【御朱印】



【瀬戸内海】






車窓より。

これが私にとって初めての巡礼であった。

非常に良い経験になったし勉強にもなった。

何より良い供養が出来たと思っている。

大日寺(2010年3月21日参拝)

2010-03-21 | 四国八十八箇所

所在地:徳島県板野郡板野町黒谷5
宗派:東寺真言宗
御本尊:大日如来
創建:(伝) 弘仁6年(815年)
開基:(伝)空海(弘法大師)
札所:四国八十八箇所4番


【歴史】
弘法大師が42歳にあたる弘仁6年、
この地に長く留まり修行していたとき大日如来を感得された。

大師は一刀三礼をして55センチほどの大日如来像を彫造され、
これを本尊として創建し寺号を本尊に因んで「大日寺」と命名したと伝えられる。
また「黒厳山」の山号は、境内が三方を山に隔てられており、
人里はなれたこの地は「黒谷」と称されたのが由来といわれ、
地元では「黒谷寺」とも呼ばれていたという。

寂本(1631〜1701)の「四國禮霊場記」(元禄2年=1689)によると、
かつては立派な堂塔が並び、美しく荘厳な小門から入った境内は広々としていた。
しかし歳月が経ち伽藍の軒は風化していたが、
応永年間(1394〜1428)に松法師という人に夢の託言があって修復されたという旨が記されている。

伽藍は再び荒廃し、天和、貞享年間(1681〜88)に再興されている。
また、阿波藩主・蜂須賀家は代々大日如来を守り本尊としており、
とくに5代藩主・綱矩公の帰依があつく、
元禄から宝暦年間(1751〜64)には手厚い保護をうけ寺塔の大修理がほどこされている。


【山門】



【本堂】


参拝客で賑わってますね~。


【御朱印】

地蔵寺(2010年3月21日参拝)

2010-03-21 | 四国八十八箇所

所在地:徳島県板野郡板野町羅漢字林東5
宗派:真言宗御室派
御本尊:勝軍地蔵菩薩
創建:(伝)弘仁12年(821)
開基:(伝)空海(弘法大師)
札所:四国八十八箇所5番


【歴史】
嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願により弘仁12年弘法大師が開創された。

大師は自ら約5・5センチの勝軍地蔵菩薩を彫られ本尊に安置したと伝えられる。
その後、淳和天皇(在位823〜33)、仁明天皇(在位833〜50)の3代にわたり
天皇家が篤く帰き依えされた。

さらに紀州・熊野権現の導師を務めていた浄函上人が霊木に延命地蔵菩薩像を刻み、
その胎内に大師作の勝軍地蔵菩薩を納められたとも伝えられている。
この勝軍地蔵菩薩の信仰からか、源頼朝、義経をはじめ、
蜂須賀家などの武将たちが多くの寄進をしている。

これらの寄進により寺領は拡大し、阿波、讃岐、伊予の3ヶ国に
およそ300を数える末寺ができ、塔頭も26寺にのぼったと伝えられる。
しかし、天正年間(1573〜92)の長宗我部元親による兵火で、
これらの堂塔はことごとく灰燼に帰した。
その後、歴代の住職や僧侶、信者たちの尽力により堂宇が整備拡充され、
いまでも寺領は40,000平方メートル(12,000坪)にもおよぶ古刹である。


【山門】



【修行大師像】



【御朱印】

安楽寺(2010年3月21日参拝)

2010-03-21 | 四国八十八箇所
所在地:徳島県板野郡上板町引野字寺ノ西北8
宗派高野山真言宗
御本尊:薬師如来
創建:(伝)弘仁6年(815年)
開基:(伝)空海(弘法大師)
札所:四国八十八箇所6番


【歴史】
平安の昔(弘仁六年)四国を巡錫中のお大師さまは、この地にて温泉を発見なさいました。
この温泉をご覧になったお大師様は「この地は、病魔から人々をすくう
薬師如来様とご縁の深い土地である」とおっしゃられ、
万病の治癒に効果があるこの温泉のほとりにお堂を築き、
薬師如来を刻んで安置されて山号を「温泉山」寺号を「安楽寺」と名付けられました。

お大師様が我が国に温泉湯治のご利益を伝えた全国でも珍しい旧跡です。
安土桃山時代には阿波徳島藩の藩祖である蜂須賀家正公より「駅路寺」として定められました。
その当時、阿波の国には遍路や旅人のための宿泊施設がなく、
駅路寺とはそういった人々に宿や食事を提供して保護するために藩が指定した寺院でした。
安楽寺は八十八ヶ所の中で唯一の「駅路寺」として今日に至ります。


【山門】



【本堂】


薬師如来、月光・日光菩薩、十二神将が祀られていました。


【多宝塔】


五智如来が祀られているそうです。


【御朱印】

極楽寺(2010年3月21日参拝)

2010-03-21 | 四国八十八箇所
所在地:徳島県鳴門市大麻町桧字ダンノ上12番地
宗派:高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:(伝)弘仁年間(810年 - 824年)
開基:(伝)行基
正式名:日照山 無量寿院 極楽寺
札所:四国八十八箇所2番、阿波北嶺薬師霊場11番、阿波西国観音霊場21番


【縁起】
極楽寺縁起によれば、弘法大師が当山に留錫、「阿弥陀経」を二十一日間読誦された折、
難波の難産に悩む女性が弘法大師のお加持によって無事安産した。
それでそのお礼にと木彫りの大師像を奉納し以後安産祈願の本坊として多大な信者を集めたという。

時代は下り明治の頃、大阪住吉に住み難産に悩む婦人が妊娠したので、
安産祈願を受けたところ、ある夜夢の中に弘法大師があらわれ四国遍路をすすめられた。

そこで発心して讃岐まで巡拝して、ここ二番極楽寺までくると急に産気づいたが、
弘法大師より最後までめぐりつづけよとのお告げがあった途端におさまった。

その後何事も無く結願し帰宅したら、男子を無事に出産することができたという。
当山安産縁起と同じ霊験を得て無事出産され感激した婦人は大師堂の前に安産大師像を奉納された。
これが現在、境内に安置せられる安産修行大師像である。


【仁王門】


昭和48年に再建されたもの。

立派で美しい門です。


【雲海の浄土】


見事な庭園です。

正直、これほどの庭園を徳島で見れるとは思わなかった。

徳島すまんかった。(^^;


【御朱印】