Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

真宗大谷派 八尾別院大信寺(2011年10月16日参拝)

2011-10-31 | 仏閣
八尾天満宮から歩いてすぐにあるのが八尾別院大信寺。
八尾御坊とも呼ばれている。

我が家の宗派が浄土真宗なんで参拝。


八尾もいろいろ神社仏閣が多いですが、
関東在住の友人曰く八尾のイメージはガラが悪いそうだ。(^^;

河内弁の影響かも知れないけど、
本当のガラが悪いのは岸和田と西成やと思うで。(笑)


所在地:大阪府八尾市本町4-2-48
宗旨:浄土真宗
宗派:真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:慶長12年(1607年)
開基:教如



【歴史】
慶長12年(1607年)本願寺の東西分立に端を発し、
久宝寺寺内町においても内部対立が起こり森本行誓ら17人の民衆が、
寺内町を支配していた安井氏と対立。
徳川家康に仲裁を願い出るも認められず久宝寺寺内町を出ることとなった。

森本行誓らは家康の計らいにより家康から
東本願寺第十二世住職の教如に寄進された八尾荘に移住、
教如と共に大信寺(八尾御坊)を建立。

教如上人のあと万治3年(1661)住職になった孫の宣縁(智光院)は、
門信徒の増大と寺内町の発展にともない財力も豊富となった為、
現在地に御坊を移転している。

当時の境内地は3262坪もあり29棟からなる七堂伽藍が
完備された巨大な堂宇をもっていた。


【山門】


昭和42年(1967年)京都大学建築研究協会の棚橋諒博士設計により建立。

伝統仏教の雄の寺院とは思えないモダンな造りです。
見た時はどこの新興宗教かと勘違いしてしましそうです。

旧山門は現在、桑名別院本統寺に移築されています。
画像を見ましたが立派な山門です。

画像を見ると八尾御坊の山門がモダンになって余計に残念に感じる。


【本堂】


旧本堂は明和4年(1767年)の建立。

天明の大火(1788年)で東本願寺が被災した際、
大信寺本堂が東本願寺に移築されて御影堂となったが、
東本願寺の復興に伴い寛政11年(1799年)に八尾に再移築されている。
その後昭和28年(1953年)3月2日に旧本堂がシロアリの被害によって倒壊。

この旧本堂の部材は東京都港区の善福寺に運ばれ、
昭和36年(1961年)より同寺の本堂として使用されています。

<善福寺HP>
http://www.azabu-san.or.jp/zenpukuji/index.html



これまたモダンな造りですね。

まぁ、シロアリの被害で倒壊したら鉄筋コンクリートで造りますわな。

しかしこんなモダンなデザインにしなくてもいいと思う。
日本の伝統の良さを無視して洋風にしてしまうのは日本人の悪い所です。


【阿弥陀如来】




御本尊。


【真宗本廟御影堂瓦】



【鐘楼】


山門、本堂、納骨堂と共に昭和42年(1967年)建立。


御朱印は極一部の寺院を除き浄土真宗なんでございません。

八尾天満宮(2011年10月16日参拝)

2011-10-30 | 神社
所在地:大阪府八尾市本町4-2-25
主祭神:天穂日命、菅原道真公
創建:慶長年間
開基:片桐且元


天穂日命(あめのほひのみこと)とは国譲り神話のなかに出てくる神。
天照大神と須佐之男命が誓約をした際、
天照大神の珠から生まれた五男神のなかの一神。


【中門】


かつて寺内町は東西に二箇所ずつ、南北に一箇所ずつの計六箇所、
それぞれ木戸門なる門があったそうでその一つを移築したもの。


【天狗】


節分の日に鬼追い神と天狗は共に三鬼を退治して無病息災を願う
追儺式という伝統行事があるので天狗が祀られているようです。


【二の鳥居】


1701年建立と何気に古い鳥居です。


【拝殿】




拝殿内部が本当にいい雰囲気でした。


【戎殿】



【神武天皇遥拝所】



【琴平社】



【稲荷大神】



【末社】


天照皇大神、八幡大神、春日大神が祀られています。


【御朱印】

穴太神社(2011年10月16日参拝)

2011-10-29 | 神社
15年以上前でしょうか、
久宝寺にある某企業に駐在していた頃、
車通勤していたので毎日この穴太神社の前を通っていました。

穴太の読み仮名は「あのう」といいます。
ずっと「あなふと」と読んでいたのはここだけの話。(苦笑)

いや、普通そう読みますよね?
なんで穴太と書いてあのうと読むのだろう?


所在地:大阪府八尾市宮町1-10-15
主祭神:天照皇大御神、住吉四座大神、春日四座大神
創建:不明



【石碑】


当地域は安康天皇の設けられた穴穂部の地、
聖徳太子の生母間人穴太部皇后の成人の地といわれる。

当社は古代氏族穴太氏の一族の祖神を祭る産土神で、
境内に残る寺跡はその氏寺であったと考えられる。
同寺は河内鑑名所記、和漢三才図会に名刹千眼寺として紹介されている、

この社の付近一帯はそのむかし大集落の繁栄がうかがわれ、
これまで奈良時代から室町にかけて住居跡の埋没が確認され
昭和五十六年の調査では多くの遺物が発掘されている。



聖徳太子の御母堂であられる間人穴穂部皇女の誕生地であるとは
全く知りませんでした。


【鳥居】


この先行き止まりという立て看板があります。
進んで行くとそのまま神社の境内に到着し確かに行き止まりでした。


【二の鳥居】



【拝殿】




こじんまりとした拝殿です。


【半九郎稲荷大明神】




氏子・崇敬者の護りの神が祀られています。


【遥拝所】



【楠木】


境内の楠木は八尾市の保全樹木に指定。

緑の苔がなんかたまりません。


【御朱印】


これぐらいの規模の神社だと御朱印が無い場合があるのですが、
無事御朱印をいただくことが出来ました。

若江鏡神社(2011年10月16日参拝)

2011-10-28 | 神社
本日は大阪府八尾市にある酒屋で日本酒を買いにいくので、
八尾の神社仏閣を時間が許す限り行くことに。

八尾の神社仏閣はあんまり行ったことが無いので楽しみです。


まずは若江岩田にある若江鏡神社へ。

この神社の近くには石山本願寺攻めの際、
織田信長が居城した若江城の跡地があります。

天正8(1581)年石山本願寺は信長と和睦して紀州鷺森に退去すると、
若江城はその使命を終え天正10(1583)年の秀吉の大坂城築城の際には、
若江城を破却して石垣や建物を資材として持ち去り全く遺構を残していません




所在地:大阪府東大阪市若江南町2-3-9
主祭神:大伊迦槌火明大神、仲哀天皇、神功皇后
創建:不明



【由緒】
創建年代は不詳ですが文徳実録」(六国史)の斉衡元年(854年)卯朔丙辰に
「河内之国大雷火明之神従五位下」と記されていることからも、
少なくとも1200年近くはこの地に鎮座している相当な古社であります。


【鳥居】


立派な鳥居です。
交通量の多い府道をひとつ奥に入るとこんな神社があるとは。


【社殿】


以前の社殿は大阪夏の陣にて焼失し、
現在のものは文政11年(1828年)に再建されたものです。

一間社流造2棟を中央に相殿を入れて連結しためずらしい遺構。
社殿内部はとても綺麗でした。


【天照皇大神社】



【塚本稲荷社】


末社。


【熊野権現社】


末社。


【ご縁地蔵社】


末社。
当社に置き去りになられていたお地蔵様が祀られています。


【八雲歓喜天社】


末社。
カヤのご神木に住む己さんが祀られています。


【御朱印】



本宮鴉宮(2011年10月10日参拝)

2011-10-25 | 神社
所在地:大阪府大阪市此花区伝法2丁目10-18
主祭神:天照大神
配祀:住吉大神、蛭子大神、息長足姫命



【由緒】
順徳天皇の御代に当たる建保3年(1215年)4月、
村と港の繁栄を祈念して伝法村の中心に傳母頭神社として鎮座したことに始まる。
文禄元年(1592年)2月に当社を訪れた豊臣秀吉が旅の無事を祈願したところ、
社殿奥の森より三足の鴉が現れて数々の瑞兆を示したという。
平穏に帰国を果たした秀吉は感激し当社に「鴉宮」の名を贈った。
それに合わせ鴉が巣を成している森地に遷宮したと伝えられている。


【八咫烏】
三足の鴉である霊鳥・八咫烏は神の遣いとして崇められており、
その姿はサッカー日本代表のシンボルマークに採用されております。


【鳥居】



【拝殿】




さすがに川や海と所縁のあるだけあって舳先が付いてるとか面白いですね。


【本殿】



【本宮鴉宮末社】



【北港常吉神社】



【鴉宮稲荷大明神】



【伊勢神宮遙拝所】




御朱印は残念ながら宮司さんが不在でいただけませんでした。
なかなか行けない土地なんでいただきたかったが。


それにしても現在の鴉宮は太閤さんが参拝したとは思えない規模の神社でした。
江戸時代に入ると神領を没収されるなどして衰退したそうです。

これも太閤さん所縁の神社仏閣を破壊していった家康のせいでしょうね。