Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

興聖寺(2014年11月1日参拝)

2014-12-26 | 関西花の寺
大満足の多宝塔を見た後は関西花の寺の興聖寺へ。
こちらも依然から訪れたかったお寺です。

その前に腹が減ったので興聖寺近くの蕎麦屋さんで昼食。


【近江牛十割蕎麦】


近江牛と十割蕎麦のコラボ。

美味しいけど味が濃いので、
折角の十割蕎麦が勿体ない気がした。



所在地:滋賀県高島市朽木岩瀬374
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:仁治元年(1240)
開基:佐々木信綱
札所:関西花の寺二十五霊場


【縁起】
人皇7代四条天皇の嘉禎3年(1237)近江源氏近江守護佐々木信綱が、
京都で宋から帰洛された曹洞宗開祖道元禅師に謁し、
承久の乱で戦死した一族の供養をお願いし、朽木の里に拝請、
この時禅師は付近の山野の風景が伏見深草の興聖寺に似て、
絶景だと喜ばれ一寺の創建を奨められ、山号を高巌山興聖寺とするよう勧奨されました。

それから三年の仁治元年、七堂伽藍が完成し遷仏式には、永平二世孤雲懐奘禅師の拝請を賜り、
それ以来当山が曹洞宗第三の古道場といわれました。

寛元元年(1243)再び当山に寄られて御教化されて以来、
永平寺の直末とし慶長三年まで格別兼務地として続き、
永平十九世龍眠柞球禅師が当山に隠栖されてより、
独住世代として三十六ヶ寺の末寺を有し、近江八十八ヶ寺の総禄所の地位を保っていました。

また、十三代将軍義輝は家臣細川幽斎を従え6年半滞在。
その際、幽斎は熊川城主の姫を迎え二代目忠興が誕生、
後に忠興は三斎と称し千利休をこの庭園に案内したのである。

開基佐々木信綱は宇多天皇の直系で曾孫義綱は氏を朽木と改めました。
代々朽木を領し明治廃藩まで続き、当山はその菩提所でもあります。



【山門】


禅寺らしく質素な門です。

駐車場は庫裏の奥にありました。


【鎮守社】





【石碑】


この辺りは天気のせいか、幽玄な雰囲気でした。


【本堂】


相変わらず花の寺なのに花が無い時に訪れた。
花が目的ではなく、参拝が目的なのでモーマンタイ。


庫裏で御朱印をお願いすると本堂にあげていただいた。(^^


【内陣】


龍をあしらった装飾が美しい。
撮影OKです。(^^




ここの凄い所は須弥壇の上に階段で登れて、
近くまで御本尊様にお近づきになれることなんです。

それを聞いた時に「え?本当にいいの?」って思ったよ。(^^;

近くまで近寄れることはあっても、
須弥壇の上に登らせてくれるお寺は他に知りません。




平安時代中期の最澄作と伝わる重文の釈迦如来坐像。

こんなに近くで見れて感動。

何故最澄作の御本尊があるのか、疑問に思ってましたが、
江戸時代になって天台系寺院が改宗したものと推測される。

幕府及び朽木氏の比叡山勢力の再興を防ぐ為の、
政治的配慮であったそうです。












御本尊の他に三十三観音や菩薩像、高僧像等が祀られていました。




縛り不動明王坐像。
楠正成の念持仏である不動明王が兵火の被害に遭わないように、
朽木時経が河内千早城から持ち帰ってきたもの。


【秋篠宮殿下】


修学旅行かなんかで訪れたようですね。


【細川元首相】



【足利庭園】








享禄元年(1528)12代足利将軍義晴は細川晴元・三好元長らの反乱の難を避け、
朽木稙綱を頼って享禄4年(1531)まで朽木谷に滞在。

管領細川高国が将軍義晴を慰める為に贈った庭園。

銀閣寺の庭園をもとに作庭したそうです。


【鐘楼堂】



【風景】


見ての通り、車が無いと訪れにくいお寺です。
お陰で禅寺らしく落ち着いた雰囲気のお寺となっています。


【御朱印】


どうやら書置き対応のみのようです。




こちらも書置きですが、芸術作品のようです。


とにかく須弥壇に登れることが衝撃でした。
また訪れたいと思うお寺であった。

永澤寺(2014年3月22日参拝)

2014-04-28 | 関西花の寺
丹波篠山から前から行きたかった永澤寺へ。

こちらは関西花の寺二十五霊場の一つで、
寺の前にある花しょうぶ園がかなり凄いらしい。

しかし私の目的は花ではなく、伽藍と仏様です。

だってそうでしょ、
花が目的だったらこの時期には行かない。(^^;

とはいえ、牡丹と芝桜の時は訪れたいと思ってたりします。(^^


篠山から永澤寺までひたすら山道を走り、
45分くらい走って到着。

大型駐車場に車を停めていざ参拝。



所在地:兵庫県三田市永沢寺211
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来(釈迦三尊)
創建:応安年間(1370頃)
開山:通幻和尚
開基:細川頼之
札所:関西花の寺二十五霊場


【縁起】
五州の大守細川頼之卿が後円融天皇の命により七堂伽藍を建立し、
高徳善知の誉れ高い傑僧通幻寂霊禅師を開祖とする禅寺である。

歴代住職により整備された諸堂は長享元年(1487)に焼失したが、
徳川家により慶長13年から15年(1608-1610)に復興され、
丹・但・播三国の僧録に任じられた。

再度の火災後、安永年間(1772)頃に再建されたのが、
現在の本堂・開祖堂・庫裡である。


【勅使門】




茅葺屋根の勅使門は珍しい。
ほとんど無いんじゃないかな。


【玉兎門】


通りに沿って三つの門があり、
他に金鶏門という門があります。


【仁王門】




こういう色使いは見たことないです。


【仁王像】




丸っこい独特の顔をされています。


【境内】



【本堂】




立派な本堂です。

禅宗らしく小ぶりながら、まばゆい仏様達でした。


【鐘楼堂】




これは禅宗によくあるタイプの鐘楼ですね。


【布袋尊】


頭が良くなりますようにと頭を念入りにさすっておきました。(^^


【奥の院道】


奥の院があるようですが、この時は既に16時半。

この先どれぐらい距離があるか分からなかったので、
今回は奥の院は回避しました。


【開祖堂】



【妙高閣】


こちらには高さ9メートルを超える菩薩立像とガンダーラ仏が安置されています。


【大観世音菩薩】


写真が上手く撮れてないので分かりづらいですが、
かなりデカイです。

第一声が「デカイ」ですから。(笑)


【仁王像】


何故かここに安置されていた。

しかし仁王門の仁王像より、こちらの仁王像の方が好みです。


【ガンダーラ仏】


大観世音菩薩の横にガンダーラ仏の数々を無料で見れました。






















やはり日本の仏と違うお顔をされてますね。

奈良国立博物館に展示されていても不思議じゃない貴重なものを、
じっくりと堪能させていただきました。


【不動明王】



【十三重塔】



【勅使門】


境内から見た勅使門です。


【御朱印】


よく見ると日付が21日になってるような気がする。

さては間違えやがったな。(^^;

法金剛院(2014年3月15日参拝)

2014-04-18 | 関西花の寺
さて、本日の寺社巡りも終盤となってきました。

次は過去に行こうと思ったことはありましたが、
なかなか足が向かなかった法金剛院へ。

関西花の寺の札所ってあんまり行こうという欲求がわかないのよねぇ。

お寺って花を見に行く場所じゃないでしょ、って思ってるので。


今日はついでに行くという軽い気持ちで参拝したが、
何で今まで参拝しなかったのか後悔したよ。(^^;


所在地:京都府京都市右京区花園扇野町49
宗派:律宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:大治5年(1130)
開基:待賢門院
札所:関西花の寺二十五霊場、京都十三仏霊場



【歴史】
この地には平安初期の貴族・清原夏野(782-837)の山荘があり、
夏野の死後、山荘を寺に改めたものが当寺の前身であるという。

20年ほど後の天安2年(858)、文徳天皇の発願で伽藍を建立し天安寺と称した。
その後、寺運は衰えたようだが、3世紀ほど経た平安末期の大治5年(1130)、
待賢門院(1101-1145)により再興された。

待賢門院は藤原氏の出身で鳥羽天皇中宮であり、崇徳天皇、後白河天皇の母である。

最盛期の法金剛院には九体阿弥陀堂、丈六阿弥陀堂、待賢門院の御所などが
立ち並んでいたというが、度重なる災害により壮観だった当時の面影はない。

なお、平安末期の浄土式庭園の遺構が1968年に発掘・復元されている。


【表門】


こちらには大型の無料駐車場があり助かります。


【中門】


この奥で拝観料を支払い、御朱印をお願いします。


【池泉回遊式庭園】


はい、何にも咲いておりません。(^^;

花の無い時期に訪れるのがゴマラーの流儀です。(嘘)
別に花の咲いていない時期を狙って参拝してる訳じゃないんですよ。

たまたま参拝する気になった時が咲いてないだけなのです。(泣)

まぁ、花で装飾されたお寺より、
普段のお寺の姿を見る方が好きなのは確かです。


【礼堂】


ここは中に入ることが出来ません。
蓮の時期は開けられるそうです。



裏に回って仏殿へと向かいます。

ここが凄かった。


【仏殿】


中に入るとど真ん中に丈六の御本尊阿弥陀如来坐像がお目見え。

定朝様の見事な御本尊様にしばし見惚れる。

しかし、その左横にある厨子に入った十一面観音様が、
私の心をワシ掴みにした。




画像はネットで拾ったものですが、
これが実にいい。

同じく重文で華麗な装飾がされている厨子のデキも本当に素晴らしい。

その厨子の中に安置されている十一面観音様の表情がクール。

正直、御本尊よりこちらの方が好みで、
ずっと見ておりました。

画像よりずっと実物の方がいいので、
是非、この仏殿に足を運ばれることをお勧めします。(^^


【地蔵院】


廊下を進み奥のお堂へ向かう。

ここは仏殿と違って扉は閉められて中には入れません。
しかしガラス越しに中を見ることが出来ます。

真ん中に丈六の金目地蔵と呼ばれる大きな地蔵菩薩坐像と、
左右3体の地蔵菩薩像が安置されていて、度肝を抜かれましたよ。

仏殿と同じく撮影不可でした。


仏殿にまた戻って仏様達をまた堪能し、
今度は庭を見てまわります。


【青女の滝】





【地蔵尊】



【石仏】


顔の部分が破壊されているのが悲しいですね。


【経堂】



【鐘楼堂】



【御朱印】



【感想】
花の寺でまさかこれほどの仏様に出会えるとは思ってもいませんでした。

蓮の時期には大型観光バスが何台も訪れるそうですが、
蓮より断然仏様でしょ!って心から思う。

船宿寺(2013年11月16日参拝)

2014-01-05 | 関西花の寺
30号線から下街道の24号線に入り北上していきます。

まず寄ったのが関西花の寺の札所である船宿寺。

花の寺なのに花が無い時期に行くのがゴマラーです。(苦笑)

無料の駐車場がありましたが、
ピークシーズンは有料になるようです。


この辺りは本当に田んぼしかない。

御住職によると環境保全の為、
ある程度の広さの田んぼを耕さないと新たに土地は買えないそうです。


所在地:奈良県御所市五百家484
宗派:高野山真言宗
御本尊:薬師如来
創建:神亀2年(725)
開基:行基
札所:関西花の寺二十五霊場


【歴史】
行基菩薩がこの地にこられて庵をむすび、
薬師瑠璃光如来をおまつりになったのがはじまりです。
 
心や身の病、悩みをお救いになる薬師如来をおまつりになったので、
この地を医王山といわれました。
 
寺につたわる古い記録では葛木の地にこられた行基菩薩の夢の中に老人が現れて
『これより東の方へ行くと、山の中に船形の大きな岩があるから、
その岩の上に薬師如来をおまつりするように』と告げられました。
夢からさめた行基菩薩は東の山の中に岩をみつけ、
そこに御仏をおまつりし、船宿寺と名づけました。

現在その岩場には、岩舟権現がまつられています。
平安時代になって弘法大師さまの御教えをまもり、
その道場として今日にいたっております。


【新四国霊場】




この辺りにもお遍路さんの写しの霊場があるみたいで、
どれも小さな祠のようです。


【参道】


春になるとツツジが咲き乱れるとか。


【山門】



【境内】






はい、何にも咲いていません。(^^;

でも綺麗に手入れされている庭園が見事です。
花でごまかせない普段の寺の真の姿が見れるのもいい。


【本堂】




念に一度の花まつり法要の時だけ本堂が開けられるとか。

その時にまた訪れなければ。


【鐘楼堂】



【地蔵尊】


和むわ~。





【石仏】





【弘法大師像】



【新四国霊場】



【鎮守社】



【観音像】



【不動明王像】



【境内】




この辺りは石楠花がたくさん咲くそうです。


【弁財天】



【御朱印】

高源寺(2012年11月23日参拝)

2012-12-16 | 関西花の寺
本日は丹波の紅葉を愛でマッタケご飯食べ放題というバスツアーに参加。

丹波なんて20数年振りですよ。

あの頃君は~若かった~♪(遠い目)


所在地:兵庫県丹波市青垣町桧倉514
宗派:臨済宗中峰派
御本尊:釈迦如来
創建:正中2年(1325)
開山:遠谿祖雄
札所:関西花の寺二十五霊場4番


【由緒】
甲斐(山梨)の栖雲寺が東天目と呼ぶのに対して、高源寺は西天目と呼ばれ、
丹波屈指の名刹として知られています。

開山の遠谿祖雄禅師は当地青垣町の遠坂地区にあった
山垣城の城主足立遠政公の孫の光基の三男。

遠谿祖雄は幼少の頃より出家し1306年に中国に渡り、
杭州天目山の中峰国師のもとで約10年修行をして悟りを開きます。

そして帰国後、霊夢で得た天目山に似た佐治郷小倉に堂宇を創建します。

1326年には後醍醐天皇より高源寺号を賜り、また後柏原天皇の代には勅願所の礼遇を許され、
住職は末代紫衣の宣旨を受け全国に末寺を持つ大本山となりました。

しかし天正年間、織田信長の丹波攻略で建物をことごとく焼失。
その後、享保の始めに天岩明啓禅師が再興し、
1799年には弘巌玄猊禅師が柏原藩の援助を得て再び再建し現在に至っています。


【地蔵尊】


バスの駐車場から寺に向かっている途中でお地蔵さんを発見。

お地蔵さんらしからぬお顔と苔が印象的です。




5分ぐらいでお寺に到着。

雨がうらめしや。


【惣門】


弘巌玄猊禅師が織田藩の援助を得て建立したもの。

紅葉は最盛期を過ぎているようです。



【石灯篭】



【山門】




ちょっとしんどい石段を登るとあるのが山門です。
別名「紫鳳楼」と呼び、二階にはお釈迦様と十六羅漢が祀られているそうです。


【天満宮】


敷き詰められた紅葉の絨緞が美しい。
晴れていたらもっと綺麗なのに。

道真公が祀られています。


【仏殿】


灋王殿(ほうおうでん)とも呼ばれていて、
御本尊の釈迦如来が祀られていました。

写真撮影不可ということで写真を撮れませんでしたが、
これが東南アジアの寺院でよく見る金ピカの御本尊でした。

寺の説明だと天台宗の僧・恵心僧都の作と伝えられ、
平安末期から鎌倉時代の作とされていますが、
見た目は新し過ぎるんですよね。

後ろに厨子もないから御前立ということも無さそう。

謎です。


【境内】



【心字池】









「心」という字の形をしている為、心字池と呼ばれます。


【庫裡】





【方丈】





【鐘楼堂】



【紅葉】





【大痩嶺】





【三笑橋】





【多宝塔】




開運毘沙門天が祀られていました。
撮影禁止です。


【紅葉】









【遠景】



【多宝塔】


ここから見る多宝塔と景色が見る者の心を捉える。


【休憩所】


茅葺屋根がいいですね。

天気が良ければここで休憩したんだけどね。


【御朱印】


茶髪で指輪をいっぱい着けた兄ちゃんに書いていただきました。

お寺で御朱印を担当する者が指輪をジャラジャラ着けてるのはいかがなものか?と
思ってしまうのは私がオッサンになってしまったからでしょうか。(^^;