Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

椿寺地蔵院(2014年9月27日参拝)

2014-10-31 | 洛陽三十三所観音霊場
あぶり餅を食べて休憩した後は洛陽の札所である椿寺地蔵院に移動。

ここはお寺専用の駐車場が無いので近くの有料駐車場に車を停めました。
山門前には停めないで下さいと張り紙もありましたし。



所在地:京都府京都市北区一条通西大路東入ル大将軍川端町2
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:神亀3年(726)
開基:行基
札所:洛陽三十三観音霊場、通称寺の会


【縁起】
通称、椿寺と呼ばれる。
聖武天皇の勅願により行基が摂津の昆陽池のほとりに一寺を建立し、
地蔵院と号したのが始まり。

その後、平安時代に衣笠山の南に移されたが、室町時代1391年内野の合戦で焼失した。

足利義満は荒廃を惜しみ金閣造営の余材で仮堂を建て地蔵菩薩を奉安した。
ついで1589年豊臣秀吉の命により一条紙屋川の現在地に移り今に至っている。

当院はもと八宗兼学であったが1671年善曳和尚の時、
浄土宗となり知恩院の末寺と改め、御本尊を五劫思惟の阿弥陀如来とした。


【山門】



【五色散椿】


加藤清正が豊臣秀吉に献上したものを、
縁あって秀吉が献上した椿の二代目だそうです。


【地蔵堂】


山門から入って正面に見えるのが地蔵堂。

鍬形地蔵と呼ばれる行基作と伝わる地蔵尊が祀られていました。


【観音堂】


十一面観音は正月三が日、春・秋彼岸に御開帳されるそうですが、
少しばかり遅かった。


【弁財天・椿大明神・鎮守社】



【卍地蔵尊】


デトロイト・メタル・シティのようなお化粧をされていました。(笑)


【石仏】


これは役行者でしょうか。

お顔が削がれているのでよく分かりませんね。

これも廃仏毀釈の影響でしょうか。
こういうのって必ずお顔を削がれていますよね。

罰当たりなことです。


【書院】


こちらに御本尊が祀られているのであろうか。

山門前に「お寺は、お詣りするところ、まず合掌」という張り紙があった。

それは当たり前です。

しかし綺麗な花やお堂の撮影するだけ、御朱印をいただくだけで、
お詣りすることもせずに帰っていく残念な人達がいるのも事実。

そういう人達を戒める為の張り紙だと理解は出来ますが、
御本尊がどこにあるのか分からないと私は困るんですけど。(^^;


【御朱印】


3種類ありましたが、今日は洛陽の御朱印をいただきました。

今宮神社(2014年9月27日参拝)

2014-10-30 | 神仏霊場巡拝の道
名物あぶり餅が食べたくて大徳寺近くに鎮座する今宮神社へ。

こちらは有料駐車場となりますが、
楼門横にこっそり停めておくことは可能です。

もちろん責任はもてん。(笑)


こちらは去年の雪降る時に行ったもんだから、
震えながら参拝したよ。(^^;


<2013年3月2日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/164d70f2592e941fde7199281a6352d7



所在地:京都市北区紫野今宮町21
主祭神:大己貴命、事代主命、奇稲田姫命
創建:正暦5年(994)
社格:府社
札所:神仏霊場巡拝の道、京都十六社朱印めぐり



【狛犬】



【楼門】




大変綺麗で美しい。


【境内】


ここの境内は本当に雰囲気が良いです。

是非その足で歩いて感じてほしい。


【拝殿】



【本殿】






相変わらず美しい。

気品があるとはまさにこのことです。


【疫社】





【織姫社】



【あぶり餅】


一和でいただきました。

甘目の白味噌と柔らかい餅が絶妙。
美味しかったです。

ちなみに我が家のお雑煮は白味噌に焼いていない丸餅です。
関西では白味噌が定番ですね。


【御朱印】


今回は見開きバージョンをいただきました。

見開きが500円、片面だと300円でした。

妙蓮寺(2014年9月27日参拝)

2014-10-29 | 洛中法華21ヶ寺
続きまして前回参拝時にいただけなかった御朱印と、
庭園を拝観する為に法華宗大本山の一つである妙蓮寺へ。



<2013年3月2日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/47aa25292137a1c852c911b4bf9d6fff



所在地:京都府京都市上京区寺之内通大宮東入る妙蓮寺前町875
宗派:本門法華宗
御本尊:十界曼荼羅
創建:永仁2年(1294)
開山:日像上人
開基:柳屋仲興
札所:洛中法華21ヶ寺



【歴史】
開山の日像は日蓮の高弟日朗に師事し、後に日蓮の遺命を受けて帝都における布教に努めた。
五条西洞院の酒屋柳屋仲興は日像上人に帰依し、
永仁2年(1294年)その夫人妙蓮法尼によって邸内に法華堂が建立され妙法蓮華寺と号した。

寺はその後荒廃したが応永年間(1394-1428)、
日慶により四条大宮に再興され寺号を妙蓮寺とした。
その後、公家の庭田重有の子・日応を住持に迎えた。

妙蓮寺は天文5年(1536)天文法華の乱で焼失し堺に避難するが、
天文11年(1542)、後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨を下し、
妙蓮寺は同年大宮元誓願寺通に伽藍を再建した。

天正15年(1587)、豊臣秀吉の命により現在地に移転。
享保15年(1730)の西陣焼けでは本堂、祖師堂などの主要堂宇は焼け残ったが、
天明8年(1788年)の天明の大火により伽藍を焼失。
寛政元年(1789年)再建された。


【山門】


車はこの山門をくぐり境内に停めれます。


【本堂】



【鐘楼堂】



【表書院】




長谷川等伯の絵に興味は無いので、本坊で拝観料500円を支払い中へ入ると、
まずは表書院に通されます。

等伯の絵に興味がある方はプラス300円です。


【十六羅漢石庭】






桂離宮の造営を指図した妙蓮寺の僧玉淵坊日首の作庭。


法華宗の寺院なのに禅宗洋式の枯山水で作庭されている。
この十六羅漢の石庭の意味するところは法華経の世界観を顕していて、
中央の大きな臥牛石は、久遠の釈迦を表し、
他の石群は地涌の菩薩を表していると解釈するのが妥当とされる。


【奥書院】



【十六羅漢石庭】






奥書院から見た石庭。

凄く落ち着けて良い石庭だと思います。

龍安寺の石庭のように、もう少し奥行があって、
壁も白じゃなく茶色だったらもっと良いんじゃないかなと思う。


【本堂内陣】



【酔芙蓉】





【御朱印】


書置きをいただきました。

千本ゑんま堂 引接寺(2014年9月27日参拝)

2014-10-28 | 仏閣
釘抜地蔵から歩いて5分ほどで到着。

境内の前に車がいっぱい停まっていた。
どうやら月極めで参拝者の駐車場は無いようです。



所在地:京都府京都市上京区千本通鞍馬口下ル閻魔前町34
宗派:高野山真言宗
御本尊:閻魔法王
創建:寛仁元年(1017)
開基:小野篁卿
開山:定覚上人




【縁起】
小野篁卿はこの世とあの世を行き来する神通力を有したとされており、
閻魔法王より現世浄化の為、塔婆を用いて亡き先祖を再びこの世へ迎える供養法で、
後に我が国の伝統習慣である盂 蘭盆会へと融合発展する
法儀精霊迎えの法を授かりました。

その根本道場として朱雀大路の北側に篁卿自ら閻魔法王の姿を刻み
建立した祠が当ゑんま堂の開基です。

ゑんま堂から蓮台野へ亡骸を葬った際に建立された石仏や卒塔婆が、
この辺りには何本も無数にあったことから「千本」の地名が残ったといわれています。

篁卿の後、寛仁元年(1017)藤原道長の後援を得た比叡山恵心僧都源信の門弟・定覚上人が、
ここを諸人化導引接仏道の道場とすべく光明山歓喜院引接寺と命名し、
仏教寺院として開山しました。

引接とは引導と同義語です。
引接寺という正式名称より通称の千本ゑんま堂としてより親しまれているのは、
この地が開山以前から、人々にそう呼ばれ、
神仏や宗旨宗派を越えた信仰を集めていたからにほかなりません。


【本堂】




本堂拝観料500円です。

拝観したかったのですが、
ちょうど着物を着たお茶関係のおば様達が来られ、
本堂で何かされるようでしたので遠慮させていただいた。

先生と呼ばれる尼さんが小さくて可愛いお婆さんでした。(^^


【地獄絵】


狩野元信筆とされるが、もうどうしようも無い状況でした。


【供養池】


裏に回ると供養池があって、ここで卒塔婆流しが出来ます。




この地で発掘された夥しい数のお地蔵さんが祀られていました。


【紫式部】



【紫式部供養塔】


重要文化財。
南北朝時代の至徳三年(1386)円阿上人の勧進により建立されたもの。


【鐘楼堂】



【童観音】



【大杉大明神】



【茶釜塚】



【御朱印】

石像寺<釘抜地蔵>(2014年9月27日参拝)

2014-10-27 | 仏閣
千本釈迦堂から歩いて5分くらいの場所にあるのが、
釘抜地蔵という通称で有名な石像寺。

こちらには駐車場がないので注意してください。



所在地:京都市上京区千本上立売上ル花車町503
宗派:浄土宗
御本尊:地蔵菩薩
創建:伝・弘仁10年(819)
開基:伝・空海
札所:京洛四十八願所地蔵尊


【縁起】
家隆山光明遍照院石像寺と写し、俗に「釘抜地蔵」ともいう。
弘法大使の開基と伝え、もと真言宗であったが、
重源上人が中興してから浄土宗となった。

歌人の藤原定家、家隆が住んだところという。

「釘抜地蔵」のいわれについては、次のような伝説がある。
室町時代の終わり頃、紀ノ国屋道林という商人がいた。
彼は両手に激しい痛みを感じていたが、どんな治療を施しても効き目がなかった。

そこで霊験あらたかな石像寺の地蔵菩薩に7日間の願かけをしたところ、
満願の日の夢に地蔵菩薩が現れた。

地蔵菩薩は「お前の苦しみの原因は、前世において人をうらみ、
呪いの人形を作ってその手に八寸釘を打ち込んだことにある」と告げ、
呪いの人形から抜き取った八寸釘を道林に示して見せた。

道林が夢から覚めると両手の痛みはすっかり消えていた。
石像寺に参詣すると、本尊地蔵菩薩の前には血に染まった
2本の八寸釘が置かれていたという。

道林はそれより百日を期して日参し、
その恩の万分の一にもと奉謝したと伝えられております。

その時より本地蔵尊を釘抜地蔵尊と申します。


【表門】



【中門】


こちらが山門といった感じかな。


【本堂】


こじんまりとした境内です。






釘抜絵馬がびっしりとありました。

この日も何人かの方々が熱心にお祈りしながら、
お堂をぐるぐる回っておられました。

孫とお爺さんという組み合わせも2組居て、
このお寺は地元の方々に篤く信仰されているようですね。


【大師堂】


弘法大師像、掛観音菩薩像等が祀られていました。


【玉姫大明神】



【石仏】





【釘抜地蔵尊】



【薬師堂】




重文の阿弥陀如来三尊像が祀られていましたが、
真ん中の阿弥陀さんは真っ二つに割られていたように見えましたね。


【御朱印】


御住職に相談されているおば様の話が長くて、
御朱印をいただこうにもいただけない状況に。

ラチがあかないので他のお寺の女性を呼んだが、
御朱印は御住職しか出来ないという。

仕方ないので千本えんま堂に参拝し、
戻ってくるとまた別の方と相談中。。。

御住職はよっぽど人徳があるんでしょうね。

休憩所でお茶を飲みながら待つこと15分。

ようやく御朱印をいただけたのであった。