Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

長田観音(2012年1月28日参拝)

2012-02-29 | 仏閣
ここまで来たら根来寺に行かないともったいないよね、
ということで向かうが途中で長田観音の看板を見たので寄り道。


所在地:和歌山県紀の川市別所58
宗派:真言宗
御本尊:如意輪観世音菩薩
創建:延喜21年(西暦921)
開基:念仏上人



【縁起】
和歌山県紀の川市別所にあり如意山厄除観音寺と言う。
旧長田庄に在した為、通称長田観音と言う。

如意山厄除観音寺の寺号と御詠歌は宇多天皇が退位して仏門に入り、
寛平法皇となられた時に賜ったものである。

勅願寺として堂塔が壮大で立派な伽藍をもっていたが、
天正十三年(一五八五年)豊臣秀吉の焼打ちにあい、
御本尊のみ難をのがれて一草堂に安置されていた。
元和八年(一六二二年)薩州の沙門道誉尊者が、
諸国巡拝の折この草堂を見て深く歎き再興に尽力され一堂を建立。
寺の格式も他の寺院とは特別な立場をとり全くの祈祷寺とし、
地名も別の所と言う意味で(ベッショ)と名づけられたのである。


【大門】




なんとも変わった山門ですが寺の規模が分かるというもの。

しかし観音さんのお寺には似合わないなぁ。


【仁王尊】


紀州公が将軍綱吉公の厄除の為に寄進したもの。


【慰霊堂】



【本堂】




広い境内です。

現在の本堂は大正5年建立されたもの。


【八十八カ所巡り】



【薬師堂】



【鐘楼堂】




これはなかなか見応えある鐘楼堂です。

葵の紋に打ってもいいのでしょうか。(笑)


それにしてもアホみたいに強打する人が多すぎ。
しかもまだ余韻がある内に連打するとか有り得ない。


【稲荷大明神】



【弁財天】


この女性の方、
数十分は何か唱えていらっしゃいました。


【御朱印】


豪快な墨書きです。
墨の量も多くて乾かすのに時間がかかったし、
裏に墨が滲んでいないか心配したが大丈夫だった。(^^;

粉河産土神社(2012年1月28日参拝)

2012-02-28 | 神社
所在地:和歌山県紀の川市粉河2788番地
主祭神:丹生津比賣命、天忍穂耳命 
配祀神:大伴孔子古命、大伴船主命
社格:総社
創建:宝亀年間(770年頃)


【由緒】
大伴氏が粉河寺を創始するに際し、
鎌垣庄内各村の氏神を勧請して祀るのが始まり。
大正元年旧長田村松井の丹生神社を合祀、同年粉河町東毛の大神社をも合祀、
大正八年粉河町粉河天福神社を境内社として合併し、
近年には昭和七年、三十八年、平成三年に正遷宮を執り行い現在の如く整備されたものである。


【鳥居】



【拝殿】




奥に本殿があるのですがこれが美しい。
一見の価値あり。


【五社神社】


北野神社、多賀神社、日吉神社、一言主神社、楠神社が祀られています。


【粉河稲荷神社】





【護国神社】



【白山神社】





【境内社】



【御朱印】



十禅律院(2012年1月28日参拝)

2012-02-27 | 仏閣
粉河寺の薬師堂の奥に十禅律院という寺院があるので寄ってみました。



渋い雰囲気が漂います。


どう見ても粉河寺の塔頭かと思っていたら現在は関係ないとのこと。


所在地:和歌山県紀の川市粉河 粉河寺内
宗派:天台宗安楽律院派
御本尊:阿弥陀如来
創建:正暦元年(990年)
改宗:寛政12年(1800年)
開基:石崇上人
改宗:徳川治宝


【歴史】
元来は平安時代の正暦元年(990年)石崇上人によって創建された、
粉河寺の塔頭十禅院であった。
江戸時代後期の寛政12年(1800年)、紀州藩10代藩主徳川治宝により
十禅院を安楽律院に属する天台宗の寺院に改宗して十禅律院として創建。
東大寺の覚峯が後に建立する宝鐸院の堂塔を飾る長さ1尺6寸余の宝鐸を
地中に発見した場所としても知られる。


【築地門】


龍宮造りの門です。
題字は十代藩主治宝直筆で「宝鐸墜」と書かれています。


境内に入るとどうも雰囲気がおかしい。
庭とか全然手入れが出来てないし外壁も傷んでいるんですよね。


【本堂】




外から本堂内が見れるのですが天井とか壁が凄く傷んでボロいの。
これは相当資金面で苦労しているお寺だと分かりました。

内部撮影は禁止です。


【護摩堂】


こちらも外から堂内を見ましたが本堂に負けず劣らず傷んでいました。
外はまだマシだけど内部がここまで傷んでいるなんて悲しい気持ちになります。


庫裡の玄関に行くと堂内の拝観が可能だということで200円支払って拝観。
ちょっとでもこのお寺にお金を落としたかったので。

お寺の初老の女性の案内で庫裡や枯山水の庭園を拝観。
中に入ると壁や天井が相当傷んでいることが分かる。

女性の方によるとこのお寺は檀家がいないそうで、
粉河寺参拝客もほとんど訪れていないので修理もままならないほど困窮している。

粉河寺の塔頭であればここまで困窮しないのになと思う。


御朱印を書いていただいている間、
私はひとりで本堂と護摩堂へ。

まぁこれが悲しくなるほどボロボロ。
これほどの貧乏寺は久しぶりに見たな。

立派な仏様がいらっしゃるんですけどねぇ。


どうか御本尊の阿弥陀如来様の御加護がありますようにと、
今日ばかりはこのお寺の行く末を案じて祈り、
お賽銭もいつもより多めに入れたよ。(^^;

このままじゃ絶対廃寺間違いないと思う。
何とかならんかなぁ。


【御朱印】

粉河寺(2012年1月28日参拝)

2012-02-26 | 西国三十三ヶ所
和歌浦を後にし本日のもうひとつのメインである粉河寺へ。
途中、和歌山城や一の宮をスルーしつつ24号線をひた走る。
結構距離あったけど流れがスムーズだったので楽に到着しました。


所在地:和歌山県紀の川市粉河2787
宗派:粉河観音宗(天台宗系)
御本尊:千手千眼観音菩薩
創建:(伝)宝亀元年(770年)
開基:(伝)大伴孔子古
札所:西国三十三箇所第三番


【沿革】
草創時の粉河寺は多くの人達の信仰をうけて繁栄し、鎌倉時代には七堂伽藍、
五百五十ヶ坊、東西南北各々四キロ余の広大な境内地と寺領四万余石を有していたが、
天正十三年(1585)豊臣秀吉の兵乱に遭遇し偉容を誇った堂塔伽藍と多くの寺宝を焼失。
その後、紀州徳川家の庇護と信徒の寄進によって江戸時代中期から後期に現存の諸堂が完成した。


【大門】


重要文化財。
和歌山県では高野山・根来寺に次ぐ威容を誇るだけあって立派です。
宝永四年(一七〇六)総欅造り。


【金剛力士像】


仏師春日の作。


【境内案内図】



【地蔵堂】



【不動堂】



【子育地蔵】



【御池坊】



【童男堂】




延宝7年(1679)建立。
千住千眼観世音が御姿をかえられたといわれる童男大士が祀られています。


【出現池】









【仏足石】


石碑の下に仏足石があります。


【念仏堂】


光明殿ともいい阿弥陀如来が祀られています。


【阿弥陀如来坐像】



【太子堂】


ここまで見所たっぷりです。


【中門】







重要文化財。
天保三年(一八三二)建立。
長谷寺のそれを思わせる見事な門です。


【本堂】












重要文化財。
現存の本堂は享保5年(1720)に再建されたもの。

威風堂々の巨大な本堂です。
見事です。

御本尊は本堂内陣の地下に埋められていて永遠の秘仏になっています。

本堂内陣は撮影禁止です。


【丈六堂】




文化3年(1806)再建。

阿弥陀如来が祀られています。
こちらは撮影OKです。


【水向地蔵】



【枯山水蓬莱庭園】






凄いの一言に尽きます。


【六角堂】


享保5年(1720)建立。
西国三十三観音が祀られています。


【クスノキ】


もの凄い巨木です。


【鐘楼】



【千手堂】


千手千眼観世音菩薩を正面に配し両側脇壇には紀州歴代藩主と所縁の人々の位牌が祀られています。


【法華塔】





【薬師堂】


阿弥陀如来が祀られています。


【御朱印】

大龍王山 海龍寺(2012年1月28日参拝)

2012-02-25 | 仏閣
鹽竈神社の近くの小さな島にお堂が見えたので寄ってみた。







所在地:和歌山県和歌山市和歌浦中3-4-28
宗旨:禅宗
御本尊:釈迦牟尼如来
創建:昭和51年


【和歌浦】


天気が良かったらいい風景なんだけど。。。


【伽羅岩】


岩の流れに沿うかのように松の根っこが生えています。
生命力の力強さを感じました。

是非とも見ていただきたい。


【多宝塔】




島を左回りに歩いていると多宝塔が。

あー、紀州東照宮に行く前に車を走らせていた時に見えた多宝塔や。
東照宮参拝してる時もずっと気になってたのよね。

正直こういう所にこれほど立派な多宝塔があるとは思わなかった。

それもそのはず、
この多宝塔は紀州徳川初代藩主頼宣の母・養珠院が
家康三十三回忌を記念し建立したものだそうです。


【観海閣】




紀州徳川家初代藩主頼宣が1652年に水上楼閣として建立。
現在の建物は第二室戸台風により倒壊した後に再建されたもの。

遠い対岸には紀三井寺が見えましたよ。



御朱印の有無は不明ですが恐らく無いものと思われる。