Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

音羽山観音寺(2011年4月16日参拝)

2011-04-30 | 尼寺三十六ヶ所霊場
談山神社の後は聖林寺へ向かう道中で音羽山観音寺の小さな看板を発見。

聖林寺に行くつもりが何故か行ってみようということで行き先変更。
行き当たりばったりというのも参拝ではよくあること。

しかし、
行ったことがある人は分かると思いますが、
これがまた大変なことになるとはこの時は思いもしなかった。


駐車場があるということで車で駐車場へ行くのですが、
これがまた車一台やっと通れるかっていう山道。

正直行くのを止めようかと思いました。

そう思いながらも対向車が来ないことを祈りながら
5分くらい走って駐車場到着。

ふぅ、
久しぶりに緊張感溢れるドライビィングだった。

でもこれはまだ序の口。
本当の苦難は車を降りてからであった。


駐車場に杖が置いてあったのですが、
必要ないでしょ!ってことで杖を持っていかなかったが激しく後悔した。




ここから1キロと書かれていたので、
まぁ、すぐに到着するでしょ!と甘い考えを持っていましたが、
30メートルぐらい歩いたら坂が思った以上に急で帰ろうかなと思いました。(^^;




こんな山道をひたすら歩きます。

何度帰ろうかなと思ったか分かりません。(苦笑)


時間は既に16時を越え、
このままじゃお寺に着いたら閉まってた、ということになりかねんので、
休みなしでひたすら歩く、歩く、歩く。

これはもう完全に修行です。

途中で「ガンバレもうひといき」とか「もうすぐ到着」の看板があるんですが、
「どこがもうすぐ到着やねん!」とツッコミながら歩く。


山の中にあるお寺だから歩けど歩けどお寺の姿が見えず。

ここまで来て帰ったら「男が廃る」とか「逃げる人生でいいのか?」と
いろいろ考えながら心臓バクバクで身体はヘロヘロの汗だくでやっと到着。

時間は30分から40分ぐらいかかったでしょうか。

道は半分ぐらいは舗装されていたし歩き難いという訳ではないのですが、
坂の勾配が急なんですよね。

だから鞍馬寺の奥の院よりも遥かにしんどかったです。





階段の上で尼さんが手を振って出迎えてくれていたのですが、
なんとか手を振り返すのがやっと。

開いてて良かった~とホッとしたよ。


ちょうどその時にハイキングのオバさま三人に会うと、
思わずメッチャしんどい道ですよね?と問いかけると、
そんなことないわよ!と言われオバさまより体力が無いのかと凹む。

本当に運動不足を痛感しました。






【本堂】




1794年の寛政6年建立。




御本尊の千手千眼十一面観音菩薩様。

これがもう美しくて素晴らしい観音様で感動した。
この感動はきっと苦労したからでしょうね。

苦労もせず簡単に見れたらここまで感動はしなかったと思う。

諦めずにここまで来て本当に良かった。


今でも何でこのお寺に意地にでも参拝しようと思ったのか、
自分でも分からない。

きっと観音様が私を呼んだに違いない。
これがご縁というものですね。


向かって右側には秘仏の御前立ちとして不動明王が祀られていました。

迎えてくれた尼さんにお茶とクッキーを御馳走になりながら、
しばし談笑。

ちなみに御本尊の手の本数は千だそうです。


【鐘楼】



【九十余社神社】


祭神:天手力雄尊


【御朱印】




このお寺は全く知らなかったのですが、
寺伝によれば藤原鎌足公を談山妙楽寺(現在の談山神社)に祀った際、
鬼門除けの寺として丑寅の方角音羽の地に一寺を建て、
鎌足公自作の梅の木の観音像を祀ったのが始めと伝えられているそうです。



本堂に飾られていた写真を見てみると、
1968年に京都清水寺の管長大僧正良慶和上が94歳にして、
こちらのお寺に歩いて参拝したそうです。

何であの超メジャーな清水寺の大僧正がわざわざ参拝したのか不思議でしたが、
清水寺の開祖延鎮僧都が霊感を得て堂宇を建立したのが始まりとのこと。

また案内書によると御本尊の体内にも
「比の本尊は山城の国清水寺の観音と一体分身の千手観音也」と
墨書きがあるそうです。


他の写真では京都大覚寺門跡の上井寛圓大僧正も95歳にして
登拝してました。


このように749年心融法師により観音寺創建の由緒正しいお寺ですが、
こちらの尼さん達は驕ることもなく実に気さくで明るくて
お話し好きな素敵な方々でした。



御挨拶を済ませた後、下山するも帰りもキツイ。



急な坂道は登るのもしんどいけど下るのもしんどい。
急すぎて勝手にダッシュしてしまうほど。

杖を持ってこなかったのを後悔した。

もし観音寺に行かれる時は杖は必須アイテムです。
その前に体力つけてからにしましょう。(笑)

談山神社(2011年4月16日参拝)

2011-04-29 | 大和七福八宝巡り
橘寺参拝後、飛鳥寺と思ったが去年行ったし桜も見たかったので、
談山神社へ行くことに。


談山神社は藤原氏の祖である藤原鎌足の死後の天武天皇7年(678年)、
長男で僧の定恵が唐からの帰国後に父の墓を摂津安威の地から
大和のこの地に移し十三重塔を造立したのが発祥である。
天武天皇9年(680年)に講堂(現在の拝殿)が創建されそこを妙楽寺と号した。
大宝元年(701年)十三重塔の東に鎌足の木像を安置する祠堂が建立され
聖霊院と号した。

談山の名の由来は藤原鎌足と中大兄皇子が、
大化元年(645年)5月に大化の改新の談合をこの多武峰にて行い、
後に「談い山(かたらいやま)」「談所ヶ森」と呼んだことによるとされる。

仏教伽藍は現代も談山神社境内に見ることができ、
明治の廃仏毀釈の際に寺を廃し神社のみとなったが、
建物は寺院建築をそのまま使用しているため独特の雰囲気を残している。



駐車場に停めると美しい桜や山々に感動。




参道を歩いていると重要文化財の「後醍醐天皇御寄進石灯籠」がある。



雨ざらしじゃなく屋根で風雨から石灯籠を保護すればいいのにと思う。


土産物屋でちょっとつまんでからいよいよ入山。





正面入り口からは物凄い階段が待ち受けています。


登っていくと途中で摂社の「東殿」がある。


重要文化財で恋神社とも呼ばれ縁結びの神として信仰も厚いそうです。
鏡王女と呼ばれる女性が祀られています。


東殿参拝後、また階段を登って拝殿に到着。
思ったよりしんどくなかったですね。
私も神社仏閣巡りでちょっとは体力がついたようです。(^^






【楼門】


朱塗りの楼門と拝殿はとても美しい。

こちらで朱印帳を預け拝殿の中へ。




いいですね~。
桜は7分咲きといったところでしたが美しい風景でした。






【朱漆塗鷺足高机・重文】


拝殿の中は宝物殿にもなっておりいろいろな社宝が展示されている。

本殿は残念ながら工事中でした。(泣)


【東宝庫】


何気に重要文化財です。




【十三重塔】










重要文化財。

父・藤原鎌足の追福のために長男・定慧と次男・不比等によって
西暦678年に建立されました。
現存の塔は享禄5年 (1532)の再建で木造十三重塔としては世界唯一のもの。

この塔はいうならば供養塔のようです。


【末社・総社拝殿】


1668年造営。



裏にまわると壁には狩野永納筆の壁画が見れました。


【福禄壽大神】




大和七福八宝巡りの「福禄壽大神」の霊場。

凄い個性の強いお方ですね。


【末社・総社本殿】


西暦926年の勧請で天神地祇・八百万神を祀り、
日本最古の総社と言われている。
1668年再建の旧本社本殿を移築したもの。

実に渋い。
風格が漂うとはまさにこのこと。


【閼伽井屋】


重要文化財。
元和5年(1619)に造られこの中の井戸は魔尼法井と呼ばれ、
定慧和尚が法華経を講じた時に龍王が出現した場所だそうです。


【比叡神社】



【杉山神社と神明神社】



【神廟拝所】







父鎌足公供養のため創建した妙楽寺の講堂で重要文化財。
寛文8年(1668)に再建されたものです。

中に入ると秘仏・談峯如意輪観音像や藤原鎌足公神像が祀られ、
運慶作とされる狛犬がありました。

神社に伝わる唯一の仏像があるように、
お寺の名残りを感じることが出来ます。


こちらで書置きの御朱印があります。




【御朱印】


こちらは大和七福八宝巡り専用の御朱印です。




談山神社は見所も多く景色も美しい。
本当にいい神社だと思います。

秋の紅葉の季節もいいだろうなぁ。

橘寺(2011年4月16日参拝)

2011-04-27 | 聖徳太子御遺跡霊場
橘寺は明日香村にある天台宗の寺院。
正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し本尊は聖徳太子・如意輪観音。
橘寺という名は垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が
持ち帰った橘の実を植えたことに由来する。

この橘寺の地に「橘の宮」という欽明天皇の別宮があり、
572年に聖徳太子が生誕なさった場所とされています。

聖徳太子建立七ヶ大寺の一つ。

御本尊:聖徳太子勝鬘経講讃像、如意輪観世音菩薩
開基:聖徳太子



【西門】


こちらで拝観料を支払ったのですが、
拝観料が350円と中途半端です。(笑)


【本堂】




太子堂とも呼ばれている。

御本尊の聖徳太子勝鬘経講讃像(重文)が祀られていましたが、
翌日に何かあるらしく大勢の人が準備にとりかかっていて、
落ち着いて拝むことが出来ず残念でした。


【護摩堂】


中は護摩行の煤で真っ暗でよく分かりませんでした。
外から拝ませていただきました。


【観音堂】






御本尊の如意輪観世音菩薩様(重文)は穏やかな表情をされていました。

その横には凛々しく険しい表情をされている毘沙門天様が祀られていました。




観音堂内部の左側には発掘されて昔の鬼瓦等が展示されていて、
橘寺の歴史の一端を感じることが出来ましたね。


【三光石】


聖徳太子が勝鬘経をご講讃の時に、
その冠から日・月・星の光を放った不思議な出来事が起こり、
そのことに驚いた推古天皇がここに寺の建立を命じたという寺伝があります。

その後ろの小さな池は聖徳太子が造られたとされる阿字池です。


【二面石】


飛鳥時代の石造物の一つであるこの石は二つの表情があるとされ、
右善面、左悪面となっているようだですが、
見た限り余り分からなかったです。


【親鸞聖人像】



【鐘楼】



【聖倉殿】


平安時代前期の日羅立像(重文)や、平安時代後期の地蔵菩薩立像(重文)、
土佐光信の筆と伝わる絹本聖徳太子八幅絵伝(重文)など、
狭いながらも素晴らしいものが拝見することが出来て嬉しかったです。

しかも無料なのが更に嬉しい。(笑)

特に地蔵菩薩立像が近くで細かい部分まで見れて最高でしたね。
見仏人は必ず見ておきましょう。

正直、中に入るまであんまり期待していなかったのはここだけの話。(笑)


【往生院】
聖倉殿の前にある往生院にも入ってみた。
無料ですから。(笑)





御本尊:阿弥陀三尊

しかし向かって左側の像がきになってしかたない。
どうやら聖徳太子像みたいですがちょっと怖いよ。(^^;


【東門】


こちらが正門らしいが、
参拝する多くの人は駐車場がある西門から入ると思われます。


【御朱印】


西方院(2011年4月16日参拝)

2011-04-26 | 新西国三十三ヶ所
西方院は三尼公(善信尼、禅蔵尼、恵善尼)が、
剃髪して仏門に入り墓前にお堂を建立して、
太子の冥福を祈ったのが寺の始まりと伝えられています。

こちらも聖徳太子所縁のお寺です。

場所は叡福寺の真ん前にあり寺伝によると日本最古の尼寺と言われています。


創立:622年
開基:三尼公(善信尼、禅蔵尼、恵善尼)
本尊:阿弥陀如来、十一面観音菩薩

善信尼は蘇我馬子の娘、禅蔵尼小野妹子の娘、恵善尼は物部守屋の娘と、
歴史上の人物の娘ばかりです。

ただし日本書紀によれば善信尼は司馬達等の娘で、
出家したのは敏達天皇13年(584年)であり、
日本最古の尼寺は飛鳥の豊浦寺である。


【山門】



【縁起】


【本堂】


江戸時代初期、寛永16年(1639年)再建。


【阿弥陀如来像】


御本尊になります。
聖徳太子の作と伝えられていますが果たして・・・


【観音堂】


後で西方院のHPをチェックしたところ、
天井に雲龍が描かれているのを知ったので、
参拝した時は完全に見逃していました。

やはり初めて行く寺院は事前にチェックするべきですね。


【十一面観世音菩薩像】


ふくよかなお顔立ちされていました。


【鐘楼堂】



【御朱印】



その他に三尼公の禅蔵・善信・恵善御廟所がありますが、
こちらは一般のお墓の中にありますので遠慮させていただきました。

叡福寺(2011年4月16日参拝)

2011-04-25 | 聖徳太子御遺跡霊場
「下之太子」大聖勝軍寺、「中之太子」野中寺と続けて参拝すれば、
次に行くのは「上之太子」と呼ばれている叡福寺。

御本尊:如意輪観音
開基:聖武天皇とも聖徳太子または推古天皇とはっきりされていないが、
境内案内板には聖武天皇と書かれている。



叡福寺は聖徳太子ゆかりの寺として歴代の天皇や権力者に重んぜられた。
平安時代には嵯峨天皇をはじめ多くの天皇が参拝しており、
平清盛は子息の平重盛に命じて堂塔の修理をさせている。

また日本仏教の祖ともいうべき聖徳太子の墓所があることから、
空海、親鸞、日蓮など新仏教の開祖となった僧達もこの寺に
参篭したことが知られているように大変由緒正しいお寺です。


【南大門】




とても立派です。


【仁王像】



【扁額】


扁額の揮毫は再建当時の総理大臣である岸信介氏のもの。


【境内】




とても広い境内です。


【多宝塔】






承応元年(1652)再建の重要文化財。
正統派の美しい多宝塔です。


【金堂】




如意輪観音様と左右には四天王と不動明王、愛染明王が祀られています。






【聖霊殿】


聖徳太子16歳植髪等身像と南無仏太子2歳像が祀られています。
重要文化財。


【聖徳太子廟】


二天門の下からの境内の眺め。






聖徳太子がこちらで眠っていると言われているが異説もあるそうです。
現在は宮内庁が管轄しており中に入ることは許されていない。


【浄土堂】




阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の三尊が祀られています。


【見真大師堂】


聖人自身が刻んだものとされている親鸞聖人の坐像が祀られている。


【経堂】


この辺りは静かというより寂しい場所でした。


【科長岡神社】






天照大神や八坂大神を始めとする九神が祭られた「鎮守」。
その中に菅原道真が入ってるんですよね。
菅原道真ってどんだけ偉人なんですか?(^^


【弘法大師堂】




弘法大師像が祀られている。


【御朱印】



叡福寺に初めて参拝しましたが、
雰囲気のあるいいお寺ですね~。

まだまだ細かく見ていけば見所もあるんでしょうね。

今回は時間も限られていたので宝物殿は次回参拝した時に入るとしよう。