Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

帝釈寺(2014年9月20日参拝)

2014-10-19 | 摂津国八十八箇所
箕面市界隈の次なる参拝は帝釈寺。
帝釈天が御本尊のお寺は珍しいので楽しみです。

大型の無料駐車場がありました。



所在地:大阪府箕面市粟生外院2-14-11
宗派:高野山真言宗
御本尊:帝釈天
開基:伝・聖徳太子
中興年:慶安2年
中興:秀栄
札所:摂津国八十八箇所霊場


【歴史】
寺伝によれば当寺は聖徳太子の夢の中に現れた神々の御神告によって宝塔が建立。
貞観年中(859-877)清和天皇勝尾寺行幸の時、当寺に参籠され、
勝尾寺の外院となったという。

御本尊として帝釈天・毘沙門天・弁財天の三天を祀る為、
もとは三天寺と称していました。

応仁年中以後に度々の兵乱にかかり、諸堂消失し大いに衰微。
慶安2年3月、秀栄法師入院し当寺を中興。

太平洋戦争で鐘が徴用される時は村人全員が悲しんだという。

毎年節分祭は厄払いと今年の無病息災の祈願を込めて、
焼けた護摩木の残り火の上を参拝客が素足で渡る火渡り修行が行われる。


【山門】



【境内】


古刹の雰囲気を感じつつ、綺麗に手入れされた境内です。


【本堂】






そんなに大きくない本堂ですが、
良い雰囲気の堂内でした。

聖徳太子作の帝釈天王が御本尊と、
弘法大師作と伝わる毘沙門天と弁財天が祀られていますが、
残念ながら見えませんでした。

聖徳太子作と弘法大師作の真偽はどうなんでしょうね?
そこを問わないのが大人の対応かな。


【鐘楼堂】



【不動岩】



【ふれ愛観音】




まさか西村公朝師のふれ愛観音さんにお会い出来るとは。

清水寺、比叡山延暦寺、長谷寺、愛宕念仏寺等、
名だたるビッグネームの寺院に納められているのに、
全く無名に近いこの帝釈寺に奉納されているのは、
どんな縁があってのことなんでしょうね。


【帝釈天降臨松の跡】


一本の木からのびた枝が帝釈寺全体がおおっていた為、
帝釈天が降臨された降臨の松と名付られていた樹齢1200年の松も、
度重なる落雷と老朽により昭和30年に伐採されたそうです。

昔の写真を見ると本当に立派な松でした。


【宝篋印塔】



【水上権現】



【鎮守社】



【御朱印】



帝釈寺参拝後、役行者所縁の瀧安寺にナビを頼りに行ったのですが、
細いデコボコの悪路の山道に誘導されて泣きそうに。

それでも頑張って先に進んで着いたのが解体処理場。(号泣)

何でやねん。

もうめんどくさくなって参拝取りやめ。(^^;

後で調べてみたら私営駐車場から1キロぐらい歩かなければならないようですね。

ナビを信じきってはダメなのがよく分かりました。(笑)

宝珠院(2014年9月20日参拝)

2014-10-19 | 摂津国八十八箇所
さて、次なる参拝は摂津国八十八箇所の札所である宝珠院です。



所在地:大阪府箕面市如意谷4-5-25
宗派:高野山真言宗
御本尊:如意輪観音
創建:不明
開山:弘法大師
札所:摂津国八十八箇所 


【歴史】
当寺の寺記によりますと弘法大師が諸国を遍参していたおり、
河内国錦部郡において一人の老僧にあい、こう告げられた。

「摂津豊島郡に如意輪有縁の霊場あり、宜しく寺院を営むべし」と。

この老僧こそは役行者小角の再来であり、
弘法大師は当山に登って如意輪大悲尊像を一刀彫刻して真言を誦し、
三礼を成し名号を唱えて、三日三晩かかって彫り上げた。

そして寺院を創設してこの霊像を安置しました。
もとは如意輪寺と称していた。

その後、陽成天皇の時代になって元慶4年(880)に荘園を下賜され、
七堂伽藍を備え数十の坊舎は甍を並べて隆盛を極めていたという。
しかし、後土御門院の御年(1467-1469)応仁の乱の兵火にあって
伽藍はことごとく灰燼となり、旧観は全くその影を没してしまった。

塔頭の一つであった宝珠院のみが、ようやく草堂を営んでその法燈を継続し
寛文5年(1665)に僧秀盛によって再建された。

現在の本堂は昭和58年(1983)中興第二十一世僧秀幸により再建されました。


【外観】


横に5台ほど停められる無料駐車場がありました。


【本堂】




外側から見ると広いと思ったけど、
本堂と庫裏のみでした。


【堂内】



【御朱印】



【薬師寺】


医王岩を見ようと思って、歩いて小山を登っていると見つけたお寺。
檀家も少なそうで廃寺近しと思わせる雰囲気が漂う。


【Y字路】


さぁ、貴方ならどちらの道を選びますか?

私は勿論右手の舗装された道を選んで歩いて行きました。
結構足疲れる道を進んで着きました。

老人ホームに。(苦笑)

マジかー!
無駄に疲れただけやん。(泣)


気を取り直してY字路まで戻って左の砂利道を進む。




激しく寂しいんですけど。(泣)

こんなとこモノ好きしか来ないよ~。(^^;


【医王岩】


お~、これが医王岩ですか~。
思ったより大きく無いですね。(^^;










日本には御神体とされている巨石がいろいろありますよね。

私も幾つか見てきましたけど、
それはいずれも畏怖の念を感じました。

しかし、この岩からはそれを感じない。

もしこの岩が神社にあって恭しく祀られていたら、
畏怖の念を感じるのかも知れませんが。

法案寺南坊(2014年8月30日参拝)

2014-09-22 | 摂津国八十八箇所
今日は久しぶりに大阪のミナミに遊びに来ました。

寺社参拝が目的じゃなかったが、
せっかくなんで戎橋に近い法案寺を参拝することにしました。



所在地:大阪市中央区島之内2丁目10-14
宗派:高野山真言宗
御本尊:薬師如来
開基:聖徳太子
札所:摂津国八十八箇所、大阪七福神


【縁起】
寺伝によれば推古天皇の頃(593-628)に聖徳太子が志宜野に法案寺を建立したという。
建立した場所の地名から山号を「志宜山」とし、
仏法弘通の公案をしたところから寺号を「法案寺」としたという。

生玉明神と習合して神宮寺の別当として隆盛、後になって衰微したが、
応永年間(1394-1428)に松永政廣が称光天皇の勅命を受け法案寺の再興に尽力した。

天文日記には法案寺第3世・正教が蓮如に帰依した為に、
蓮如が法案寺の敷地に借地して石山本願寺を建立し、後に寺地を譲渡したという記録がある。

豊臣秀吉が大坂城を築城する時、法案寺は法円坂町付近にあったが、
天正11年(1583)、生玉明神とともに馬場崎に強制移転させられた。

明治時代に入り、廃仏棄釈に遭って寺領を失った当時の法案寺住職・栄達は
本堂から聖観音と聖天堂の歓喜天を持ち出し、
明治16年(1883)年6月に現在地である大阪市中央区島之内2丁目に法案寺を復興再建。


【山門】


とても印象的な山門ですね。


【境内】


思ったよりこじんまりとした境内です。


【楠稲荷大明神】



【不動明王】



【地蔵尊】



【狛犬】



【本堂】




御本尊は厨子に安置されて見れませんでした。

正月の7日間に御開帳されるそうです。


【辨財天】



【弁天堂】



【御朱印】



【道頓堀川】


24時間テレビの募金ブースがあったので、募金してきました。

暑かったので貰った団扇が助かりました。(^^





【観覧車】



【グリコの看板】


お~、これがあの綾瀬はるかバージョンか~。

いいね~。(^^






関西人にとったらグリコの看板なんて、
恥ずかしくて絶対撮影なんてしないんだけど、
これは撮ってまうわ。(笑)

ぶっちゃけ、六代目は綾瀬はるかでいいじゃん。(^^

福島聖天 了徳院(2014年6月28日参拝)

2014-07-14 | 摂津国八十八箇所
持明院から徒歩数分の場所に了徳院というお寺があります。

聖天通りという商店街があるほど、
福島聖天という方が名前が知れているようです。



所在地:大阪府大阪市福島区鷺洲2-14-1
宗派:東寺真言宗
御本尊:準胝観世音菩薩、十一面観音菩薩
創建:不明
開山:不明
札所:摂津四国八十八ヶ所霊場、大阪四不動北方霊場



【縁起】
洪水により当時の記録が失われ開山年代は詳しく分かりませんが、
江戸時代の1736年に宥意上人が高野山善集院より入り、
4年後に堂宇を再建、再興された東寺真言宗のお寺です。

御本尊の聖天尊(十一面観音菩薩)は聖天さんと呼ばれ皆さんに親しまれれています。

当時、この一帯は浦江と呼ばれており海岸地帯になっていました。
聖天さんはこの海で漁師に引き上げられたと伝えられています。

当山は度々淀川の大洪水に遭うばかりか、
昭和20年の戦災では山門を残して建物の殆んどが全焼したが、
戦後、本堂を始めとして諸堂が再建され、現在に至っている。


【鳥居】


1台のみですが駐車場があり助かりました。
こちらのお寺は見所が多いので結構時間がかかりましたので。(^^


【狛犬】



【山門】


写真は撮りませんでしたが、
子持ちの龍の彫刻がありました。

鳩よけの金網がありよく見えませんでしたけど。


【境内】



【鐘楼堂】



【水掛地蔵】





【本堂】




この奥に御本尊が祀られ、
ガラス越しに少しお姿を見れました。


【狛犬】


こちらはかなり凶暴そうですね。


【大根】


狛犬の台座のレリーフに大根が。

聞いたところによると大聖歓喜天さんは象の姿をしたインドの神様で、
大根が好物なのだそうです。


【不動堂】




こちらのお不動さんは私好みの大きさと渋い色でした。


【修行大師像】



【地蔵堂】





【役行者】



【白髪稲荷】





【狛犬】


こちらは少し愛嬌のあるタイプです。
備前焼でしょうかね。


【おもかる石】


どこで持っても重く感じるんですけど。(泣)


【芭蕉句碑】


「かきつばた 語るも 旅のひとつ哉」

二度目の大阪を訪れた貞享5年(1688)4月、
芭蕉45歳の時、大阪の門人保川一笑を訪ねて詠んだのがこの句。


【水掛不動】



【石仏】


向かって左が阿弥陀如来、右が聖観音菩薩。


【祠】



【子安地蔵】



【弁財天】




手前には龍の彫刻、いや失礼、倶哩迦羅龍王がいました。


【石仏】



【石塔】



【観音堂】




准低観音が祀られているようですが、
厨子の中に安置されていて見れませんでした。


【御朱印】

持明院(2014年6月28日参拝)

2014-07-14 | 摂津国八十八箇所
所在地:大阪府大阪市福島区鷺洲2-13-3
宗派:東寺真言宗
御本尊:弘法大師
創建:大正4年(1915)
開山:宜観和尚
札所:摂津八十八ヶ所霊場



【縁起】
開山の宜観和尚は日露戦争の戦死者の霊を弔うため旧満州に渡るが、
明治天皇の崩御に遭い、当地にて出家、その後高野山に登り、
霊感を得て大阪において当寺を開いた。

御本尊の厄除け弘法大師は江戸時代初期の作で河内の寺にあったのを、
宜観和尚が大正8年に招来したもの。

昭和20年(1945)の空襲で堂宇は全焼したが、
御本尊は難を逃れ現在に至っている。

摂津八十八ヶ所霊場の中で最も歴史の浅い寺である。


【山門】


駐車場はありませんが、
ちょっとぐらいならお寺の前に停めても大丈夫でしょう。


【本堂】



【石仏】






狭い境内に四国八十八所霊場、北向地蔵等が祀られていました。


【不動明王】



【手水鉢】



【鎮守社】



【御朱印】