Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

青蓮院門跡(2011年2月19日参拝)

2011-02-27 | 近畿三十六不動尊
知恩院から歩いて数分の場所にあるのが青蓮院門跡。

「門跡寺院」とは皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院のことであり、
青蓮院は多くの法親王が門主(住職)を務め宮門跡寺院として高い格式を誇ってきた。

*法親王とは天皇の皇子や伏見宮家などの皇族の男子で
出家後に親王宣下を受けた者。


開基は伝教大師最澄、本尊は熾盛光如来。

青蓮院は三千院(梶井門跡)、妙法院とともに天台宗の三門跡寺院とされる。





【四脚門】



【門前の大クスノキ】


親鸞上人が手植えしたとされる天然記念物のクスノキ。
幹がとても太い堂々たる巨木。

門に入る前から雰囲気もとてもいいです。


【山門】



【華頂殿 入り口】


朱印帳を預け拝観。

こちらで三十六歌仙額絵、木村英輝氏奉納の蓮の襖絵(60面)を見ましたが、
正直私には余り興味がないせいか心に響くものはありませんでした。


華頂殿から小御所へ。


【小御所】


当院所蔵の『門葉記』門主伝によると平安時代末は門主の居間であった。
後櫻町上皇が当院を仮御所としてお使いの際上皇もご使用になった建物である。
(青蓮院HPより)

手前にある巨石で造られた「一文字手水鉢」は、
豊臣秀吉の奉納と伝えられているそうです。







【相阿弥作 築山泉水庭】


本当に素晴らしいと思うんですけど、
ずっと見ていたいという感情がわかないのも事実。

超一流の芸術なのは間違いありません。
ただ私がこのテのお庭は飽きやすいということだけですので。


【熾盛光堂】




本堂になります。
天台宗の四大秘宝の一つである熾盛光法の本尊を祀っている。

熾盛光如来曼荼羅は秘仏ですので、
御前立ちとして直径24センチの本翡翠・プラチナ製で作られている
宝珠が置かれています。


(青蓮院HPより)


熾盛光堂の真後ろは国宝の青不動明王が奉られている青不動です。


【宸殿】
「宸」は皇帝の意で有縁の天皇の位牌を祀る堂である。
障壁画浜松図(襖12面、戸襖4面、壁3面の17面)が重要文化財に指定されている。

なお、1962年に襖のうち1枚が心ない拝観者により切り取られ行方不明となっている。
(Wikipediaより)







重文の襖を切り取り盗むとはなんたること。
だからカメラがたくさんあったのか!

盗んだ本人か、またはこのような世には出せない美術品が流れる
闇の世界で買ったコレクターが死蔵してるとは全くもって許せませんね。


【孝明天皇の駕籠】






大玄関にある孝明天皇が実際に乗ったとされる駕籠。
さすがに重厚でした。


【御朱印】




こちら青蓮院は天皇家所縁のお寺で非常に雰囲気のいいところです。
心落ち着くお庭が好きな方はたまらないのではないでしょうか。

私は東大寺や唐招提寺、東寺などの素晴らしい仏像や圧倒的な伽藍が見れる
お寺の方が好みですけどね。


【舞妓】



舞妓Haaaan!!!

青蓮院から八坂の塔に行く途中で遭遇。
思わず撮ってしまった。(笑)

総本山 知恩院(2011年2月19日参拝)

2011-02-26 | 法然上人二十五霊跡
高台寺から5分ほど歩くとあるのが知恩院。

本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)、
開基(創立者)は法然上人で今年は800年の大恩忌になります。


知恩院の見所はなんといっても国宝の山門。
高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚。
その構造・規模において、わが国現存の木造建築として最大の二重門。







圧倒されるとはまさにこのこと。

もう凄いの一言。

誤解を恐れずに言えば宗教に興味が無ければ、
この山門見るだけでいい、と言えるほど。

それぐらい素晴らしい。
建築物としても超一級の山門です。

京都に来たならばここは外せないですね。





山門の楼上内部は通常非公開でしたが運良く特別公開してましたので、
拝観料800円支払って楼上へ。

急な階段を登って楼上へ行くと京都が一望。

写真を撮りたかったが写真撮影禁止とか。(泣)

仏像ならともかく楼上から京都の風景まで写真撮影禁止とか意味不明。
これは是非とも再考してほしいですね。


あえて薄暗くしている内部は釈迦如来像と十六羅漢像を安置し、
天井には龍図や聖獣などが描かれていました。

(Wikipediaより)


【御影堂】




国宝。

元祖法然上人の御影を奉ることから、「御影堂」の名を持ち、
総本山知恩院の中心をなすお堂です。

寛永16年(1639)徳川三代将軍家光公によって再建されたもので、
建築様式は唐様を取り入れた和様、大きさは、奥行35メートル、間口45メートル。
周囲に幅3メートルの大外縁をめぐらすというスケールの大きさとなっています。
(知恩院HPより)




廊下もいい感じです。

御影堂の雰囲気は西本願寺に似てるなと思いました。



【経蔵】


重文。

徳川二代将軍秀忠公の寄附によって納められた宋版大蔵(一切)経約六千帖を
安置する輪蔵が備えられております。(非公開)


勢至堂へ向かう石段。




【勢至堂】








重文。

勢至堂は法然上人がご終焉を迎えられるまでお念仏のみ教えを
自ら広められた大谷の禅房の故地であり知恩院発祥の地。

堂内正面に掲げられている額「知恩教院」は後奈良天皇の宸翰であり、
知恩院の名の起源がここにあります。

勢至堂奥に濡髪大明神のお社と千姫のお墓がありますが、
一般のお墓が見えたので奥には行きませんでした。


【御廟】








京都府有形文化財。
法然上人のご遺骨をご奉安する廟堂。


【大鐘楼】






重文。

高さ3.3メートル、口径2.8メートル、重さ約70トン。
知恩院の釣鐘は、京都方広寺、奈良東大寺と並ぶ大鐘として知られています。

とにかくデカイ。
鐘の重さが70トンとか想像出来ません。




除夜の鐘を17人の僧侶で撞く画像でその大きさがわかると思います。(知恩院HPより)



【御朱印】



【法然上人八百年大恩忌参拝記念御朱印】



高台寺(2011年2月19日参拝)

2011-02-24 | 仏閣
本能寺に行ったら豊臣秀吉所縁のお寺に行くでしょ!ってことで高台寺へ。


高台寺は臨済宗建仁寺派の寺院。
山号は鷲峰山、寺号は詳しくは高台寿聖禅寺と称する。

豊臣秀吉の正室である北政所が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、
寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である高台院にちなむ。
釈迦如来を本尊とする禅宗寺院であるとともに、
秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格をもった寺院である。(Wikipediaより)





【開山堂と観月台】




ともに重要文化財。

いきなりハイライトと言っても過言ではない庭園が素晴らしい。
岩や池、木など全て計算されつくした配置で非の打ち所がないですね。


【方丈前庭】


良い庭だな~とは思うけど、
なんだろ?
1分ぐらいで飽きちゃうというかなんというか。

先に見た庭は見てても全然飽きないんだけど。
私の場合は庭でも開山堂と観月台とかの素晴らしい建築物と一緒じゃないと
どうも砂や池だけの庭はダメらしい。


【開山堂】


入母屋造本瓦葺きの禅宗様の仏堂。
慶長10年(1605年)の建築。
元来、北政所の持仏堂だったもので、
その後、中興開山の三江紹益の木像を祀る堂となっている。


【霊屋】


重文。

慶長10年(1605年)の建築。
内部は中央の厨子に大随求菩薩像を安置し、
向かって右の厨子には豊臣秀吉の坐像、
左の厨子には正室・北政所の片膝立の木像がそれぞれ安置されている

北政所は自身の像の約2メートル下に葬られているそうです。


【臥龍廊】


開山堂と霊屋(おたまや)を結ぶ屋根付きの階段、
龍の背に似ているところからこの名が付けられた。


【傘亭】




重文。


【時雨亭】




重文。


【御朱印】




信長が最期を向かえた本能寺と、
北政所ねねが秀吉死後、菩提を弔う為に建立した高台寺に同日に行くなんて、
歴史好きにはたまらないですね。


桜や紅葉のハイシーズンの頃にまた拝観したいけど、
観光客がいっぱいで本当に大混雑で疲れるんですよね。

こういうお寺は心静かに見たいものである。

行願寺(2011年2月19日参拝)

2011-02-23 | 西国三十三ヶ所
西国三十三ヶ所十九番札所の行願寺。

開基 行円上人。
本尊は行円の作と伝えられる十一面千手観音菩薩。


「百錬抄」「日本紀略」等によれば行願寺は寛弘元年(1004年)、
行円が一条小川の一条北辺堂跡に創建したものである。

行円は仏門に入る前は狩猟を業としていたが、ある時、山で身ごもった雌鹿を射たところ、
その腹から子鹿の誕生するのを見、殺生の非を悟って仏門に入ったという。(Wikipediaより)

う~む、
そんな場面を見ちゃったら私でも仏門に入るでしょう。(笑)



【山門】



【本堂】



【寿老人堂】



【鐘楼】



【都七福神】



【御朱印】



こちらのお寺も京都御苑に近く街中にあるので、
とてもこじんまりとしてますので10分ぐらいで参拝終了しました。


参拝後、近くの下御霊神社にも参ったのですが、
こちらの神社は何と言うか凄い廃れた感が。

もし行願寺も西国さんに入って無かったら同じようになっていたかも。(^^;

本能寺(2011年2月19日参拝)

2011-02-22 | 洛中法華21ヶ寺
法華宗本門流の寺院ですが、
何と言っても戦国時代最大の事件があった「本能寺の変」が有名ですよね。


大きな道路の河原町通りや御池通り近くにあるのですが、
道路沿いのビルの裏にあるので最初はどこにあるのか分かりませんでした。


ここは今まで行こうと思わなかったのですが、
大河ドラマ「江」を見て行こうと思ったんですよね。

「江」の本能寺の変が良かったから行こうと思った訳ではありません。


今年はトヨエツの信長が見れるとあって
大河ドラマの「江」を見てるんですけど、
クサイ演出連発だし、だめ押しに信長最後のシーンでは、
何故か江が幻となって登場とか、
信長が死んですぐに霊となって江を助けるとかあり得なさ過ぎる。

あまりにもファンタジー過ぎて泣けてきた。


トヨエツの信長がスゲー良かっただけに、
あの脚本演出にはがっかりした。

大河ドラマはドラマであって、
史実を忠実に描くわけではないことぐらい分かってるけどさ。


だから今日は本能寺に行ってきたんですよね。

このモヤモヤ感を払拭する為に。(笑)



【山門】



【本堂】




本尊は日蓮が定めた久遠常住具足の「南無妙法蓮華経」の曼荼羅本尊。


【信長公廟】




立派なお墓です。

それにしても定宿としていた本願寺はともかく、
比叡山延暦寺焼き討ちや本願寺等と戦い、
仏敵とか第六天魔王と言われた信長の墓が、
高野山奥の院や大覚寺などにもあるのは何故でしょうね?

仏敵だったら墓を立てて供養する必要ないはずですが。。。


【本能寺の変 戦没者合祀墓】



【御朱印】




昔は本願寺を凌ぐ勢力だったようですが、
今はこじんまりとしたお寺です。


ところで現在の本能寺は「本能寺の変」があった場所ではないことを、
知らない人も多いのでは?

「本能寺の変」があった場所はここから1キロぐらい離れた所にあります。

当然行ってきました。


今はマンションや高校の校舎が建っていて、
悲しいぐらいひっそりと「本願寺跡」の石柱が建っているだけでした。(泣)