Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

寛永寺・不忍池辯天堂(2014年12月7日参拝)

2015-01-23 | 仏閣
本日最後の参拝となるのが不忍池辯天堂。

本当は鬼子母神や湯島天神や根津神社とか行きたかったけど、
チャリンコ漕ぎ過ぎて疲れたので、今日はこのぐらいにしといたろ。(笑)


所在地:東京都台東区上野公園2-1
宗派:天台宗
御本尊:八臂大辯財天
創建:寛永年間
開基:水谷伊勢守
札所:谷中七福神、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場


【歴史】
不忍池の中にある弁天堂は寛永寺の堂宇の一つである。

建立は不明だが寛永寺が創建されて間もない頃だといわれる。

天海僧正が寛永寺を創建した時に水谷伊勢守勝隆とはかり、
比叡山の近江の竹生島になぞらえて、不忍池の中に中島を築いて、
弁財天をまつったのがこのお堂だと伝えられている。

弁天堂を配した不忍池の風致は江戸の昔から万人の愛する所で、
大正末期には参道の中程に華麗な竜宮門があり、池の中の竜宮城を思わせたが、
昭和20年3月の空襲により焼失。
 
昭和33年本堂を再建、池の四方八方から見られるようにと、
八角形のお堂にしたといわれる。


【不忍池】


冬はさすがに蓮も枯れて寂しい雰囲気です。

露天でたこ焼き購入。
美味かったけど8個で500円って、たこ焼きも高くなったなぁ。(^^;


【本堂】


正面から見ると門のように見えますね。






竹生島宝厳寺より勧請された御本尊は慈覚大師の作と伝えられるが、
普段は秘仏で金色の厨子に安置されています。

巳成金大祭の時のみ御開帳だそうです。


【野鳥】






しばし野鳥と戯れる。


【本堂】


横や後ろから見ると八角堂なのが分かります。


【鎮守社】



【鴨】



【鳥居】


小さな橋の向こうに鳥居と祠があった。
聖天島というらしい。

神社名、御祭神とも不明。

祠の横に男の立派なアレの石があった。
ビンビンに勃っていました。(笑)

ズームで撮ったけど、18禁のせいか酷いピンボケで、
写真をアップ出来ないのが残念で仕方ない。(苦笑)


お詫びに梅宮辰夫のシンボルロックをご紹介します。(笑)




【大黒天堂】


豊太閤護持の大黒天が祀られているみたい。

でも、徳川家康は秀吉の墓所をはじめ、徹底的に破壊したはず。

それなのに秀吉が護持していたとされる大黒天を、
寛永寺に祀るのは何か理由があるのでしょうか。


【御朱印】


上手くは無いけど豪快な筆さばきがいい。


これにて東京上野周辺の寺社参拝終了。

以前、浅草寺とかいろいろ巡ったけど、
東京って思ってたより見所いっぱいの寺社が多い。

次は深大寺や池上本門寺とか行ってみたいね~。

寛永寺・清水観音堂(2014年12月7日参拝)

2015-01-21 | 仏閣
バコダの後は清水観音堂へ。

この上野公園には寛永寺のお寺が点在してるんですね。

観音堂の前に来ると長蛇の列。
後で調べてみると上野の森美術館で進撃の巨人展がやっていたようですね。

それにしても凄い人気です。


所在地:東京都台東区上野公園1-29
宗派:天台宗
御本尊:千手観音菩薩
創建:寛永8年(1631)
開山:天海大僧正
札所:江戸三十三観音霊場、東京三十三観音霊場30


【沿革】
寛永8年(1631)に天台宗東叡山寛永寺の開山、
慈眼大師天海大僧正によって創建されました。

天海大僧正は寛永2年(1625)に、二代将軍徳川秀忠から寄進されていた、
上野忍が岡に平安京と比叡山の関係に倣って東叡山寛永寺を開きました。

比叡山が京都御所の鬼門を守護、王城の鎮護を担うと伝えられるのに倣い、
江戸城の鬼門の守りをも意味しました。

比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を、
次々と建立した中の一つが清水観音堂です。


【紅葉】


後ろに見えるのが観音堂です。


【参道】



【観音堂】


堂内は狭いながらも良い雰囲気でした。

撮影は残念ながら不可。
寛永寺は撮影不可ばっかりだなぁ。(泣)


【御堂】



【月の松】


枝を○にすることが出来るんですね。

関西ではあんまり知る人はいないと思いますが、
歌川広重の連作浮世絵シリーズ名所江戸百景と同じらしいですね。

昔の人々と同じような風景を見たかと思うと感慨深いですが、
参拝した時は知らなかったので、丸い枝が珍しいなぁ、と思っていただけでした。(^^;


【観音堂】


舞台から不忍ノ池方面を見るよりも、
ここから観音堂を見る方がいいですね。

桜が咲いている時は最高だろう。


【紅葉】







【御朱印】

寛永寺・パゴダ薬師堂(2014年12月7日参拝)

2015-01-20 | 仏閣
上野東照宮から上野公園を少し歩いてパゴダ薬師堂に到着。

パゴダと上野大仏が見所らしい。



所在地:東京都台東区上野公園8
宗派:天台宗
御本尊 薬師瑠璃光如来



【沿革】
正面の丘はかつて大仏山と呼ばれ、丘上にはその名の通り、
大きな釈迦如来坐像が安置されていた。 

最初の大仏は越後村上藩主堀直寄が寛永8年(1631)に造立した、
2.8メートル前後の釈迦如来像であったが、粘土を漆喰で固めたものであった為、
正保4年(1647)の地震により倒壊してしまった。
 
明暦~万治年間(1655-1660)には木食僧浄雲が江戸市民からの浄財によって、
3.6メートルをこえる青銅製に堂々たる釈迦如来坐像を像立した。

その後、元禄11年(1698)輪王寺宮公弁法親王が、同像を風雨から覆うための仏殿を建立。
天保12年(1841)の火事によって大仏・仏殿ともに被害を受けたが、
天保14年(1843)には、最初の造立者堀直寄の子孫堀直央が大仏を修復、幕府が仏殿を再建。

しかし明治6年(1873)上野公園開設の際に仏殿が取り壊され、
大正12年(1923)の関東大震災では大仏の面部が落下、
第二次世界大戦における金属供出令により大仏の体・脚部を国へ供出した為、
面部のみが寛永寺に遺った。
寛永寺では、昭和47年(1972)丘陵上野左手に壁面を設け、
ここに「上野大仏」の顔をレリーフ状に奉安した。


【紅葉】




まだ紅葉が残っていますね。
関西より一週間遅いって感じですかね。


【パゴダ】



 
お~、これはなかなか印象的な仏塔ですね。

これは上野観光連盟が上野公園の名所のひとつとする為に建設したもので、
昭和42年(1967)3月着工、同昭和42年(1967)6月に完成。

中央に薬師如来、左側に月光菩薩、右側に日光菩薩を安置している。
この薬師三尊像は江戸末期まで東照宮境内にあった薬師堂の本尊で、
明治初期の神仏分離令により寛永寺に移管しパゴダの本尊として迎えられた。

残念ながら撮影禁止でした。




後ろに行くと苔生していい感じでした。


【上野大仏】


しかし関東大震災でよりによって頭部が落ちたとか、
当時の寺の方々は衝撃を受けたでしょうね。


【時の鐘】


寛文6年(1666)に鋳造の鐘で、
近辺に住んでいた江戸市民に時刻を知らせていたそうです。

私がこちらに参拝している時に良い音を響かせていました。


【御朱印】




清水観音堂でいただきました。

売店がありましたが、女性が何かいろいろ粘っていましたので、
ここでいただけるかは確認出来ませんでした。

全生庵(2014年12月7日参拝)

2015-01-18 | 仏閣
どこか人を寄せ付けない雰囲気があった妙法寺。

その前にある全生庵は正反対で右翼でも誰でも来る者拒まずという寺らしい。


所在地:東京都台東区谷中5-4-7
宗派:臨済宗国泰寺派
御本尊:葵正観世音菩薩
創建:明治16年(1883)
開山:越叟義格
開基:山岡鉄舟


【縁起】
当庵は山岡鉄舟居士が明治維新の際、
国事に殉じた人々の菩提を弔う為に明治16年(1883)に建立した。

寺名は明治7年(1874)山岡鉄舟居士が鎌倉建長寺開山の蘭渓道隆禅師自筆の
全生庵という額を人から貰い、これを書斎に掛けて愛蔵していたことから名付けられた。

明治13年(1880)居士が一寺建立を発願し、
寺域を道友国泰寺越叟和尚の勧めにより谷中の現在地に選定した。

明治16年(1883)全生庵を寺号とし居士邸から曾て江戸城の守本尊であった
葵正観世音の霊像を遷して本尊とした。

円朝遣愛幽霊画50幅を所蔵することから同庵は「幽霊画の寺」としても知られる。


【山門】



【本堂】


二階の本堂は法要中でしたので遠慮させていただきました。

一階は座禅堂になっていて、中曽根元首相や安倍首相が座禅に参加したそうだ。

それ故、日本で一番予約の取れない座禅会として二か月待ちとか。(^^;


【鎮守大八幡菩薩】



【谷中大観音】



【山岡鉄舟居士の墓】



御朱印は残念ながら御住職が法要中でしたので、
いただけませんでした。

せめて書置きでもと言ったのですが、書置きは無いとのこと。


頤神禅院、瑞輪寺とかも行きたかったが、
時間の都合で上野東照宮へ向かいます。

妙法寺(2014年12月7日参拝)

2015-01-17 | 仏閣
山岡鉄舟が眠る全生庵の前に到着すると、
真ん前に特徴的な山門が見えましたので寄ってみました。

その寺の名前は妙法寺といいます。


所在地:東京都台東区谷中4-4-30
宗派:日蓮宗
御本尊:釈迦仏
創建:慶長13年(1608)
開山:霊鷲院日恕
中興:玄理院日禅



【山門】


鐘楼門のように見えますね。


【本堂】


鉄筋コンクリートの本堂。

少しだけ扉が開いていましたので見ましたが、
典型的な日蓮宗の内陣でした。


【御堂】


これは何のお堂なのかよく分かりません。


【鐘楼】



御朱印は無いと思われます。