レンタサイクルで久しぶりに自転車乗ってると、
風が気持ちよくて自転車もいいもんだな、と思いつつ浜松八幡宮へ。
所在地:静岡県浜松市中区八幡町2
御祭神:玉依比売命、品陀和気命、息長足姫命
相殿神:伊弉諾尊、伊弉冉尊
創建:仁徳天皇御代
社格:郷社
【由緒】
天平21年(749)に聖武天皇は大仏鋳造に神の援助を仰ぐ為、
宇佐神宮より八幡神を迎えられ、更に859年、清和天皇、貞観元年に僧行教によって、
同じく宇佐八幡神を男山に迎えました。
神功皇后摂政時代の国威発揚期の人心や、応神天皇時代、
有力帰化人による文物伝来の伝承を史実として回顧した当時の人びとの心情によって、
単なる産土神や、氏神でなく、「国家の祖廟」、「鎮護国家」の神として、
伊勢の皇大神宮に次ぐ崇拝をうけるに至りました。
源義家が男山八幡宮神前で元服したという伝承によって、
武家の棟梁源氏の氏神となったことから、八幡信仰は中世以降さらに大きな地歩を固めました。
この過程において、極めて自然に神仏習合の信仰が浸透して、八幡大菩薩の称号も生れました。
元亀元年6月、徳川家康が岡崎より浜松へ入城した時、源義家の東征祈願の由緒があり、
更に鬼門鎮守の氏神として信仰厚く、1586年、駿府に移るまで、
当社を祈願所として数度社参して、武運長久を祈ったと伝えられています。
その後も家康は代々当杜を祈願所として、旗・神馬を奉納いたしました。
豊臣秀吉は北條氏征討の資金を調達する為、神領を没収し、
寺島八幡の社領であった現在の寺島町・旭町附近のみを八幡地として残しました。
1603年、家康は征夷大将軍に任ぜられ、歴世・社領五十石の朱印を与えましたが、
明治新政権により上地とされ、同年郷社に列しました。
【鳥居】
なかなか良い雰囲気の参道です。
こちらには無料駐車場がありました。
【狛犬】
【拝殿】
格式の高さを感じる立派な拝殿です。
【葵の御紋】
【本殿】
【浜松稲荷神社】
【東照宮】
【雲立の楠】
社殿によると1572年、元亀3年12月、三方原合戦に敗れた家康は天林寺に入り、
義俊和尚が案内して当八幡宮に逃れ、義家ゆかりの「楠」の洞穴に潜み、
甲州勢の追手を逃れて武運を祈願した時、楠の上に瑞雲立ち昇り、
神霊が白馬に跨り浜松城方面へ飛び立ちました。
家康は八幡宮の加護により「戦われに利あるべし」……と勇躍城に帰り、
犀ケ崖に布の懸橋を渡して武田信玄の入城を防ぐことができました。
有名な酒井忠次の陣太鼓の武勇伝もこの時のことであります。
これにより家康開運の杜前の楠を「雲立楠」と呼ぶに至りました。
これらの伝承は古老・郷土史家の伝える諸説であります。
【御朱印】
こちらの神社は境内の雰囲気が良く、拝殿も見事。
何度も訪れたくなる神社でした。
風が気持ちよくて自転車もいいもんだな、と思いつつ浜松八幡宮へ。
所在地:静岡県浜松市中区八幡町2
御祭神:玉依比売命、品陀和気命、息長足姫命
相殿神:伊弉諾尊、伊弉冉尊
創建:仁徳天皇御代
社格:郷社
【由緒】
天平21年(749)に聖武天皇は大仏鋳造に神の援助を仰ぐ為、
宇佐神宮より八幡神を迎えられ、更に859年、清和天皇、貞観元年に僧行教によって、
同じく宇佐八幡神を男山に迎えました。
神功皇后摂政時代の国威発揚期の人心や、応神天皇時代、
有力帰化人による文物伝来の伝承を史実として回顧した当時の人びとの心情によって、
単なる産土神や、氏神でなく、「国家の祖廟」、「鎮護国家」の神として、
伊勢の皇大神宮に次ぐ崇拝をうけるに至りました。
源義家が男山八幡宮神前で元服したという伝承によって、
武家の棟梁源氏の氏神となったことから、八幡信仰は中世以降さらに大きな地歩を固めました。
この過程において、極めて自然に神仏習合の信仰が浸透して、八幡大菩薩の称号も生れました。
元亀元年6月、徳川家康が岡崎より浜松へ入城した時、源義家の東征祈願の由緒があり、
更に鬼門鎮守の氏神として信仰厚く、1586年、駿府に移るまで、
当社を祈願所として数度社参して、武運長久を祈ったと伝えられています。
その後も家康は代々当杜を祈願所として、旗・神馬を奉納いたしました。
豊臣秀吉は北條氏征討の資金を調達する為、神領を没収し、
寺島八幡の社領であった現在の寺島町・旭町附近のみを八幡地として残しました。
1603年、家康は征夷大将軍に任ぜられ、歴世・社領五十石の朱印を与えましたが、
明治新政権により上地とされ、同年郷社に列しました。
【鳥居】
なかなか良い雰囲気の参道です。
こちらには無料駐車場がありました。
【狛犬】
【拝殿】
格式の高さを感じる立派な拝殿です。
【葵の御紋】
【本殿】
【浜松稲荷神社】
【東照宮】
【雲立の楠】
社殿によると1572年、元亀3年12月、三方原合戦に敗れた家康は天林寺に入り、
義俊和尚が案内して当八幡宮に逃れ、義家ゆかりの「楠」の洞穴に潜み、
甲州勢の追手を逃れて武運を祈願した時、楠の上に瑞雲立ち昇り、
神霊が白馬に跨り浜松城方面へ飛び立ちました。
家康は八幡宮の加護により「戦われに利あるべし」……と勇躍城に帰り、
犀ケ崖に布の懸橋を渡して武田信玄の入城を防ぐことができました。
有名な酒井忠次の陣太鼓の武勇伝もこの時のことであります。
これにより家康開運の杜前の楠を「雲立楠」と呼ぶに至りました。
これらの伝承は古老・郷土史家の伝える諸説であります。
【御朱印】
こちらの神社は境内の雰囲気が良く、拝殿も見事。
何度も訪れたくなる神社でした。