Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

永源寺(2013年10月27日参拝)

2013-11-24 | 仏閣
本日は湖東三山と永源寺をメインに参拝の旅に出ます。

金沢の卯辰山山麓寺院群や山の寺 瞑想の道とかも、
激しく行きたいのですが、なかなか泊りがけで行けないのよねぇ。(泣)

今年中にはなんとか行けるように神様仏様にお祈りするとしよう。


話を戻して、
湖東三山と永源寺は紅葉の時期になると日帰りバスツアーが盛況となる、
滋賀県では有名な紅葉人気スポットでございます。

紅葉好きの方は行きませう。





今の時期で朝9時頃ですと、
さすがに空いていて一番近くの無料駐車場に停めれました。

ここに停めれ無ければ有料駐車場に停めるしかないので、
お早めに来られることをお勧めします。


所在地:滋賀県東近江市永源寺高野町41
宗派:臨済宗永源寺派
御本尊:世継観世音菩薩
創建:康安元年(1361)
開基:佐々木六角氏頼
開山:寂室元光禅師(正燈国師)


【歴史】
近江守護職佐々木六角氏頼公が入唐求法の高僧、寂室元光禅師(正燈国師)に帰依し、
領内の土地を寄進して伽藍を創建したことが始まりです。

禅師が入寺、開山されるとその高徳を慕って二千人あまりの修行僧が集い、
山中には五十六坊の末庵を有したと記されています。

師の滅後も四人の高弟が教えを守り永源寺を受け継ぎました。
応仁の乱の頃には、横川景三といった京都五山の名だたる僧達が、
この地に戦難を避けて修行をされました。
 
しかし、明応(1492)永禄(1563)と続く戦乱によって、
当地も兵火の及ぶところとなります。
伽藍や山内の幾多の寺院は全て焼け落ち、以後寺運は衰退してゆきました。
 
江戸時代中期になり、妙心寺の僧、別峰紹印禅師は、
永源寺が往時の面影も無く荒れはてていることに嘆き、嘆願書をしたため、
自らも石を曳いて復興のために尽力いたしました。

弟子の空子和尚も永源寺第七十九世として住職され、彼らの懸命の働きによって、
やがて名声高き一絲文守禅師(仏頂国師)を迎えることとなりました。
これにより後水尾天皇をはじめ、東福門院や彦根藩の帰依をうけて伽藍が再興され、
ここに再び法燈が輝いたのであります。
 
明治になり政府の指導によって、はじめ臨済宗東福寺派に属しましたが、
後に永源寺派として独立し、坐禅研鑽、天下泰平、万民和楽を祈る道場として、
全国百有余の末寺を統轄する一派大本山となり今に至っています。


【和泥水】


地蔵尊が祀られていました。


【羅漢坂】


なかなか初っ端からエエ坂が出迎えてくれるやんか。(^^;

滋賀県の有名どころのお寺は山の寺が多く、
このような石段が多くて困りますわ。(苦笑)


【十六羅漢】





【石仏】


こちらは羅漢じゃなく出家された尼さんのような感じですね。


【六地蔵】



【参道】


紅葉の時期は素晴らしいだろうなぁ。


【総門】


ここで拝観料500円を支払う。

自動販売機で支払うので中には支払わない者もいるんじゃないの。(^^;


【表参道】


紅葉の時はまさに絶景でしょうね。

日帰りバスツアー申し込もうかな。(笑)


【山門】




重要文化財。

寛政七年(1795)井伊家の援助等により7年の歳月を費やし享和二年(1802)完工。
楼上に釈迦牟尼佛・文殊菩薩・普賢菩薩並びに十六羅漢が祀られているそうです。


【方丈】




本堂にあたります。


康安元年(1361年)佐々木氏頼が創建。
しかし度重なる兵火、火災により消失。
現在の建物は明和二年(1765)井伊家の援助により建立されたもの。

茅葺屋根がたまりません。
私の大好物でございます。(笑)


【外陣】



【襖絵】









【鐘楼堂】


現在の鐘楼は安永元年(1772年)に再建。


【前庭】



【石碑】



【法堂】



【宝篋印塔】



【神光塔】



【観音堂】



【開山堂】


開山寂室禅師が祀られているお堂ですが、
中は真っ暗でした。


【経堂】





【蔵】



【御朱印】



初めて参拝しましたが、
紅葉抜きにしても良いお寺でした。

また訪れたいと思います。


【高野弘法大師堂】




こちらは駐車場の上にあった弘法大師を祀っているお堂です。

永源寺とは関係ないそうです。