Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

乙訓寺(2013年10月12日参拝)

2013-11-04 | 仏閣
前回、長岡京市に来た時、乙訓寺にも参ろうと思ったけど、
軽く道に迷って行けなかったんですよね。(^^;

今回はその時のリベンジです。

乙訓と書いて「おとくに」と読みます。


所在地:京都府長岡京市今里3-14-7
宗派:真言宗豊山派
御本尊:八幡弘法合体大師像
創建:伝・飛鳥時代
開基:伝・聖徳太子
勅願:推古天皇
札所:京都洛西観音霊場



【歴史】
継体天皇が弟国宮を築かれたともいわれるこの景勝の地に、
推古天皇の勅願を受けた聖徳太子は十一面観世音菩薩を本尊とする伽藍を建立。

この寺が即ち乙訓寺である。

延暦三年(784)、桓武天皇がこの乙訓の地に遷都された時、
京内七大寺の筆頭として乙訓寺を大増築された。

藤原種継が春宮房の人々により暗殺されるや天皇は皇太子早良親王を当寺に幽閉された。
 
嵯峨天皇は、弘仁二年(811)太政官符をもって弘法大師を別当にされた。

弘仁三年(812)十月には、当寺を訪ねられた天台宗祖・伝教大師と、
密教の法論を交わされ灌頂の儀の契りを結ばれる。
 
永禄年間(1558〜1569)信長の兵火により一時衰微したが、
元禄六年(1693)五代将軍綱吉は堂宇を再建して乙訓寺法度をつくり、
寺領を寄せ徳川家の祈願寺とせらる。
 
昭和四十一年(1966)には、講堂や大師がご起居されたと
考えられる単独僧坊跡が発掘調査され、
出土瓦などにより平安期に隆盛を極めていたことがわかっている。

草創から一千三百有余年、時に盛衰はあったが、
大師ゆかりの真言道場として今日に及んでいる。


【山門】


数台の無料駐車場に車を停めていざ参る。


【参道】


左右には牡丹が植えられており牡丹が咲く頃は大変な賑わいだとか。

さすがに今の時期は寂しいです。(^^;


【稚児大師】



【日限地蔵尊】





【弘法大師像】



【鎮守八幡社】





【聖観音像】



【三輪明神】


この辺りはとても殺風景で寂しい雰囲気です。


【本堂】




元禄8年(1695)建立されたもの。

残念ながら普段は堂内に入れないようです。


【不動明王】



【鐘楼堂】



【早良親王供養塔】



【十三重塔】



【クロガネモチ】


これはかなりの巨木ですね。


【柑橘樹】






美味そうでした。(^^


【菩提樹】


弘法大師御手植えと伝わるそうです。


【毘沙門堂】


幽愁の毘沙門天という異名を持つ重文の毘沙門天が祀られていますが、
厨子に安置されていて見れませんでした。

内部も撮影不可。


【御朱印】



このお寺は牡丹が咲き乱れている時期は華やかなんでしょう。

しかし、それ以外の時期は結構寂しい雰囲気を感じましたね。
本堂の中に入れたら印象も変わっていたでしょうけど。