大徳寺塔頭巡り3つ目の参拝は黄梅院です。
御朱印好きには有名な塔頭寺院です。
所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町83-1
宗派:臨済宗大徳寺派
御本尊:釈迦如来
創建:永禄5年(1562)
開山:春林宗俶
【由来】
「黄梅院」とは、お釈迦様から代を重ねて三十二代目、弘忍大満禅師のゆかりの地である
中国の黄梅県破頭山東禅寺に由来し名付けられた。
永禄五年(1562)織田信長公が二十八歳のとき羽柴秀吉を伴い
初めて入洛すると信長公は秀吉を京都所司代に任じ、
併せて父・信秀の追善菩提のために普請を命じ小庵を建立させた。
この小庵は大徳寺九十八世住持・春林和尚を開祖に迎え「黄梅庵」と名付けられた。
これが当院の始まりである。
天正十年(1582)6月2日、本能寺の変により信長公が急逝すると、
同年十月十五日密葬され、その後、秀吉は「黄梅庵」に築を加える。
しかし主君の塔所としては小なりとし、
信長公の法名・総見院殿より総見の名を採り山内に別に「総見院」を建立しお祀りした。
当院は築を新たにし、天正十四年五月秀吉公によって本堂と唐門が改装され、
天正十七年(1589)鐘楼・客殿・庫裏等を小早川隆景普請奉行のもとに改築落慶し、
この年「庵」を「院」に改めている。
時に当院二世・玉仲和尚(大徳寺一一二世住持)の代である。
【表門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/a4/10428dd2312b009616f3a9640b439cfe.jpg)
天正17年完工され、庫裏の造営と同じく小早川隆景によって寄進されたもの。
【前庭】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/66/560de357cf856c1c0fdea33dbe1cb2e4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/cf/c2ba698b6f69ae04b1830d5e7a480193.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/bc/04c78d8183cfc35ae4d8f6033295b122.jpg)
【鐘楼】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/f1/43f5d6771e163fc74a1373950ae41085.jpg)
鐘は1592年、加藤清正によって寄進されたもので、
朝鮮伝来のもの。
【茶室】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/99/25ca9684a59020bddb575d021b4079fc.jpg)
【中門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/2f/dd8a9e50d12282eb4f87877551ec61c0.jpg)
【向春庵】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/3f/dfdadc2569933b7c70df6651f5d901aa.jpg)
【中門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/ca/0aba2344790eae69a43602c96c68cad2.jpg)
これ以上は撮影不可でした。
書院や本堂を拝観し作仏庭や破頭庭などの美しい庭を愛でる。
特に書院前に広がる美しい直中庭が本当に素晴らしかったですね。
そんなに庭好きでない私が気に入るぐらいです。
紅葉の時はさぞかし絶景が広がるのであろう。
【御朱印】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/9e/476290056f6b2900404d6b926997648c.jpg)
御住職に書いていただきました。
「吾が道をゆく 我は我 他人は他人 とにかくに 我がゆく道を 我はゆく也」
御朱印代は1000円也。
高いと思うか、そう思わないかは個人それぞれでしょう。
最初は高いと思ったけど考えてみると、
御住職に書いていただくのは貴重です。
小さな檀家寺ならともかく、これほどのお寺ともなると、
御住職に書いていただくのは、そう多くは無いんですよね。
大概、若い坊さんか寺の職員だから。
それに青蓮院門主染筆の御朱印なんて破格の一万円ですよ。
そう思うと1000円は安いよね。
とはいえ何度もいただく気にはならないですが。(^^;
黄梅院を参拝した感想ですが、
お寺というより超金持ちの別荘という感じでした。
私が腐るほど金を持っていたら黄梅院のような別荘を立てて、
庭を楽しんでいることだろう。
御朱印好きには有名な塔頭寺院です。
所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町83-1
宗派:臨済宗大徳寺派
御本尊:釈迦如来
創建:永禄5年(1562)
開山:春林宗俶
【由来】
「黄梅院」とは、お釈迦様から代を重ねて三十二代目、弘忍大満禅師のゆかりの地である
中国の黄梅県破頭山東禅寺に由来し名付けられた。
永禄五年(1562)織田信長公が二十八歳のとき羽柴秀吉を伴い
初めて入洛すると信長公は秀吉を京都所司代に任じ、
併せて父・信秀の追善菩提のために普請を命じ小庵を建立させた。
この小庵は大徳寺九十八世住持・春林和尚を開祖に迎え「黄梅庵」と名付けられた。
これが当院の始まりである。
天正十年(1582)6月2日、本能寺の変により信長公が急逝すると、
同年十月十五日密葬され、その後、秀吉は「黄梅庵」に築を加える。
しかし主君の塔所としては小なりとし、
信長公の法名・総見院殿より総見の名を採り山内に別に「総見院」を建立しお祀りした。
当院は築を新たにし、天正十四年五月秀吉公によって本堂と唐門が改装され、
天正十七年(1589)鐘楼・客殿・庫裏等を小早川隆景普請奉行のもとに改築落慶し、
この年「庵」を「院」に改めている。
時に当院二世・玉仲和尚(大徳寺一一二世住持)の代である。
【表門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/a4/10428dd2312b009616f3a9640b439cfe.jpg)
天正17年完工され、庫裏の造営と同じく小早川隆景によって寄進されたもの。
【前庭】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/66/560de357cf856c1c0fdea33dbe1cb2e4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/cf/c2ba698b6f69ae04b1830d5e7a480193.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/bc/04c78d8183cfc35ae4d8f6033295b122.jpg)
【鐘楼】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/f1/43f5d6771e163fc74a1373950ae41085.jpg)
鐘は1592年、加藤清正によって寄進されたもので、
朝鮮伝来のもの。
【茶室】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/99/25ca9684a59020bddb575d021b4079fc.jpg)
【中門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/2f/dd8a9e50d12282eb4f87877551ec61c0.jpg)
【向春庵】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/3f/dfdadc2569933b7c70df6651f5d901aa.jpg)
【中門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/ca/0aba2344790eae69a43602c96c68cad2.jpg)
これ以上は撮影不可でした。
書院や本堂を拝観し作仏庭や破頭庭などの美しい庭を愛でる。
特に書院前に広がる美しい直中庭が本当に素晴らしかったですね。
そんなに庭好きでない私が気に入るぐらいです。
紅葉の時はさぞかし絶景が広がるのであろう。
【御朱印】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/9e/476290056f6b2900404d6b926997648c.jpg)
御住職に書いていただきました。
「吾が道をゆく 我は我 他人は他人 とにかくに 我がゆく道を 我はゆく也」
御朱印代は1000円也。
高いと思うか、そう思わないかは個人それぞれでしょう。
最初は高いと思ったけど考えてみると、
御住職に書いていただくのは貴重です。
小さな檀家寺ならともかく、これほどのお寺ともなると、
御住職に書いていただくのは、そう多くは無いんですよね。
大概、若い坊さんか寺の職員だから。
それに青蓮院門主染筆の御朱印なんて破格の一万円ですよ。
そう思うと1000円は安いよね。
とはいえ何度もいただく気にはならないですが。(^^;
黄梅院を参拝した感想ですが、
お寺というより超金持ちの別荘という感じでした。
私が腐るほど金を持っていたら黄梅院のような別荘を立てて、
庭を楽しんでいることだろう。