私の眼
小さいときから歳の離れた兄や姉の本を読むのが大好きだった。
兄弟が寝静まってから無断で借りた小さな活字の本を寝床で読む私の読書時間が始まり暗い電灯の下で、横になったりうつ伏せで活字を拾っていた所為か左右の視力が大きく違い今になって考えると眼鏡が必要な視力だったのかも知れない。当時の農村の子どもはよほど視力が無いかお金持ちの家の子でもない限り眼鏡をかけることはしなかったが、私もそのまま大人に。
23歳のとき自動車免許取得のため初めて眼鏡を購入、世の中の光景がこんなにもハッキリ見えるものかと驚いた経験がある。
私の眼は左右の視力差が大きく近視と乱視が混じっている、そして今ではそれに老眼が加わり自分でもどの見え方が正しいのかよく分からないときもある。
パソコンの前では眼鏡を代えるのがわずらわしいので裸眼ですましているのだが、疲れてくると活字を拾うのが難しくなってくる。昨夜はそんな状況になってフェースブックを変な書き込みで離れてしまい、少なくないFB友達に心配をかけてしまったようです。
今日の写真は我家の居候猫、もう20年近くを一緒に暮らしている老猫で私の暮しに多くの潤いを与えてくれたのだが彼も寄る年並みで視力が弱っているようです。
彼と共にこれからも、お互いに視力が低下したからこそ見える人の心や世の移ろいのようなものの深いところを見つめながら暮らして生きたいと思っています。

小さいときから歳の離れた兄や姉の本を読むのが大好きだった。
兄弟が寝静まってから無断で借りた小さな活字の本を寝床で読む私の読書時間が始まり暗い電灯の下で、横になったりうつ伏せで活字を拾っていた所為か左右の視力が大きく違い今になって考えると眼鏡が必要な視力だったのかも知れない。当時の農村の子どもはよほど視力が無いかお金持ちの家の子でもない限り眼鏡をかけることはしなかったが、私もそのまま大人に。
23歳のとき自動車免許取得のため初めて眼鏡を購入、世の中の光景がこんなにもハッキリ見えるものかと驚いた経験がある。
私の眼は左右の視力差が大きく近視と乱視が混じっている、そして今ではそれに老眼が加わり自分でもどの見え方が正しいのかよく分からないときもある。
パソコンの前では眼鏡を代えるのがわずらわしいので裸眼ですましているのだが、疲れてくると活字を拾うのが難しくなってくる。昨夜はそんな状況になってフェースブックを変な書き込みで離れてしまい、少なくないFB友達に心配をかけてしまったようです。
今日の写真は我家の居候猫、もう20年近くを一緒に暮らしている老猫で私の暮しに多くの潤いを与えてくれたのだが彼も寄る年並みで視力が弱っているようです。
彼と共にこれからも、お互いに視力が低下したからこそ見える人の心や世の移ろいのようなものの深いところを見つめながら暮らして生きたいと思っています。

