私的図書館

本好き人の365日

七月の本棚 『封神演義』 入門編

2005-07-11 23:40:00 | 日々の出来事
今回は、『封神演義』のご紹介です☆

知ってます?

仙人や道士が入り乱れ、様々な秘密兵器に妖怪や神獣が飛び交う奇想天外な物語!

初めて読んだのは今から十年も昔になります。
もう読み出したら止まらなくって、上、中、下の三冊をいっきに読んでしまいました*(音符)*

しばらく前には少年ジャンプでマンガ化もされていたので、知ってる人も多いのでは?

舞台は紀元前十一世紀初頭の中国。

六百年余続いた殷(商)の王朝にかげりが見え始め、新しく周の王朝が生まれようとしている易姓革命と呼ばれる動乱の時代。

商が周に取って代わられるのは、これは天界で定められた「天命」で動かすことはできない。
されど、この動乱を利用して、一つの計画が実行されようとしていた。

そう、下界の人間達の知らないところで…

宇宙は天界、仙界、下界に分かれいます。
天界には天帝がいて、下界の政治一般を遠隔操作している。

一方、崑崙山をはじめとする仙界には、仙人がいて、自分の洞府(道場)を開いて、弟子に仙術などを教えながら、日夜、研究、修行を行っている。
あと下界というのが、いわゆる人間の世界。

ところが最近、仙界には「仙人らしからぬ仙人」が混ざるようになり、下界には「人間ばなれした人間」が住み着くようになって、はなはだよろしくない。

そこで、仙界と下界の中間に、「神界」を新たに造り、そこに「出来の悪い仙人」と、「出来の良すぎる人間」を封じてしまおうと考えたわけです!

これがいわゆる、封神(神に封じる)計画。
その数、なんと三百六十五の神々。
まさに宇宙の大再編が始まろうとしていたのです☆

う~ん、なんて壮大*(音符)*

そして、このやっかいな役目をおおせつかったのが、我らが主人公、太公望その人!

太公望といえば、釣り人の代名詞にもなっているほど日本では有名ですよね*(星)*

神界に封じるには、一度死んでもらわなくてはならない。
そこで、神に封じる予定の人間や仙人たちを、下界の商周易姓革命を利用して、このさいまとめて始末してしまいなさい、と太公望は命じられるのです*(汗)*

崑崙山で40年修行した道士(仙人の手前の身分)としては、上司の命令には逆らえない。
いやいやながらも下界に下山し、周の武王の軍師になって、殷の軍勢と戦うことになる太公望。

この時、仙界では折りしも千五百年に一度の「殺劫」(さっこう)の時期が訪れようとしています。

「殺劫」というのは、普段は霞を食べて修行にいそしむ仙人たちが、どうしても避けては通れない、いわば年中行事のようなもの。

これさえしてしまえば、また千五百年は安心して修行に打ち込めるというものらしいのですが、この殺劫を抜け出すための唯一の方法が、ずばり、「人を殺すこと」*(びっくり1)*

もう殺して殺して、殺しまくってしまう。
その突き抜け方には、半端な平和主義も、人道主義も、ジュネーブ条約でさえ通用しません*(汗)*

しかも、その千五百年の間、次の「殺劫」に向けて、どの仙人も様々な宝貝(パオペイ)と呼ばれる秘密兵器を開発していて、その力の大きさが、自分の修行の成果の証になっているから、はりきることはりきること!

その力を試したくて試したくてしかたのない仙人さま。
もう修行のためなんだか、「殺劫」のためなんだか、まるでお祭りのために働いているどこかのおじさんみたい*(汗)*

下界で戦いがあるだびに、ちょっと降りてきて、「少し試させてね*(ハート)*」と宝貝で殺すだけ殺して帰って行く仙人さま!
いいのか? それでいいのか?

しかも、この宝貝がまたスゴイんです*(びっくり2)*

あぁ、書いてるときりがない~

人間の言葉を話す神獣に、様々な仙術、道術を使って戦う武将たち。
飛びかうミサイル(宝貝)!
そびえるロボット(宝貝)!
人造人間の「ナタク」に、白い虎にまたがった申公豹(しんこうひょう)*(音符)*

まだまだ魅力の十分の一もお伝えできていません!

と、いうことで、この本の紹介はもう少し続きます☆
興味がおありでしたら、いましばらく、お付き合い下さいませ♪







安能 務  訳
講談社文庫








心にメモ書き

2005-07-11 01:37:00 | 日々の出来事

 『プンナの覚悟』


昔、釈迦(仏陀)の弟子にプンナという人がいました。
彼が故郷の人々にも、釈迦の教えを伝えようとして、旅立ちの許可をもらいに行くと、釈迦はプンナにこう聞きました。

釈迦:「おまえが目指す国の人々は気性が荒く乱暴だそうだ。

もし殴りかかってくるようなことがあったらどうするね?」

そこでプンナはこう答えました。

プンナ:「師よ。私は思うでしょう。この国の人々はよい人だ。

何故なら私を棒で殴ったりしないから・・。」と、

釈迦:「でも、棒で殴ってきたらどうするね?」

プンナ:「私は思うでしょう。この国の人々はよい人だ。

何故なら私を刀で斬りつけたりしないから・・。」と、

釈迦:「では、命まで奪うようなことがあったらどうするね?」

プンナ:「師よ、世の中には自ら命を絶つ者もおり、また死はいつか我が身に訪れます。

私は思うでしょう。

この国の人々はよい人だ。
私は我が手に刃物を取らずとも死ぬことができたと・・・。」

プンナの心がけに感心した釈迦は、「もう私にはおまえに何も教えることはない。」といって見送ったといいます。



よく思い出す説話の一つです。