ブログ 「ごまめの歯軋り」

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「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」

2020年08月31日 | 書評

イスラエル民族の再興を願う3大預言書と12小預言書

3) 「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」(岩波文庫2015年)   (その53)

13) ハバクク書

本書は3章からなる。ハバクク書はバビロンの侵略というユダヤが直面する民族的困難が増大する時代にあって、疑念が付されてきた神への絶対的な信頼と能力の妥当性という問題を扱っている。ハバククは「民の悪行に対する神の怒り」「異民族による怒りの執行」という観点に立つことによって、民族的困難と神への信頼を両立させる。また神の絶対性と将来の救済、「怒りのうちにも憐れみを忘れぬ神」という観念がみられる。
第1章: 預言者ハバククによる重き預言。エホバよ、我ハバクク汝を呼ぶにも答え給わざる、強暴な侵攻から救い給わないのはなぜか。掠奪、強暴が目の前で行われ戦となりし。律法ゆるみ公義正しく行われず悪しき者正しき者を苛む。神はカルデヤ人を興して世界の征服戦争に駆り立てんとす。彼らは荒く猛き国人地を縦横に行き巡り奪う者である。精悍なること狼、獅子のごとし、騎兵の速きこと空を飛ぶ鷲のごとし。エホバよ汝は審判のために在り、懲らしめのために在り、何故に邪曲の者を見捨ておくのか。悪しき者暴虐の限りを尽くすのに汝何故に黙し給うのか。
第2章: エホバ応えて言う、この黙示を書き記し走りながら読ましめよ。しかしこの黙示録には時間に制限があり終わりは近い、待つべし必ず汝に臨まん。ハバククの嘆きである「カルデヤ人」(バビロン)の繁栄は決して長続きせず、恥が彼らの繁栄(栄光)をおおうことになる。実にぶどう酒(富)は欺くものだ。高ぶる者は定まりがない。彼はすべての国々を自分のもとに集め、すべての国々の民を自分のもとにかき集める。まさに、「貪欲の権化」のようなカルデヤ人(バビロン)の素性を表わしています。バビロンは一つの型です。俺のものは俺のもの、おまえのものも俺のものという論理で生きようとする一つの型なのです。そのために自分のものではないものを、諸国から略奪して、自分を豊かにしようとするのです。しかしそれは自分を欺くことになるのです。
第3章: シギヨノテに合わせて歌える預言者ハバククの歌。ハバククは「この年のうちに」示して下さいと祈っています。神のさばきと同時に主の勝利が賛美されていますが、その主が怒りを燃やす目的があります。それは「ご自分の民を救うため」です。そのために主は、主に反逆する諸国を踏みつけ、その頭を粉々に砕き、その足もとから首まで裸にされるのです。
(ハバクク書終わり)
(つづく)

「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」

2020年08月30日 | 書評
オクラ

イスラエル民族の再興を願う3大預言書と12小預言書

3) 「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」(岩波文庫2015年)   (その52)

12) ナホム書

全3章から構成される。著者はナホムという名の人物とされる。預言の主題はニネベの陥落とアッシリアへの裁きである。成立時期はエジプトのテーベの滅亡が記されているので、紀元前663年より後、ニネベが陥落した紀元前612年より前である。
第1章: ニネベに関する重い預言、エルコシ人ナホムの書。(ニネベは古代メソポタミア北部にあったアッシリアの都市、新アッシリア王国時代に、センナケリブがニネヴェに遷都して以降、帝国の首都として大規模な建築事業や都市の拡張が行われた。紀元前612年、メディアとバビロニアとスキタイの攻撃を受けてニネヴェは陥落し破壊された。)エホバは嫉妬の神、復讐主義者の神、怒りの神、怒るのが遅い神、大いなる力の破壊の神である。山を崩し、洪水をもたらし、海を干上がらす神である。誰かその憤りに抗する者があろうとは思えない。エホバに向かいて謀る者悉く滅ぼし給う。ニネベに告げる、汝のことについて命令を下す、汝の名に負うもの悉く灰燼に帰す。汝の神の室、像を除き立つ。我汝の墓を備えん。
第2章: 打ち破る者汝の城に迫る。河の門開き汝の宮消え失せん。ニネベは建設された時以来水の都に似ていたが、今や民は逃げ惑う。万軍のエホバ言い給う、我汝の戦車を焼きて煙となし、汝の若き獅子らは殺されん。
第3章: 禍なるかな血を流す邑、偽り、暴行、掠奪止まず、鞭の音、戦車の轟、馬は躍り車は軋りゆく。屍山をなし足の踏み場もない。妓女多く淫行を行い栄えた邑はその罪により亡びん。汝ノアモンに優るというのか、ノアモンは河の間に立ち、エチオピア人、エジプト人、フテ人、ルビ人らで栄えたが、彼らは俘虜となり移された。貴き者は鎖につながれ、民は逃げ場を失った。炎は汝を焼き、剣は汝を刺す。
(ナホム書おわり)
(つづく)


「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」

2020年08月29日 | 書評
ペチュニア

イスラエル民族の再興を願う3大預言書と12小預言書

3) 「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」(岩波文庫2015年)   (その51)

11) ミカ書

作者は紀元前8世紀の預言者ミカに帰される。構成は7つからなり、本書の中でミカは支配階級に抑圧されている人たちの苦しみに共感し、横暴な人たち(その中には賄賂によって都合の良い預言をする預言者や祭司も含まれる)の不正を厳しく糾弾している。 ホセア書と同じ時代である。
第1章: ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒビキヤの世にモレシテ人ミカに臨めるエホバの言である。サマリアとエルサレムの破壊のことについて述べられる。万民よ聴け主エホバ汝らに証しを立てられる。ヤコブの咎イスラエルの罪の故に大地は裂け山は溶ける。サマリヤは野の石塚となり、石像は砕かれ金は溶け偶像は悉く毀れり。ミカはこれがために叫び駝鳥のごとく啼ん。サビル、ザアナン、ベデエゼル、マロテ、ラキン、モレセテガテ、アクジブ、マレシアに住む者嘆きに依りて立つところを知らず。
第2章: 不義を図り悪事を企てる者らに禍あれ、これより逃げる能わず、悲哀の歌を言い終われば我らは滅ぼされる。預言する勿れ、恥辱彼らを離れざる。人もし風に歩み偽りを述べ我葡萄酒と濃い酒のことについて我に預言するというのであれば、その人はこの民の預言者になれる。ヤコブの末裔よ悉く集え、我彼らをボズラの羊の群れの様に滅ぼさん。撃ち破る敵の王の前にたってエホバは進み給う。
第3章: ヤコブの首領よイスラエルの侯伯よ汝ら聞け、公義は汝らの知るべきことではない。汝らは善を憎み悪を好み弱き者の肉を食らう、汝らエホバを呼んでもエホバは応えず、隠れ給う。我が民を惑わす預言者は彼らに獲物を与える者に向かっては平安あらんと言い、何もくれない者に向かっては戦いの準備をせよという。エホバは彼らについて暗闇の中ではエホバは応答しない、その恥ずべき姿は赤面なりという。ヤコブの首領よイスラエルの侯伯よ聴け、彼らは血をもってシオンを建て、不義をもってエルサレムを建てる。彼らは賂をとりて裁きを行い、祭司らは金をとりて教えをなす、預言者は銀子を取りて占いをなし、エホバは我に居ますれば我らに禍はないという。
第4章: 審判の日になって、エホバの家は山の上に立ち諸々の頂を超えて聳え、万民川のごとくこれエホバに流れ帰す。律はシオンより出でエホバの言葉はエルサレムより出る。エホバは多くの民を裁き強き国を戒め給う。彼らは剣を鍬に変え、槍を鎌に変え、国と国は相攻めず重ねて戦をしない。一切の民は各々神の名に依りて歩む、我らはエホバの名に依りて永遠なり。その日には弱き者、追い散らされた者を集め強き民となさん。シオンの娘よ産婦のごとく苦しみ産め、いま村を出てバビロンに行かざるを得ず、彼処にて汝救われん。シオンよ武装して立ち上がれ、あまたの国民を打ち砕き彼らの財産を分捕りエホバに捧げよ。
第5章: べテレヘム、エフラタはユダの中では小さな邑であるが、イスラエルの君を昔より輩出してきた、(旧訳聖書は王権神授説により王家を保護し、外敵が顕れ国が滅ぶときは王と民の宗教心の喪失のせいにする。イスラエルを支配する外国の強国どうしの興亡はすべてエホバの計画によるエホバの大軍がなしたものと自分の成果にする。)彼はエホバの力によって立ち、今は大いなるものになった。彼は平和の力、アッスリア人が攻め入らんとするとき、7人の牧者、8人の君を立て対戦した。彼らアッスリアを倒し我らを救った。審判の日には彼らの軍備戦闘力は失われ、彼らの邑、城は廃墟となり、魔術士はいなくなり、柱像やアシラ像も倒される。
第6章: メシアが生まれる場所である小さな村ベツレヘムと、包囲されて打たれ、滅ぼされて神のさばきを受けるエルサレムとを対照させる。エホバはイスラエルと論争をなした。エルサレムよ我が民よモアブの王バラクが図りし事、バラムが反論したこと、シッテムからギルガルのことを鑑み汝らエホバの正義を知るだろう。善事の何なるかを汝に告げた、エホバが汝らに求めることはただ正義を行い憐れみを愛し遜って神と共に歩むことではないか。汝らは食うとも飽かないいつも腹をすかしている、汝らは移しても救うことはできない汝らの罪によって滅ぼすのみ。
第7章: 善人地に絶つ、人の中に直き者梨、皆血を流さんと伏して伺う、網をもって兄弟を陥れる。両手は悪をなすに忙しく牧伯・裁判人は賄賂を求め、力ある人とは悪をなす人のことである。何の神か汝に如かん、汝エホバは罪を赦して、生き残り者の咎を見過ごし給う。神は憐れみを喜ぶゆえに諸々の罪を海の底に沈め給う。
(ミカ書おわり)
(つづく)

「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」

2020年08月28日 | 書評
夏雲

イスラエル民族の再興を願う3大預言書と12小預言書

3) 「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」(岩波文庫2015年)   (その50)

10) ヨナ書

内容は預言者のヨナと神のやりとりが中心になっているが、ヨナが大きな魚に飲まれる話が有名。前半は、ヨナ自身の悔い改めの物語を描き、後半は、ヨナの宣教によってニネベの人々が悔い改めたことを述べる。ヨナ書の主題は、預言者として神の指示に従わなかったことと、ニネヴェの人々が悔い改めたことに対して不平不満を言ったことに対するヨナの悔い改め (=神に仕える者としての生き方を正す) と、神は異邦人でさえも救おうとしておられることの二つである。含蓄の多い話である。
第1章: エホバの言がヨナに臨み、ニネベに言ってその悪を攻めよ。ところがヨナはエホバを避けてタルシンに遁れるべく船に乗ったところが暴風雨が吹いて今にも難破の危険が迫った。船長が船底で寝ているヨナを起こし、誰のせいでこんな災難に遭うのかを決める籤引が行われ、籤がヨナに当たった。ヨナの素性について質問があり、ヨナは我はへブル人で神エホバを畏れる者であると答え、ヨナがエホバから遁れる旅にあることが分かった。そこでヨナは自分を海に投げ込めば海は静まるといい、ヨナは海を鎮める犠牲となった。ヨナが海に入ると嵐は止んだ。エホバは大きな魚を準備しておきヨナを呑み込ました。
第2章: ヨナ魚の腹の中でエホバに祈祷りて言う。われ黄泉の入り口まで往ったが、我が声はエホバに聞こえ、エホバの声が返ってきた。神エホバは我を救い上げ給えり、我感謝の声をもって汝に捧げものをなし誓願を行った。救いはエホバより出た。エホバはその魚に命じてヨナを陸に吐き出した。
第3章: 再度エホバの言がヨナに臨んだ、ニネベに行きエホバの言を述べよ。ヨナその大きな邑に入り初日は街頭で叫んだ、「この邑は40日後に滅ぶ」と。ニネベの人々、そして王たちも謹慎し、麻布を身にまとい断食令を出した。民はその悪しき行いを悔い悪を離れる請願を行い、神はその怒りを解いた。
第4章: 普通の話はここで終わりなのだが、ヨナはエホバが憐れみがあり怒ること遅く禍を悔い給う者と理解していたが故に、この顛末になることは予想していた。だから最初のエホバの命のときタクシンに逃げたのである。エホバよ願わくはわが命を取り給え、生きるよりそのほうがいいと抗議した。エホバは汝の怒るのももっともだと言って、ニネベの邑の東に小屋を作って住むことにした。エホバは小屋の上に瓢を植えて日を遮り、ヨナは喜んだ。そして翌日虫を送って瓢を食わせて枯れさせた。するとヨナは熱くて死にそうだと文句を言う。エホバ言う、こんな瓢の日除けという小さなことで一人の人間が生きるとか死ぬのももっともだ。しかし12万人の人口を持つ邑を枯らすことは私には惜しかったのだと。
(ヨナ書おわり)
(つづく)

「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」

2020年08月27日 | 書評
バラ

イスラエル民族の再興を願う3大預言書と12小預言書

3) 「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」(岩波文庫2015年)   (その49)

9) オバデヤ書

オバデア、ミカ、ナホム、ハバクク、ゼバニアはバビロン捕囚期の預言者である。筆者は伝統的にオバデヤとされる。この名は字義通りには「主(ヤハ)の僕(または崇拝者)」を意味する。オバデヤ書は大きく分けると「エドムの傲慢と滅亡」と「イスラエルの回復」の項目から成る。エドムとイスラエルの先祖は、エサウとヤコブの兄弟であり、したがって2つの民族は兄弟であるとみなされた。このような血族への暴虐によって、エドムは恥と滅びを永遠に蒙ると宣告される。作製時期は「エドムは兄弟であるイスラエル民族が攻撃されたときに見捨てたため、滅ぼされなければならない」という預言について考えると、紀元前605年から586年 - バビロンのネブカドネザル2世によりエルサレムが攻撃され、最終的にユダヤ人のバビロン捕囚が起こった時期が妥当である。オバデヤ書全体の主題は神の民ユダの敵の滅びである。
第1章: エホバの言予言者に臨み、立てエドムを攻撃せんと扇動する。汝を国の中で小さき者に賤しめる。汝の傲慢さは地に引き出すことは誰にもできないと嘯く。しかし汝鷲のように天高く挙がろうとも、我エホバは汝を引きずり下ろす。泥棒でさえ満足したら物を取ることは止める。しかしエドムはエサウの地からすべてを奪い去る。テマンよ汝の勇者は仆れん。汝は兄弟であるヤコブに暴虐を加えて世の面目を失った。異邦人が侵入して財宝を奪うときの汝はその一員のごとく振舞った。汝は汝の兄弟が滅ぶ日つまりユダの子孫の滅亡を喜ぶべからず。その苦難の日は口を開くな。エホバの日汝の応報は汝の首に帰す。ヤコブの家は焼かれ、ヨセフの家は火となり、エサウの家には残る者がいなくなっても、シオン山には救われる者らがいてその山聖所となろう。
(オバデヤ書終わり)
(つづく)