ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 外村 大著 「朝鮮人強制連行」  岩波新書

2012年12月31日 | 書評
国民総動員法が生んだ、朝鮮人労務動員計画の実情 第5回

序(5)
 日本政府厚生省の労務動員政策はあくまで戦争勝利に向けての合理的(計算上の)労働力配置計画であって、文献上は植民地虐待の事実は見えてこない。しかし朝鮮の実情を無視した机上の計算のつじつま合わせでは、生産性が上がるどころか様々な軋轢や生産性の低下をもたらし行政的にも失敗であった。労働市場における外国人労働者の問題は、社会的なセキュリティとは別に、つねに国内労働市場への外的因子となり企業にとっては労働生産性の低下や労働側にとって配分低下(低賃金)となっている。これは古くて新しい現代的課題である。1945年の日本人口7000万人に対して、在日朝鮮人数は200万人であった。当時の日本帝国内のエスニックマイノリティの比率は現在よりかなり高い。日本は当時多民族国家であった。本書は下表に見るように、1939年から1945年の7年間の朝鮮人労務者動員の流れを、戦前の日本政府企画院の動員計画に基づいてみてゆく。この数年間に戦局の悪化に伴い急激な動員計画の拡大があったが、はたしてどの程度達成できたかどうか証拠はない。官僚の数値作文で終っているのかも知れず、特に1945年の終戦時の計画数値は存在しないようで案程度の数値が残るのみである。需要と供給の数値さえ一致しない。それ以前の計画では帳尻の数値だけは一致しており、内地での朝鮮人労務者の需要数と朝鮮側の供給数は一致している。戦争の遂行につれて需要数は拡大し、いわゆる根こそぎ動員という事態になった。産業構造の転換による労働力の移動で済む程度ではなく、1944年より学徒動員数205万人と新卒者109万人を合計して314万人を学校に頼ることになった。学校とは徴兵は別にしても、戦時体制の主要な労働力供出源であった。では「朝鮮人強制連行」問題を政府関係資料に基づいて年代順に見て行くことにしよう。
(つづく)
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読書ノート 上野千鶴子著 「家父長制と資本制ーマルクス主義フェミニズムの地平」 岩波現代文庫

2012年12月31日 | 書評
男と資本の奇妙な野合 「お一人様」が吼える 第19回

第10章 家父長制と資本制 第三期
 1981年の女子雇用者の構成比を見ると、未婚女性が32%、既婚女性が78%であった。既婚女性の労働市場への参加が時代の趨勢となった。年齢区分別の女子雇用者構成比率を見ると、いわゆる「M字型」である。20―24歳でひとつのピークがあり、その後34歳まで急減し、再び40―55歳まで大きなピークを迎える就労曲線である。ところがこれは日本や韓国などのアジアだけの現象であり、欧米ではいわゆる台地型で、20―50歳まで就労率(労働力率)はフラットである。そして欧米では1900年より女性の就労率は一貫して右上がりである。日本では女性の就労率はむしろ減少気味である。そして先進資本主義国では女性労働力率はいずれの国でも50%に収斂する傾向である。主婦は無職と決まっていた常識が高度経済成長期に変わった。主婦であり労働者であると云う既婚女性労働市場が成立した。助成を労働市場に押しやった要因のひとつは、出生児数の減少によるポスト育児期の早期化である。合計特殊出生率は1989年で1.57まで低下した。第2の要因は家事労働の大幅な省力化である。高度成長で達成した豊かな生活(中産階層の出現)は既婚女性を労働市場に押しやった。就労形態は未婚女性のフルタイム勤務ではなく、半日や昼間だけのパートタイム就労(短時間就労雇用者)という形である。パートタイム就労は雇用保険や社会保険もなく、最低賃金制の恩恵さえ与らない2流労働的存在であった。昔の家の中でやる内職が、外に出て働くパートタイム就労に変わった。1985年には女性就労者の22%を占めた。

 高度経済成長期に高等教育の大衆化で高校と大学進学率が急上昇し、慢性的に安い労働力が不足した。日本の経営者は安い労働力を外国人に求めるよりは海外生産に替えるか、特に流通消費関係では主婦という外部から安い労働力を調達した。昔は農村が労働市場の外部であったが、いまや女性が外部となった。不況になれば家庭へ返すという労働市場のクッションになった。今日では非正規雇用者が労働力のクッションである。男性の給与(シングルインカム)のみでは家族を養うに足りないので、家計補助として主婦のパート収入が欠かせないものになった。子供の教育費負担と持ち家住宅ローン負担のためである。日本の中流生活は主婦の家計補助が支えた。こうして女性は賃労働者(部分生産者)にして家事労働者(部分再生産者)という二重役割を背負い込んだ。資本制にとって男性正規労働者の給料が低くてすみ、家父長制にとっては家計補助と家事労働を押し付けるいわば資本制と家父長制の陰謀である。創出された女性向けの仕事とは、飲食業の調理、介護ヘルパー、保育、教育、スーパーのレジ打ちなどの家事労働に毛の生えた単純作業である。これらの「周辺労働化」はすなわち女性の膨大な「労働力予備軍」を必要とした。不況期を柔軟にクッションできる予備軍である。
(つづく)

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筑波子 月次絶句集 「江村年暮」

2012年12月31日 | 漢詩・自由詩
四時冬日逼新年     四時冬日 新年逼り

歳暮江村縷縷烟     歳暮江村 縷縷の烟

白髪掃庭如老鶴     白髪庭を掃けば 老鶴の如く
 
紅鶏啄菜似寒蝉     紅鶏菜を啄めば 寒蝉に似る


●○○●●○◎
●●○○●●◎
●●●○○●●
○○●●●○◎
(韻:一先 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)
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読書ノート 外村 大著 「朝鮮人強制連行」  岩波新書

2012年12月30日 | 書評
国民総動員法が生んだ、朝鮮人労務動員計画の実情 第4回

序(4)
 韓国における「朝鮮人強制連行」問題は、90年代の韓国での民主化以降広くこの問題が提起され、2004年には法に基づいて「日帝強占下強制動員被害者真相究明委員会」が発足した。この委員会は今日「強制労働犠牲者など支援委員会」に引き継がれている。給料未払い、半額強制貯金などの金銭被害を含めて補償の問題が未解決で残された。補償問題では日本政府は軍事独裁政権の朴政権とで解決済みの立場を崩さず、これに応じる気配は無い。韓国での調査が本格化する中、日本の反応は冷淡である。また日本の歴史学会での認識も極めて低い。右翼的魑魅魍魎の輩の言説が大手を振ってウエブ界を跋扈している。戦後ドイツのような深刻な反省は聞かれず、あいかわらず「大東亜戦争肯定論」に見られるように、日本の政財界の植民地支配への無反省、無責任は改善されていない。この「朝鮮人強制連行」問題の透明性ある公正な解決なくして、北朝鮮拉致問題も解決しないだろう。本書は1939年から1941年の「労務動員計画」と、1942年から1945年までの国民動員計画のなかでの労働者の動員に焦点をあてた、証言に基づくジャ―ナリスチック手法ではなく、政府関係資料に基づく冷静で抑制の効いた社会史的手法である。政治軍事背景は政策を生む最小限の記述にとどめ、朝鮮総督府統治の実情から来る特殊性と日本政府の動員政策との軋轢を詳らかにする。「朝鮮人強制連行」問題は日本の総力戦の一環の中で行なわれた。朝鮮労働者には軍需物質生産の鍵を握る石炭の採掘や軍事基地の建設という重要任務を割り当てられた。中国人や台湾人への植民地対策とも歴史的・距離的に異なるのである。
(つづく)
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読書ノート 上野千鶴子著 「家父長制と資本制ーマルクス主義フェミニズムの地平」 岩波現代文庫

2012年12月30日 | 書評
男と資本の奇妙な野合 「お一人様」が吼える 第18回

第9章 家父長制と資本制 第二期
 マルクスの予言どおり資本制は19世紀末より帝国主義的侵略へ乗り出し、経済は戦争経済に転化した。戦争は逆説的に女性の社会進出と権利拡大をもたらした。戦争協力を求め銃後の労働力としてである。これに対して与謝野晶子は「君死に給うことなかれ」という女性反戦思想を展開した。第1次世界大戦後欧米では次々と婦人参政権が認められたが、日本では第2次世界大戦後となった。第一次世界大戦後(日本では大正時代から)同時に女性の職場進出が進んだ。しかし女性にとって「仕事か家庭か」という選択は、「結婚までは仕事」という未婚女性雇用労働の常識が成立した時期でもある。これにより家父長制は温存されたのだ。女性を再生産に専念させるための仕掛けであった。しかし女性にとって未婚労働は「男なみの自由の享受」と「晩婚化」をもたらした。第一次世界大戦後のアメリカ経済は失業者が増加し世界金融恐慌となった。そこでアメリカが採用したのは財政投融資による国内有効需要の創出というケインズ経済政策である。ここで国家という第3セクターが顕在化し、経済は統制経済に移行した。ソ連の経済も計画経済という名の極端な統制経済であった。戦争も外部経済である。内需も内なる外部である。日本は戦後戦争を禁じられたので内需中心の経済体制に移行した。これを平和産業と呼ぶ。戦後経済復興が進むにつれ、男性雇用を優先して女子労働者に対して門戸を閉ざすようになった。高度経済成長の女性問題は、近代化家族のウィーメン・リブである。1970年日本で最初のリブ誕生である。もと新左翼の女性たちが担い手であった。遅れた封建的残滓制度の改善ではなく、常識的な構造を問題視した。
(つづく)
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