ブログ 「ごまめの歯軋り」

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「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」

2020年08月12日 | 漢詩・自由詩
カズラ

イスラエル民族の再興を願う3大預言書と12小預言書

3) 「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」(岩波文庫2015年)   (その35)

4) エゼキエル書 (その9)

第31章: 11年3月1日エホバの言エゼキエルに臨む、エジプト王パロ及びエジプト全土に預言せよ。アッスリアは非常に背の高い樹で枝が雲にまで至る。レバノン一の木であった、エデンの神の園にある者皆之を羨しく思った。これは実は水に恵まれているためで、あまりに高くなりすぎたのは心が驕ったせいだとしてこれを万国の君の手に渡し、切り倒し打ち捨てられた(アッスリアの滅亡)。同じことはエジプトの繁栄に見られ、寄ってたかって倒されるべし。
第32章: 12年12月1日エホバの言エゼキエルに臨む、エジプト王パロのための哀しみの詞を述べよ。エジプトは自らを万国の獅子になぞらえているが、エジプトはワニでエホバの造った川に住んでいる。汝を釣って川から引き揚げ魚と一緒に荒れ野に棄て、獣と鳥に与えよう。蒼穹に照る光明を暗くし汝の国を暗黒になす。バビロンの剣汝に臨まん、汝らの群衆は勇士の剣に仆れエジプトの誇りを絶やさん。我エジプトの地を荒れ野西、そこに住む者をことごとく撃つとき人々我エホバなることを知る。12年12月15日エホバの言エゼキエルに臨む, エジプトの群衆と娘らを下の国に投げ降し墓に入れよう。すでにアッスリアの群衆は倒されて墓に在り、彼処にエラム人在り、メセク、トバシ、エドム人と異邦人らは墓にひしめきいる。そこに剣に仆れた王パロと群衆が投げ込まれる。
第33章: エホバの言エゼキエルに臨む、イスラエルの民に告げよ。われ剣を一つの国に降さんとするとき、民の一人を守望者に立てラッパを吹いて民に自ら誡めるように告げよ。自ら誡めをなさない者の責任は己に在り、自ら誡めるならばその命を保つことができる。いまエゼキエルよ汝を守望者に立てる。悪人にその罪で死なないよう戒めなければならない。悪の道を離れるように語らなければ悪人は死ぬが汝にも責任がある。もし悪人が戒めに応じて悪の道から離れるならば悪人は命を得る。義人と言えど義に驕りて悪いことをなすなら死ぬ。あくにんが悪から離れると命は助かる。悪の行為をなすかどうかが命にかかわることで、その前に悪人だったか義人だったかは問題としない。12年10月5日エルサレムより脱走者がバビロンにやってきた。邑は落ちたという。エルサレムから来たものはエホバに異議を申し立てた。アブラハムの時代は一人で地を守ったが、今は衆の数が多く土地は授かったものとして飲み食いしている。するとどうしても乱れがちになり道を外すことも出て来る。時代が違うのだと。エホバ言う。彼らは口ではもっともらしいことを言うが、エホバを知らずその心は利によって動いている。彼らはエゼキエルの言葉を聴くが行わないのだと。
第34章: エホバの言エゼキエルに臨む、己だけを養う牧者は禍なり、牧者(国王)は羊(国民)を養うべきものである。弱きを助け病める者を癒し、厳しい取り立てをせず、失せたる者散らされた者を探すのが役目であるべし。牧者よエホバの言を聞け、太った牧者、己の事しか考えない牧者を罰し牧者を止めさせる(王の廃止、革命のこと?) エホバは自ら我が群れ(国民)を養う、肥えた羊と痩せた羊の間の裁判を行う(公平、平等)。我彼らの上に一人の牧者を置きその人彼らを養う。彼らとの間に平和の契約(社会契約論)を結び、悪しき獣を滅ぼす(警察権)。
第35章: エホバの言エゼキエルに臨む、セイル山に向かって預言せよ。エホバはセイル山を滅ぼす、荒れ野となる。イスラエルの人を艱難のときその終わりの罪の日に剣にかける。殺された者をその山に満たし長しえに荒地となさん。イスラエルとユダはエホバのものなり、エホバが彼らに示した怒りと嫉みにしたがって汝らを裁く。

(つづく)