ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 宇沢弘文著 「経済学は人々を幸福にできるか」 東洋経済新報社

2014年12月31日 | 書評
制度主義経済学が唱える 社会的共通資本が支える持続可能な生活の再建 第4回

第1部 市場原理主義の末路 (その1)

 デヴィット・ハ-ヴェイが2005年に著した「新自由主義―その歴史的展開と現在」(オックスフォード大学)が好著であるという。著者はオックスフォード大学エコノミックスジオグフィーの教授である。エコノミックスジオグフィーとは経済地理学のことで、英国植民地政策上必要な学問であった大学の歴史を引き継いでいる。ちなみに地政学とは政治地理学のことである。ですからエコノミックスジオグフィーの教授とは最高のポストだそうです。経済学上の新自由主義すなわち市場原理主義に限定して宇沢氏は解説する。社会的共通資本の考えは市場原理主義に対する批判として存在することに留意しておきたい。著者は旧制1高のリベラルな校風について、校長であった安倍能成氏や、木村健康氏をあげて回想されている。リベラリズムとは人間が人間らしく生きて、市民的権利を十分享受し、社会的・政治的・学問的活動に携わることであるといいます。人間の心が一番大事なのです。リベラルな政治家として著者は戦後の最初の総理大臣幣原喜重郎氏をあげます。軍縮会議で軍の意に反して条約に署名し、帰国後「統帥権の干犯」として追放された経歴を占領軍が憶えていたからだそうです。リベラルな教育は社会的共通資本として教育の原点であると著者は本書で一貫して主張しています。1890年にシカゴ大学が創立された時、教育学者ジョン・デュ-イと経済学者ソースティン・ヴェブレンが教師として任命されました。その後二人とも大学を追われますが、デュ-イはほかの大学で教育学を確立しました。デュ-イの3つの理念とは、①違った環境で育った子供の社会統合の役割、②能力に差異があるのが当然だが、生まれつきのものを大事に育てること、③最高の教育を受けることができる公的教育です。決して生徒を比較して点をつけてはいけないといいます。共通1次とか全国学力テストとかいう、偏差値で差別し進路を振り分けることが目的の現在の教育システムは恐るべき邪道の教育であると著者はいいます。福沢諭吉はデュ-イの教育の理念を実践した教育者でした。デュ-イとヴェブレンは30年後再会して、ニユースクール・フォア・ソーシャルリサーチというユニークな大学を作りました。この大学では学生は自分でカリキュラムを作ります。教授は比較したり点をつけることはありません。4年間自分の責任で教授のサポートを得て学ぶ大学です。スタンフォード大学のレオン・フェスチンガー教授もベトナム戦争で深く傷ついた人です。フェスチンガーは社会心理学という新しい分野を開いた人で、認知的不協和理論を暴動の大衆心理に適用したものです。その理論をアメリカ軍がベトナム戦争のヴェトコン捕虜に適用し拷問に用いたそうです。それを知ったフェスチンガーはスタンフォード大学から去り消息不明となった。そして離婚しニユースクール・フォア・ソーシャルリサーチという大学に入りなおして専門分野を文化人類学に変えたそうです。ベトナム戦争当時シカゴ大学は反戦運動の一つのメッカになっていました。筆者が在籍していた当時、学生が大学本部を占拠する事件が起こりました。大学当局が成績を徴兵委員会に送るなということでした。そこで著者と3人の若い助教授が当局と学生の調停に乗り出し、学生の成績をつけないことで一時的妥協を得たが、後日3人の若い助教授はすべて大学から追放されたそうです。その後の行方は不明です。当時シカゴ大学は経済学研究のメッカでした。大恐慌のあとケインズ的な経済政策が確立しきましたが、1960年代のベトナム戦争を契機としてケインズ経済学は崩壊しました。著者が付き合ってきたいろいろな人の話が出てきますが、一つ一つの話が時代も異なりますので面食らうことが多い。話が飛ぶのを多少付き合ってゆくと懐かしい話の中に、著者のモットーであるリベラル教育と反市場原理主義でなんとなくまとまっているようです。

(つづく)
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読書ノート 宇沢弘文著 「経済学は人々を幸福にできるか」 東洋経済新報社

2014年12月30日 | 書評
制度主義経済学が唱える 社会的共通資本が支える持続可能な生活の再建 第3回

序(3)

社会的公共資本以外に宇沢氏は地球温暖化問題にとりくみ「大気安定化国際基金」を提唱し、比例的炭素税をとって開発途上国に配分し地球環境保全に使うものです。2012年環境省は「地球温暖化対策のための税」を導入することになりました。2009年宇沢氏はと旧環境問題解決に貢献したとして「ブループラネット賞」を受賞しました。また成田空港問題の調停にも貢献しました。強引な運輸省のやり方に学制農民らが反発し1971年から激しい建設阻止闘争が繰り返され、1978年の開港も滑走路1本だけという変則的な国際空港となりました。そこで1991年になって運輸省と反対同盟派の平和的解決に宇沢氏が乗り出し、1993年に歴史的和解が成立しました。政治家顔負けの調停の成果です。こうした活動を通じて宇沢氏が到達した理論が上にまとめた「社会的共通資本」という概念です。ソフトな制度である医療制度の矛盾は、医療最適性と経営最適性の乖離にあります。両者を一致させるには、その差を社会的に補てんしなければなりません。医学や医療の分野に、市場原理主義者のような経営合理主義を短絡的に導入してはいけないことを宇沢氏は主張します。宇沢氏の経済学者としてのプロフィールを紹介する。宇沢氏の専攻は数理経済学で、意思決定理論、二部門成長モデル、不均衡動学理論などで功績を認められたという。新古典派の成長理論を数学的に定式化し、二部門成長モデルや最適値題の宇沢コンディションも彼の手による。不均衡動学の展開により、アメリカ・ケインジアンたちに挑んだが、自らの着想の定式化に苦心したという。理論面ではジョーン・ロビンソン、ミハウ・カレツキ、ピエロ・スラッファと同様、広い意味でのポスト・ケインジアンに属し、イギリス(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)のジョン・ヒックスによるケインズ理論のうちの短期的均衡メカニズムの比較静学的定式化を端緒としてアメリカでポール・サミュエルソンからグレゴリー・マンキューなどへと続いているアメリカ・ケインジアンたちの流れには否定的である。日本に帰国してから、公害などの社会問題が酷くなると、現実から切り離され形骸化した数理的経済理論から、公共経済学などの現実経済の研究に進んだ。

宇沢氏の学者としての経歴は、つぎに示す。
1956年 - スタンフォード大学経済学部研究員、1958年同助手、1959年同助教授
1960年 - カリフォルニア大学バークレー校経済学部助教授
1961年 - スタンフォード大学経済学部準教授
1962年 - 経済学博士(東北大学) 博士論文:「レオン・ワルラスの一般均衡理論に関する諸研究」
1964年 - シカゴ大学経済学部教授
1968年 - 東京大学経済学部助教授、1969年同教授、1980年同経済学部長
1989年 - 東京大学を定年退官、東京大学名誉教授。新潟大学経済学部教授に就任
1994年 - 同大学退官、中央大学経済学部教授
1999年 - 同大学経済学部教授定年退職、中央大学経済研究所専任研究員、国際連合大学高等研究所特任教授
2000年 - 中央大学研究開発機構教授
2003年 - 同志社大学社会的共通資本研究センター所長
主な著書を拾うと、『自動車の社会的費用』(岩波新書, 1974年)から始まって、『ケインズ「一般理論」を読む』(岩波書店, 1984年)、『経済動学の理論』(東京大学出版会, 1986年)、『公共経済学を求めて』(岩波書店, 1987年)、『経済学の考え方』(岩波新書, 1989年)、『「成田」とは何か――戦後日本の悲劇』(岩波新書, 1992年)、『地球温暖化の経済学』(岩波書店, 1995年)、『経済に人間らしさを――社会的共通資本と共同セクター』(かもがわ出版, 1998年)、『日本の教育を考える』(岩波新書, 1998年)、『社会的共通資本』(岩波新書, 2000年)、『ヴェブレン』(岩波書店, 2000年)、『経済学と人間の心』(東洋経済新報社, 2003年)や高校生のための数学関係書が多数ある。
本書宇沢弘文著 「経済学は人々を幸福にできるか」は、『経済学と人間の心』(東洋経済新報社, 2003年)をもとにして、その後の講演録を追加しての新装改訂版となります。内容は講演録、対談や思い出、自著からの部分援用、雑誌投稿小論文などから構成されたオムニバス式の本で、本書題目の為に書き下ろしたものではない。特に注目されるのは各章の有名な経済学者の著書を解説した部分は書評として読める。書評を中心に話が進んでゆくので、経済学の本を読んだ気になる。従って気楽に読めるといえば失礼になるが、論理を(数式を)厳格に展開するものでないから肩がこらない読み物である。なんか渋沢栄一著「論語と算盤」(ちくま新書)に似ている。本書は「人を幸福にする経済学」が人間倫理に忠実であるなら、アプローチは違うが日本の株式会社の始祖渋沢栄一と同じ趣旨かもしれない。本書は長短合わせて20章からなるが、著者の命名に従って5部に分けてみてゆこう。ちょっと厄介なことは用語が英語でそのまま使われているので、経済学に素人な方(私も含めて)には解説が必要なことである。米英滞在期間の長い宇沢氏はそのまま英語で記されている。その方が正確な場合が技術論文では多いのでそれに従う。

(つづく)
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読書ノート 宇沢弘文著 「経済学は人々を幸福にできるか」 東洋経済新報社

2014年12月29日 | 書評
制度主義経済学が唱える 社会的共通資本が支える持続可能な生活の再建 第2回

序(その2)

 2000年に発刊された、宇沢弘文著「社会的公共資本」(岩波新書)から、社会的共通資本とはなにかを見ておきましょう。社会的共通資本とは「豊かな経済生活を営み、優れた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を安定的に維持する社会的装置」と定義され、次の構成要素からなる。
①自然環境 (大気、森林、河川、水、土壌、野生生物など) [環境]
②社会的インフラストラクチャー (道路、上下水道、住居、ガス、交通通信網など) [ハード]
③制度資本 (教育、医療、司法、金融、福祉、年金など) [ソフト]
すなわち社会的共通資本の経済学は、人が豊かに生活できる社会の総システムを指し、資本主義、社会主義の枠を超えたシステムの構築を目指す。生活のしやすさは所得体系(税、賃金)だけではなく、受けられる総サービスの量と質すなわち社会制度によるところが大である。すなわち社会の総体でしか評価できないことを示しています。 社会的共通資本の考え方の経済史を振り返りますと、つぎのような流れになるでしょう。
① ケインズ経済学(1936年から1970年)
資源配分の最適化と市場均衡の「神の手による安定」を否定し、経済活動の水準つまり有効需要の大きさは経済主体の固定的資本形成、総資本額であるとした。特に金融資本の投機的性格による不安定性を明らかにした。しかしケインズの経済学は資源の私有制と所得配分の不公正には眼をつぶり、生存権の保障は所得の再配分つまり事後的救済策によった。雇用問題と米国のベトナム戦争、財政崩壊により有効性を失った。
② 反ケインズ経済学(新保守主義)(1970から1990年)
政府の役割縮小、資源の私有と生産主体に私的性格を強め、マネタリズム、合理主義経済、サプライサイド経済学、合理的期待形成仮説など多様な形態をとるが、極めて政策的要素が強い。レーガン、サッチャー、中曽根が民活、規制緩和、福祉切り捨てなど制限なしの企業活動を支援した。グローバル化が進行したのもこの時期である。その結果バブル経済を招来し金融システムの腐敗を招いて崩壊した。
③ ソースティン・ヴェブレン「制度主義」(社会的共通資本とそれを支える社会組織)
ソースティン・ヴェブレン(1857-1929年)は19世後半から20世紀初頭の人である。ケインズ経済学派が彼の主張を再発見した。アダムスミスの「国富論」に回帰することが理想となり、「民主的過程を経て経済的社会的条件が展開され、最適な経済制度を求める」。制度主義の経済制度の特徴は社会的共通資本とそれを管理する社会的組織である。市民の基本的権利である生活権(生存権)を充実するのが目的であるから政府官僚の規制を廃し、市場的基準に支配されてはならない。「信託」の概念で管理運営される。

(つづく)
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読書ノート 宇沢弘文著 「経済学は人々を幸福にできるか」 東洋経済新報社

2014年12月28日 | 書評
制度主義経済学が唱える 社会的共通資本が支える持続可能な生活の再建 第1回

序(その1)

 私は経済学者宇沢弘文氏の著書は2冊読んだ。一つは宇沢弘文著「社会的共通資本」(岩波新書 2000年)、二つは宇沢弘文著「ケインズ一般理論を読む」(岩波現代文庫 2008年8月)である。本書である宇沢弘文著 「経済学は人々を幸福にできるか」(東洋経済新報 2013年)は、経済学の本というよりは、宇沢氏の経歴や学的交友関係や総合的な経済政策や社会制度設計関係の雑文(と言っては失礼だが)で過去に雑誌、新聞にだされた論考を本書にまとめたものである。前2書のような専門的な問題を系統的に論じた本ではない。宇沢氏入門として気楽に読み流せる本である。宇沢氏は1928年生まれであるから、平成26年(2014年)で御年86歳と、上に掲載した本書表紙を飾る仙人のようなお方である。1951年に東京大学理学部数学科を卒業して、経済学部に入りなおしたという変わり者(奇特な方)です。私の大学時代の友人に理学部物理学科を卒業し経済学を専攻し一橋大学の教授になった変わり者もいますので、理学部から経済学というルートもないとは言えませんが、果たして理学と経済学が定量科学の共通点があるのかと考えると自信はありません。経済学は政治(政策)であり、とても方程式を解くようなわけにはゆきませんので、宇沢氏の興味の方向が大きく変わったというぐらいの意味で捉えておきましょう。宇沢氏の人生を変えたのは、戦前のマルクス経済学者(京都大学教授)川上肇の「貧乏物語」だそうです。宇沢氏の専攻はマル経ではなく近経(近代経済学 ケインズ派)だったのですが、「経済学は貧しい人のためにある」という精神がこの時身に染みたのでしょうか。スタンフォード大学のケネス・アロー教授に送った論文が認められ、1956年に助手としてスタンフォード大学に移ります。そしてカリフォルニア大学で研究活動を行い、1964年シカゴ大学経済学部教授に就任しました。宇沢氏が在籍した1960年代のシカゴ大学はミルトン・フリードマン率いる新自由主義者(市場原理主義者)の牙城となっていました。フリードマンはベトナム戦争での水爆使用に賛成するなど、その極端な思想に宇沢氏は嫌悪感を感じたそうです。宇沢氏が新自由主義経済に強く反発し批判するのは、この時の経験が基になっています。アメリカのベトナム戦争によってアメリカ国内の若者と宇沢氏らは深く傷つき、宇沢氏はアメリカを離れました。1968年に東京大学の経済学部に戻った宇沢氏は、経済学部長を勤め1989年に退官しました。日本に戻った宇沢氏は公害問題や自動車問題など人々が安心して暮らせない環境にある、いわば「現代日本の貧困」に向き合いました。そこから安心して暮らせる制度として生み出された考え方が「社会的公共資本」です。そして1974年「自動車の社会的費用」(岩波新書)という宇沢氏が世に出る著作を公刊しました。自動車はガソリンだけで動くものではなく、道路建設という公共工事、市電の廃止・バス地下鉄の都市運輸機関整備、高速自動車道路網の整備(建設省関係)、排気ガスによる大気汚染対策(環境庁関係)、交通事故対策(警察関係)など自動車の台数が急上昇する時期に発生する膨大な税金による「社会的費用」の発生を指摘しました。モータリゼーションは個人の趣味や富の象徴ではなく、社会問題として扱わなければならないという論です。クロネコヤマトの宅急便も社長のアイデアだけで生まれたわけではなく、高速道路網と都市交通網の整備の上に成り立つ起業であったわけです。自動車の通行を便利なようにすることで、安い市電を利用する社会的弱者は犠牲になりました。自動車社会の問題は公害だけではありません。大規模資本による市場の大変革が起きました。大規模小売店は自動車で買いにくる郊外型ショッピングタウンを生み出し、そのため旧市街地にあった小売店は全滅し、商店街はシャッター通りになりました。地方都市の駅前通りはゴーストタウン化しています。都市住民の高齢化に合わせた形で都市中心が過疎化しているのです。アメリカ並みの都市破壊が進行しています。夜間人口がゼロの危険な地域や貧困化スラムの存在が犯罪の温床になるアメリカ型都市になるのも近いでしょう。こうした社会問題に近い課題については、ミクロ経済学とりわけ新古典派の経済理論では分析はできない。むしろ政治的な問題とされる

(つづく)
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読書ノート 権左武志著 「ヘーゲルとその時代」 岩波新書

2014年12月27日 | 書評
フランス革命とドイツ統一を前にしたドイツ観念論の完成者  第15回 最終回

4)ヘーゲルとその後の時代 (その2)

 こうしてドイツ歴史主義、マルクス主義、ニーチェ派というドイツ観念論の継承者はそれぞれ、国家主義者、共産主義、社会ダーウィニズムを生み出した。彼らの思想の本格的な帰結は第1次世界大戦後になって表れた。共和国政治の失敗が政治的には強力な救世主願望を呼び覚まし、市民的公共性が失われ指導者に拍手喝さいするだけの投票マシーンとなった。社会ダ-ウィ二ズムは全体主義国家への願望を生み1930年代にはヒトラーの軍事全体主義国家・ファッシズムの出現となった。ヘーゲルが人間存在として掲げた自由意志は、その継承者によって不幸にも踏みにじられる結果となった。最後にヘーゲルの哲学思想はこの20年あまりの世界情勢の転換に照らしてどのように評価できるだろうか。権左武志氏は現代とヘーゲル再評価を試みるのである。1989年ベルリンの壁が崩壊し、1991年ソ連が解体すると東西冷戦は終焉した。冷戦も終焉から得られる歴史的教訓として、ヘーゲルの主体的自由はあらゆる国家主義やロマン主義に対して守られるべきであった。またヘーゲルが初めて発見した国家と社会の分離は、全体主義の経験からして、国家に対する市民社会の自律性をあくまで擁護すべきものとして認識された。マルクスがへ-ゲルを評して逆立ちの理論とした、「精神の自由」を歴史の理念とする超越論的歴史哲学の意義がf再び見直されるはずだった。しかし冷戦の終焉後に支配的だった歴史観は、
① 新保守主義者の歴史の終焉論はグローバル化した市場主義で歴史発展は終わったという、これを市場中心史観という。
② 人類の解放という大きな物語を描き出す歴史哲学が信用を無くしたことで、ポストモダン派は現在中心主義に転じた。ニーチェの歴史相対主義に通じるもので、過去を忘れたいだけのことである。

 ヘーゲルの思考方式(弁証法)には優れた点が多いしそれを継承している思想家も多い。ヘーゲルの遺産には克服すべき負の遺産もある。
① ヘーゲルが国民国家原理の形で定式化したナショナリズム、民族主義国家である。国が統一されると途端に帝国主義に転化し、2度の世界大戦を引き起こした。これをヘーゲルのせいにするのも酷だが、戦争によらない紛争解決と脱中心化が求められる。
② カント批判の一面性で、カントの普遍主義倫理に対してヘーゲルは特殊主義の余地を大幅に認めたため、世襲君主や貴族を容認する現状追認姿勢を生み、権力衝動を正当化する「理性の狡知」説につながった。
③ 西洋文化中心主義を反映したオリエンタリズムの欠陥、疑惑である。西欧文化(キリスト教)に収束するという我田引水的文明発展段階論である。
ドイツ啓蒙が出発点tとした理性の自由な使用こそドイツ古典哲学から我々が継承すべき最良の遺産である。

(完)
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