ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 斎藤 憲著 「アルキメデス『方法』の謎を解く」 (岩波科学ライブラリー 2014年11月)

2016年01月31日 | 書評
ギリシャ数学史に輝くアルキメデスの求積の技法 第7回

3)「方法」という著作ー図形から離れない

100年前に発見されたアルキメデスの「方法」が数学史上にセンセーションを起しました。ギリシャ数学のテキストでは証明の結果だけを公表し、どうやって発見に至ったかは何も述べません。ところがアルキメデスは「方法」の序文で、彼が証明した面積や体積に関する成果の発見法を説明すると述べているからです。方法は次の3つの部分に別れます。
①〈序文) これまでの図形の面積・体積や重心決定に用いた発見法を記述すると述べ、新たに2つの図形の体積についてその証明を与えると予告しています。
②(命題1から11まで) これまでの著作で証明した面積・体積及び重心の発見法を述べます。「方法」は立体の重心に関するアルキメデスの唯一現存するテキストです。また「方法」は「円錐状体と球状体」より後の著作となり、アルキメデス最晩年の著作と考えられています。
③(命題12以降) 序文で言った新しい2つの図形(爪型、交叉円柱)の求積法を披露している。アルキメデスはほぼ無限級数の取り扱いをしているが、「円錐状体と球状体について」で定式化された求積法は使っていない。あくまで図形から離れることはなかった。アルキメデスと近代数学の隔たりが意外に大きいことが分かる。「方法」は爪型図形の命題15の途中で切れています。
「方法」第2部分では、「方法」の基本的アプローチ法を命題4から説明します。回転放物体の重心を仮想天秤と釣り合せることで、「回転放物体の重さ(体積)はその外接円柱の半分である」ことを証明しました。放物体の頂点を支点とする仮想天秤を考え、放物体と円柱を垂直に切る断面がつくる2つの円を移動させます。その断面の2つの円の半径の2乗は頂点から放物体の距離hと円柱の高さHに比例します。そしててこの原理により釣り合うためには、重さの比が支点からの距離の逆比になることです。そうすると片方に円柱(重心は真ん中)を吊るし、片方の天秤に仮想の放物体の図形が描けるはずです。アルキメデスは仮想天秤を使わない別の証明つまり等比級数を使った証明も示します。ただし仮想天秤の方法は証明ではなく発見法だとアルキメデスは言っています。放物体や球体を仮想天秤上で無数の切断円の合成により再構築する方法です。恐ろしく巧みな方法ですが、はたしてその再統合は可能なのかどうかは議論されていません。「方法」第2部分では、「爪型」(楔型)と「交叉円柱」の求積法を示します。「爪型」(楔型)の求積法は命題14で示します。爪型とは円柱を直径を含む斜めの平面で切断し、直径を一片とする正四辺形とし高さを爪型の高さとする外接角柱を考え、爪型の体積が角柱の1/6であることを示しました。詳細は省きますが仮想天秤を2回使った非常に巧みな議論ですが、実はもっとエレガントで分かりやすい証明法も別途示しています。三角柱と爪型を垂直に切る断面が作る2つの三角形は放物線の性質から、常に相似形であることが証明されます。つまり面積比は線分比に等しいので、その断面を総和した体積である爪型は三角柱の面積の2/3であることが証明され、結局全体の角柱の1/6となります。切断図形の面積をスキャンしてつくる立体図形の体積は等価であるかどうか、アルキメデスは求積図形の切断図形と外接図形の対応する切断図形の「個数が等しい」という理屈で信とします。そこで成り立つ関係が同じである性質は個数nがおなじであれば総和S/So=Σnにおいても成り立つという考えです。アルキメデスの求積法の特徴は外接図形(円柱、角柱など体積が決定しやすい図形)との比較で何分の1という表現で決定します。複雑な図形は簡単な図形の集合体とし、体積は線分の長さの比に還元するのです。これがアルキメデスのやり方です。アルキメデスにとって図形はまず形状を持つ存在で、可測数ではなかった。彼の幾何学と近代数学との距離は大きかったといえる。

(つづく)
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読書ノート 斎藤 憲著 「アルキメデス『方法』の謎を解く」 (岩波科学ライブラリー 2014年11月)

2016年01月30日 | 書評
ギリシャ数学史に輝くアルキメデスの求積の技法 (第6回)

2) 定型化される求積法ー小分割法と級数

「円錐状体と球状体について」で回転放物体、回転双曲体、回転楕円体を扱います。今では放物線、双曲線、楕円は2次元上では2次曲線と言われます。当時には関数という解析学がなかったので全く幾何学的な取扱いです。アルキメデスはこれらの回転体を人の平面で切断した切片を考察しますが、その一番簡単な例が、回転軸に垂直な平面での求積です。回転放物体の求積は、放物曲線の内接・外接円柱の体積の半分です。回転軸に沿って回転放物体を輪切りにしてゆくと(達磨落としみたいに)底面は円ですから小円柱が得られます。その小円柱の体積は底面積に比例し、その面積は半径の2乗に比例する。放物線だからその半径の2乗は(y=x^2)頂点(原点)からの距離に比例します。こうして体積は底面積に比例し、底面積は半径の2乗に比例し、そしてそれは原点からの距離に比例します。アルキメデスは放物体の体積は外接する円柱の2/3になることを証明するのです。現在なら2次関数の積分をすれば直ちに求まるもので、係数の分子の2は2πr^2からきて、分母の1/3は2次関数の積分形から来ています。アルキメデスはこれを小円柱に分画しその和をもとめるのですが、分画数nを10にすると、放物体の体積/円柱の体積は0.66に収束します、つまり2/3になります。無限級数の収束条件を満たすので和の公式から直ちに結果は出ますが、アルキメデスの時には無限級数という考えはなかったので、こうした手計算に拠っても同じ結論は得られます。アルキメデスの困難はかれが代数的記号法(解析学)を持っていなかったために、級数の和と図形の和を結びつけるのに非常に苦労していることです。「螺旋体について」で動径が回転角度に比例する螺旋形の描く体積を扱っています。アルキメデスのはもっと大きな問題がありました。それは回転楕円体の求積において、無限級数Σk^2の和の公式が使えないため、辺が等差列をなす政府系の和を求めるために、補助図形を用いました。又アルキメデスには比を考えることは不可能でしたので、かえって複雑な補助図形を必要としたのです。アルキメデスは幾何学をしていたのですが、われわれ現代人はぢ数学で解釈することが常識となっています。代数的記号法が数の関係を抽出し、整数、正方形、円柱といった異なる対象からそれらに共通する量的関係を導き表現する、すなわち図形から離れることが可能となったのです。アルキメデスは幾何学をしているのであって、代数学は知らなかった。しかし求積の問題を級数の和の問題に帰着させたことは、アルキメデスの偉大な成果です。

(つづく)
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読書ノート 斎藤 憲著 「アルキメデス『方法』の謎を解く」 (岩波科学ライブラリー 2014年11月)

2016年01月29日 | 書評
ギリシャ数学史に輝くアルキメデスの求積の技法 第5回

1) 2重帰謬法の発明ー放物体の求積(その2)

アルキメデスは新しい求積法を「放物線の求積」において述べていますが、放物線の切片が、内接3角形の3分の4倍であることを証明することでした。(本書ではよくわからないが、アルキメデスは放物線、楕円、双曲線などの2次曲線を関数形y=f(x)で理解していたのだろうか、そうでなければ曲線の定義をどう把握していたのだろうか。) アルキメデスは等比級数の有限和に関する不等式を用いて2重帰謬法を利用してΣT=4/3Toを導きました。しかし本書では放物線に内接する最大の3角形の面積Toに対して次の最大の3角形の面積T1=1/4Toが証明なしで述べられている。これを今日の解析幾何学で証明しようと試みたが難しい。要するに3角形の面積の和は1/4(=p)を公比とする級数の和に帰せられる。無限級数の和の公式から容易に4/3Toが導けるが、無限級数の和の概念がないアルキメデスは何回かの(通常5回もやれば和の姿は見えてくる)計算から、えいやと4/3をひねり出し2重帰謬法で格好をつけたのではないか。2重帰謬法で3/4という具体的数値が出てくるわけではない。これは証明と言えるのか。しかし幾何学の問題を代数計算で処理をするという17世紀の近代数学に向かう最初の一歩の意義は高い。無限区分の和はゼロに収束する数列の和として見たことは画期的なことである。アルキメデスは「球と円柱について」で歴史上はじめて球の体積を決定しました。球が外接円柱の2/3であること、および球の表面積は直径の4倍であることを決定しました。そういえば中学校で習った幾何学で、半径をrとすると、円の円周は2πr、円の面積はπr^2、球の表面積は4πr^2、球の体積は(4/3)πr^3であることを証明付きで習ったのであろうかどうも怪しい。微積分からは、体積→表面積へはrで微分をする、円の面積→円周もrで微分をすれば得られる。円については、積分形では円周はl=∫rdθ=r∫dθ(0-2π)=2πr、面積はS=∫r・rdθ=(1/2)r^2(2π)=πr^2と考えることができ、球についも同様になる。しかしアルキメデスの時代では、球の体積は外接する円柱をこしらえて水を張り、そこに球をしずめてあふれた水の量で体積(4/3πr~3 円柱の体積の2/3)を知ったという話は逸話にすぎない。「球と円柱について」でアルキメデスが用いた手法を見てゆこう。円はその周2πrに等しい直線を底辺とし、円の半径rを高さとする3角形の面積に等しいとし、球はその表面積に等しい底面を持ち球の半径を高さとする円錐に等しいと当たりをつけたという。これは「回転楕円体の求積」を行った「円錐状体と球状体について」よりずっと前の研究です。アルキメデスは円に内接する中心を共にする3角形の多角形を考えます。円を直径を軸に回転させれば球になります。そして3角形を回転させれば円錐になります。ここからはアルキメデスの天才的な類推法で球の体積を円錐の側面積の和に、表面積の和は弦の和に還元してゆきました。この込み入った議論と計算順序はちょっと図なしでは説明できません。つまり内接立体の体積の問題は面積の和へ、そして直線の和へ順次次元を下げて恐るべき計算を行いました。こうして円、球、円錐などの関する定理が決定されたのです。球は円錐体の集合と見ることで順次体積・面積・線の問題として解いたのです。しかしアルキメデスは最後まで無限級数の和が面積・体積決定の標準的方法だということにはこの時点では気付いていませんでした。

(つづく)
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読書ノート 斎藤 憲著 「アルキメデス『方法』の謎を解く」 (岩波科学ライブラリー 2014年11月)

2016年01月28日 | 書評
ギリシャ数学史に輝くアルキメデスの求積の技法 第4回

1) 2重帰謬法の発明ー放物体の求積(その1)

アルキメデスによる体積決定は、①2重帰謬法という「・・でないとすると、矛盾する」という背理法の議論による、②著作「方法」で使われる発見的方法によるもので、近世の微積分の手法につながる独創的な方法であるが、厳密性に問題があるとされる。この章では①の2重帰謬法について考察しよう。この方法はアルキメデスより1世紀前のエウドクソス(前390-337年、プラトンにほぼ重なる)によって発明された。アルキメデスより少し前のユークリッドの「原論」でも使われている。アルキメデスはこれを改良し、「球と円柱について」、「円錐状体と球状体について」で成功を収め、後世の数学者によって研究されたといわれている。アルキメデスは「方法」の序文で、円錐の体積は同高同底の円柱の1/3である事を発見(証明なし)したのはデモクリトスで、それを証明したのがエウドクソスだと言っています。デモクリトスはソクラテスと同年輩(前5世紀前半)で、原子論を唱えたことで有名です。(なお原子論はソクラテスやプラトンから嫌われた) ユークリッドの「原論」には円錐が円柱の1/3であることの証明があり、エウドクソスに由来するといわれています。現在ではこれは2次関数の積分で容易に証明できますが、1/3は3次関数の積分形に由来する係数です。ではギリシャ時代にどうして分かったのでしょうか。角錐が角柱の1/3であることはすでに分かっているとしてスタートします。この結果を円錐と円柱の関係に拡大するとき、底面の円に多角形を内接させ、その円柱との関係は1/3であることは分っているので、内接する多角形の辺を増やしてゆけば、無限という概念を利用すれば直感的に1/3の関係は理解できます。しかしギリシャ人直感を証明とは認めません。そこでエウドクソスは1/3である内接する円錐と円柱の関係が1/3以上だとすると矛盾であることを証明としました。これを2重帰謬法と言います。内接という概念が外形よりは小さいことを利用したまでのことです。これは論理学の基本ですが、これを証明と認めることを心良しとしない数学者も多いことは記憶する必要があります。姦計、もしくは同義反復(トートロジー)と同じだと言います。それはともかくとして、2重帰謬法は次の3ステップに纏めることができます。
①体積(面積)を求めたい図形に対して適当な内接図形を作図する
②この内接図形に対して成り立つ関係を確認する
③帰謬法により内接接図形に対して成り立つ関係が問題の図形にも成り立つことを近似図形で確認する
ユークリッドの原論で帰謬法で扱っているのは、①角錐・角柱と円錐・円柱の関係、②2つの円の面積比は、直径上の正方形の比に等しいこと、③2つの球の体積の比は、直径の3乗の比になることだけです。つまり2重帰謬法は結果が分かっていて、それを否定する仮定をして矛盾を導き出すもので、探究法としてはいかさまだという議論もあります。問題はそれ以上の困難があるのです。円錐の問題を結果の分かっている角錐の問題に帰着させたのはいいのですが、最後の極限操作を直感に頼らないで厳密化することが非常に困難だからです。またエウドクソスの議論には近似図形からその面積(体積)を求めるのにつきものの和の計算がありません。積分法を使わない限り、近似図形を限りなく問題図形に近づけるには級数の和に相当する議論がないのです。どこまで正多角形を増やしていっても、同じ関係が成り立つことの確認しかありません。図形の比較であって、本当の意味での求積がないことが、エウドクソスの限界でした。

(つづく))
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読書ノート 斎藤 憲著 「アルキメデス『方法』の謎を解く」 (岩波科学ライブラリー 2014年11月)

2016年01月27日 | 書評
ギリシャ数学史に輝くアルキメデスの求積の技法 第3回

序(その3)

アルキメデスのテキストの写本は20世紀になって初めて知られた重要な写本があります。これをC写本と言いました。そこでこの本の考古学を振り返りましょう。センセーショナルなC写本の復活は、1998年ニューヨークのクリスティーズの競売上で起きました。羊皮紙にギリシャ語で書かれたアルキメデスの写本で、ビザンチン帝国で10世紀に写され、13世紀に一度消されてその上に祈祷書が上書きされた「パリンプセスト」で、落札は約2億円でした。写本は表面をこすって文字を消し別の著作を写してありました。写本の価値を決めたのは祈祷書ではなく、かすかにわかる程度のアルキメデスの著作でした。アルキメデスがアレクサンドリアに送った著作はパピルス(植物繊維)に書かれていたはずです。パピルスは耐久性がなく、乾いた土地でしか保存できません。当然アルキメデスの著作は古代後期には羊皮紙に書き直された。現代に伝わるギリシャ語の写本は大半が9世紀以降東ローマ帝国(ビザンチン帝国)のコンスタンチノープルで筆写されたか、その写しである。古代ローマ帝国は395年東西に分割されて統治されたが、476年西ローマ帝国はゲルマン族によって滅亡し、東ローマ帝国は縮小しコンスタンチノープル近辺だけの小国家でしたが1453年オスマントルコによって滅ぼされるまで千年近く存在していました。この東ローマ帝国はギリシャ国家として9世紀ごろ国力を回復し、文化学芸が花開いた時期があり、ギリシャ語の写本が整備されました。そこでアルキメデスの写本が復活しました。ただ系統的なアルキメデス著作集というものはなく、3つの部分的な写本が存在します。A写本は9世紀に作られ主要な著書を網羅する重要な写本でしたが、15世紀ルネッサンス時代のヴェッラが所有していましたが、その後失われ現存しません。いくつかの写しが存在し、ほぼ完全に復元されました。次に重要なのがB写本です。13世よりバチカンの所有物です。ギョームがラテン語訳の自筆写本を作りましたが、14世紀にB写本そのものが失われ、今はギョームのラテン語訳しか存在しません。印刷術以前には大量に写本を作ることは有りませんので、写本が無くなれがその系統は断絶します。8世紀半ばよりギリシャ数学テキストの大半はアラビア語に訳され、それがラテン語訳の基本テキストになっています。1899年「ストマキオン」というアルキメデス著作のアラビア語訳の断片が発見され、そこには断片14個から正方形を組み立てるパズルの解法の数を論じたものです。組み合わせ論の計算を目的としたものらしく、順列組合せが古代ギリシャ時代に注目されていたようです。アルキメデスの写本ではいわゆるギリシャ語訳のC写本が重要でした。これはエルサレムの聖サバス修道院に祈祷書としてあったと伝えられてきました。19世紀に聖墳墓協会のイスタンブール分院に移されました。この教会のティッシェンドルフという聖書研究者が1846年に祈祷書の下に数学の著作が書かれていることに気が付きました。デンマークの文献学者ハイベア(1854-1928年)はギリシャ数学文献の校訂版の大半を作成するという超人的な成果を上げてきた研究者です。1906年ハイベアはイスタンブールに行きC写本を閲覧しました。祈祷書の文字の下からアルキメデスのギリシャ語著作集である「球と円柱について」、「浮力について」、「ストマキオン」の断片を確認しました。それよりも重要なテキストとして、「方法」と呼ばれている「エラストテネスに宛てた機械学的定理に関する方法」という標題を持つテキストのことです。求積学と機械学が融合したアルキメデスの数学と技術の最高傑作が書かれているもので、ギリシャ数学研究史上20世紀最大の発見でした。ハイベアは1908年再度イスタンブールを訪れ「方法」のほぼ全体を解読し、1915年新たなアルキメデス改訂版を完成させました。ところがこのC写本が行方不明になりました。1971年その一枚がケンブリッジ大学で発見されました。これはどうやらティッシェンドルフが切り取って盗んできた1頁だそうです。1998年ニューヨークのクリスティーズの競売に掛けられたC写本は、ハイベアが閲覧したものより著しく傷んでいました。カビだらけ穴だらけというひどい保存状態でした。どのような数奇な過酷な運命にあってきたのでしょうか。1923年トルコ共和国が生まれ国境線変更に伴うギリシャとトルコ住民の交換がおこなわれ、ギリシャ正教徒がこっそりとこのC写本(祈祷書として)をアテネに持ち込んだようです。1932年イスタンブールの骨董商ゲルソンが入手し、祈祷書として細密画を描かせた。そしてナチスの迫害を逃れるためゲルソンは写本をシリエに売却し、交換条件でイスタンブールに脱出しました。シリエはナチスに売りつける魂胆だったようです。1970年代に写本はシリエの娘のところにあり、それから売却に向けて動き出したようです。この写本を落札したのは、シリコンバレーのIT産業で財を成した人物だそうです。写本は博物館に委託され、管理費から研究費までオーナーが提供しているそうです。2001年写本の調査を行っていたスタンフォード大学では、紫外線で羊皮紙が蛍光をだし文字のコントラストが鮮明になる技術で解読調査をこなってきたが、今は画像のコンピューター処理により、通常光写真と紫外線写真の比較から、祈祷書は黒もしくはグレーに見え、アルキメデステキストは赤く見える「疑似カラー画像」を作成している。さらに鉄に注目した蛍光X線分析による解読も行われた。この技術は美術絵画の顔料調査には欠かせないおなじみの技術である。こうしてC写本の全ページを解読したギリシャ語訳が2011年に刊行された。

(つづく)
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