奈良県橿原市今井町 その1
アリストテレス著 「詩学」
ホラティウス著 「詩論」
ホラティウス著 「詩論」
岩波文庫(1997年1月)
ホラティウス (その3)
{第三部 295-476行}
(24) デーモクリトスはヘリコーンから正気の詩人を締め出した。狂気の詩人と砥石の役を果たす批評家
デーモクリトスは技術よりも才能を重視したため、正気の詩人は追い出された。私は自身では何も書かず評論家になって彼らに耳の痛い意見を言おう。
(25) 道徳的義務を理解することによって、それぞれの人物にふさわしい性格を与えることができる。
分別を持つことは詩を正しく作る第一歩である。題材はソークラテースの書物が示してくれる。これらの事を学んだらそれぞれの人物にふさわしい性格を与えることができる。
(26) ギリシャ人は誉を、ローマ人は富を得ることを少年のころから学ぶ。
金銭欲が一旦心を蝕んだなら、詩が創れるなどと期待してはいけない。ギリシャ人は才能と滑らかな語り口を与えた。彼らは賞讃以外には何も熱心に求めなかった。
(27) 詩人が狙うのは有用性か、喜びか、あるいはその両方か。
詩人が狙うものは、役に立つか、喜ばせるか、人生にとって益になることを語るかである。喜ばせるために作られたものは、できるだけ真実に近いものでなければならない。
(28) 欠点を大目にみてもらえる場合とそうでない場合。
欠点があっても大目に見たい場合がある。詩の大半が輝きを放っているなら、わずかなシミなどは気にする必要はない。何度もしくじる人は物笑いになる。
(29) 詩は絵と同じである。
詩は絵と同じ。近づけば人を惹きつけ、離れれば人の心をとらえる。
(30) 詩人は一流でなければ詩人ではない。だが詩作を知らないものが詩を作るのはなぜか。
詩人が凡庸であったなら、人も神も許してくれない。人の心を楽しませる詩は、最高のものでなければ知に堕ちる。しかし詩を知らない人が大胆にも詩を作る。これは許されない。
(31) ミネルヴァの意に添わないならば、語ることも作ることもできない。批評家の意見に耳を傾け
ミネルヴァの意に添わないものはあなたは発表しないことが、判断であり良識である。何鹿を欠いたなら原稿を評論家に読ませ、9年間は発表を待つべきである。
(32) 詩人は文明と文化をもたらし、誉と名声を享受した。ホメーロス、オルペウス過去の詩人の例
オルペウスはテーバイの都に掟を作った。こうして詩人はとその詩は神聖なものとされた。続いてホメーロスとテゥルタイオスはマルスの戦いに導いた。歌によって信託が告げられた。
(33) 詩人には才能と技術のどちらが必要か。
賞賛に値する詩ができるのは、生まれつきの才能か、技術なのか。才能と努力は互いに相手の助力を求める。
(34) 詩人は追従者に気を付けなければならない。
お金をたっぷり持つ詩人は、追従者をあつめ派を作る。もし詩を作るなら、狐のような狡猾な奴があなたを欺かないよう気を付けることだ。
(35) 詩人は率直な批評家を必要とする。
人が何かを読んで聞かせると、ここを直せという忠告があれば荒削りの詩を遂行しなければならない。そうでないと、詩を批判した人をも嘲笑の災いに巻き込むことになるからだ。
(36) 狂気の詩人が井戸に落ちても放っておくがいい。
賢明な人は狂気の詩人に近づくことを恐れて逃げる。この詩人が井戸に落ちても助けてはいけない。
(37) 狂気の詩人が詩を書きまくるのはなぜか。
狂った人は何故詩を書きまくるのか。彼は狂っている。助けようもない。
(終わり)
{第三部 295-476行}
(24) デーモクリトスはヘリコーンから正気の詩人を締め出した。狂気の詩人と砥石の役を果たす批評家
デーモクリトスは技術よりも才能を重視したため、正気の詩人は追い出された。私は自身では何も書かず評論家になって彼らに耳の痛い意見を言おう。
(25) 道徳的義務を理解することによって、それぞれの人物にふさわしい性格を与えることができる。
分別を持つことは詩を正しく作る第一歩である。題材はソークラテースの書物が示してくれる。これらの事を学んだらそれぞれの人物にふさわしい性格を与えることができる。
(26) ギリシャ人は誉を、ローマ人は富を得ることを少年のころから学ぶ。
金銭欲が一旦心を蝕んだなら、詩が創れるなどと期待してはいけない。ギリシャ人は才能と滑らかな語り口を与えた。彼らは賞讃以外には何も熱心に求めなかった。
(27) 詩人が狙うのは有用性か、喜びか、あるいはその両方か。
詩人が狙うものは、役に立つか、喜ばせるか、人生にとって益になることを語るかである。喜ばせるために作られたものは、できるだけ真実に近いものでなければならない。
(28) 欠点を大目にみてもらえる場合とそうでない場合。
欠点があっても大目に見たい場合がある。詩の大半が輝きを放っているなら、わずかなシミなどは気にする必要はない。何度もしくじる人は物笑いになる。
(29) 詩は絵と同じである。
詩は絵と同じ。近づけば人を惹きつけ、離れれば人の心をとらえる。
(30) 詩人は一流でなければ詩人ではない。だが詩作を知らないものが詩を作るのはなぜか。
詩人が凡庸であったなら、人も神も許してくれない。人の心を楽しませる詩は、最高のものでなければ知に堕ちる。しかし詩を知らない人が大胆にも詩を作る。これは許されない。
(31) ミネルヴァの意に添わないならば、語ることも作ることもできない。批評家の意見に耳を傾け
ミネルヴァの意に添わないものはあなたは発表しないことが、判断であり良識である。何鹿を欠いたなら原稿を評論家に読ませ、9年間は発表を待つべきである。
(32) 詩人は文明と文化をもたらし、誉と名声を享受した。ホメーロス、オルペウス過去の詩人の例
オルペウスはテーバイの都に掟を作った。こうして詩人はとその詩は神聖なものとされた。続いてホメーロスとテゥルタイオスはマルスの戦いに導いた。歌によって信託が告げられた。
(33) 詩人には才能と技術のどちらが必要か。
賞賛に値する詩ができるのは、生まれつきの才能か、技術なのか。才能と努力は互いに相手の助力を求める。
(34) 詩人は追従者に気を付けなければならない。
お金をたっぷり持つ詩人は、追従者をあつめ派を作る。もし詩を作るなら、狐のような狡猾な奴があなたを欺かないよう気を付けることだ。
(35) 詩人は率直な批評家を必要とする。
人が何かを読んで聞かせると、ここを直せという忠告があれば荒削りの詩を遂行しなければならない。そうでないと、詩を批判した人をも嘲笑の災いに巻き込むことになるからだ。
(36) 狂気の詩人が井戸に落ちても放っておくがいい。
賢明な人は狂気の詩人に近づくことを恐れて逃げる。この詩人が井戸に落ちても助けてはいけない。
(37) 狂気の詩人が詩を書きまくるのはなぜか。
狂った人は何故詩を書きまくるのか。彼は狂っている。助けようもない。
(終わり)
茨城県筑西市 「小貝川母子島遊水地」
本庶 佑 著 「がん免疫療法とは何か」
岩波新書(2019年4月)(その4)
第2章 PD-1抗体でがんは治る
③ PD-1抗体治療の研究開発の歴史
PD-1は胸腺での自己反応性リンパ球の選択的細胞死の研究の過程で1992年偶然に見つかった。PD-1の遺伝子配列(cDNA)を見つけたのである。その配列から分子の構造が細胞膜に埋め込まれた受容体であることが分かり、膜の内側にリンパ球の情報伝達に係わるチロシン残基が2個保存されていた。この分子の発現はかなり制約され、活性化されたB細胞とT細胞に見られ、その他の細胞にはほとんど発現されていなかった。PD-1ノックアウトマウスを作るため純系マウスにする必要があり、ようやく3年でノックアウトマウスの症状が見えだした。免疫反応が亢進していることが分かったのは1996年の半ばであった。この論文は1998年と1999年に発表された。マウスの系統によって症状が異なり、ある系統では腎炎や関節炎が現れ1年後から次第に死んだ、別の系統では自己免疫性拡張型心筋症が起こった。膜の内側の2つのチロシン残基周辺のアミノ酸配列の構造は1995年にITAM(免疫受容体活性化チロシンモチーフ)が発見されていたが、PD-1は少し違ってITIM(免疫受容体抑制チロシンモチーフ)と呼ぶ。チロシン残基変異体をもつPD-1を作ってB細胞に発現させ、そのシグナルの伝わり方を見た。2つあるチロシンのうち下流のチロシンが重要で、このチロシンが脱リン酸化酵素(SHP-2)がそこに結合し、こうしてリンパ球活性化シグナルによって生じたリン酸化分子を脱リン酸化することで活性化シグナル量を減少させる効果があった。2001年にこれが確かめられ、PD-1が免疫反応のブレーキ役であることが分かった。PD-1は細胞表面にある受容体の構造をしていることから、それに結合するリガンドが必ず存在する。1998年にジェネティックGIのビアコアを使って微量たんぱく質の結合を電気的に測定する共同研究をスタートさせた。そしてPD-1はDr.フリーマンのB7ファミリーの仲間の一つと結合することが分かった。2000年に論文を発表した。PD-1のリガンドは、抗原提示細胞に発現される。抗原提示細胞とはマクロファージやB細胞の事で、抗原を認識して取り込み、そのペプチドをMHC(抗原を提示する膜分子)に結合させ、T細胞が認識できるようにする細胞である。PD-1は過度の活性化を制御するブレーキ役であるので、抗原提示細胞にはそのブレーキを踏むリガンドが費用となるのである。PD-1のリガンドは抗原提示細胞以外にも様々な細胞で発現誘導され、特にがん細胞でもリガンドが発現されることがわかった。
1996年アリソンがCALA-4抗体を使ってネズミでガン治療を行ったが、強い自己免疫病が起こり、ヒトの治療には使えないことが分かったので、PD-1の方はマイルドな効き方であるのでガン免疫治療のターゲットになりうると確信を得たという。そこでPD-1疎外によるガン増殖抑制実験を始めた。PD-L1抗体を使って腫瘍の増殖が抑えられたので、2002年論文に発表した。PD-L1を発現していない悪性黒色腫ではPD-1抗体が有効であった。当時だれも見向きもしなかったガン免疫療法の開発には企業はしり込みをしたが、2002年小野薬品工業と共願で特許を申請した。アメリカのベンチャーのメダレックス社が小野薬品と共同研究をすることで、2006年より治験が始まった。2009年メダレックス社はブリストル・マイヤー社に買収され治験は加速された。約2000人のガン末期患者を対象にして治験が進み、驚く成績を出した。2012年に論文化され、末期患者の20-30%で効果がみられ、特に悪性黒色腫、肺がん、腎がんの患者では腫瘍が小さくなり1年以上効果が持続した。悪性黒色腫は21014年第3相試験では1年後の生存率は70%であった。化学抗がん剤では20% の効果しか得られなかった。京都大学では卵巣がんの治験を行った。第2相の治験で20人中3人に顕著な効果があり再発もないという結果を得た。アメリカでは2014年悪性黒色腫、2015年には肺がん、腎がん、ホジキンリンパ腫に対して承認された。アメリカのNIHには1000近くの治験が報告された。
(つづく)
京都市下京区 西洞院通り七條上がる 「千家茶室 藪内家」
柄谷行人著 「世界史の構造」 岩波現代文庫(2015年)
柄谷行人著 「世界史の構造」 岩波現代文庫(2015年)
第二部 世界=帝国 (その4)
第2章 世界貨幣
① 国家と貨幣
商品交換は共同体と共同体の間で始まるとマルクスは説いた。だからといって初期の社会において商品交換はなかったわけではない。狩猟採集民のバンドでも完全に自給自足であることはできない。一定の物質を外から得なくては生存できない。定住化すればなおさらである。共同体間で商品交換をするには言っての友好状態が築かれなくてはならない。そのためにも贈与が不可欠になる。商品交換は太古から存在したがいつも贈与に付随する形で行われた。マルクスは「資本論」で商品交換は所有者の法的関係に裏付けられているという。交互に私有財産所有者として認め合って、契約という形態をとる。この法関係、意志関係の内容は経済関係を反映しているという。すなわち共同体間の商品交換を可能にするのは、法の遵守を見守る国家の存在(交換様式B)が必要である。そして共同体間の「信用」が必要である。互酬的な交換様式Aに基づく商品交換Cは、他の交換様式AやBと連動している。交換様式Cは固有の力を持っている。その力とは貨幣の力である。それは国家によって生まれるものではなく、逆に国家はそれを必要とする。それによって他人を自発的な契約によって従属させることができる。商品交換には国家の力が必要である。国家は貨幣の力によって、官僚や軍や警察機構を雇うことができるのである。灌漑事業などの公共事業には貨幣が必要である。
② 商品世界の社会契約
マルクスは「資本論」の序文で、「経済的形態の分析には、抽象力なるものが必要だ」といった。マルクスはスミス、リカードら古典経済学の「労働価値説」を継承したうえで、「剰余価値説」を導いた。その前に先行するイギリスのリカード派社会主義者の先駆的仕事があった。アダム・スミスは商品には使用価値と交換価値があるといったが、商品が貨幣に交換されない限りそのような交換価値は商品に内在していない。貨幣になぜ他の商品を買う力があるのか、その金銀といった素材価値でもなく貨幣に加工する労働価値でもない。このような力は商品と商品の交換過程からのみ生じるのである。商品の価値は、商品と商品の関係においてのみ価値を持つのである。マルクスは貨幣の生成は「商品世界の共同作業」といった。これは「商品世界の社会契約」と呼んでもいい。一般的な等価形態や貨幣形態に置かれたものにのみ、商品を買う力を付与したのである。
③ リヴァイアサンと資本論
マルクスが「資本論」で貨幣生成にかんして述べたことと、ホッブスが「リヴァイアサン」で主権者の出現に関して述べたことには類似性がある。マルクスは貨幣を王に例えた。王と臣下の関係が、貨幣と商品交換権利の譲渡に類似するからである。全員が自然権を一人の主権者に譲渡するということは、有力であったものがますます有力になってゆく過程に他ならない。フランスで中間勢力(封建領主、教会)を駆遂したのはフランス革命1789年であった。ブルジョア革命は絶対王政を亡ぼしただけでなく、中間勢力を亡ぼして絶対的な主権者を確立した。それは人民が主権者になった国家であった。マルクスは「価値形態論」で貨幣の生成は「商品世界の共同作業」といった。商品を持っている人と貨幣を持っている人では立場が異なる。商品(労働力商品を含む)を持つ人は弱い立場になり、貨幣を持つ人は物を買い労働を買うことができる。ここに貨幣の持つ社会的な強制力の秘密がある。
(つづく)
繁星花 ペンタス
イスラエル民族の再興を願う3大預言書と12小預言書
3) 「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」(岩波文庫2015年) (その55)
15) ハガイ書
作者はバビロン捕囚後の最初の預言者ハガイである。エルサレム神殿の再建(紀元前515年)がその預言の主題となっている。ハガイとはヘブライ語で「祝祭」という意味である。
第1章: ペルシャ王朝ダリヨス王の2年6月1日、エホバの言が預言者ハガイによってユダの方伯ゼルバベルおよび祭司長ヨシュアに伝えられる。エホバ言い給う、民はエホバの宮殿を建てる時期ではない、この殿は破れが多く板を貼る家にいるべきで、汝ら自分らの生活を顧みて、衣食住さえこと欠ける状態で神の殿とはおこがましい。木を持って家を建てよ、そうすれば我は歓び栄光を受けるだろう。方伯ゼルバベルおよび祭司長ヨシュア及び遺れる民は預言者ハガイの言を聞き従えり。エホバの言葉は集まった人々の心を振り起こし、彼らはエホバの殿にて建築に取り掛かった。6月24日のことであった。
第2章: 7月21日エホバの言ハガイに臨めり。ユダの方伯ゼルバベルおよび祭司長ヨシュアに伝えよ、遺れる者の中に昔の宮殿を見た者があるか、今作っている殿はどう見えるだろうか、あまりに小さなものに見えるのではないかと。しかしこの地の民よ自ら強くして働け、この殿の栄光は従前の栄光より大なりといい給う。ダリヨスの2年9月24日エホバの言ハガイに臨めり。律法について祭司に問うべし、人の衣の裾で包んだ聖肉をもってきて、その裾がパンや羹、酒、油あるいはほかの食物に触れた時それは聖きものになるかと、祭司らはならないと答えた。穢れた物に触れたときはどうか、祭司らは穢れると答えた。エホバ言う、一切の捧げものが穢れたものである。エホバが民を苦しめた時でさえ汝らは我に還らなかった。9月24日からエホバの殿の基礎を置く日までのことを考えよ、その日から我汝らを恵まんとす。方伯ゼルバベルを選びてユダの長(メシヤ)としエホバ膏を注ぐ。
(ハガイ書終わり)
(つづく)
カズラ
イスラエル民族の再興を願う3大預言書と12小預言書
3) 「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」(岩波文庫2015年) (その35)
4) エゼキエル書 (その9)
第31章: 11年3月1日エホバの言エゼキエルに臨む、エジプト王パロ及びエジプト全土に預言せよ。アッスリアは非常に背の高い樹で枝が雲にまで至る。レバノン一の木であった、エデンの神の園にある者皆之を羨しく思った。これは実は水に恵まれているためで、あまりに高くなりすぎたのは心が驕ったせいだとしてこれを万国の君の手に渡し、切り倒し打ち捨てられた(アッスリアの滅亡)。同じことはエジプトの繁栄に見られ、寄ってたかって倒されるべし。
第32章: 12年12月1日エホバの言エゼキエルに臨む、エジプト王パロのための哀しみの詞を述べよ。エジプトは自らを万国の獅子になぞらえているが、エジプトはワニでエホバの造った川に住んでいる。汝を釣って川から引き揚げ魚と一緒に荒れ野に棄て、獣と鳥に与えよう。蒼穹に照る光明を暗くし汝の国を暗黒になす。バビロンの剣汝に臨まん、汝らの群衆は勇士の剣に仆れエジプトの誇りを絶やさん。我エジプトの地を荒れ野西、そこに住む者をことごとく撃つとき人々我エホバなることを知る。12年12月15日エホバの言エゼキエルに臨む, エジプトの群衆と娘らを下の国に投げ降し墓に入れよう。すでにアッスリアの群衆は倒されて墓に在り、彼処にエラム人在り、メセク、トバシ、エドム人と異邦人らは墓にひしめきいる。そこに剣に仆れた王パロと群衆が投げ込まれる。
第33章: エホバの言エゼキエルに臨む、イスラエルの民に告げよ。われ剣を一つの国に降さんとするとき、民の一人を守望者に立てラッパを吹いて民に自ら誡めるように告げよ。自ら誡めをなさない者の責任は己に在り、自ら誡めるならばその命を保つことができる。いまエゼキエルよ汝を守望者に立てる。悪人にその罪で死なないよう戒めなければならない。悪の道を離れるように語らなければ悪人は死ぬが汝にも責任がある。もし悪人が戒めに応じて悪の道から離れるならば悪人は命を得る。義人と言えど義に驕りて悪いことをなすなら死ぬ。あくにんが悪から離れると命は助かる。悪の行為をなすかどうかが命にかかわることで、その前に悪人だったか義人だったかは問題としない。12年10月5日エルサレムより脱走者がバビロンにやってきた。邑は落ちたという。エルサレムから来たものはエホバに異議を申し立てた。アブラハムの時代は一人で地を守ったが、今は衆の数が多く土地は授かったものとして飲み食いしている。するとどうしても乱れがちになり道を外すことも出て来る。時代が違うのだと。エホバ言う。彼らは口ではもっともらしいことを言うが、エホバを知らずその心は利によって動いている。彼らはエゼキエルの言葉を聴くが行わないのだと。
第34章: エホバの言エゼキエルに臨む、己だけを養う牧者は禍なり、牧者(国王)は羊(国民)を養うべきものである。弱きを助け病める者を癒し、厳しい取り立てをせず、失せたる者散らされた者を探すのが役目であるべし。牧者よエホバの言を聞け、太った牧者、己の事しか考えない牧者を罰し牧者を止めさせる(王の廃止、革命のこと?) エホバは自ら我が群れ(国民)を養う、肥えた羊と痩せた羊の間の裁判を行う(公平、平等)。我彼らの上に一人の牧者を置きその人彼らを養う。彼らとの間に平和の契約(社会契約論)を結び、悪しき獣を滅ぼす(警察権)。
第35章: エホバの言エゼキエルに臨む、セイル山に向かって預言せよ。エホバはセイル山を滅ぼす、荒れ野となる。イスラエルの人を艱難のときその終わりの罪の日に剣にかける。殺された者をその山に満たし長しえに荒地となさん。イスラエルとユダはエホバのものなり、エホバが彼らに示した怒りと嫉みにしたがって汝らを裁く。
(つづく)