ブログ 「ごまめの歯軋り」

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「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」

2020年08月19日 | 書評
さるすべり

イスラエル民族の再興を願う3大預言書と12小預言書

3) 「文語訳 旧訳聖書 Ⅳ 預言」(岩波文庫2015年)   (その41)

5) ダニエル書 (その4)

第8章: 第8章は第2回目の諸国の興亡の預言である。バビロンの王ベルシヤザルの3年にダニエルは再び諸国興亡の預言を得た。第7章の預言の書き改めである。牡羊が亡び牡山羊なるが勝利するが、4つの国が興る。 バビロンがペルシャによって滅んだあと、ペルシャ帝国による世界支配となる。そこからまた4つの角なる国が興る。ギリシャ、イスラエルはその小さな1角となる。毀され踏みつけられた聖所はいつになったら解放されるは約6年後にエホバの怒りが解けてからであるという。この章は非常に難解です。本文から私が読み取れるのは上の記述程度ですが、ある歴史家と牧師らは次のような読み方をします。「なんと一頭の雄羊(ペルシャ)が川岸に立っていた。それには二本の角(メディャ・ペルシャ)があって、この二本の角は長かったが、一つはほかの角よりも長かった。その長いほうは、あとに出て来たのであった。私はその雄羊(ペルシャ帝国)が、西や、北や、南のほうへ突き進んでいるのを見た。どんな獣もそれに立ち向かうことができず、また、その手から救い出すことのできるものもいなかった。それは思いのままにふるまって、高ぶっていた。一頭の雄やぎ(ギリシャ)が、地には触れずに、全土を飛び回って、西からやって来た。その雄やぎには、目と目の間に、著しく目だつ一本の角(アレクサンドロス大王)があった。雄やぎ(ギリシャ)は雄羊(ペルシャ)を地に打ち倒し、踏みにじった。この雄やぎ(ギリシャ)は、非常に高ぶったが、その強くなったときに、あの大きな角が折れた。そしてその代わりに、天の四方に向かって、著しく目だつ四本の角(ギリシャは四つの国に分割された)が生え出た。そのうちの一本の角(シリヤのセレウコス家)から、また一本の小さな角(アンティオコス4世・エピファネス)が芽を出して、南と、東と、麗しい国(イスラエル、ユダヤ)とに向かって、非常に大きくなっていった。エルサレム神殿における常供のささげ物は取り上げられ、その聖所(エルサレム神殿)の基はくつがえされる。軍勢(イスラエルを意味する)は渡され、イスラエルがエピファネスの支配下に置かれた。」
第9章: メデア人ダリヨスがバビロンの王となった元年、ダニエルがエホバの預言者エレミヤに臨んだ年は、エルサレムが荒れ果てて70年後のことであった。ダニエルは預言者エレミヤのことばによって70年の捕囚が終わる事を知りました。捕囚の70年(実際は50数年間)は、神が意図をもって定めたものであり、神の民が心を尽くして神を捜し求めさせるためでした。ダニエルは麻の衣を来て断食し灰をかぶって祈祷し、エホバに懺悔して言う。我らは罪を犯し叛いて戒めと律法を離れたり。主よ公義は汝に在り恥は我らに帰す。憐れみと赦しは主なる神のうちにあり、そもそもイスラエルの民は皆汝の律法を犯し汝の詞に従わなかった。モーセの律法に記された呪いと誓詞が我らの上に灌がれた。汝の邑エルサレム汝の聖山より汝の怒りと憤りを取り離したまえ、我らが汝の前に祈りを奉るのは時分の義しさによるのではなく、ただ汝の憐れみにすがるによる。主よ許し給え、聴き入れ給え、我が神よ汝自らのためになし給えば汝の邑と民は汝の名を以て称えられん。ダニエルがそのような祈りをささげていたときに、神の御使いガブリエルが遣わされてダニエルに近づいて来て、次のように告げたのです。 神の最終的な御国が打ち建てられるという有名な「七十週預言」と言われるものです。このことを悟るようにとダニエルは求められたのです。70週(約6年)を定めて悪を抑え罪を封じて咎を贖い、義を行い、預言を実証し、至聖者に膏を注がんという課題です。次の第25節から27節がまた難解です。25節は、れゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、油そそがれた者、君主の来るまでが七週。また六十二週の間、その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される。26節はその六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。第27節は彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現れる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。

(つづく)