ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

文芸散歩 堀田善衛著 「時間」(岩波現代文庫 2015年11月)

2016年03月31日 | 書評
「殺、掠、姦」の南京虐殺事件の中、中国人知識人の立場になって人間存在の本質に迫る戦後文学 第3回

1) 「時間」のあらすじ
 
* この作品の主人公は、終始「わたし」という一人称代名詞で登場するのですが、陳英諦という名を持っている知識人で、中国の文化についてはもとより欧米文化にも造詣の深い人物です。いくどかヨーロッパを訪れたこともあり、ヨーロッパの諸言語にも通じています。年のころは37歳、国民党政府の「海軍部」日本流に言えば「海軍省」に文官としてつとめて8年になります。1920年の蒋介石による労働者学生の大弾圧殺戮事件のときには、学生として弾圧された側にいた、という経歴を持っています。兄の陳英昌は日本に留学したことのある司法官の役人です。陳家も富裕な階級に属していて、兄英昌が政府の幹部たちとともに南京を逃げだすにあたって南京に留まる弟英諦に厳命したのは、なんと、予想される日本軍の占領下という条件のもとでも家と財産を守れ、いや、殖やせといったことでした。この彼が住んでいた家は、3階建で19室もある洋館です。彼の妻の本名は清雪ですが、結婚前にしばしば散歩にいった莫愁湖のほとりにかつて住んでいた六朝時代の女流詩人莫愁の名を借りて莫愁と呼ぶようになっていました。彼女が、英諦にとってかえがえのない愛の対象であったことだけははっきりわかります。この彼女とのあいだに英武という幼い男の子がいます。この作品は、明確な章別編成はとっていませんが、およそ4部に分つことができます。
* 第1部は、1937年11月30日から12月11日までです。つまり、日本軍の南京攻撃を予期しての政府機関が漢口に疎開してから日本軍が城内に入ってくる寸前までの南京のようすを描いています。この先どうなるのかわからない市民たちの不安に満ちた毎日のようすです。国民政府の漢口疎開が象徴していたのは、南京を脱出できる地位と身分と金を持つひとびとと南京に置きざりにされて身動きできないでいる庶民たちとの絶対的な落差でした。とりわけ、蒋介石主席そのひとが夫人や腹心たちとともに飛行機で脱出したあと、南京防衛軍の幹部将校たちのなかでも気の利いた連中はさっさと脱出してしまいました。とりわけ、南京の「咽喉」である蘇州からいのちからがら脱出してきた従妹の楊嬢の口から語られる日本軍将兵の暴虐ぶりは迫真的です。

* 第2部は1938年5月10日から6月2日までとなっていますから、第1部の最後からほぼ半年の空白がある。このあいだに、しかし、前年12月13日つまり日本軍が南京城内に入って占領した日から約3週間にわってくりひろげられた、南京市民に対する日本軍将兵のかずかずの暴行陵辱がおこっていた。これこそ「南京大虐殺」として歴史にとどめられることになったことがら以外のなにものでもありません。そうした暴虐の実相を、陳英諦自身の体験にもとづいて記した部分が、回想として、この第2部には挿入されています。この暴虐は、作中では、「殺、掠、姦」と簡潔に表現されています。日本軍が南京を占領した初日13日の夜に、早くも、陳英諦は妻子と楊嬢ともども針金で後ろ手に縛られ数珠繋ぎにされて、近くの小学校に連行されます。ここにはすでに地域住民が収容されていて、校庭には屍が積みあげられてた。丸裸で胴体にはまったく傷がなく手足も完全なのに首だけがない、という屍体もあった。その日の朝早く四時ごろから順番に殺されたひとたちの屍体でした。額や掌に軍帽をかぶったり銃を持ったりした跡がないか見るといったいいかげんな検査法で、毎日麺棒で粉をこねるために指にたこのできている男だの鞄をかける職業のため肩に跡がついていたバスの車掌だのまでが兵隊と見なされて殺されたのだという。校外からも断末魔の叫びが聞えてきていた。午後になって殺戮が一段落すると、その屍体を校外のクリークに運び水中に投げこむ作業に、陳英諦を含む男たちは駈りだされました。翌14日の夜、いよいよ、酩酊した日本兵によるレイプがはじまった。陳たちは、あらかじめダブルスパイから手引きされていたので、鍵のかかってない門を探しあてて逃げだし、雪の降りしきるなか、野ざらしになった柩のあいだにかくれ一夜をすごしたのち、金城大学に設置されていた安全地帯にたどりついた。けれども、ほんの数時間後には、そこにもまた日本兵が「俘虜を捜索するという名目で乱入してきた」のです。陳は、最初に日本兵が家に侵入してきたとき左腕に傷を負っていたために、俘虜と認定され、他の男たちといっしょに後ろ手を数珠繋ぎにしばられて、トラックに押しあげられ、これが莫愁たちとの今生の別れになってしまいます。その後、クリークのほとりで、機関銃を掃射され、クリークに転落します。けれども、九死に一生を得て、10日間そこらの空き家にかくれ、高熱にうなされているところをだれかにたすけられて、病みあがりのからだで金城大学の方向へ歩いている途中で日本兵につかまって、軍夫にされ、荷担ぎ人足生活4ヶ月ののち、脱走して、わが家にたどりつき、そこを接収して暮していた日本軍の情報将校桐野中尉に、その家の下僕であると身分をいつわって申告し、中尉の「下僕兼門番兼料理人」として暮していくのです。ただ、この彼は、一方で知られてはならない秘密の任務を、奥地に疎開した政府から負わされてもいます。日本軍の動向その他南京で入手しうる情報を、この家の地下に秘密に設置してある無電機によって打電するという任務です。同時に、5人の諜報員を指導し統率する立場にもおかれています。そのうち、陳英諦は、刃物を研いだり売ったりする行商人「刃物屋」に出会います。この彼の正体はこの段階ではまだわかっていないのですが、陳が日本軍の軍夫にされているときいっしょにこきつかわれていた青年でともに脱走したなかまであること、彼がどうやら地下にもぐっている共産党員であるらしいことはわかります。ここではじめてではなく、じつは以前から登場してはいたのですが、陳英諦の「伯父」なる人物が、英諦の予測にたがわず、日本軍への協力者として英諦の前にあらわれます。

* 第3部は1938年6月30日から8月22日までです。この期間に、英諦は、以前この屋敷の使用人の一人であった洪嫗に出会い、彼女の口から息子英武が日本兵に殺された顛末をくわしく聴きとります。また、ついにほんとうの身分を桐野中尉に知られ、知識人にふさわしい仕事をするようにと懇切に勧められます。このような好意を辞退することは日本軍への敵意をあらわすことになりかなり危険なことではあったのですが、陳は、あえて辞退して下僕にとどまります。この桐野は、しかし、それ以来、なにかにつけ英諦ととかく知識人同士の話をしたがるようになります。会話は英語でおこなわれます。桐野はどうやら召集される以前は大学教授であったらしい。この桐野に対する陳の観察には、日本人知識人のありようについての痛烈な皮肉も感じられます。ここで、生死もわからなかった従妹楊嬢の消息が「刃物屋」からもたらされます。楊は生きていたのです。ただレイプによって黴毒にかかっていた。それだけじゃなく、レイプによって妊娠もしたが腹を強打して堕胎したようだった。それらの苦痛をやわらげるために麻薬を使ったのが原因でヘロイン中毒になっていた。この楊は、陳の家族とともに日本兵に拉致されたおり、いちはやく、日本語のできる者をさがして「接敵班」を、医者をさがして「衛生班」を、老人と幼児の世話をする「女子青年班」をといったふうに、収容されていた500名ほどの市民を組織し、無用の犠牲者を出さないようするために動きだすなどして、「新しい時代は血ぬられた枯草の下から爽かに芽生えてきている」と陳英諦をうならせたような娘です。この彼女にしても、あの時期のあの暴虐の犠牲となることをまぬかれえなかったのです。彼女は、また、英諦の妻莫愁とさいごまでともにいた人物なのですが、その彼女にしても、ついに、莫愁の最期を見届けることはできなかったという。殺されたことだけは、しかし、確実だった。この第3部の末尾近くに、ダブルスパイとなっていたKとの対決のシーンが出てきます。ここではじめて、このことがあの「上海事件」のときともにたたかった画学生であり、英諦の友人であったことがあかされます。この対決そのものが、ですから、諜報員の指揮監督者と忠誠を疑われた諜報員とのありきたりの対決のレベルを超えて、まさに生の根の部分にかかわってくる深い対決になっています。

* 第4部は1938年9月12日、13日、18日に10月3日の4日だけであり、従妹楊嬢の蘇りの苦闘を描くことだけに集中しています。希望の象徴です。諜報員だった陳英諦と桐野大尉が同居していること自体無理な話で、陳英諦も予感しているのですが、いずれ無線機を発見され、陳が諜報員だったことがばれ、拷問され殺される運命が待ち受けていることは明白なのですが、それについては書かれてはいません。
(なお「時間」のあらすじについては、サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/以上にうまくまとめることはできないと思い、再構成して一部転載させていただきました。厚くお礼申し上げます)

(つづく)

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文芸散歩 堀田善衛著 「時間」(岩波現代文庫 2015年11月)

2016年03月30日 | 書評
「殺、掠、姦」の南京虐殺事件の中、中国人知識人の立場で問うた人間存在の本質に迫る戦後文学 第2回

序(その2)

本書「時間」は1955年(昭和30年)新潮社から刊行された。敗戦後10年経っており、すでに中華人民共和国の樹立を見ており、朝鮮戦争からサンフランシスコ講和条約締結、米ソ冷戦体制の開始の激動期を体験している。その中で堀田氏が南京虐殺事件を取り上げた理由と意義を考えなければならない。また本書巻末に辺見庸氏の「解説」があり、本書の意義を現在の政治状況から見ている。でなければ岩波現代文庫が最初の刊行から60年経って本書を再び世に問う理由が見当たらない。辺見氏の解説を聞く前に、辺見庸しのプロフィールを見ておこう。1944年宮城県石巻市南浜町に生まれる。宮城県石巻高等学校を経て、早稲田大学第二文学部社会専修卒業。共同通信社に入社し、外信部のエース記者として知られた。北京、ハノイ特派員などを務め、北京特派員時代の1979年には『近代化を進める中国に関する報道』により新聞協会賞を受賞。外信部次長を務めていた1991年(平成3年)、職場での経験に着想を得た小説『自動起床装置』を発表、第105回芥川賞を受賞した。また1994年(平成6年)には、社会の最底辺の貧困にあえぐ人たちや、原発事故で放射能汚染された村に留まる人たちなど、極限の「生」における「食」を扱った『もの食う人びと』で、第16回講談社ノンフィクション賞を受賞。1996年に共同通信社を退社、本格的な執筆活動に入った。近年は「右傾化に対する抵抗」などをテーマに活発な論陣を張っている。戦後文芸史上で特異な存在であるこの「時間」という小説が敗戦後70年を経た今と、単行本として上刊された1955年とでは持つ意味が全く違う。違う点は、日本軍による中国戦略戦争及び南京虐殺事件に関する記憶と認識の激しい移り変わりです。虐殺事件の被害者とその親族及び日本軍関係者が死絶えてもはや肉声として証言する人もいない中で、今日の右傾化政治家たちが勝手な歴史を編集している。近年の日本には「自虐史観」批判なるものが登場し、「南京虐殺はなかった」とか「従軍慰安婦なる問題は反日勢力のでっち上げだ」とまで叫ぶ勢力の動きがとみに増加している。1990年以降「日本版歴史修正主義」とまで呼ばれるようになった。朝日新聞攻撃やNHK批判に見られるメディアの窒息現象が横行する今日では、もはや「時間」のような作品は生まれてこない。2015年10月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は中国が申請した旧日本軍による南京大虐殺に関する資料を瀬かい記憶遺産に登録したと発表した。菅官房長官は「一方的で、中立公平であるべきユネスコとして遺憾である」と記者会見で述べ、ユネスコへの基金を減額するというまさに札束で頬を打つ姑息な行為に出た。いまや人のみが為しうる歴史認識は、政治によってもみくちゃにされている。安倍首相は侵略戦争といった「過去のことは後世の歴史家に任せよ」と過去の責任を放棄し曖昧な領域に押しやろうとしている。この日本を覆っている右傾化の波については、中野晃一著 「右傾化する日本政治」岩波新書2015年7月に日本政治の右傾化の歴史が述べられている。「時間」の主人公が「今一番苦しんでいるのは、ひょっとして人間であるよりむしろ道徳というものかもしれない」と述懐しているが、今もやりたい放題の無責任が跋扈し、道徳が蹂躙されようとしているのであろう。恐らく近代日本において欠けていたのは「他者への配慮と創造力」であった。「到底筆にも口にもできないような」旧日本軍の蛮行は、相手を同じ人間と見なしていなかったことによるものである。まさにナチスのやり方と同じであった。1945年5月、堀田善衛は武田泰淳と南京に旅した時、「いつかは南京大虐殺を書かなければならないだろう」という不吉な予感がしたという。「日本軍は中国軍の敗残兵ばかりでなく、一般市民・女性。子供までを見境なく襲い、放火、掠奪、婦女暴行などを数週間も続けた。中国軍民の犠牲者は数万から43万人ともいわれている。日本以外の海外メディアは洪水のように南京大虐殺、レイプ南京を記事にしたが、日本では大虐殺については秘匿されてきた。長きに渡って日本の歴史の中でもまれに見る恥辱であった」と堀田善衛は彼の全集のあとがきに書いている。そのため南京大虐殺は未了のまま日本にぶら下がっている。安倍首相は従軍慰安婦問題と同じように終りにしたくてもまだ終わることができないのである。従軍慰安婦については韓国政府と金で解決しようとしているが、これは民衆の中では終われないのである。「外国軍も同じようなことををやっている。戦争時はそういうものだ」といった言い訳で、戦争一般にすべてを流し込むことで思考を放棄し(鵞鳥のように頭を砂の中に突っ込んで、美しい日本と自己暗示をかけるのは民衆ではなく支配者・権力者である)、責任を忘却の内に解消してしまう「日本方式」を堀田氏は強く拒否する。たとえ情報と統計不足で犠牲者の数が数十万人から数万人が妥当とされたとしても、死者の数値化による事件の過小評価を強く戒めている。まして「南京大虐殺はなかった」と公言した石原慎太郎自民党議員(元東京都知事)は厚顔破廉恥と言わざるを得ない。

(つづく)
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文芸散歩 堀田善衛著 「時間」(岩波現代文庫 2015年11月)

2016年03月29日 | 書評
「殺、掠、姦」の南京虐殺事件の中、中国人知識人の立場で人間存在の本質に迫る戦後文学 第1回

序(その1)

堀田善衛(1918年大正7年7月7日 - 1998年平成10年9月5日)という作家・評論家は、気になる作家です。私がいままで読んだ本は、堀田善衛著 「方丈記私記」(筑摩書房)、堀田善衛著 「定家明月記私抄」(ちくま学芸文庫)、堀田善衛著 「ゴヤ ⅠーⅣ」(朝日文芸文庫)である。本書「時間」もそうであるが、小説というより評論、文化批評に近い文体です。平易な表現の中で奥深い何ものかを探ろうとする著者の姿勢・問いかけに共感が持てた。この「時間」という南京虐殺事件で日本軍が中国南京市民を銃殺する描写には、「ゴヤ」の処刑の場面と共通するところがあると直感した。本書は中国国民政府の諜報機関の知識人が語るモノローグの日記形式で構成される。そういう意味で本書は中国近代化前の民衆を描いた魯迅著 「阿Q正伝」に似たところがあると思う。登場人物は、私こと陳英諦、妻の楊莫愁、子の英武、従妹の楊女史、召使の洪嫗、兄の政府役人英昌、伯父、日本軍桐野大尉、ダブルスパイK、刃物研ぎの青年(共産党員?)とあと2,3名に過ぎない。ロシア小説のように膨大な人の名を覚える必要はない。1937年12月12日、日本軍が南京に突入した夜の惨劇から話が始まり、1938年9月18日までの主人公「私」の生きるということの記録である。本書「時間」のあらすじに入る前に、堀田善衛氏のプロフィールと本書の位置づけについて概観しておこう。富山県高岡市の生まれ。旧制金沢二中から1936年に慶應義塾大学政治科予科に進学し、1940年に文学部仏文科に移り卒業。大学時代は詩を書き、雑誌『批評』で活躍したという。戦争末期に国際文化振興会の上海事務所に赴任し、そこで敗戦を迎える。1945年5月武田泰淳氏と共に南京を旅し、南京事件の見聞を得たようだ。敗戦直後、上海現地の日文新聞「改造日報」に評論「希望について」を発表。同年12月に中国国民党中央宣伝部対日文化工作委員会に留用される。翌年12月まで留用生活を送る。1947年に引揚げ、世界日報社に勤めるが、会社は1948年末に解散する。この頃は詩作や翻訳業を多く手がけていた。アガサ・クリスティの『白昼の悪魔』の最初の邦訳は堀田によるものである。1948年に処女作である連作小説『祖国喪失』の第1章「波の下」を発表、戦後の作家生活を始める。 1951年に「中央公論」に話題作「広場の孤独」を発表、同作で当年度下半期の芥川賞受賞。また、同時期に発表した短編小説「漢奸」(「文学界」1951年9月)も受賞作の対象となっていた。1953年に国共内戦期の中国を舞台にした長編小説『歴史』を新潮社から刊行。1955年に「南京事件」をテーマとした長編小説『時間』を新潮社から刊行。1956年、アジア作家会議に出席のためにインドを訪問、この経験を岩波新書の『インドで考えたこと』にまとめる。これ以後、諸外国をしばしば訪問し、日本文学の国際的な知名度を高めるために活躍した。また、その中での体験に基づいた作品も多く発表し、欧米中心主義とは異なる国際的な視野を持つ文学者として知られるようになった。この間、1959年にはアジア・アフリカ作家会議日本評議会の事務局長に就任。モスクワでパキスタンの詩人ファイズ・アハマド・ファイズと知り合ったのは1960年代である。ジャン=ポール・サルトルとも親交があった。日本評議会が中ソ対立の影響で瓦解したあと、1974年に結成された日本アジア・アフリカ作家会議でも初代の事務局長を務めた。また、「ベ平連」の発足の呼びかけ人でもあり、脱走米兵を自宅に匿ったこともあった。政治的には戦後日本を代表する進歩派知識人であった。1977年の『ゴヤ』完結後、スペインに居を構え、以後はスペインと日本とを往復する。スペインやヨーロッパに関する著作がこの時期には多い。また、1980年代後半からは、社会に関するエッセイである〈同時代評〉のシリーズを開始。同シリーズの執筆は堀田の死まで続けられ、没後に『天上大風』として1冊にまとめられた。受賞作品としては、 ①1952年 - 第26回芥川龍之介賞(『広場の孤独』)、②1971年 - 毎日出版文化賞(『方丈記私記』)、③1977年 - 大佛次郎賞(『ゴヤ』)、ロータス賞(『ゴヤ』)、④1994年 - 和辻哲郎文化賞(『ミシェル城館の人』全3巻)、⑤1995年 - 1994年度朝日賞、⑥1998年 - 日本芸術院賞(第二部(文芸)/評論・翻訳)がある。

(つづく)

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読書ノート 水野和夫著 「資本主義の終焉と歴史の危機」 (集英社新書)

2016年03月28日 | 書評
ゼロ金利・ゼロ成長・ゼロインフレは、資本を投資しても利潤が出ない資本主義の死  第9回 最終回

5) 資本主義はいかにして終わるのか (その2)

中国はリーマンショック後。政府の主導で大型景気対策として4兆元の設備投資を行ったことによって、中国の生産過剰が顕著になった。世界の工場と言われる中国ですが、輸出先の欧米の消費は縮小しています。いずれこの過剰設備は回収不能となりバブルは放火しますが、中国がもしドルを手放すなら、ドルの終焉を招くことになるでしょう。新興国で起きるバブルは欧米で起きた資産型バブルではなく、日本型の過剰設備バブルです。国際資本の完全移動性が実現した21世紀では、先進国の量的緩和で生じた過剰マネーが、新興国の近代化を日米欧よりももっと早く進行することを可能にしました。中国バブルの崩壊が世界に与える影響は甚大です。財政破綻に追い込まれる国が出るでしょう。日本がその筆頭候補です。国家債務に苦しむ日本は、普通なら戦争になってもおかしくない状況にあります。過去は戦争とインフレで帳消しにしてきました。しかし簡単には戦争はできないことも確かです。資本と労働の対立が深まり、社会不安が暴動や革命を生むかもしれません。いまや資本が主で、国家は使用人に過ぎません。バブル崩壊や戦争と言ったハード・ランディングではなく、資本主義の暴走にブレーキをかけるソフト。ランディングの道はあるのでしょうか。上の図で模式的に示した「経済縮小によるソフト・ランディング」の道を「定常状態社会」(ポスト近代)と言います。資本にブレーキをかけながら、国家の破滅を防ぎ延命を図ることです。「定常状態」とはゼロ成長社会と同義です。つまり純投資がなく、減価償却の範囲内d家の投資しかない状態です。買い替えだけで基本的には経済の循環を作ることです。日本の人口は少子化対策をしても、間もなく9000万人で横ばいということが予想されます。国家債務は減らすことができなくとも、少なくとも基礎的財政収支(プライマリーバランス)を均衡させる必要があります。いま日本のGDP(500兆円)に対する債務残高(1000兆円)が2倍を越えるほどの赤字国家であるのみなぜ破たんしないのかというからくりは以下のようです。金融機関のマネーストックは年金が主ですが、毎年24兆円づつ増えていきます。さらに毎年の企業内資金剰余額は23兆円あります。この家計部門と企業部門を合わせた資金剰余は48兆円で、対GDPの10%と高水準にあります。これが国債の購入費(毎年40兆円の国債発行)に充てられることが可能になる根拠です。また累積債務の1000兆円は、民間の実物資産や個人金融資産が大きくそれを上回っているので信用不安にならないのです。ですから外国に国債を買ってもらう必要がないのですが、将来金融機関のマネーストック(預金・年金など)が減少したり、国債の無原則的な発行が毎年50兆円を超える場合には事態は一気に悪化します。現実には個人預金は間接的に国債を買っているのと同じ意味ですので、1000兆円の債務は、いわば日本株式会社の「会員権」への出資と考えられます。財政を均衡させるために増税は仕方ありません。問題は消費税に頼るのではなく、法人税や金融資産税を増税することです。持てる者からより多くの負担をしてもらうことです。政府がそこを逃げていたのでは逆累進性の強い税制となります。ゼロ成長ですら困難な時代ですので、ゼロ成長を維持するには、成長の誘惑を断ち国の借金を均衡させ、人口問題、エネルギー問題、格差問題などに対処しなければなりません。金融緩和と積極財政に頼っていては傷口を広げるばかりです。マイナス成長社会は貧困社会です。1990年代から金融資産を持たない世帯の比率(1990年で5%)が上昇しており2010年では31%になりました。グローバル資本主義は社会の基盤である民主主義も破壊しようとしています。民主主義の経済的意味とは、適切な労働分配率を維持することです。労働者全体が貧困化しては、政治的民主主義は無いのも同然です。国家が資本の使用人になっている状況では、国家の存在意義に疑問が生じます。近代資本主義と主権国家システムはいずれ別のシステムに転換するでしょうが、その姿は予想できません。当面必要なことは資本主義にブレーキをかけることです。

(完)
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読書ノート 水野和夫著 「資本主義の終焉と歴史の危機」 (集英社新書)

2016年03月27日 | 書評
ゼロ金利・ゼロ成長・ゼロインフレは、資本を投資しても利潤が出ない資本主義の死 第8回

5) 資本主義はいかにして終わるのか (その1)

狭い意味で金をかき集めることを「募集」という。資本主義はヨーロッパの本質的な理念である「募集」に最も適したシステムです。資本主義は時代によって、重商主義でったり、自由貿易主義、帝国主義、植民地主義であったりと変化しますが、21世紀のグローバリゼーションこそ、その最たるものと言わざるをえません。資本主義の本質は、富やマネーを「周辺」から「募集」し、「中心」に集中させることに変わりありません。新興国への投資拡大によって先進国と新興国の所得格差は縮小しつつあります。グローバル資本種gとは、国家の内側の社会の均質性を消滅させ、国家の内側に「中心/周辺」を生み出してゆくシステムだと言えます。そもそも資本主義とは少数の人間が利益を独占するシステムでした。そして地球の全人口の約15%の先進国の人が豊かな生活を享受しています。15%という数値は18870年から2000年まで少しも拡大しませんでした。この15%というのが上限なのかもしれません。これまでの資本主義は資源がタダ同然で手に入ることを前提として、「安く仕入れて、高く売る」という近代資本主義はもともと格差を前提としています。全世界が均質化したら非対称性がなくなり利益が出ない構造になります。差があるから利潤が出る仕組みです。そのため資本主義は国内でも無理やり「周辺」を作り出し、利潤を確保するのです。その典型がアメリカのサブプライム・ローンと言った貧困ビジネスであったり、日本の非正規雇用問題なのです。むき出しの強欲資本主義では少数の資本家が利益を独占しています。それを「勝ち組」という詭弁で、「負け組」を諦めさせます。アダムスミスは「道徳感情論」で一定のブレーキをかけ、マルクスは資本家の搾取を見抜きます。ケインズは市場以外の政府の総需要政策を説きました。1990年までの社会主義国の存在は、資本家や起業家に常に雇用者福祉を念頭に置かせました。しかしあらゆるレーキをはずしむき出しの資本論理を貫こうとしたフリードマンやハイエクらが新自由主義をとなえ、グローバル資本主義の旗振り役を果たしました。金融緩和を行い、インフレ期待を持たせたら経済は好転するというリフレ派が主流となっています。しかしサマーズ長官が2013年のIMF会議で、先進国が貯蓄過剰の下、需要不足の長期停滞に陥っていることを認めました。ではケインズ派のような積極財政政策で需要は喚起できるのでしょうか。ケインズ主義が成立するのは、一国経済のなかでマネーを制御できる時代のものです。21世紀ではケインズ流の「大きな政府」は失敗を宿命づけられています。我々は「長期停滞論」に憂えることも考え直す必要があります。資本主義の定義は「資本は自己増殖するプロセスである」とするなら、もともと「無限」の空間を想定しています。無限であると考えると「過剰」は存在せず、スピードや効率だけが課題となります。近代社会は経済的には資本主義社会であり、政治的には民衆主義社会である。近代は無限の物資を使うということがそもそも可能だとは思えません。青天井の空間、それが「電子・金融空間」であったのです。先進国は途上国に対して見えない壁を作り資源を収奪し、先進国内に見えない壁を作り、下層の人から上層の人へ富の移転を図ることです。ケインズ流財政出動も、公共事業に乗数効果が見込めない現在に在っては、将来の需要を過剰に先取りしている点では、次世代からの収奪です。1990年代末に世界的な流れになった時価会計は、株式などの資産価値は期待値に過ぎず、将来の価値を先取りしそれが膨張すると、将来の人々が享受する利益を先取りすることになります。地球上から「周辺」が消失し、未来からも収奪しているという事態の意味は深刻です。デフレと言った次元ではなく、資本主義の終焉、つまり近代の終わりが近づいています。すでに資本主義は永続型資本主義(株式会社型)からバブル清算型資本主義(金融支配型)へ変質しています。バブルを作っては壊れるという破壊ビジネスの繰り返しです。

(続く)
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