ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

生物多様性条約COP 10 玉虫色で閉幕 どう解釈しようと勝手

2010年10月31日 | 時事問題
asahi.com2010年10月31日6時55分
生きもの名古屋議定書「始まりに過ぎぬ」 NGO不満も
 「名古屋議定書」と「愛知ターゲット」を採択し、30日未明に閉幕した国連地球生きもの会議(生物多様性条約第10回締約国会議=COP10)。最重要議題の採択という成果を上げた名古屋での生きもの会議だが、議定書とターゲットは、自然保護の現場を知るNGOが求めていた内容とは、隔たりもある。世界から集まったNGOからは、採択を喜びつつも内容には不満の声が出た。

世界の生態系は病んでいる しかし生態系(エコシステム)ってよく分らない

なぜ難しいかというと、規模のおおきな生態系は掴みようがない事から来ている。要因が多くて、その相互関係もまだ定量化されていない。分からないと言った方が早いかもしれない。だから勝手なことを言っても真偽の確かめようがないのである。生物多様性の一角が壊れると、どのような変異が現れるか、そしてその生物種が果たしてきた役割りの重要性は失って始めてわかるという類の話が多い。
生物多様性が人間にとって大切なのは、生物が人間に提供してくれる自然の恵みつまり「生態系サービス」があるからに他ならない。しかもこの恵みは失って初めて分るもので、なかなか表には出てこない。言葉を変えていうと、生物資源としての「供給サービス」、生態系のバランスとしての「調節サービス」、植物の光合成(炭酸ガス吸収、酸素放出)などの「基盤サービス」、レクレーションや憩いのために「文化的サービス」があるという。この「生態系サービス」という考え方はいかにも二元論者の欧州人の考え方であり、自然を利用する立場からの発言である。


読書ノート 佐藤幹夫著 「ルポ 高齢者医療」 岩波新書

2010年10月31日 | 書評
診療病床再編問題にみる高齢者医療制度改革 第14回

 顔の見える地域包括医療ー秋田県横手市市立大森病院
 今地域の危機は深刻である。「限界集落化」は山間の過疎地ばかりではなく、地方都市の空洞化に及んでいる。市町村合併は有利な補助金がもらえるからではなく、国の地方への補助金を削減するための手法であって、確実にトータルで地方都市の空洞化が進行している。高速道路と夢の架け橋は地方から若者を大都市へ吸い寄せ、地方都市はやせ衰え高齢化率が一気に高まった。このルポの舞台である秋田県横手市(人口10万人)の旧大森町(人口8000人)も高齢化と過疎の進む典型的な農村地帯である。小野剛氏を病院長とする市立大森病院は「地域包括医療」のもと、医療、福祉、保険が一体となった取り組みを行っている。「健康の丘おおもり」と名づけた地域には市立大森病院(150床)、特老保健施設(100名)、特別養護老人ホーム「白寿園」(120名)、居宅支援センター「もりの家」(30名)、高齢者保健福祉センター、社会福祉協議会もある。更に隣接する「南部シルバーエリア」にも同様な施設がある。旧大森町は農村地帯であるが専業農家は2割くらいである。高齢化率は33%以上であり全国平均の18%に較べると異常に高い。その中で大森病院は黒字経営である。横手市には地域中核病院として平鹿総合病院と市立横手病院があるがともに黒字経営を維持している。自治体病院の90%が赤字で閉鎖される病院が多い中で、地方自治体の首長が医療に対するセンスを持つことは、地域医療の死活問題に直結する。どうして横手市の病院が黒字なのかを探るのがこのルポの目的である。農村部における高齢者医療は、病院の診察室での治療や入院患者の治療だけで解決する問題ではない。日本海側の豪雪地帯では雪かきや寒冷による体調異変から高齢者を守るため、冬季だけ高齢者を施設に避難させる「越冬隊」という計らいは豪雪地帯の保健・医療・福祉の連携、地域包括医療という特殊性を浮かび上がらせる。市立大森病院(150床)の平均利用率は96%ほどである。「南部シルバーエリア」は秋田県福祉事業団が運営する入居施設を提供する居宅サービスである。内容は軽費老人ホーム(ケアハウス)50名、養護老人ホーム50名、老人専用マンション23名である。「健康の丘おおもり」のメインは高齢者居宅支援センター「森の家」である。15室いつも満員である。そして地域特有の酒と生活習慣病予防のための健康管理センターネットワークがあり、血圧計と心電図測定器が家庭に560台設置され、情報がセンターに直結されている。
(つづく)

文藝散歩 永井荷風著 「断腸亭日乗」

2010年10月31日 | 書評
永井荷風42年間の日記 個人主義者の孤独な生 第23回

永井荷風著 磯田光一編 摘録「断腸亭日乗」岩波文庫 第6回 

「西遊日誌抄」(1903年ー1908年、明治36年ー明治41年)(3)

1906年(明治39年)
元旦の朝までニューヨークの悪所で放蕩していたらしい。 
1月8日 メトロポリタン歌劇場で、ファウスト、トリスタン、ドン・パスクワーレ、トスカを毎夜観覧した。この頃からワシントンの娼婦イデスが毎週末にニューヨークへ会いにくる。荷風はこの頃集中的にオペラを見ている。
2月 タンホイザー、アイーダー、ローエングリーン、パルシファルなどワーグナーの劇が多い。 
3月 ワルキューレ、ライン、そしてカーネギーホールでクラシック音楽を聞いている。 
4月 ニューヨークを訪問したロシアの文豪ゴーリキがひどく冷遇されたいきさつが記されている。 
6月 短編「春と秋」、「長髪」、「雪の宿」を脱稿して日本に寄稿した。 
6月20日 チャイナタウンの魔窟に出入りしアヘンを吸う賎業婦の悲惨を目の前にして親密感を覚えたという。フランス語を学習するため夜学校に通い始めた。父の心子知らずのように、将来日本の実業界に役立つよう学費を惜しまず支援してきたのも関らず、「娼婦のになるも何の恥じかあらん」と荷風は放蕩三昧の生活であったようだ。 
7月 はモーパサン、フローベールの小説を読む。銀行内では次第に荷風の行状に悪評が広がり、解雇する噂も広がってきた。
8月15日 ワシントンの娼婦イデスがニューヨークに移り住むようになり、荷風との逢引も頻度増したようだ。 
11月 カーネギーホールにニューヨークシンフォニーの演奏を聞き、メトロポリタン歌劇場にロメオとジュリエット、タンホイザー、シーザーとクレオパトラ、リゴレット、ファウスト、カルメン、ポエーム、ラクメを見る。
(つづく)

筑波子 月次絶句 「秋夜孤愁」

2010年10月31日 | 漢詩・自由詩
無興誰倶一病夫     誰と倶無く 一病夫

窮愁倚几酒愈傾     窮愁几に倚り 酒愈々傾く

月明夜色蒼煙断     月明かに夜色 蒼煙断え
   
霜冷蛩聲晩気孤     霜冷かに蛩聲 晩気孤なり


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(韻:七虞 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)