ブログ 「ごまめの歯軋り」

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アリストテレス著 「詩学」    ホラティウス著 「詩論」

2021年09月05日 | 漢詩・自由詩
奈良県橿原市今井町 その1

 アリストテレス著 「詩学」   
ホラティウス著 「詩論」
      
岩波文庫(1997年1月)
ホラティウス (その3)

{第三部 295-476行}
(24) デーモクリトスはヘリコーンから正気の詩人を締め出した。狂気の詩人と砥石の役を果たす批評家
デーモクリトスは技術よりも才能を重視したため、正気の詩人は追い出された。私は自身では何も書かず評論家になって彼らに耳の痛い意見を言おう。

(25) 道徳的義務を理解することによって、それぞれの人物にふさわしい性格を与えることができる。
分別を持つことは詩を正しく作る第一歩である。題材はソークラテースの書物が示してくれる。これらの事を学んだらそれぞれの人物にふさわしい性格を与えることができる。

(26) ギリシャ人は誉を、ローマ人は富を得ることを少年のころから学ぶ。
金銭欲が一旦心を蝕んだなら、詩が創れるなどと期待してはいけない。ギリシャ人は才能と滑らかな語り口を与えた。彼らは賞讃以外には何も熱心に求めなかった。

(27) 詩人が狙うのは有用性か、喜びか、あるいはその両方か。
詩人が狙うものは、役に立つか、喜ばせるか、人生にとって益になることを語るかである。喜ばせるために作られたものは、できるだけ真実に近いものでなければならない。

(28) 欠点を大目にみてもらえる場合とそうでない場合。
欠点があっても大目に見たい場合がある。詩の大半が輝きを放っているなら、わずかなシミなどは気にする必要はない。何度もしくじる人は物笑いになる。

(29) 詩は絵と同じである。
詩は絵と同じ。近づけば人を惹きつけ、離れれば人の心をとらえる。

(30) 詩人は一流でなければ詩人ではない。だが詩作を知らないものが詩を作るのはなぜか。
詩人が凡庸であったなら、人も神も許してくれない。人の心を楽しませる詩は、最高のものでなければ知に堕ちる。しかし詩を知らない人が大胆にも詩を作る。これは許されない。

(31) ミネルヴァの意に添わないならば、語ることも作ることもできない。批評家の意見に耳を傾け
ミネルヴァの意に添わないものはあなたは発表しないことが、判断であり良識である。何鹿を欠いたなら原稿を評論家に読ませ、9年間は発表を待つべきである。

(32) 詩人は文明と文化をもたらし、誉と名声を享受した。ホメーロス、オルペウス過去の詩人の例
オルペウスはテーバイの都に掟を作った。こうして詩人はとその詩は神聖なものとされた。続いてホメーロスとテゥルタイオスはマルスの戦いに導いた。歌によって信託が告げられた。

(33) 詩人には才能と技術のどちらが必要か。
賞賛に値する詩ができるのは、生まれつきの才能か、技術なのか。才能と努力は互いに相手の助力を求める。

(34) 詩人は追従者に気を付けなければならない。
お金をたっぷり持つ詩人は、追従者をあつめ派を作る。もし詩を作るなら、狐のような狡猾な奴があなたを欺かないよう気を付けることだ。

(35) 詩人は率直な批評家を必要とする。
人が何かを読んで聞かせると、ここを直せという忠告があれば荒削りの詩を遂行しなければならない。そうでないと、詩を批判した人をも嘲笑の災いに巻き込むことになるからだ。

(36) 狂気の詩人が井戸に落ちても放っておくがいい。
賢明な人は狂気の詩人に近づくことを恐れて逃げる。この詩人が井戸に落ちても助けてはいけない。

(37) 狂気の詩人が詩を書きまくるのはなぜか。
狂った人は何故詩を書きまくるのか。彼は狂っている。助けようもない。

(終わり)


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